日本を権威主義の国の範疇に入れていたF.フクヤマの『歴史の終わり』

民主主義と全体主義の間の中間形態が権威主義であり、その特徴は「限定された多元主義」です。より具体的には、支配的な特定組織(政党、軍など)とは異なる政治主体の存在を許容する一方、結社や政治活動に強い制限を課す政治体制を指します。現在世界に存在する非民主主義体制の大部分は、権威主義体制に分類することができます。
とあり、ここからは権威主義の古典的概念であるところの尾形典男的な原義、すなわち「被治者の思考態様の問題)という要素が完全に消え、概念が改鋳されていることが分かる。権威主義は体制分類の用語に化けた。

日本の民主主義は、欧米の基準からはどこか権威主義的に見える。(下巻 P.112)
今日までアジア社会の多くは西欧のリベラルな民主主義の原理に対して少なくとも口先では賛意を払い、その形式は受け入れつつも、中身はアジアの文化的伝統に適するように修正してきた。(略)リベラルな民主主義に対するアジアの組織的な拒絶の萌芽は、リー・クアン・ユーの空理空論的な発言や石原慎太郎のような日本人の著作からもうかがえる。もしも将来このような民主主義以外の原理が出現するとしたら、そこでは日本が決定的な役割を果たすだろう。というのもこの国は、すでにアメリカに代わってほとんどのアジア諸国における近代化のモデルとなっているからである。(同 P.116)
アジアの新しい権威主義もおそらく(略)、その専制支配は、人々がより大きな権威に従い、一連の厳格な社会的規範へと画一化を進めていくような、服従の帝国という形をとるだろう。(略)アジアの新しい権威主義に示される服従の帝国は、前代未聞の繁栄を生み出すかもしれないが、それはまた大部分の市民にとっては幼年時代が長引くことであり、したがって「気概」が中途半端にしか満たされない状態を意味するのである。(同 P.116-117)
今日までアジア社会の多くは西欧のリベラルな民主主義の原理に対して少なくとも口先では賛意を払い、その形式は受け入れつつも、中身はアジアの文化的伝統に適するように修正してきた。(略)リベラルな民主主義に対するアジアの組織的な拒絶の萌芽は、リー・クアン・ユーの空理空論的な発言や石原慎太郎のような日本人の著作からもうかがえる。もしも将来このような民主主義以外の原理が出現するとしたら、そこでは日本が決定的な役割を果たすだろう。というのもこの国は、すでにアメリカに代わってほとんどのアジア諸国における近代化のモデルとなっているからである。(同 P.116)
アジアの新しい権威主義もおそらく(略)、その専制支配は、人々がより大きな権威に従い、一連の厳格な社会的規範へと画一化を進めていくような、服従の帝国という形をとるだろう。(略)アジアの新しい権威主義に示される服従の帝国は、前代未聞の繁栄を生み出すかもしれないが、それはまた大部分の市民にとっては幼年時代が長引くことであり、したがって「気概」が中途半端にしか満たされない状態を意味するのである。(同 P.116-117)




シナ及び蒙古帝国は神聖的専制政の帝国である。ここで根底になっているのは家父長制的状態である。一人の父が最上に位していて、われわれなら良心に服せしめる様な事柄の上にも支配を及ぼしている。この家父長制的原理はシナでは国家にまで組織化された。・・・・・・シナにおいては一人の君主が頂点に位し、階統制の多くの階序を通じて、組織的構成をもった政府を指導している。そこでは宗教関係や家事に至るまでが国法によって定められている。個人は道徳的には無我にひとしい。
故にそこに存在しているものは、まずなによりも国家 ー 主体がいまだ己れの権利に到達せず、むしろ直接的な、法律なき人倫態が支配している如き国家 ー であり、それは歴史の幼年時代である。かかる形態は二つの側面にわかれる。第一の面は家族関係の上に築かれている国家、訓戒としつけによって全体を秩序づけている国家であり、そこでは対立や理念性がいまだ現れていないから、いわば散文的な帝国である。と同時にそれは持続の帝国であり、いいかえればそれは己れを己れ自身から変化させることができない。これこそ背部アジアの、主としてシナ帝国の形態である。ところが他方においてかかる空間的な持続に対して、時間という形式が対立する。
諸国家は自己の内部では、すなわち自己の原理では変化しないのに、国家相互の間では絶えず変化し、止むことなき抗争を続け、かかる抗争は諸国家の速やかなる没落を準備する。・・・・・・・したがってかかる没落は決して真実の没落ではない。けだしこうした一切のやむことなき変化を通じてなんら進歩が行われていないからである。没落せるものに代わって登場した新しいものもまた、没落し行くものへと沈淪してしまう。その間なんらの進歩もみられない。こうした動揺はいわば非歴史的な歴史である。(P.127-129)


フクヤマの『歴史の終わり』は、共産主義に対する自由民主主義の勝利宣言の書であり、マルクス主義の敗北を思想史的に意味づけ、リベラル・デモクラシーの絶対性・普遍性・永久性を強烈に説いたネオコンの立場の書だが、同時に、そこにはヘーゲル主義の歴史認識の契機があり、アジア地域の諸国に対するナイーブな偏見が滲み、ステレオタイプな思考が潜んでいる点を見逃せない。リベラル・デモクラシーとは何か、その正体は何か、90年代以降その思想を全面的に受け入れて自己改造し、無媒介結合の一体化を果たした日本がどうなったか、そのことをもう一度思い返す必要があるように思う。ネオリベラルという言葉があるが、どうやらわれわれは、ネオデモクラシーという概念を開発し、定義を与えて議論するべきではないか。リベラルとネオリベラルが異なるように、デモクラシーとネオデモクラシーも異なるのだ。ソ連崩壊以降に出現したフクヤマ的な怪しげな「デモクラシー」の言説が、ネオデモクラシーなのである。






by yoniumuhibi
| 2021-03-25 23:30
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Comments(2)

本当に素晴らしい文章。有難うございます。
読売新聞で、ユーラシア・グループのイアン・ブレマーが、「中国がトップに立つことは許されない」と発言しているのを読んで、なぜそこまで中国を否定するのか? 中国がGNPトップになることを恐れるのか? 分からなかったのですが、この文章でわかりました。
要するにヨーロッパ人(白人)は哲学を定義し、解釈をする者だと。非ヨーロッパ人(非白人)は、我々が定義した哲学をただ、受け取り、盲信・模倣していけばいい存在なのだと。もし中国が自分達より上位に来ると、自分達の拠り所のルーツである哲学を非白人達が批判・否定するのではないかと。それを恐れているということですね。中国人やインド人が、ヘーゲルやウェーバーを否定し、非難する時代が来ることを恐れているということですね。
もしそうなれば、自分たち(白人)が(非白人)に対して持っている優位性・正当性が否定されてしまう。それは絶対に阻止しなくてはならない。こういう論理なのですね。
でも、彼ら(白人)は分かっているのでしょうか? その論理こそが、世界で差別が無くならない。戦争が無くならない。貧困が無くならない。その根本的な原因ではないですか?
読売新聞で、ユーラシア・グループのイアン・ブレマーが、「中国がトップに立つことは許されない」と発言しているのを読んで、なぜそこまで中国を否定するのか? 中国がGNPトップになることを恐れるのか? 分からなかったのですが、この文章でわかりました。
要するにヨーロッパ人(白人)は哲学を定義し、解釈をする者だと。非ヨーロッパ人(非白人)は、我々が定義した哲学をただ、受け取り、盲信・模倣していけばいい存在なのだと。もし中国が自分達より上位に来ると、自分達の拠り所のルーツである哲学を非白人達が批判・否定するのではないかと。それを恐れているということですね。中国人やインド人が、ヘーゲルやウェーバーを否定し、非難する時代が来ることを恐れているということですね。
もしそうなれば、自分たち(白人)が(非白人)に対して持っている優位性・正当性が否定されてしまう。それは絶対に阻止しなくてはならない。こういう論理なのですね。
でも、彼ら(白人)は分かっているのでしょうか? その論理こそが、世界で差別が無くならない。戦争が無くならない。貧困が無くならない。その根本的な原因ではないですか?
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文豪ソルジェニーティンはゴルバチョフよりもラディカルな改革を提案し、もっと自由化を進めなければソ連は崩壊すると言っていましたが
ソ連崩壊後、国によって事情が違うのだから、ロシアは欧米の制度をそのまま真似する必要はないとも書いていました
当時の私は自由の闘士が偏屈なナショナリズムに墜ちたと落胆してしましたが
今思えば、アメリカが歴史の勝者としてショックドクトリンで各国を荒らすのを見て、理想の民主国家モデルと考えるわけがないですね
収容所に入っている時でさえ、欧米の世俗主義に懐疑的でしたし
ソ連崩壊後、国によって事情が違うのだから、ロシアは欧米の制度をそのまま真似する必要はないとも書いていました
当時の私は自由の闘士が偏屈なナショナリズムに墜ちたと落胆してしましたが
今思えば、アメリカが歴史の勝者としてショックドクトリンで各国を荒らすのを見て、理想の民主国家モデルと考えるわけがないですね
収容所に入っている時でさえ、欧米の世俗主義に懐疑的でしたし
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