「野党共闘」の敗北と限界 – 再検討して総括と出直しを考えるとき
衆院選の投開票の結果が出て、「野党共闘」の敗北となった。多くの小選挙区で野党候補を一本化し、1対1の対決構図を作ったが、事前に期待されたような成果は得られず、ほとんどの選挙区で自民党候補に競り負けた。立憲民主党は、公示前の比例の61議席を大きく減らして39議席しか取れていない。選挙前のマスコミの情勢調査でも、立憲の比例の伸び悩みが指摘されていたが、4割近い22議席も減らしてしまった。4年前の「枝野立て」時の比例獲得数が37だったので、そこから増えてない現実が分かる。1年前の国民民主との合同は全く意味がなかったことになる。一夜明けて、モーニングショーで早速、枝野幸男と「野党共闘」を袋叩きする攻勢が始まった。おそらく、この批判は今後マスコミの中で強まって、その風圧が党内を揺さぶる進行になるだろう。「野党共闘」を象徴するキャラクターであるところの、辻元清美が落選し、中村喜四郎と小沢一郎が小選挙区で落選した事実も、党内右派が台頭して共産党との縁切りを促す呼び水となると予想される。今、高笑いしているのは連合で、大満悦で気分高揚しているに違いない。
私はずっと「野党共闘」に否定的な立場であり、6年前からその趣旨の発言を繰り返してきた。政策基軸や政治信条は共産や社民に近いが、彼らが進める「野党共闘」には一貫して反対してきたし、その原理的な無理と宿命的な病理をブログで説明してきた。それは決して冷笑や私怨といった矮小な動機からのものではなく、科学としての政治学の観点からの理性的で合理的な認識と判断によるものである。「野党共闘」は、2015年の安保法制のときのSEALDs運動 - しばき隊運動の派生 - から始まった政治の動きで、共産党が主導して態勢を構築して行った取り組みだ。原点の大義名分は安保法制の破棄撤回だった。だが、そこには隠された真の事情と背景があり、それは政党の生き残りである。単独では選挙を戦えず、組織が高齢化してジリ貧になり、先細りの中で展望と体力を失った共産党が、自民党と公明党との関係を模倣し、敵であった民主党に抱きついて生き残るコバンザメの道を選んだのが「野党共闘」の戦略と経緯に他ならない。同じく、単独では小選挙区で自民党に勝てず、永久的に展望を失った民主党(立憲民主党)が、打算的かつ消極的に、つまみ食い的に共産党の提案に応じてWinWinで組んだのが、この5年間の「野党共闘」の本質だ。
何度も述べてきたように、そもそも、選挙制度を小選挙区制に変え、二大政党の体制に固め、日本の政治をウエストミンスターモデルに再編することは、それを推進する側の論理と目的は、日本の政治世界から社会主義勢力を排除し一掃するところにあった。もっと端的に言えば、共産党を追い出して潰すことが狙いだった。それをめざして実現する運動を「政治改革」と呼び、80年代末から90年代初に盛り上がったが、左から旗を振ったのが岩波書店と朝日新聞で、シンボリックな提唱者が山口二郎だった事実を確認しなければいけない。共産党を国会から追い出し、地方の議会からも締め出し、共産党を(他の先進国と同じように)殲滅するのが、日本の新しい政治システムの制度目的だったのである。基本的価値観すなわちイデオロギーを同じくし、安保外交政策を親米で共通にする二つの政党が並び立ち、選挙で政権交代を繰り返す政治体制が理想とされ、それを邪魔する政党は異端とされ抹殺される運命となったのだ。実際、最初は少数政党に配慮するとか巧言を言って、小選挙区と比例の議席数は同数等分だったが、徐々に比例の議席は減らされ、少数政党が消滅する方向に「改正」が重ねられて行った。
共産党を排除し、リベラル・デモクラシーを信条とする二つの保守政党が並び立つ政治体制が設計され、追求された。その一つが民主党だったから、当然、民主党と共産党とは不倶戴天の敵同士の関係に入る。原理的にそのような立場にしかなりようがない。松下政経塾というのは、そうした新しい日本の政治システムを担う与野党の若いエリートを養成する教育機関だった。したがって、原理的に排除し否定し合う関係の二党が、国政を担う政権構想を持った共闘関係に入るということは、そもそも無理があり、飛躍があり、どちらかが基本的な党是と綱領を変更して妥協するしかない。党を根本から変えたことを国民に説明し、納得してもらうしかない。地方自治体の首長選とかであれば、その戦術的対応は臨機応変に可能だけれど、国政選挙・政権選択選挙でその策の採用は無理である。それが可能だったのは、安保法制直後の16年の参院選のワンチャンスだけだった。16年以降、「野党共闘」は紆余曲折しつつ5年間模索されてきたが、今回も目論見を外して挫折の憂き目にあった。実を結ばなかった。当初から真正面に「野党共闘」を批判してきた者として、今回あらためて左翼陣営に抜本的再考と方向転換を促したい。総括と清算のときだ。
共産党が、立憲民主党と組んでの「政権交代」を呼びかけるのは無理がある。そのメッセージは、有権者一般にストレートに肯定的に響く効果を得ない。むしろ、抵抗と雑音と混乱を生むマイナスの影響の方が大きい。共産党が「政権交代」の主体になるのは時期尚早と言うか、お門違いの感がある。共産党というのは叡智のあるプロテスターであり、北極星と羅針盤であり、どれほど少数派でも正論を曲げず貫徹するところに真価があり、日本ではそのように認知され評価されてきた。5年前からの「野党共闘」は、誰から見ても共産党が牽引した戦略過程であり、そして、強力な安倍自民党に対抗できない二つの弱小野党の苦肉の寄合所帯であった。保守的なマスコミの視線からすれば選挙目当ての野合でしかなかった。今回の選挙結果を見て、共産党支持者はかなり落胆と失望をしているはずで、疲労感を大きくしているに違いない。来年7月には参院選が控えているが、士気を立て直すのは容易ではあるまい。共産党は全国の大事な選挙区で候補者を降ろし、比例での票の掘り起こしの機会を犠牲にしている。その負債が積み重なり、党勢を傾向的に落とす結果に繋がっている。本来、党の中から異論が起こり、執行部の責任を問い、路線転換を迫っていいはずだ。
「野党共闘」を金科玉条にして奉じてきた - そして7年前の都知事選以来私に誹謗中傷の限りを尽くしてきた - 共産党にコミットするしばき隊左翼の徒輩に訴えたい。韓国を見よと。展望はどこにあるのか。韓国の投票率は77%である。日本は56%である。左派が選挙で勝つときというのは、70%の投票率が必要なのだ。日本で、眠っている有権者の15%が目覚めれば、韓国のように左派革新政権を誕生させることができる。韓国の与党は、リベラルデモクラシーの看板を掲げている「民主化」の政党だが、その中身は半分以上が社会主義者だ。386世代は社会主義にコミットする堅強な左派だ。日本の戦後民主主義と同様、丸山真男が正しく定義した命題と同様、相対的に左の勢力が民主化を推進したのである。社会主義に内在的な左派がぶ厚く用意されなければ、日本で本格的な政権交代はできないし、韓国のようなダイナミックでラディカルな民主主義政治がハプンすることはない。安保外交政策を異にする、したがって価値観を異にする政党や勢力がボリュームをもって準備されなければ、今の共産党支持者が夢見る政権交代は日の目を見ない。現在の55%の投票者で狭く政治を行って完結させている以上、自民党Aと自民党Bが鬩ぎ合う政治しか演じられない。
親米改憲保守とネオリベで埋まった政治世界にしかならず、マスコミがそれを前提とし与件として国民に政治を語る。投票率70%の政治を現出させるためには、新しい革袋となる政党を立ち上げる必要がある。すなわち、新党・新勢力のイマジネーションを持つ必要があり、既成左翼業界のルーティン政治とそれへの依存症から脱却するる勇気と知恵が要る。社会主義と脱米外交を堂々と訴えて、社会主義に共感する有権者を増やす力が要る。リベラルからソシアルへの転換をキャリーする主体が要る。そう思う。それにしても、またしても負けられない選挙に負けた。無敵の安倍晋三が相手ではないのに、チャンスなのに戦いに負けた。溜息が出る。弱者の庶民は、また重く厳しい代償を払わねばならない。いつまで暗黒と絶望が続き、憶良的な呻吟と悲嘆が続くのか。
私はずっと「野党共闘」に否定的な立場であり、6年前からその趣旨の発言を繰り返してきた。政策基軸や政治信条は共産や社民に近いが、彼らが進める「野党共闘」には一貫して反対してきたし、その原理的な無理と宿命的な病理をブログで説明してきた。それは決して冷笑や私怨といった矮小な動機からのものではなく、科学としての政治学の観点からの理性的で合理的な認識と判断によるものである。「野党共闘」は、2015年の安保法制のときのSEALDs運動 - しばき隊運動の派生 - から始まった政治の動きで、共産党が主導して態勢を構築して行った取り組みだ。原点の大義名分は安保法制の破棄撤回だった。だが、そこには隠された真の事情と背景があり、それは政党の生き残りである。単独では選挙を戦えず、組織が高齢化してジリ貧になり、先細りの中で展望と体力を失った共産党が、自民党と公明党との関係を模倣し、敵であった民主党に抱きついて生き残るコバンザメの道を選んだのが「野党共闘」の戦略と経緯に他ならない。同じく、単独では小選挙区で自民党に勝てず、永久的に展望を失った民主党(立憲民主党)が、打算的かつ消極的に、つまみ食い的に共産党の提案に応じてWinWinで組んだのが、この5年間の「野党共闘」の本質だ。
何度も述べてきたように、そもそも、選挙制度を小選挙区制に変え、二大政党の体制に固め、日本の政治をウエストミンスターモデルに再編することは、それを推進する側の論理と目的は、日本の政治世界から社会主義勢力を排除し一掃するところにあった。もっと端的に言えば、共産党を追い出して潰すことが狙いだった。それをめざして実現する運動を「政治改革」と呼び、80年代末から90年代初に盛り上がったが、左から旗を振ったのが岩波書店と朝日新聞で、シンボリックな提唱者が山口二郎だった事実を確認しなければいけない。共産党を国会から追い出し、地方の議会からも締め出し、共産党を(他の先進国と同じように)殲滅するのが、日本の新しい政治システムの制度目的だったのである。基本的価値観すなわちイデオロギーを同じくし、安保外交政策を親米で共通にする二つの政党が並び立ち、選挙で政権交代を繰り返す政治体制が理想とされ、それを邪魔する政党は異端とされ抹殺される運命となったのだ。実際、最初は少数政党に配慮するとか巧言を言って、小選挙区と比例の議席数は同数等分だったが、徐々に比例の議席は減らされ、少数政党が消滅する方向に「改正」が重ねられて行った。
共産党を排除し、リベラル・デモクラシーを信条とする二つの保守政党が並び立つ政治体制が設計され、追求された。その一つが民主党だったから、当然、民主党と共産党とは不倶戴天の敵同士の関係に入る。原理的にそのような立場にしかなりようがない。松下政経塾というのは、そうした新しい日本の政治システムを担う与野党の若いエリートを養成する教育機関だった。したがって、原理的に排除し否定し合う関係の二党が、国政を担う政権構想を持った共闘関係に入るということは、そもそも無理があり、飛躍があり、どちらかが基本的な党是と綱領を変更して妥協するしかない。党を根本から変えたことを国民に説明し、納得してもらうしかない。地方自治体の首長選とかであれば、その戦術的対応は臨機応変に可能だけれど、国政選挙・政権選択選挙でその策の採用は無理である。それが可能だったのは、安保法制直後の16年の参院選のワンチャンスだけだった。16年以降、「野党共闘」は紆余曲折しつつ5年間模索されてきたが、今回も目論見を外して挫折の憂き目にあった。実を結ばなかった。当初から真正面に「野党共闘」を批判してきた者として、今回あらためて左翼陣営に抜本的再考と方向転換を促したい。総括と清算のときだ。
共産党が、立憲民主党と組んでの「政権交代」を呼びかけるのは無理がある。そのメッセージは、有権者一般にストレートに肯定的に響く効果を得ない。むしろ、抵抗と雑音と混乱を生むマイナスの影響の方が大きい。共産党が「政権交代」の主体になるのは時期尚早と言うか、お門違いの感がある。共産党というのは叡智のあるプロテスターであり、北極星と羅針盤であり、どれほど少数派でも正論を曲げず貫徹するところに真価があり、日本ではそのように認知され評価されてきた。5年前からの「野党共闘」は、誰から見ても共産党が牽引した戦略過程であり、そして、強力な安倍自民党に対抗できない二つの弱小野党の苦肉の寄合所帯であった。保守的なマスコミの視線からすれば選挙目当ての野合でしかなかった。今回の選挙結果を見て、共産党支持者はかなり落胆と失望をしているはずで、疲労感を大きくしているに違いない。来年7月には参院選が控えているが、士気を立て直すのは容易ではあるまい。共産党は全国の大事な選挙区で候補者を降ろし、比例での票の掘り起こしの機会を犠牲にしている。その負債が積み重なり、党勢を傾向的に落とす結果に繋がっている。本来、党の中から異論が起こり、執行部の責任を問い、路線転換を迫っていいはずだ。
「野党共闘」を金科玉条にして奉じてきた - そして7年前の都知事選以来私に誹謗中傷の限りを尽くしてきた - 共産党にコミットするしばき隊左翼の徒輩に訴えたい。韓国を見よと。展望はどこにあるのか。韓国の投票率は77%である。日本は56%である。左派が選挙で勝つときというのは、70%の投票率が必要なのだ。日本で、眠っている有権者の15%が目覚めれば、韓国のように左派革新政権を誕生させることができる。韓国の与党は、リベラルデモクラシーの看板を掲げている「民主化」の政党だが、その中身は半分以上が社会主義者だ。386世代は社会主義にコミットする堅強な左派だ。日本の戦後民主主義と同様、丸山真男が正しく定義した命題と同様、相対的に左の勢力が民主化を推進したのである。社会主義に内在的な左派がぶ厚く用意されなければ、日本で本格的な政権交代はできないし、韓国のようなダイナミックでラディカルな民主主義政治がハプンすることはない。安保外交政策を異にする、したがって価値観を異にする政党や勢力がボリュームをもって準備されなければ、今の共産党支持者が夢見る政権交代は日の目を見ない。現在の55%の投票者で狭く政治を行って完結させている以上、自民党Aと自民党Bが鬩ぎ合う政治しか演じられない。
親米改憲保守とネオリベで埋まった政治世界にしかならず、マスコミがそれを前提とし与件として国民に政治を語る。投票率70%の政治を現出させるためには、新しい革袋となる政党を立ち上げる必要がある。すなわち、新党・新勢力のイマジネーションを持つ必要があり、既成左翼業界のルーティン政治とそれへの依存症から脱却するる勇気と知恵が要る。社会主義と脱米外交を堂々と訴えて、社会主義に共感する有権者を増やす力が要る。リベラルからソシアルへの転換をキャリーする主体が要る。そう思う。それにしても、またしても負けられない選挙に負けた。無敵の安倍晋三が相手ではないのに、チャンスなのに戦いに負けた。溜息が出る。弱者の庶民は、また重く厳しい代償を払わねばならない。いつまで暗黒と絶望が続き、憶良的な呻吟と悲嘆が続くのか。
by yoniumuhibi
| 2021-11-01 23:30
|
Comments(4)
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ごっつん
at 2021-11-01 20:43
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野党共闘は敵対してきた日本共産党と立憲民主党を市民連合が取り持った言わば薩長同盟みたいなものでした。
結果はゼロ打ちで石原伸晃や甘利を落選させたり、赫赫たる戦果を上げました。
投票率が伸び悩んだので、トータルの議席数は伸びませんでしたが、一定の結果は出たと思います。
仮に日本共産党の協力がなかったら立憲民主党の議席はさらに減った可能性が高いです。
今の立憲民主党に野党共闘を取りやめる選択肢はないと思います。いわば自民党と公明党のように、今後連立政権を立てていく不可分なパートナーとして日本共産党が選ばれたわけだと思います。
野党共闘をやめるのではなく、どうやったら野党共闘で勝てるかを考えるべきだと思います。
結果はゼロ打ちで石原伸晃や甘利を落選させたり、赫赫たる戦果を上げました。
投票率が伸び悩んだので、トータルの議席数は伸びませんでしたが、一定の結果は出たと思います。
仮に日本共産党の協力がなかったら立憲民主党の議席はさらに減った可能性が高いです。
今の立憲民主党に野党共闘を取りやめる選択肢はないと思います。いわば自民党と公明党のように、今後連立政権を立てていく不可分なパートナーとして日本共産党が選ばれたわけだと思います。
野党共闘をやめるのではなく、どうやったら野党共闘で勝てるかを考えるべきだと思います。
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軽い絶望
at 2021-11-02 07:23
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国民の中に真のソーシャル・左派的なる意識がもはやなくなりつつあるように見えます。
10月13日の記事
「所得倍増計画」と「一億総中流社会」が政党の看板に – 清算される新自由主義
にて、yoniumuさんが仰ったように、
90年代あたりから、戦後日本のシステムを旧弊と見做してそれに替わるものとして持ち出すものにはすべて新自由主義的な臭いがついていました。どこを切ってもネオリベ的なるものが流れているような、改革といえばネオリベ、そんな一辺倒の時代があったせいでしょうか、国民にはいつのまにか「左派的なものへの嫌悪」が紋切型のようにできているようにみえます。
その後も、私たち庶民には潜在的に左派に頼む気持ちがあったはずですが、片思いのように、それに応える受け皿はとても貧弱なもので、非自民の政治集団は実際には民社かそれより右ばかりでした。
左派もアップデートができず苦しんでいたように見えます。確かに新自由主義とグローバリズムと緊縮財政&規制緩和の時代で、左派にとって旗色の悪い時代ではありました。2000年代以降、日本においてソーシャルな経済政策のデザインすら見なくなったように思います。まるでデパートや書店のように、昔のままの仕事と顧客を守り、衰退の中を生き長らえようとしているように見えました。
そして、産業・労働・福祉というリベラルの三本柱を忘れて、アイデンティティポリティクスと逐次的な権力監視ジャーナリズムばかりになり、内輪のエコーチェンバーで凝り固まっているここ10年間です。
エマニュエル・トッドが米国民主党のリベラル勢力を批判したトーンを借りて言えば、中流インテリと岩盤支持層の遊び場になってしまったように思います。はっきり言いますが、SDGsは彼らの新しい玩具にすぎない代物です。
もはや朝日新聞はまるでアイデンティティポリティクスの機関紙のようです。
これは私を含めた今の50代以下の現代日本人の人間性に由来するところもあると思います。
公共、みんなのためという意識がもう薄いのです。
左派の冬の時代はまだ続くように思われて口惜しいばかりです。
10月13日の記事
「所得倍増計画」と「一億総中流社会」が政党の看板に – 清算される新自由主義
にて、yoniumuさんが仰ったように、
90年代あたりから、戦後日本のシステムを旧弊と見做してそれに替わるものとして持ち出すものにはすべて新自由主義的な臭いがついていました。どこを切ってもネオリベ的なるものが流れているような、改革といえばネオリベ、そんな一辺倒の時代があったせいでしょうか、国民にはいつのまにか「左派的なものへの嫌悪」が紋切型のようにできているようにみえます。
その後も、私たち庶民には潜在的に左派に頼む気持ちがあったはずですが、片思いのように、それに応える受け皿はとても貧弱なもので、非自民の政治集団は実際には民社かそれより右ばかりでした。
左派もアップデートができず苦しんでいたように見えます。確かに新自由主義とグローバリズムと緊縮財政&規制緩和の時代で、左派にとって旗色の悪い時代ではありました。2000年代以降、日本においてソーシャルな経済政策のデザインすら見なくなったように思います。まるでデパートや書店のように、昔のままの仕事と顧客を守り、衰退の中を生き長らえようとしているように見えました。
そして、産業・労働・福祉というリベラルの三本柱を忘れて、アイデンティティポリティクスと逐次的な権力監視ジャーナリズムばかりになり、内輪のエコーチェンバーで凝り固まっているここ10年間です。
エマニュエル・トッドが米国民主党のリベラル勢力を批判したトーンを借りて言えば、中流インテリと岩盤支持層の遊び場になってしまったように思います。はっきり言いますが、SDGsは彼らの新しい玩具にすぎない代物です。
もはや朝日新聞はまるでアイデンティティポリティクスの機関紙のようです。
これは私を含めた今の50代以下の現代日本人の人間性に由来するところもあると思います。
公共、みんなのためという意識がもう薄いのです。
左派の冬の時代はまだ続くように思われて口惜しいばかりです。
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おにぎり
at 2021-11-03 07:44
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自分は保守派で、敢えて言いますが、左翼は自身を総括すべきです。
リベラルを自認する人たちほど、独善的、攻撃的、排他的で
共産党のCさんの様に「私に責任はない」と平然と言う人たちでした。
安倍が菅がと言っていれば気持ちはよかったのでしょうが、左派野党合わせて10%に満たない支持率です。
結局国民の多くは安倍・自民党の方針、憲法改正や経済優先、外交や欧米との同盟関係強化を是認していて
それが今回、「保守VSリベラル」でなく、「中道保守の与野党による漸進的改革を」と言う民意に結晶したのです。
中国による香港台湾の弾圧や北朝鮮のミサイル恫喝は激しさを増しています。
コロナ対応だって、正解がまだ見つからないのでミスはしても、
ワクチンは安倍政権が大量契約し、菅政権で迅速な大量運用体制が整備されたのです。
日本の左派は、日本が甘い国だったために放置されてただけで
もう戦後の甘い時代ではなくなったのですよ。
維新の支持率は5%から15%になったと言う報道が出ていて、恐らく次は維新が野党第一党を狙う構図になるでしょう。
今回の選挙は「野党改革選挙」と今後記憶されるはずです。
今問われ見られてるのは、左派リベラルがどのような姿勢と矜持を見せるかです。
本気で、自分たちは国民の一割未満の勢力だと自壊すべきでしょう。
リベラルを自認する人たちほど、独善的、攻撃的、排他的で
共産党のCさんの様に「私に責任はない」と平然と言う人たちでした。
安倍が菅がと言っていれば気持ちはよかったのでしょうが、左派野党合わせて10%に満たない支持率です。
結局国民の多くは安倍・自民党の方針、憲法改正や経済優先、外交や欧米との同盟関係強化を是認していて
それが今回、「保守VSリベラル」でなく、「中道保守の与野党による漸進的改革を」と言う民意に結晶したのです。
中国による香港台湾の弾圧や北朝鮮のミサイル恫喝は激しさを増しています。
コロナ対応だって、正解がまだ見つからないのでミスはしても、
ワクチンは安倍政権が大量契約し、菅政権で迅速な大量運用体制が整備されたのです。
日本の左派は、日本が甘い国だったために放置されてただけで
もう戦後の甘い時代ではなくなったのですよ。
維新の支持率は5%から15%になったと言う報道が出ていて、恐らく次は維新が野党第一党を狙う構図になるでしょう。
今回の選挙は「野党改革選挙」と今後記憶されるはずです。
今問われ見られてるのは、左派リベラルがどのような姿勢と矜持を見せるかです。
本気で、自分たちは国民の一割未満の勢力だと自壊すべきでしょう。
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さくら
at 2021-11-06 12:04
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新自由主義は、社会的な存在である人間の実在を無視する我利我利亡者の世界観です。この新自由主義の呪いを解く事ができたとき、私たち日本人が豊かに生きていくこともかなうでしょう。
人間形成の重要な時期である十代に東日本大震災を体験した世代、私は彼らに希望を見いだします。人の社会のつながり、人間の実在について深く心に刻んだであろう世代です。羽生結弦、大谷翔平に代表される彼らは、新自由主義のフィクションに染まらず、日本を導く力になるでしょう。
人間形成の重要な時期である十代に東日本大震災を体験した世代、私は彼らに希望を見いだします。人の社会のつながり、人間の実在について深く心に刻んだであろう世代です。羽生結弦、大谷翔平に代表される彼らは、新自由主義のフィクションに染まらず、日本を導く力になるでしょう。
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