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ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー

ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_15104838.png丸山真男は、1965年の東大の東洋政治思想史で「武士のエートス」をテーマに講義している。講義には当時学生だった江田五月も参加してノートを録っていて、飯田泰三が巻末の解題の中で紹介している。その本論の冒頭 - 『講義録』では第2章序説に位置するが - 次のような説明が置かれている。

それぞれの国民において、その国民を他から区別し特徴づけるような人間類型の呼称があるが、そのなかで、本来その国民の歴史において登場した、ある具体的な階級や特定の集団の呼称であったものが、やがて特定の階級や集団から切り離されて、一般的にある種の行動様式をもつ人間を表示するコトバとなり、その行動様式の特徴があたかもこの国民的性格の一面を最もよく表示するものとして国際的に通用するようになる例が少なくない。その場合、コトバ自体もまた原語のままに国際化されることが多い。(東大出版 丸山真男講義録 第五冊 P.41)




ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_08243688.pngこのように述べ、そうした人間類型として、イギリスのジェントルマン、ロシアのインテリゲンツィアなどと並んで、日本の武士(さむらい)があると論じている(P.41-44)。ジェントルマン(紳士)、インテリゲンツィア(知識人)がそうであるように、サムライの表象は、少なからず尊敬と憧憬をもって他から見られ、評価され共感される人間類型であり、日本人にとって固有の美質が積極的に範疇化された美称である。その表象の特徴的要素を並べれば、潔いこと、慎み深いこと、礼儀正しいこと、勇敢であること、質素であること、忍耐強いこと、名誉に命を賭けること、孤高であること、等々がある。また、会津日新館の教育標語に掲げられた、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ、卑怯な振舞をしてはなりませぬ、弱い者をいぢめてはなりませぬ、などの倫理徳目もイメージを構成する一部となるだろう。それからまた、丸山真男が何度も拘って引用する『葉隠』の一節、「本来忠節も存ぜざる者は遂に逆意これなく候」、このコンテクストに織り込まれた覚悟と緊張感も、サムライの内面性をよく映し出し、組織と個人の関係についての日本人の哲理と美学が表現されたものだと言える。


ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_15180896.pngサムライは、われわれ日本人がアイデンティティとする生き方であり、日本人の理念型として了解している人間像である。それは範型であり原型であって、現代の塵芥にまみれた日常生活の中で堕落と怠慢と享楽に流れがちな自己を戒める鏡でもある。平安後期以降、長い歴史を通じてこの国で形作られたサムライの人間像だが、それが彫琢され、モデリッシュなものとして社会的に確立したのは、戦乱の後に長い平和が続き、経済も文化も大いに繁栄した江戸期のことだろう。司馬遼太郎は、現代の日本人の心の故郷は江戸時代であると言ったが、今、われわれは、ひたすら江戸時代が懐かしく恋しい気分に包まれている。日本が喪失と滅亡の道を疾走している現在、日本人が日本人の完成された世界を独力で作り、近代国家として世界史に跳躍し挑戦する礎を作った江戸期共同体の社会空間が懐かしい。そこに瑞々しく清冽に端正に生きている、男と女の情景が愛しく思われる。このとき、武士階級だけがサムライではなく、男子だけがサムライではない。百姓も町人も基本的に同じ精神を持った人間類型であり、武家の娘も町娘も同じく凜とした存在感で生を送っている。


ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_15284076.pngわれわれは江戸時代が懐かしく、時代劇に見入って、その情感に憧れて生きている。だが、家永三郎によれば、長い日本史の中で、江戸時代こそ最も女性の地位が低かった時代であった。あのオレンジに黑の表紙の、三省堂の教科書を高校の授業では使っていて、その中の記述にかかる留意点があったことを私は記憶している。担任は、おそらく上田正昭のゼミ生と思われる気鋭の教師だった。70年代、日本史のエリート。家永三郎の指摘であるから、この歴史認識は軽々しく無視したり意義を相対化することはできない。それをやればバカ右翼である。近年、ジェンダーの時代になって、江戸期でもこれだけ女性が活躍したのだとばかり、必死の発掘作業が続けられているが、何やら空しさが漂い、下手をすれば歴史修正ではないかと危惧するほどである。羨望に誘われる日本人の純粋な世界であり、男女が粋に情感豊かに生きる江戸期社会は、ジェンダーの観点からは暗黒の封建社会であった。イエ制度と家父長支配の因習があった。このパラドックスと深刻なイメージギャップについて、われわれはどう整理し理解するべきなのだろう。この思想的難問について、明解な答えを導いて納得的に説明している例を私は知らない。


ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_16082971.pngジェンダーとサムライ。86歳の上皇后は、若いときからずっと日本の女性の地位向上のために尽力されてきた人で、そのことに誰も異論はないだろう。東京女子マラソンの大会が開催されたとき、赤坂御所の門から青山通りの沿道に一人出て、小旗を振って応援していた姿を覚えている。2年前、退位前に最後に伊勢へ行ったとき、帰りの近鉄特急の車内でずっと立ち続け、線路脇から見送る庶民一人一人に手を振っていたときの顔は、まさに菩薩そのものだった。人格が完成し尽くされると人は菩薩の表情になる。上皇后美智子を教育し、その見事な人格を作ったのは、偉大な母正田富美子であること、あらためて確認するまでもない。戦後日本の成功と幸福の物語の何パーセントかは、この人に負っていると言って過言ではないと思われる。素敵な人物だ。写真では、常に視線をレンズに向けず、控えめな被写体として自己を構図に配していて、そこに彼女の意思と信念があることが窺われる。ひょっとしてと思って調べたら、佐賀士族の家系(副島家)だった。『葉隠』武士道の鍋島藩、その下級武士だったという情報があった。武士のエートスのジェンダー版。武家の娘だった。武士のエートスはこれだと確信する。


ジェンダーとサムライ - 武士のエートスと迷子たちの江戸ノスタルジー_c0315619_15102968.png上皇后の同窓先輩で仲のよかった緒方貞子。犬養毅の曾孫に当たるこの偉大な日本女性も、岡山庭瀬藩の郷士の家系である。性差を否定し、性差の撲滅と性役割の廃絶に血道を上げるジェンダー主義が、日本の伝統的な思想である武士のエートスを肯定するわけがなく、容認するわけがない。武士の倫理思想は、性差を前提に基礎づけられたものだからだ。ジェンダー主義の立場からすれば、武士のエートスなど不倶戴天の敵であり、殲滅すべき憎悪の対象に他ならない。さて、山口真由とか豊田真由子とか松川るいとか丸川珠代とか片山さつきとか大坪寛子とか山田真貴子を、ひとまずガラクタ範疇と名付けよう。無能なのに自身を有能だと思い上がった、ヒューマンスキル・ゼロの、組織にコストとリスクを負わせるしか能のない、面倒でわがままなお荷物の範疇である。正田冨美子の目から見て、この範疇はどう評価・判定されるだろう。だが、ジェンダー主義はこの範疇をどんどん産出し増殖させて行き、増殖させるほどにジェンダー平等の理想に接近した進歩と成果だと言い上げる。この範疇の増殖こそが社会正義の実現だと言う。そして、社会の大勢はそのイデオロギーを認め、その一方で、古きよき江戸日本へのノスタルジーの態度を続ける。


リベラリズム一色に塗りつぶされた日本で、日本人の本来のアイデンティティは否定され、「戦闘者」たるはずの男たちは迷子の羊のようになっている。社会的空気のメスによってじわじわと去勢手術され、去勢で何かを失った身に日々慣れている。中高年の男は立場と必要に迫られてジェンダー主義の信奉者になり、子どもたちは学校教育で刷り込まれて自然に宿怨被害者と自虐原罪者とに分かれる。国力の源泉であった正田冨美子的な「微弱なる電流」(司馬遼太郎)の行方はどうなるのだろうか。「女性が活躍」するとはどういうことなのだろうか。消えゆく日本の中で、なお、私はやせ我慢の孤塁の抵抗をやめず、90年代からのリベラリズムの席巻と制圧も、ジェンダー主義の跳梁跋扈も、所詮、この国では「つぎつぎになりゆくいきほひ」の一つだと確信し達観している。

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by yoniumuhibi | 2021-03-03 23:30 | Comments(3)
Commented by 房総の本屋 at 2021-03-03 18:04 x
早速ネットには、前首相夫人が中央、その両隣に山田真貴子と小野日子がいる宴席の写真があがっています。前首相夫人の真後ろ(2列目中央)は松川るい、2列目の隅に谷査恵子。

谷さんはこの写真でやや浮いています。東大卒、現場で仕事をしたくて2種で入省し、仕事ぶりも優秀だった谷さんが、人身御供として前首相夫人付などという仕事をさせられてしまいました。小野さんは内閣府で報道の仕事をしていた時期があり、外遊にも同行していたのであの夫人と接点があったのでしょう。小野さん笑顔がぎこちないですが、旦那の人事権も握られていますからね。
私の感じ方ですが、谷さんや小野さんはあの夫人や山田松川のガラクタとは違うと思います。
今日、菅が、政策が違う公務員を更迭して何が悪いと国会で言い放ちました。この男は頭が悪く、状況判断や感情のコントロールもできないので、女性報道官つけても悪目立ちするだけでしょう。
霞が関を正常化して、がらくたがはこびるのをやめてほしいと切に思います。文春に総務省の接待が出ていますが、倫理法は完全に骨抜きにされています。
Commented by ゆう at 2021-03-03 20:37 x
文春の追撃で山田真貴子がNTTからも高額な接待を受けていたことが判明しました。これは汚吏としか言いようがないです。もはや入院なんてさせておくべきではない。
検察に捜査してもらい、獄につなぐべきでしょう。
Commented by 長坂 at 2021-03-04 06:45 x
お二人に関しては、雙葉や聖心のキリスト教愛他精神、カトリックの普遍主義、アメリカ(帰国子女緒方さん)のリベラリズムの影響も大きいのでは。超お嬢様な二人とは別に、水戸藩士の流れを汲むフェミニズムの大先輩山川菊栄がいる事も忘れないで〜。平塚らいてうや伊藤野枝とは違う、もっと視野が広い。女性(女工)の貧困差別を語りながら同じく社会の底辺の男性も忘れない。ちょっと世俗的なシモーヌ・ヴェイユ?その更に下の朝鮮の人達についても言及。階級を意識したソーシャリズムマインドに科学的批判精神。こんなご時世だから、改めて注目、再評価されていい女性だと思います。私は菊栄と母を書いた「おんな二代の記」しか読んでいませんが、母青山千世(現お茶大一期生)がサムライスピリットに溢れていて、この母にしてこの子ありです。


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