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男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う

男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15065689.png難しい問題だが、なるべく肩の力を抜いて考えてみよう。これは日頃から漠然と考えていたことで、森喜朗の問題発言を機に論理的な輪郭が浮かんできたものである。着想をラフに言葉にする。それにしても、時流に抗するということ、多数派の意見に逆らって孤塁に立つということは、いつの時代も勇気と覚悟の要るものだ。5日前にこんなツイートを発している。

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男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15073035.png結論から言えば、どうやら、男女平等とジェンダー平等とは同じ思想ではない。中身が異なる。Gender Equality を男女平等と訳し、ジェンダー平等を男女平等と同じものに見せかけている説明も多く、特に東京五輪がらみの上からの言説で目立つが、これは狡獪なイデオロギーの作為を嗅ぎ取るべきだろう。本来の男女平等の思想や主張には、性差の否定と根絶という発想はなく、性差への憎悪という契機はない。二つの違いを端的に言えば、男女平等は近代の法的な人権の問題であり、ジェンダー平等は1980年代以降に社会学の方面から出てきた新参の問題系である。日本国憲法にはジェンダーという語はない。最近では、憲法学の世界でもジェンダーの概念が積極的に基礎づけられ、男女平等とジェンダー平等がコンバージェンスさせられて、男女平等がジェンダー平等にリプレイスされる傾向にある。が、戦後民主主義にジェンダーの契機がないのは当然で、だからこそ上野千鶴子にとって戦後民主主義は殲滅すべき仇敵なのである。世の中は、男女平等からジェンダー平等に変わっている。男女平等という日本語が消え、その理念が消され、ジェンダー平等という別物に置き換えられようとしている。


男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15192656.png両者は何が違うか。試論と仮説を言うなら、責任主体の位置づけが異なる。男女平等の理念の実現において期待されるのは、その責任主体は一義的には女性である。男社会の所与の不平等な現実を変えるべく、女性が臆せず立ち上がり、果敢に手を挙げて挑みかかり、憲法と法制度を武器にして粘り強く闘い、能力と実績を不断に証明して陣地を拡大することで、人々の意識を変え社会を変え、あるべき理想に近づけようというのが男女平等の考え方である。権利を全く回復し実現するのは、権利を奪われている者の責務と使命であり、権利は口を開けて待っていれば上から与えられるものではないというのが近代法の前提だ。一方、性差の駆逐と掃討を目的とするジェンダー平等の方は、その理想の実現の責任主体を男性だと指定する。頭の古い、「男らしさ女らしさ」の観念にしがみつく時代遅れの男がいるから、いつまで経ってもジェンダー平等の地平が到来しないのだと指弾し、男性の思想改造によって社会が変わり悲願が成就すると考える。男性が思想改造することが重要で、教育(洗脳)によってそれを達成するという方法を設定する。当然ながら、それは男性に原罪と自己否定の意識を植え付ける戦略になる。


男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15353111.png私は、以前からジェンダー主義という言葉を使い、ジェンダーと主義の二語を熟せしめ、批判的に概念化し、その思想をイデオロギー的に相対視する視角と立場を訴えてきた。ジェンダー主義の危険な毒性は、自責と宿罪の原理を無理やり男性に刷り込んでロボトミー手術する点にあり、一方、女性に対して被害者意識を刷り込み、男の所為で生まれながらに人生の不幸を強制されているのだと信じ込ませる点にある。被害者意識は、容易に自己を正当化し合理化する態度に繋がる。男が邪魔するから自分が地位に就けないのだと理由づけし、制度が悪い、環境が悪い、男の思想改造が足りないと責任転嫁する。壁を破る努力をせず、僻みを言って世の中を恨むという非建設的な方向に導かれる。森喜朗の事件が起きた後の反応で、ちきりんという人物(女性)が、次のような暴言を吐いてネットで話題になった。「私が望んでいるのは彼の辞任ではなく、このクラスの男性たちの再教育。中国共産党がやってたみたいに再教育キャンプとかに入れたほうがいいんじゃないかと思うよ」。これは、暴言ではあるが本人の正直な本音であり、ジェンダー主義の本質が発露した瞬間ではないかと思う。本人には失言の自覚はなく、極論ではあるが正論だと思っているだろう。


男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15302603.png実際、ジェンダー主義者の偽らざる本音がここにあり、過激な方法だがこれしかないという論理的な判断がある。なぜなら、ジェンダー平等は、原罪を負って購うべき男性の思想改造によって実現するものだという確信と構想がそこにあるからで、男の思想改造が遅々として進まないからジェンダー平等が遅れるのだという認識と不満があるからである。それならば、人民中国のように強制的に収容所に送り込んで、朝から晩まで自己批判の思想改造教育を実践する方が早道ではないかと、そういう解決策に思い至るのは無理もない思考回路と結論だと言えよう。理想を短期に実現する革命の選択だ。問題だと思うのは、こうしたカルト的暴論を率直な意見としてすでに奔放に言えるほど、ジェンダー主義の伝播と布教が広汎に及んでいて、ジェンダー主義が常識化され、言論世界が制圧されてしまっている事実である。90年代からのアカデミーの変化と学校教育の影響だ。最早、誰もこの時代の空気に抗えなくなり、抵抗すれば「差別主義者」のレッテルを貼られ、「ミソジスト」の烙印を押されて石を投げられてしまう。抵抗は一部の右翼の隅っこだけにある。戦後民主主義の時代、日本国憲法の男女平等を言うとき、男を強制キャンプに入れて思想改造すべしという声はなかった。


男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_15485237.png戦後民主主義の時代の男女平等なら、例えば、「男子は男らしく男女平等の実現に尽力しましょう」などというフレーズはあり得ただろう。ジブリの『コクリコ坂』の物語に登場する学校の青春空間などを想定して、女子の誰かが生徒会長選挙に立候補し、そのような演説を発しても絵としておかしくない。ここには性差が肯定的に存在する。だが、ジェンダー平等の現在の言論空間では、このようなことを男の誰かが言えばたちどころに紂滅の対象になり、政治家なら政治生命を失い、リベラルの言論者ならしばき隊左翼に糾弾され処刑される。戦後民主主義の環境でこのフレーズが言われたとき、男女には自我と役割の違いがあり、その違いは尊重されるもので、二者は理想の実現に向けて協力し合う清純な同志の関係であった。男子と女子はパートをテイクして助け合うパートナーだった。が、ジェンダー平等の現在では、この絵は御法度であり、コード違反の禁忌であり、最初から拒絶と否定の対象になる。パートを分割してはいけないのであり、両性の分業共同の関係は前提されず、そこに議論の余地はないのだ。そこにはアイデンティティに絡む宿怨があり、原罪と復讐の関係が確立されている。


男女平等とジェンダー平等は同じなのか - 責任主体と実現方法が違う_c0315619_16180619.png以下は余談的に、ジェンダー主義の理想の地平は何だろうと、ときどき空想する。性差性別のないプラナリアの如くヒトの赤ちゃんが産まれ、そのまま成長し、15歳頃に自由意思で市場で生殖器官を購入して装着し、要するに病院で手術し、どちらかの性の人格として生き、途中で自由に何度も転換したりとか、二つの器官と機能を具有して楽しんだりとか、飽きたらプラナリア的中性(無性)に戻って気儘な時間を送ったりとか、そういう極致のリベラリズムが夢の最終目標なのだろうか。バイオの科学技術が発達すれば、そういう試みをある程度具体化することも可能だろう。不気味な絵ではあるが、まつろわぬ男たちがみな強制収容所に入れられる『1984年』の絵よりも、まだマイルドでよいかもしれない。プラナリア化する理想が実現されるまでにはまだ時間がかかりそうで、私はそれを見ることはないから。それにしても、何で「ジェンダー」という外来語一つで、日本国憲法にも書かれてない輸入言葉一つで、これほど日本の男女が陰湿に傷つけ合う関係に立たねばいけないのだろう。意味すらよく分からない言葉の前に屈服し、阿り、怯え、生身の両性が不信と対立の関係に入らなければならないのだろう。


砂漠の砂を噛むような、無機質な悪意の針の雨に刺されるような、やめてくれと逃げたくなるような、愛と潤いのない憂鬱な関係性で生き合わなければいけないのだろう。このイデオロギー支配から解放されるのはいつなのか。(誤字脱字があるかもしれないが、気づいた時点で修正する)



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by yoniumuhibi | 2021-02-17 23:30 | Comments(8)
Commented by コスモス at 2021-02-17 18:51 x
文春オンラインでの大曲医師のインタビューより、「gotoは国民の意識を狂わせた。GoToトラベルにしてもイートにしても、使わないと損をしちゃう。それでタガが外れてしまい、いつの間にか「もう大丈夫なんだ、元に戻っていいんだ」という意識になってしまったのです。みんなで食事をしたりお酒を飲んだりする楽しさ、旅行に行く楽しさを思い出してしまうと依存症のようなもので、もう我慢できない。個人の行動を変える、意識を変えることこそが重要な感染症対策なのに、その意識をおかしな方向に向けてしまった。今後の対策を考えるうえで、これは重たい教訓として真剣に捉えるべきだと思います。」
貴ブログでも、11月の3連休の頃、何度も書かれておられた。大曲先生はお立場上、発言に制約もあると思うが、この発言からは現場の医療者の怒りが伝わってくる。この一件だけでも菅は国賊だ。
個人の行動、意識を変えることが、感染症対策の肝ということ。
鳥取は感染者は少ないが、人口の割には膨大なPCR検査をしていて、その日のうちに結果が出るように体制を整えたと聞いた。島根、鳥取、和歌山がコロナ3優等生だが、いずれも人口が少なく、知事は官僚出身者。一方、東京神奈川では、コロナに掛っても自宅見放ししかない。大阪も似たようなものだ。
大曲医師は当初、コロナは抑え込めると思っていたと。事実台湾やNZは抑え込めている。鳥取、島根、和歌山は抑え込めていると言えるレベルで、大曲医師の想定していた未来を実現していると言える。
Commented by さくら at 2021-02-17 23:23 x
ジェンダー(主義)には気持ち悪さを感じていました。その気持ち悪さの正体を炙り出してくれてありがとうございます。性差が肯定的に存在し、男女平等の下に協同する方が人間的です。ジェンダー主義は、非人間的なものへとつながる悪魔的な醜悪さを感じます。
Commented by つばめ at 2021-02-18 10:25 x
再教育キャンプは、政治家だったら政治生命を失う発言ですよね。ブログ主さんが画像を貼ってくださっています。(もっとも最近は、政治生命を失ってでも、夜遊びをしたい議員がいるようで、政治生命も随分軽くなりました)
ちきりんの中身のプロフィールが出ていますが、あの年代で一橋出たなら、ワイルドスワンとか大地の子とか読まないんですか?
ウイグル。モンゴル語教育禁止。香港。こういう問題は地続きですからね。
Commented by リリー at 2021-02-18 11:52 x
2月13日の地震のあと、特急ひたちが、急遽仙台まで1日に数便運行することとなった。2月15日は悪天候で、14時前に仙台を出る便が大幅に遅延し18時前に出発、品川着を上野着に変更したものの、途中強風のため何度も休みながらの運行となった。上野についたのは翌日2時30分ごろ。
その車内では、車掌が、お客全員に降車駅と翌日大学受験かどうかを確認していた。今はネット時代、その車掌のアナウンスも録音されてネットで出回っていたが、若い男性の声のように思われた。
この車掌さんは、受験で上京する高校生がこの列車に乗っていないかどうか、心配していたのだろう。地震に加えて、悪天候で遅延では、18歳ではパニックだ。そういう配慮ができる車掌さん。性差は関係ない。人柄の問題だ。
本来なら運休になってもおかしくない電車を東京まで走らせた現場力、そして鉄ヲタたちはネットでひたち22号がまだ走ってるぞ、頑張れと拡散。鉄ヲタはともかく、日本国憲法の「理想」を体現している一場面。
某野党の女性たちが、国会で白いスーツを着て抗議とか、私にはその白色にどんな意味があるのか全く分からない。白いスーツを着ることがどうして抗議になるのか。急遽二階に詰め寄って、女性を会議に参加させろと言ったところで、つけ焼き刀が相手にされるわけがない。
貴ブログの、憲法学の概念でのお話には頷きます。
Commented by 臥竜 at 2021-02-18 17:20 x
 今、牛や豚、鶏などの家畜のほとんどはF1といって、自らの子孫を残さず、人工授精で次の代を生産する、1代限りの生物なっている。ほとんどの野菜や穀物も同様だ。人間が経済的合理性を求めた結果である。
 実は人間もF1化が進んでいるように感じている。女性の権利を認めて、出産と育児から解放すると、子どもはどんどん減っていくだろう。男と女が出会って結婚して、家庭を築き、子どもを授かるという人類の世代循環モデルが衰退していけば、どこかで人工授精によって人類という種を維持するようになっていくだろう。そうなったときにそれを人類と呼んでいいのかはわからない。
 子どもを授かり次の代につないでいくこと、結婚して家庭を持つことは、いつのまにか、旅行や買い物などと同じ、コスパで計られる個人の消費行動の一つとなってしまった。男と女の存在はまさに神が与えたものだが、どこまでも続く個人の自由の追求は、こうした生命の本質まで否定し、国家も、民族も、家族も、男女も、すべてがブルドーザーで押しつぶされ、消費者という属性だけが存在を許される世界を招こうとしている。
Commented by みきまりや at 2021-02-19 15:22 x
 ジェンダーと男女平等は違うのですね。同じとばかり思っていたのでびっくりしました。やはりこのブログはすばらしい!感謝です。
 男性が赤ん坊をその体で産むわけにはいかないし、女性が男性を妊娠させるわけにもいかないし、その出発点に沿って男性も女性も人間として人一倍勉強し、思考し、愛があって考え深くて説得力が備わっていて…その結果としてドイツのメルケルさん、イギリスにはメイさんサッチャーさん、台湾では蔡英文さん、ミャンマーのアウンサンスー・チーさんなども首相、総統などになっている。皆さんジェンダーを叫ぶ方ではないように私は思います。
Commented by クソえもん at 2021-02-19 17:00 x
先に下品なH.N.をお詫びいたしますが、本文中で触れられている「ジェンダー主義」の問題点を指摘する記事がありましたので、ご紹介します。

流行りの「草食男子叩き」「非モテ男叩き」が、あまりに理不尽なワケ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70510
Commented by 反論壇net at 2021-02-19 18:58 x
男女平等は、性差を前提として公平を目指すもの。協力を否定などせず、譲り合いを前提とする。
ジェンダー平等とやらは、性差を虚構としますね。しかし性差は実在するもので、杓子定規に同じく生きようとすれば上手く行かない。まともな者であれば、齟齬が出たら前提を疑って出直します。しかし性差虚構論は観念であり主義なので、疑わない。上手く行かないのは男が卑劣だから、で終わり。
失敗は全て相手の責任なら気が楽ですね。だから成長しない。カルトです。

ちきりん氏は伊賀泰代氏だろうと見られていますね。コンサルタントなので、教育での刷り込みが生業です。流石に閉じ込めたりしているかどうか知りませんが。兎も角、勝間和代、奥谷禮子、両氏と同類のネオリベ的富裕女ですね。

性差虚構論というのは、要は文化侵略の道具です。目指すは、西欧と北米を基盤とする巨大資本に都合の良い商慣行を受け容れさせる為の「辺境」社会の否定。文化多元主義に立つ限り、もはや「先進国」からの文明開化も上手く行かない。しかし性差解消が正義と看做されるのであれば、既にジェンダー平等を達成した、と称する「欧米様」から指導できる。相手が受け入れるためには勿論、ジェンダー平等とやらが正しくなければならない。正しくありませんが。ブレンダの件で明らかです。

日本のフェミが出羽守なのも、巨大資本の手先だから。名誉白人であり、バナナですね。
男女の敵意が高まり協調が断たれれば、分割統治の効果も出てきます。勿論、宗主国から見ての話であり、「土人」にとっては自傷行為です。


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