GHQの政治体制は専制主義の軍事独裁だった - 二分法論の陥穽と盲点
中国包囲網が形成され、新冷戦が本格的に始まり、それぞれが冷戦のイデオロギー環境の中で生きることとなった。どうやら再び、社会主義・共産主義と民主主義という問題を原理的に考えて詰めなければいけない時節が到来したようであり、政治学的な概念整理と意味了解が必要なときが来た感がする。古くから議論されてきた問題であり、確たる答えの出ていない問題であり、一人一人が歴史を遡って問い調べ考え、自分が納得できる妙解を見つけなければいけない。今、おそらく、われわれ以上に中国のアカデミーと知識人は、その政治思想史研究と理論武装の課題に迫られているだろう。パリ・コミューンの歴史とマルクスの理論、ロシア革命の歴史とレーニンの理論を再検証・再検討し、20世紀のスターリン政治と東西冷戦をサーベイし、さらにそこから古代アテナイの直接民主制の内実に踏み込んで、民主主義の理念と社会主義の理想とを考え合わせ、展望を探り出す作業に取り組まなければいけない。古くて新しい問題だが、それを真面目にやらなければ、社会主義はスターリン主義となり、習近平のアナクロ皇帝政治(毛沢東主義)となる。無価値な幻想と欺瞞のまま終わってしまう。
今、民主主義と専制主義の二分法が語られている。アメリカによる新冷戦の戦略を正当化する言説として、中国とロシアを専制主義の範疇に入れて悪魔化し、アメリカを中心とする西側諸国を民主主義の範疇に入れて正義の陣営とし、正義と邪悪の対決として世界の現在を捉える見方が定着し、マスコミと世間一般の常識となっている。が、日本の非正規労働制は今後どうなるだろうという問題から出発した私の思考は、そこからノーマンの戦後改革=戦後民主革命の歴史を思い起こすところとなり、さらに想念の糸が伸びて、意外な政治学的事実を発見することとなった。あの民主革命の具体的政策群、日本国憲法、普通選挙、農地解放、財閥解体、シャウプ税制、労働基準法、教育基本法、等々を、急スピードで実行実現した権力は、GHQという軍事政権であり、ミリタリーが統治する専制権力だったという事実だ。政治権力の形式は今のミャンマーと同じである。占領下日本の最高権力はマッサーサー司令部にあり、GHQの命令がすべての法律に優先した。すなわち、二分法の民主主義ではなく、専制主義の体制での上からの強権的な民主革命の遂行だった。
もし、1945年に敗戦した日本にGHQの軍事統治がなく、普通に日本人が選挙して日本政府の権力を作って「民主的に」動かしていたら、ノーマン的な政策群は到底実現することはなかっただろう。松本私案的な憲法が制定され、共産党は非合法のままで、戦前と変わらない日本が戦後も続いたに違いない。革命を成したのは、強権的で絶対的な軍政権力だったのであり、今、ブリンケンやバイデンが悪魔化して排斥している政治範疇に属するものだ。そうした性格の権力の手によらなければ、戦後改革と呼ばれる日本の民主化革命は成就しなかった。GHQは日本国内に言論の自由を保障していたわけではなく、検閲と統制を強力に行っていて、GHQの方針に沿う言論と政治活動しか認めていない。今の中国共産党の統治と変わらない。そして、GHQの中で政策を考案し執行した軍政官僚は、ニューディーラーズと呼ばれる社会主義者だった。無論、彼らはスターリンとソ連共産党に忠誠を誓う「共産主義者」ではない。20世紀の知識人である。こうして考えると、民主主義とは何かという真実が、実はきわめて複雑で厄介で、単純ではないことが分かる。
ノーマンの研究者である中野利子は、ノーマンを民主主義者(デモクラット)として概念規定し、意義づけて宣揚し、「共産主義者」のレッテルを払拭すべく努めている。思えば、日本共産党が、自らとその系列を「民主勢力」と呼び、民主青年同盟とか、民主連合政府とか、やたら「民主」の語を身辺に帯びさせ、「民主」「民主主義」のワードを自らの代名詞として強調していた政治風景を思い出す。この作為について、これまであまり真剣に考えたことがなく、少しでもソ連・中国との親近性が纏わりつくマイナスイメージを薄め、社会主義・共産主義の語に付着する毒性の印象を中和させるべく、プラスイメージの「民主」「民主主義」の語をメイクのファンデーションに動員しているのだろうぐらいに軽く考えていた。が、よく考えれば、そこにはもう少し積極的な意味づけがありそうで、少なくとも日本の政治史においては、共産党が、自らこそ民主主義の理想を妥協なく追求した正統であると自己主張するのは、政治学的に根拠のないことではないと言えよう。ノーマンが指導した戦後民主改革の実績と、その思想的背景(32年テーゼ)がそれを証明している。その点は認めざるを得ない。
今、ブリンケンの二分法は、民主主義と共産主義は価値観が根本的に異なるもので、中国は民主主義とは相容れない専制主義の体制であると説いている。自分たちのリベラル・デモクラシーが唯一標準の政治的真理で普遍的な政治体制であると唱えていて、60年前の冷戦時代と同じ赤狩りのイデオロギー状況になった。そのイデオロギー攻勢と安保外交攻勢に対して、中国は狼狽し立ち往生したまま、理論的反撃に出る経路と地平を見い出せていない。包囲されて国際的孤立化を深めている。日本共産党は、自分たちは中国共産党とは違うと無関係を強調し、何やら「身の潔白」をアピールする術に出ていて、21世紀の赤狩り禍をやり過ごそうと懸命に保身しているように見える。20世紀の赤狩り禍のときは、党トップの徳田球一や野坂参三が、密航船で北京に脱出して毛沢東の世話になっていたが、その過去は都合よく忘却したらしい。本来なら、民主主義と社会主義の関係づけに論を及ばせ、論争に討って出て、二分論・二項対立論を論破する正攻法に出るべきだろう。共産主義の理想をめざす理論の党であればそうするのが当然だが、党名変更を予定している事情でもあるのだろうか。
中国共産党も、日本共産党も、社会主義のイデーやセオリーと疎遠になり、元来持っていた理想への関心と情熱を失い、純粋にそれを研究する態度を失っているように見える。だから、ノーマンの頃はあれほど理念として密接な関係と位置にあったはずの民主主義と社会主義が、全く別物のように乖離し、片方は白く美しく輝きを増し、もう片方は黒く汚れて萎れるという対比と構図になっているのである。そうなると、ブリンケンの説教(イデオロギー)の思うツボで、リベラルデモクラシーが唯一標準で普遍的という言説に折伏されざるを得ない。とまれ、ノーマンを回顧しながら私が発見した言葉は、ノーマンと当時の知識人が使っていた「ブルジョワ民主主義」の語である。いま聞くと古色蒼然たる感覚で、埃だらけの安物の骨董品と言うか、希少価値のない古代土器という感がする。今、資本論には多少のスポットライトが当たり、内田樹や斉藤幸平が宣伝して論壇出版市場で存在感を放っているけれど、マルクスが使っていた「ブルジョワ階級」の語は死語になった。GHQの戦後民主改革は、マルクス主義の側からは「ブルジョワ民主主義革命」と呼ばれるものだった。果たして、この語は復活するだろうか。
別の新しい概念で代替するとしても、同じ意味のキータームが政治学の世界に復権して理論活用されないと、リベラルデモクラシーの絶対普遍性を崩すことはできないように思われる。最後に、読者は気分を害されるかもしれないが、さらに比喩と連想の飛躍が続いて、不気味なバーチャル・アナロジーと言うか、ブラックジョーク的な予言もどきを思いつくところとなった。ノーマンはGHQという外国軍の軍事権力で寄生地主制を破砕、小作を解放して日本社会の矛盾と桎梏を問題解決した。占領軍による上からの革命であり、戦争を通じての革命だった。21世紀の非正規労働制も同じ運命を辿るのだろうか。日本資本主義論争を知識人たちがやっていた頃、まさか外国軍が地主小作制を揚棄することになるとは、そのような政治的運命は誰も想定してなかっただろう。
今、民主主義と専制主義の二分法が語られている。アメリカによる新冷戦の戦略を正当化する言説として、中国とロシアを専制主義の範疇に入れて悪魔化し、アメリカを中心とする西側諸国を民主主義の範疇に入れて正義の陣営とし、正義と邪悪の対決として世界の現在を捉える見方が定着し、マスコミと世間一般の常識となっている。が、日本の非正規労働制は今後どうなるだろうという問題から出発した私の思考は、そこからノーマンの戦後改革=戦後民主革命の歴史を思い起こすところとなり、さらに想念の糸が伸びて、意外な政治学的事実を発見することとなった。あの民主革命の具体的政策群、日本国憲法、普通選挙、農地解放、財閥解体、シャウプ税制、労働基準法、教育基本法、等々を、急スピードで実行実現した権力は、GHQという軍事政権であり、ミリタリーが統治する専制権力だったという事実だ。政治権力の形式は今のミャンマーと同じである。占領下日本の最高権力はマッサーサー司令部にあり、GHQの命令がすべての法律に優先した。すなわち、二分法の民主主義ではなく、専制主義の体制での上からの強権的な民主革命の遂行だった。
もし、1945年に敗戦した日本にGHQの軍事統治がなく、普通に日本人が選挙して日本政府の権力を作って「民主的に」動かしていたら、ノーマン的な政策群は到底実現することはなかっただろう。松本私案的な憲法が制定され、共産党は非合法のままで、戦前と変わらない日本が戦後も続いたに違いない。革命を成したのは、強権的で絶対的な軍政権力だったのであり、今、ブリンケンやバイデンが悪魔化して排斥している政治範疇に属するものだ。そうした性格の権力の手によらなければ、戦後改革と呼ばれる日本の民主化革命は成就しなかった。GHQは日本国内に言論の自由を保障していたわけではなく、検閲と統制を強力に行っていて、GHQの方針に沿う言論と政治活動しか認めていない。今の中国共産党の統治と変わらない。そして、GHQの中で政策を考案し執行した軍政官僚は、ニューディーラーズと呼ばれる社会主義者だった。無論、彼らはスターリンとソ連共産党に忠誠を誓う「共産主義者」ではない。20世紀の知識人である。こうして考えると、民主主義とは何かという真実が、実はきわめて複雑で厄介で、単純ではないことが分かる。
ノーマンの研究者である中野利子は、ノーマンを民主主義者(デモクラット)として概念規定し、意義づけて宣揚し、「共産主義者」のレッテルを払拭すべく努めている。思えば、日本共産党が、自らとその系列を「民主勢力」と呼び、民主青年同盟とか、民主連合政府とか、やたら「民主」の語を身辺に帯びさせ、「民主」「民主主義」のワードを自らの代名詞として強調していた政治風景を思い出す。この作為について、これまであまり真剣に考えたことがなく、少しでもソ連・中国との親近性が纏わりつくマイナスイメージを薄め、社会主義・共産主義の語に付着する毒性の印象を中和させるべく、プラスイメージの「民主」「民主主義」の語をメイクのファンデーションに動員しているのだろうぐらいに軽く考えていた。が、よく考えれば、そこにはもう少し積極的な意味づけがありそうで、少なくとも日本の政治史においては、共産党が、自らこそ民主主義の理想を妥協なく追求した正統であると自己主張するのは、政治学的に根拠のないことではないと言えよう。ノーマンが指導した戦後民主改革の実績と、その思想的背景(32年テーゼ)がそれを証明している。その点は認めざるを得ない。
今、ブリンケンの二分法は、民主主義と共産主義は価値観が根本的に異なるもので、中国は民主主義とは相容れない専制主義の体制であると説いている。自分たちのリベラル・デモクラシーが唯一標準の政治的真理で普遍的な政治体制であると唱えていて、60年前の冷戦時代と同じ赤狩りのイデオロギー状況になった。そのイデオロギー攻勢と安保外交攻勢に対して、中国は狼狽し立ち往生したまま、理論的反撃に出る経路と地平を見い出せていない。包囲されて国際的孤立化を深めている。日本共産党は、自分たちは中国共産党とは違うと無関係を強調し、何やら「身の潔白」をアピールする術に出ていて、21世紀の赤狩り禍をやり過ごそうと懸命に保身しているように見える。20世紀の赤狩り禍のときは、党トップの徳田球一や野坂参三が、密航船で北京に脱出して毛沢東の世話になっていたが、その過去は都合よく忘却したらしい。本来なら、民主主義と社会主義の関係づけに論を及ばせ、論争に討って出て、二分論・二項対立論を論破する正攻法に出るべきだろう。共産主義の理想をめざす理論の党であればそうするのが当然だが、党名変更を予定している事情でもあるのだろうか。
中国共産党も、日本共産党も、社会主義のイデーやセオリーと疎遠になり、元来持っていた理想への関心と情熱を失い、純粋にそれを研究する態度を失っているように見える。だから、ノーマンの頃はあれほど理念として密接な関係と位置にあったはずの民主主義と社会主義が、全く別物のように乖離し、片方は白く美しく輝きを増し、もう片方は黒く汚れて萎れるという対比と構図になっているのである。そうなると、ブリンケンの説教(イデオロギー)の思うツボで、リベラルデモクラシーが唯一標準で普遍的という言説に折伏されざるを得ない。とまれ、ノーマンを回顧しながら私が発見した言葉は、ノーマンと当時の知識人が使っていた「ブルジョワ民主主義」の語である。いま聞くと古色蒼然たる感覚で、埃だらけの安物の骨董品と言うか、希少価値のない古代土器という感がする。今、資本論には多少のスポットライトが当たり、内田樹や斉藤幸平が宣伝して論壇出版市場で存在感を放っているけれど、マルクスが使っていた「ブルジョワ階級」の語は死語になった。GHQの戦後民主改革は、マルクス主義の側からは「ブルジョワ民主主義革命」と呼ばれるものだった。果たして、この語は復活するだろうか。
別の新しい概念で代替するとしても、同じ意味のキータームが政治学の世界に復権して理論活用されないと、リベラルデモクラシーの絶対普遍性を崩すことはできないように思われる。最後に、読者は気分を害されるかもしれないが、さらに比喩と連想の飛躍が続いて、不気味なバーチャル・アナロジーと言うか、ブラックジョーク的な予言もどきを思いつくところとなった。ノーマンはGHQという外国軍の軍事権力で寄生地主制を破砕、小作を解放して日本社会の矛盾と桎梏を問題解決した。占領軍による上からの革命であり、戦争を通じての革命だった。21世紀の非正規労働制も同じ運命を辿るのだろうか。日本資本主義論争を知識人たちがやっていた頃、まさか外国軍が地主小作制を揚棄することになるとは、そのような政治的運命は誰も想定してなかっただろう。
by yoniumuhibi
| 2021-06-09 23:30
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