グレアム・アリソン『米中戦争前夜』 - 米ソ冷戦時代への郷愁と強引な戦略構図化
グレアム・アリソンの『米中戦争前夜』を読み直した。3年前に日本語版が出て話題になった本で、船橋洋一が日本語版序文を書いている。例の「トゥキディデスの罠」のアナロジーで米中戦争を説明した国際政治の本である。覇権国だったスパルタと台頭する新興国のアテナイが、緊張関係の中で互いに相手の心理を読み合い、都合のいい状況分析の上で判断を誤り、関係悪化と相互不信を深め、国益の圧迫が甚だしくなり、戦争以外にない選択に追い込まれた必然性を米中関係に重ねたものだ。アリソンはこの方法を「応用歴史学」と呼び、古代ギリシャ史と500年間の新旧対決の攻防史から抽出した法則性を米中関係に適用、アメリカのための対処方策を提言している。2年前に初読したときよりも面白く読めた。その理由は、まさに、今のアメリカの対中方針がアリソンの主張に準拠した中身になっているからである。まさしく手引きとなっていて、政策の指針となる理論が提供されている。この本が出た後、ファーウェイ事件と関税懲罰の経済制裁が始まり、18年10月のペンス・ドクトリンへと続く進行となる。
アルカイダとイスラム国を軍事的に駆逐し、反米イスラム原理主義の脅威が去った後、アメリカの新しい主敵として中国が据えられ、この数年間、その基本国策が着々と具体化される経過が続いてきた。本格的な米中冷戦の世界が出現し、第三次世界大戦の危機と恐怖を醸し出しているが、そのアメリカの国家戦略のセオリーとなりガイドラインとなっているのが、このアリソンの著書だ。読むとそのことがよく分かる。私の関心から、アリソンは重要なことを二つ言っていて、その点を引用を交えて指摘したい。一つは、中国と対峙してコントロールするためには、核戦争も辞さずという強い姿勢が必要だと訴えている点だ。容易ならざることを堂々と言っている。本来なら、アメリカの学究や官僚ならば、イラク戦争の反省と共に表面から消えたはずの、核戦争を正当化した戦争論が政策哲学として浮上している。看過できない問題点だ。核兵器禁止条約が発効して世界の希望となっている今日、このアナクロの提言には脱力させられる。被曝の恐ろしさと核の無益を知らぬ者の暴論だと思う。
80歳のアリソンは、ハーバード大学ケネディ行政大学院の初代院長、そしてクリントン政権の国防次官補だった経歴の持ち主で、雰囲気的に、ポンペイオのような毒々しい反共右翼のキャラクターではない。イデオロギーを振り回すタイプではなく、むしろインテリでリアリストの範疇の国防理論派だ。だが、その年齢ゆえか、往年の冷戦時代のアメリカに対する郷愁が強く、ケネディやレーガンの対ソ政策を高く評価し、ジョージ・ケナンのソ連封じ込め政策に心酔している。本書を一読しての結論の了解は、アメリカの指導者にケネディのようになれと言い、ケナンのソ連封じ込めを学べというもので、ソ連との冷戦に勝ったアメリカに戻れというものである。今後の米中関係を嘗ての米ソ関係の構図に持ち込み、ソ連を崩壊させて勝利したように、首尾よく中国に勝つべしと唱えている。だから、核は戦略上必須の要件なのであり、カードとして使わなければならない旨を説いている。この態度は、しかし、シュルツやペリーらの2008年の「核兵器のない世界」の構想とは相容れないもので、時代の趨勢に逆行する不毛な思想と言わざるを得ない。
もう一つの重要なポイントは、中国に対する強烈なイデオロギー攻撃の要請であり、中国を弱体化させる戦略として中国共産党を拒絶する反共攻勢をかけろと言い、台湾とチベットの独立を支持せよと扇動している点だ。猛毒の極右反共の徒には見えない合理主義者のアリソンが、禁忌を破って正面からこう言い、米ソ冷戦時代のアメリカの戦略スタンスに戻れと臆面もなく呼びかけたことで、おそらく民主党系に大きな影響力が及ぼされ、民主党や民主党支持者も含めて、2018年以降、雪崩を打って全米がエンスージアスティックな反共反中に染まったものと思われる。この主張は、少なくともディールの外交で中国に臨んでいたトランプ政権前期までは、一般のアメリカ人にとっては過激なもので、主流で常識の位置にある政策議論ではなかった。アメリカの大資本は中国で儲けていて、成長する中国市場とのマイルドな互恵関係が経営の前提だったからである。政治体制の違いを超えた WinWin の結合と展望が両者にあり、またイスラム過激派との「文明の衝突」でも両国は手を握る利害関係だった。
以上のような提言を「戦略的オプション」として第10章に書いている。反中反共イデオロギー攻撃の解禁の号令であり、米国政府外交への正式定置の勧めである。このアリソンの提言が共和・民主のDC政界に採用され、NYT・CNNなどマスコミにも広く共有され、アメリカの推進軸たる基本国策として固まった。イスラム原理主義との戦い、いわゆる「テロとの戦い」の正当性を基礎づけるバイブルが、ハンティントンの『文明の衝突』であったように、このアリソンの本が米中冷戦を戦い抜く指導マニュアルになっている。総括的な感想を一言で言えば、正直、反動と倒錯の愚論としか言いようがなく、アメリカの知性劣化と自信喪失の病理症状としか捉えようがない。トランプ現象も自滅と衰亡の病理だが、アリソンの言説も同じである。残念なことだ。ペロポネソス戦争の比喩も牽強付会的で説得力が弱く、本質を射抜いているとも有意味とも感じられない。歴史を粗雑に道具利用していて、歴史家の態度として軽薄に感じる。国内が深刻に分断し、BLM運動というところまで自己認識の再審に直面し、それと向き合って解決の展望を見出さなくてはいけないアメリカで、冷戦時代の成功体験を再現せよなどと、あまりに時代錯誤で強引な思考と議論ではないか。
次回の稿で批判を書く。
アルカイダとイスラム国を軍事的に駆逐し、反米イスラム原理主義の脅威が去った後、アメリカの新しい主敵として中国が据えられ、この数年間、その基本国策が着々と具体化される経過が続いてきた。本格的な米中冷戦の世界が出現し、第三次世界大戦の危機と恐怖を醸し出しているが、そのアメリカの国家戦略のセオリーとなりガイドラインとなっているのが、このアリソンの著書だ。読むとそのことがよく分かる。私の関心から、アリソンは重要なことを二つ言っていて、その点を引用を交えて指摘したい。一つは、中国と対峙してコントロールするためには、核戦争も辞さずという強い姿勢が必要だと訴えている点だ。容易ならざることを堂々と言っている。本来なら、アメリカの学究や官僚ならば、イラク戦争の反省と共に表面から消えたはずの、核戦争を正当化した戦争論が政策哲学として浮上している。看過できない問題点だ。核兵器禁止条約が発効して世界の希望となっている今日、このアナクロの提言には脱力させられる。被曝の恐ろしさと核の無益を知らぬ者の暴論だと思う。
中国を抑制してアメリカの経済的利益を守るためには、アメリカには経済戦争をする覚悟が必要であるように、中国のような現実および潜在の敵に信憑性のある抑止力をかけるには、常に核戦争を選択肢に入れておく必要がある(P.280)。
MAD(相互確証破壊)の制約下では、どちらの国も核戦争に勝つことができない。しかし逆説的なことに、どちらも、負けるリスクを冒してでも、いざとなったら核戦争をする気があるという意思を示す必要がある。さもなければ、競争から脱落するだけだ。(略)したがって重大な国益と価値観を守るためには、その指導者が破滅のリスクを冒す覚悟が必要だ(P.179)。
MAD(相互確証破壊)の制約下では、どちらの国も核戦争に勝つことができない。しかし逆説的なことに、どちらも、負けるリスクを冒してでも、いざとなったら核戦争をする気があるという意思を示す必要がある。さもなければ、競争から脱落するだけだ。(略)したがって重大な国益と価値観を守るためには、その指導者が破滅のリスクを冒す覚悟が必要だ(P.179)。
80歳のアリソンは、ハーバード大学ケネディ行政大学院の初代院長、そしてクリントン政権の国防次官補だった経歴の持ち主で、雰囲気的に、ポンペイオのような毒々しい反共右翼のキャラクターではない。イデオロギーを振り回すタイプではなく、むしろインテリでリアリストの範疇の国防理論派だ。だが、その年齢ゆえか、往年の冷戦時代のアメリカに対する郷愁が強く、ケネディやレーガンの対ソ政策を高く評価し、ジョージ・ケナンのソ連封じ込め政策に心酔している。本書を一読しての結論の了解は、アメリカの指導者にケネディのようになれと言い、ケナンのソ連封じ込めを学べというもので、ソ連との冷戦に勝ったアメリカに戻れというものである。今後の米中関係を嘗ての米ソ関係の構図に持ち込み、ソ連を崩壊させて勝利したように、首尾よく中国に勝つべしと唱えている。だから、核は戦略上必須の要件なのであり、カードとして使わなければならない旨を説いている。この態度は、しかし、シュルツやペリーらの2008年の「核兵器のない世界」の構想とは相容れないもので、時代の趨勢に逆行する不毛な思想と言わざるを得ない。
もう一つの重要なポイントは、中国に対する強烈なイデオロギー攻撃の要請であり、中国を弱体化させる戦略として中国共産党を拒絶する反共攻勢をかけろと言い、台湾とチベットの独立を支持せよと扇動している点だ。猛毒の極右反共の徒には見えない合理主義者のアリソンが、禁忌を破って正面からこう言い、米ソ冷戦時代のアメリカの戦略スタンスに戻れと臆面もなく呼びかけたことで、おそらく民主党系に大きな影響力が及ぼされ、民主党や民主党支持者も含めて、2018年以降、雪崩を打って全米がエンスージアスティックな反共反中に染まったものと思われる。この主張は、少なくともディールの外交で中国に臨んでいたトランプ政権前期までは、一般のアメリカ人にとっては過激なもので、主流で常識の位置にある政策議論ではなかった。アメリカの大資本は中国で儲けていて、成長する中国市場とのマイルドな互恵関係が経営の前提だったからである。政治体制の違いを超えた WinWin の結合と展望が両者にあり、またイスラム過激派との「文明の衝突」でも両国は手を握る利害関係だった。
新興国を弱体化する場合、どのような具体的方法がありうるのか。(略)中国指導部は長年、アメリカが中国共産党の正統性を本気で受け入れることはないと考えてきた。それなら、その正統性を認めているふりをする必要はないではないか。さらに、もし中国政府に対する根本的な不信感を明言するなら、ついでにもう少し思い切ったことをしてもいいのではないか(P.198)。
中国を分断し現体制を混乱させる戦略として、チベットと台湾の独立も支持してはどうか。そんなことをすれば、中国が暴力的な反応を示すのは間違いない。しかしこの選択肢を排除すれば、独立運動を支持するアメリカの伝統をないがしろにし、みずからの影響力を排除することになる(P.199)。
アメリカは冷戦時代、ソ連政府とそのイデオロギー的基盤に打撃を与える工作を、公然とあるいは極秘で行ったではないか。現代の政策当局者たちはこの手法を大いに活用して、中国で政変が起きるよう促すことができる。(略)冷戦中に東ヨーロッパ諸国やソ連でやったように、中国の反体制グループを支援・奨励してもいい。(略)極端な選択肢としては、米軍が分離独立勢力を密かに訓練し支援する、という選択肢もある。(略)中国国内を分裂させ政府を国内の安定維持に忙殺させれば、対外的にアメリカの優位に挑戦するのを抑止するか、少なくとも大幅に遅らせられるかもしれない(P.300)。
中国を分断し現体制を混乱させる戦略として、チベットと台湾の独立も支持してはどうか。そんなことをすれば、中国が暴力的な反応を示すのは間違いない。しかしこの選択肢を排除すれば、独立運動を支持するアメリカの伝統をないがしろにし、みずからの影響力を排除することになる(P.199)。
アメリカは冷戦時代、ソ連政府とそのイデオロギー的基盤に打撃を与える工作を、公然とあるいは極秘で行ったではないか。現代の政策当局者たちはこの手法を大いに活用して、中国で政変が起きるよう促すことができる。(略)冷戦中に東ヨーロッパ諸国やソ連でやったように、中国の反体制グループを支援・奨励してもいい。(略)極端な選択肢としては、米軍が分離独立勢力を密かに訓練し支援する、という選択肢もある。(略)中国国内を分裂させ政府を国内の安定維持に忙殺させれば、対外的にアメリカの優位に挑戦するのを抑止するか、少なくとも大幅に遅らせられるかもしれない(P.300)。
以上のような提言を「戦略的オプション」として第10章に書いている。反中反共イデオロギー攻撃の解禁の号令であり、米国政府外交への正式定置の勧めである。このアリソンの提言が共和・民主のDC政界に採用され、NYT・CNNなどマスコミにも広く共有され、アメリカの推進軸たる基本国策として固まった。イスラム原理主義との戦い、いわゆる「テロとの戦い」の正当性を基礎づけるバイブルが、ハンティントンの『文明の衝突』であったように、このアリソンの本が米中冷戦を戦い抜く指導マニュアルになっている。総括的な感想を一言で言えば、正直、反動と倒錯の愚論としか言いようがなく、アメリカの知性劣化と自信喪失の病理症状としか捉えようがない。トランプ現象も自滅と衰亡の病理だが、アリソンの言説も同じである。残念なことだ。ペロポネソス戦争の比喩も牽強付会的で説得力が弱く、本質を射抜いているとも有意味とも感じられない。歴史を粗雑に道具利用していて、歴史家の態度として軽薄に感じる。国内が深刻に分断し、BLM運動というところまで自己認識の再審に直面し、それと向き合って解決の展望を見出さなくてはいけないアメリカで、冷戦時代の成功体験を再現せよなどと、あまりに時代錯誤で強引な思考と議論ではないか。
次回の稿で批判を書く。
by yoniumuhibi
| 2021-02-01 23:30
|
Comments(1)
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by
わらび
at 2021-02-02 13:52
x
自民党の3人が党本部のエレベーターホールみたいなとこで記者の質問に答えていたが、廊下に立たされてるこどもみたいでうけました。
公明党の山口さん、貴殿も以前に書かれていたが、今回も仕事が的確。(今回は幹部候補生の処分、神奈川6区に誰も立てないという決断だから、山口さん一人の仕事ではないだろうけど)
朝、議員辞職と報じさせて、流れを作った。菅がgotoで緩めまくった空気を、goto開始前くらいの水準に戻す、そういう社会への波及効果もあるだろう。策略家、軍の大将として、能力を感じる。コロナ特措法に結局賛成した立憲とはえらい違いだ。
銀座3議員は、奈良の人は無所属で出ても当選して自民党に復党しそうだ。大阪の人もいるが、大阪自民にとっては、府議会の議席も貴重だから簡単に府議会議員を鞍替えさせるわけにもいかない。秋までには選挙があるし、この時点で離党ってのは結構大変のようですね。
公明党の山口さん、貴殿も以前に書かれていたが、今回も仕事が的確。(今回は幹部候補生の処分、神奈川6区に誰も立てないという決断だから、山口さん一人の仕事ではないだろうけど)
朝、議員辞職と報じさせて、流れを作った。菅がgotoで緩めまくった空気を、goto開始前くらいの水準に戻す、そういう社会への波及効果もあるだろう。策略家、軍の大将として、能力を感じる。コロナ特措法に結局賛成した立憲とはえらい違いだ。
銀座3議員は、奈良の人は無所属で出ても当選して自民党に復党しそうだ。大阪の人もいるが、大阪自民にとっては、府議会の議席も貴重だから簡単に府議会議員を鞍替えさせるわけにもいかない。秋までには選挙があるし、この時点で離党ってのは結構大変のようですね。
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