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筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代

筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14324921.png10月に筒美京平が逝去し、何か書かなきゃと思いながら無駄に時間を過ごしているうち、年末を迎えて、今度はなかにし礼の訃報に接するところとなった。巨星が二人も続いて墜ちた。10月に筒美京平が逝ったとき、BSフジの特集番組だったか、なかにし礼が登場して故人を讃え、『ブルーライトヨコハマ』を聞いて衝撃を受けた若い日のことを生き生きと語り、また、二人でTOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』を制作したときの逸話を披露していた。ヒットを期して渾身で書き上げた詞に見事が曲がつき、出来上がってレコード会社に届いたばかりの曲を電話で聞いて、成功間違いなしと確信したことを嬉しそうに語っていた。もっともっと、なかにし礼から筒美京平のことを聞きたかった。一緒に仕事した回顧と逸話を聞きたかった。年末には何かテレビが番組を企画し、筒美京平を悼む特集を組むだろうから、そこにまた、なかにし礼が出演してくれて、われわれに何かを教えてくれる場面があるだろうと期待していた。



筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14305826.pngTOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』を手がけたとき、2003年、筒美京平は63歳、なかにし礼は65歳。JR東海のCMソングとして鳴り物入りで世に出す楽曲であり、大物コンビによる作品だから、不首尾な結果に終わることは許されなかった。なかにし礼が率直にこう言っていた。誰もがそうだけど、僕らみたいになると、60歳を超えてから失敗することはできないんだよ。でも、歌の作品というのは常に一からのチャレンジで、60歳だろうが積み重ねというものはないわけ。積み重ねで良いものが出来るということはなくて、いつもゼロから作らないといけないんだ。創作する者、創作で成功して期待をかけられる者、老境にさしかかっても現役を続ける者の苦悩と重圧を語っていた。無名で浅学非才の代名詞のような者が口を添えるのは滑稽で、傍から見れば苦笑を誘う珍証言だろうが、ブログの記事も同じで、ゼロの白紙に字を埋めて表現を格闘し呻吟し懊悩する作業であり、不出来と空振りに自己嫌悪になって、臍を噛んで憔悴する時間の連続である。積み重なるのは、己れの無能と勉強不足への恨みばかりだ。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14174543.png13年前に死んだ父親は、吉田拓郎の歌が大好きだった。『結婚しようよ』も気に入っていたが、『旅の宿』と『襟裳岬』を傑作だと絶賛していた。南こうせつも大好きで、『神田川』をしんみりと聴き入っていた。パナソニックの「ワールドボーイ」を買い込み、そのデザインや機能性も気に入っていたようだが、阪神戦の中継の合間に流れるかぐや姫の曲を聴いて愉しんでいた。母親はさだまさしが大好きで、LPを買ってきて「テクニクス」のプレイヤーに針を落として聴き耽っていた。70年代。当時の日本社会の一般表象では、思春期の子どもが、井上陽水などの(ニューミュージックという範疇に括られる直前の)フォークソングに夢中になり、何やら反体制の気分にもなり、
村田英雄や三橋美智也や美空ひばりや島倉千代子の演歌が好きな保守的な親と齟齬する関係となって、親子がカルチャーギャップで断絶し、という図式で観念されるところだが、わが家の場合はそうではなかった。40代の父親の方が積極的に新潮流の音楽を受容し愛好する姿勢が顕著で、カウンターカルチャーを奉じて反抗すべき子どもの方が拍子抜けという具合だったかもしれない。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14255851.pngその思想的な中身は、いま考えれば特に不思議な問題ではない。70年代に作られ流れた新しい音楽作品は、明るくて豊かであり、健全で、良質で奥のある日本語(日本文学)の世界があり、戦後の日本人が待望し希求していた文化的な価値があったのである。高度経済成長が育んだ伸びやかで彩りある音楽文化。春日八郎の『別れの一本杉』に代表されるような、暗く貧しい時代を背景とする、窮屈で単調な様式性から解放された、自由で個性的で想像力に溢れた音楽作品群が、若い作り手によって大量に生産された。それは一方で、いわゆるシンガーシングライターが活躍する「フォークソング(後にニューミュージック)」の市場で。他方で、芸能事務所とレコード会社が新人歌手をプロモートしてテレビの歌番組で売る「アイドルタレント」の市場として。70年代の日本の音楽は爆発的に発展し、大衆の娯楽として繁栄して行った。その後者の側の作り手の筆頭格が、筒美京平であり、阿久悠やなかにし礼や阿木燿子である。筒美京平は、私にとって精神のカーネルの一部であり、ビートルズと並んで、それ以上かもしれない決定的な存在である。10代を通じて、日々提供される筒美京平の音楽は、空気のような身を包む環境だった。草花の上を吹く風であり、水滴であり、太陽の光だった。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_13595135.png70年代は政治で革新勢力が躍進した時代だったが、しばしば、社共の左派が自治体の選挙を戦うとき、「明るく豊かなxx市政(県政・府政・都政)をつくる会」という名称の市民団体を結成していたことを思い出す。当時は、平凡で幼稚なキャッチフレーズの印象がして、何が「明るく豊かな」なのだろうと不明な感覚だったが、今はその意味がよく頷ける。納得できる。映画『ALWAYS三丁目の夕日』で、堤真一と薬師丸ひろ子の夫婦が、64年の東京五輪を前にして、日本もやっと戦争と戦後の混乱をくぐり抜け、苦難を乗り越えてここまで来た、これからは国民みんなが前を向いて望む人生を築いて行くときだ、みたいなことを言う場面がある。高揚して言挙げする。そこから日本人は懸命に働いて、西ドイツを抜いてGNP第2位の国になり、そして、70年代の音楽文化が百花繚乱する達成と充実を迎えるのである。「明るく豊かな」とは、あの映画で堤真一と薬師丸ひろ子が求め、表情に滲ませていた喜びの夢と将来のことだ。幸せなことに、私の世代は、高度成長の時期に少年期を送り、日本の音楽が華麗に爆発するときに思春期を迎えた。パナソニックのポータブルラジオで吉田拓郎を聴いていた父親の姿は、あの映画の堤真一と薬師丸ひろ子の延長にある日本人の姿に他ならない。


平和な時代が続き、日本が経済と文化の面で豊かな時代を迎えたことを実感でき、そのことが満足だったのだ。ポータブルラジオから流れる吉田拓郎と南こうせつの歌は、求めていたものの到来と開花を告げていたのだ。新しい大衆音楽は中産階級の芸術的価値と想像力を担っていた。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14371156.png個人的に、筒美京平との出会いは、やはり尾崎紀世彦の『また逢う日まで』である。あの歌が出て、レコード大賞を取ったとき、日本の音楽世界は変わったと思う。転換を決定づけるモニュメンタルな瞬間だった。それまでの、単調で哀調な戦後のレガシー的演歌様式は一掃され、古賀政男や遠藤実や宮田輝が歌謡曲を仕切る時代は終わった。もっとレベルの高い、作曲の技が緻密で華麗な、楽譜も楽器もリッチでイントロも凝った、メロディラインもポップでモダンな、英国や米国に負けない音楽作品で市場を潤わせる日本になった。そこからというもの、黄金の70年代、筒美京平の疾駆と快進撃は止まらず、名曲・ヒット曲のクレジットには常に彼の名前があった。戦略新商品のアイドルをデビューさせるとき、芸能プロとレコード会社は筒美京平に作曲を依頼し、それを確実な成功への方程式とした。当時のジャニーズ系の歌手は、ことごとく筒美京平の曲で売り出し、売れっ子タレントへの階梯を上っている。筒美京平はジャニー喜多川と波長が合ったが、そのことはよく理解できる。お互いに芸能音楽業界のプロで、センスよく、職人的なビジネスマンだったからである。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_14332231.png筒美京平は天才音楽家だったが、威張らず、飾らず、芸人業界人風の格好や態度でマスコミに出ず、地味なサラリーマンのようなネクタイと背広で人前に現れた。テレビのインタビューでも、台本を用意せず、決して用意させず、相手側の演出や脚色に乗ろうとしていない。軽薄に相槌を打つことをせず、番組側が仕掛ける安っぽい物語作り・伝説作りの手に乗らず、黒子の一人に徹し、市井の者が尋ねられた質問に答えるという素朴なスタイルを敢えて通している。それを見て、私はさらに筒美京平のことが好きになり、想像していたとおりの人物だったと確認して安堵した。筒美京平の音楽は、豊かになった日本人の感性にミートした作品だったのだ。日本の高度経済成長と一億総中流社会の実現が、筒美京平の全盛期を作り、今では古典として生きて愛されている楽曲群を産み出したのである。少し前、同じ内容の議論を、英国を例にしてブレイディみかこが唱えていた。戦後の労働党政権の「ゆりかごから墓場まで」の社会政策があって、ビートルズとビートルズ世代の中産階級が産み出され、世界に冠たるブリティッシュ・ロックの作品と市場が形成されたのだと。当を得た社会科学的認識である。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_13493483.png2年ほど前、松任谷由実が、社会が豊かだと豊かな音楽が作られ、社会が貧しいと貧しい音楽しかできないという趣旨の発言をしたことがある。そのとおりだと思う。同感する。今の日本の経済社会は貧しく、あまりにも貧しく、国民の大部分の層が低所得層か準低所得層に落ちている。中産階級の豊かさを失い、中産階級の生活と余裕と感性を失い、中産階級の人生と将来を失った。簡単に具体例を挙げて証明しよう。乃木坂46の『僕は僕を好きになる』を聞いていただきたい。何なんだ、これは。この貧しさと荒廃と砂漠の様相は何なのだ。どんな情景が目に浮かぶか。これを聞き、リアルな世界の立ち上げを試みると、準低所得層の子どもが、いじめられて孤立して絶望して自殺を図る絵が浮かぶ。準低所得層の子どもが、同じ子どもをいじめて、傷つけて、自殺に追いやっている殺伐とした教室空間が浮かぶ。今の日本の日常だ。乃木坂46のこの歌だけでなく、ほとんどの若者向けの歌がこんな感じで、殺伐として、感性の輝きや知性の厚みがない。どれもよく似ている。非正規労働者になる子どもたちが、先のない人生に絶望して鬱屈して呻き蹲っているような歌ばかりだ。


筒美京平となかにし礼の死を悼む - 日本の音楽文化が爆発的に花開いた70年代_c0315619_13530589.png判を押したように同じテーマと曲調である。なぜこんな同じ貧相で寒々しい歌ばかりが作られ流行るかというと、制作側がマーケティングしているからであり、売れるからこういう趣向の曲を作るのである。知性や教養を育まれない、非正規労働者になる、いじめられて孤立して苛々する、人間というより新自由主義社会の野生動物の若い群れに餌を与え、その餌でがっぽり儲けるようにしているからではないか。作詞作曲はAIで組んでいるのかもしれない。乃木坂46の歌を聞くと、日本国民の普通の生活者像が、決して、NHKのニュースで「普通」として描かれるような、GoToトラベルを頻回に利用する者ではなく、都心湾岸の高額マンションを買う顧客層でもないことが分かる。マスは、準低所得者層と低所得者層であり、若年になるほど貧困なのである。乃木坂46の歌がそのことを証明している。子どもの頃、春日八郎や三橋美智也の歌に付き合うのは退屈だった。あの戦後演歌の暗く貧しく淋しい世界の、どれも判で押したような同じタッチとトーンが嫌いだった。筒美京平も同じ気持ちだっただろう。今、乃木坂46や欅坂46の歌を聞いて、どれも同じ貧相でセンスのない、作者の才能の欠片も感じない、様式が画一的な無味乾燥な歌だと思う。


AIで作ったブロイラーの餌だと思う。かくして国民大衆が徹底的に貧しくなり、若者の精神が耗弱化され、日本の歌は『別れの一本杉』のプリミティブで粗悪で根暗なレベルとフェーズに戻った。モードとしては21世紀的な、AIがシャカシャカと軽佻に旋律と和音を進行させるところの。



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by yoniumuhibi | 2020-12-29 23:30 | Comments(4)
Commented by コスモス at 2020-12-29 22:53 x
gotoで来る客のマナーの悪さに困っているという高級旅館の女将の声。「Go To以来、大浴場のシャンプー、リンス、ボディーソープは大きなボトルごと失くなります。バスタオルとバスローブは補充が追いつきません。」「部屋の備品、ロビーの備品、全部なくなります。自己申告制の部屋の飲み物は飲み逃げです。ロビーの折り鶴ですらなくなる。インバウンドのお客様がいらしていた頃も、これほどひどいことはありませんでした。」
さもありなんですね。gotoで「行ってあげてる」感覚なんでしょうね。
今年、ブログでたくさんのご教示を有難うございました。
床屋政談ですが、東京五輪中止、第3波の失敗をすべて菅に押し付けようとするが、本人は絶対に自分からやめず、参院広島補選、参院長野補選が山場でしょうが、コロナを考えると、時間を浪費している間にどんどん命が失われていくのがもどかしいです。失われる命が自分の知り合いの誰かだったらと思うと、耐えがたいです。仁坂知事、鳥取平井知事がやってることを、国全体でやればいいだけなのです。
Commented at 2020-12-30 22:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 愛知 at 2020-12-31 19:04 x
亡父と同い年であった筒美京平さん。私は来年5回目の丑年の年男、昔で言えば定年退職。貴下ブログを拝読した後、今日、NHKスペシャル「作曲家・筒美京平」の再放送を視聴。十代でライダーであった私が思い起こしたのは当時、世界を席巻したホンダ、カワサキ、ヤマハでした。福祉がエッセンシャル・ワーカーであるのは十分理解できますが、日本は本来、製造業の国であったのではないかと。
Commented by 宇津木洋 at 2021-01-16 12:00 x
昭和30年代から40年代の貧しい時代に育った一人です。食べ物や着る物にも不自由していました。その中で音楽は希望を与えてくれました。

ブログにもありますように貧しい演歌の時代から、高度成長とともに歌謡曲がポップになりグループサウンズ、フォークへ進むのを体感してきました。

平成から令和の時代が進むにつれ、日本の流行りの音楽を聴くことが、少なくなりました。いくら売れていても音楽性に乏しく魅力が感じられないからです。特に女性のグループや男性のグループには後世に残るようなものはないように思います。

暗い時代が続きますが、近年、音楽性やメッセージ性を持つ自作出来る歌手やバンドが出てきたことは救いです。


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