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松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代

松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13125322.png読書の秋、勉学の秋、ということで、米大統領選の結果とその後の混乱の事態を考察する際の予備知識を得るべく、松本礼二著の『近代国家と近代革命の政治思想』を読み始めた。併読して知識を膨らまそうと、和田光弘の『植民地から建国へ』と鬼堂嘉之の『移民国家アメリカの歴史』も欲張って買い込んだが、消化不良に終わるかもしれない。あるいは、関心が別方向に向かう予感もする。1997年に出された本で、さすがに放送大学のテキストだけあって内容はよく書けている。読みやすい。著者名には松本礼二と河出良枝の二人が記されているけれど、ほとんどの章はトクヴィルの研究者である松本礼二が執筆している。トクヴィルといえば、今回の任命拒否の事件で渦中の人となった宇野重規の名前が頭に浮かぶが、松本礼二は宇野重規の20歳先輩の研究者である。松本礼二には『知識人の時代と丸山眞男』という近刊があることも知り、俄に、放送大学教材の内容以上に松本礼二本人について興味を持つ次第となった。



松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13131329.png佐々木毅とはどういう関係だろう。東大の政治学とは、南原繁以来、基本的に政治哲学が主流であり、すなわち西洋政治思想史が主流である。主流ではあるが、戦後からここまで、これといった碩学の学者が輩出されることはなかった。私などの世代では、西洋政治思想史といえば藤原保信の名前が自ずと上がる。その藤原保信の学舎は早稲田であり、河出良枝はその弟子である。千葉眞もそうだ。早稲田の藤原保信の大樹から枝葉が出ているイメージがある。西洋政治思想史では東大と早稲田がコンバージェンスしていて、他の近接諸学と異なって独特のアカデミーの景観となっている。本来的に学者不在で、すべて学生の自由独学に任せている感の強い早稲田だが、この分野に限っては例外で、津田左右吉の学統をよく守ってきた。というより、丸山真男を追い出した大学紛争以降、東大は学問することをやめ、教授たちは学術官僚となって、ポスト争いと欲得漁りと威張り散らしと勲章取りだけに血道を上げるようにとなった。ソフィスト以前の堕落と退廃の生態と化した。


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13192883.png日本の西洋政治思想史研究とはどういう学問なのだろう、どういう輪郭と状況なのだろうという問題意識は以前からあったが、埋まらないまま、すっかり関心を喪失していた。松本礼二は、この問題意識に答えを返してくれる研究者かもしれない。実を言えば、西洋政治思想史だけでなく日本政治思想史についても、最近は全く皆無と言っていいほど現状と動向に関心がなく、その方面に期待を持っていない。諦めている。日本には学者がいない。真理探究に意味を見出して精魂傾ける人間がいなくなり、組織機構だけのアカデミーで俗物が金儲けと出世争いをする「半沢直樹」の世界になった。政治とマスコミと業界に媚を売って欲得塗れにビジネスし、欺瞞に欺瞞を重ねるのが学者のライフスタイルとなった。碌な研究業績もない人間が日本政治学会の理事長に君臨し、朝から晩までツイッターに張り付いて政治活動している。学者がいなければ学問は廃る。アカデミーが腐れば国が滅ぶ。今回の学術会議の事件では、政治学者という存在が一国においてどれほど大事かということを思い知らされた。憲法学者だけではだめなのだ。


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_14484913.pngこの放送大学の本は1997年に出されていて、ソ連崩壊の6年後となる。72年に東大社研の助手からキャリアをスタートさせ、ずっと一貫してトクヴィル研究に打ち込んできた松本礼二が、放送大学の「西洋政治思想史」を担当することになった。アメリカの政治思想史を前面に打ち出した西洋政治思想史の確立と言っていいだろう。本では、イギリス、アメリカ、フランスの近代革命 - 松本礼二は「市民革命」の語を大胆に排して「近代革命」という概念を定置させる(まえがき) - を並べて通史的に取扱い、英仏米の政治思想を検討し整理しているが、主たる目的と対象がアメリカであることは歴然で、その点で当時の感覚に引き戻って考えれば画期的と言っていい。アメリカに引き付けた方法視角の西洋政治思想史だ。われわれが高校大学の頃は、フランス革命が主でアメリカ独立革命は従の位置づけと序列だった。ロシア革命に繋がる市民革命であるフランス革命の意義が決定的に大きく、アメリカについては、独立宣言の書こそ偉大な財産だが、独立革命の歴史そのものに対して意義深く注目する姿勢はなかった。


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13200413.pngこのとき、西洋政治思想史がアメリカ中心に編成替えされたのであり、学界大ボスの佐々木毅の業績履歴をトレースしてみれば、よく符牒が合って頷ける。アメリカが政治思想史の主役になった。19世紀前半のトクヴィルがフォーカスされ、社会科学全体ではロールズとアーレントが必読書となり、ロールズとアーレント(とフーコー)の思想が日本のアカデミーを支配することになる。ロールズとアーレントを新しい支配者として迎えたということは、退場する敗者がいたことを意味し、マルクスとウェーバーである。大塚久雄と丸山真男である。西洋政治思想史の主役にアメリカがなるという配置と構図は、藤原保信の表象でその周辺を認識するわれわれにはかなり違和感のあるものだ。だが、40代以下の若い世代にはおそらくそれが標準なのであり、アメリカこそが人類史の成功であり前衛で、指導的イデーはアメリカにあり、アメリカ政治思想史こそが学び修めなくてはならない必須の知識なのだろう。そういう教育を受けてきて常識なのだろう。ロールズとアーレントが拝跪すべき絶対神なのだろう。


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13282099.pngこの時期、日本の社会科学は大きく基本を転換した。この本の中でロールズに触れている部分がある。ルソーの社会契約論について説明した後の短いコラムで、ロールズの『正義論』の「二つの正義」の原理を簡単に要約し付言している。そのくだりで、少し気になる記述があった。

ロールズの議論のうちもっとも影響力の大きかったのは、『格差原理』にほかならない。それは、恵まれない人々の社会的・経済的不平等を正すために政府がなんらかの積極的施策を講じることを、あくまでも自由主義のイデオロギーの枠内で正当化しようとしたものであった。社会主義や社会民主主義のように階級闘争の観点を介在させることなく、純粋に個人主義的な理由づけのみで、社会問題の解決の必要が論証されたわけである。アメリカ政治の文脈では、ロールズの議論は、1960年代以降の民主党政権が積極的におしすすめていた。貧困層や女性やエスニック少数派に対する差別解消政策を擁護するものであった。(P.75-76)


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13393593.pngこの指摘は重要で見逃せない。日本の民主党も同じだった。90年代に社会党を始末し、共産党を政治の現場から抹殺しようとした「政治改革」の運動は、日本の政治を米国型に改造しようとするもので、新政党として出現した民主党はまさに米国の民主党をめざしていた。現在でも、このロールズの発想が政策思想の根幹となっていて、こども手当やら貧困対策の行政カタログが考案され試行錯誤されている。そこで根底的なところから私は言いたいが、ロールズの思想を日本の政党や行政が中心軸に据えて以降、この25年間を振り返って、日本の貧困の現実は解消に向かっただろうか。この25年間、新自由主義のシステムは構造化され、貧富の差はどんどん広がり、中間層が没落して全体として貧乏になった。それは間違いのない事実である。そして、認めて総括しなくてはいけない社会科学的・政策科学的真実だ。ロールズのリベラリズムそのものが、実際にはネオリベラリズムの本質的契機を持つ思想性なのである。マルクスが抹消され、ロールズが主役になって以降、日本経済は没落して富と活力を失って行った。政治は堕落し一方的に劣化して行った。


松本礼二著『近代国家と近代革命の政治思想』を読む - アメリカが主役の時代_c0315619_13431149.pngこれは事実である。これが事実である。これこそが看過してはならない日本の真実に他ならない。今の日本の若者たちが、絶対悪として呪詛し罵倒し、石を投げ唾を吐く悪魔であるマルクスが、日本の社会科学の主役だったとき、日本の社会は活力に満ち繁栄の軌道を爽快に走っていた。国民はぶ厚い中間層の生き方の中にいて、夢に挑戦する人生を持つことができ、老後の心配などする必要はなかった。政治は劣化しておらず、緊張感があり、戦前日本に逆戻りするような状況になかった。政府が憲法の保障する学問の自由に手を突っ込むことはなかった。筒美京平や阿久悠が豊かな音楽作品を日常空間に届けてくれた。この25年間に日本人はどれほど貧窮化し、人間個体としての能力と可能性を失い、知性と理性を衰弱させて野蛮で幼稚になったことだろう。余裕を失い、粗暴になり、愚劣な人格に変質したことだろう。社会的資源の獲得は親の地位や財産のみに拠るところとなり、多くの者は排除され疎外されるところとなった。ネットの書き込みは醜い暴言ばかりで、右翼だけでなく左翼リベラルの立場の者が誹謗中傷の中毒に陥っている。しばき隊化している。そうした日本人の精神の萎縮と退化にアカデミーは全く歯止めをかけることができない。新生する哲学を対置できない。


社会主義や社会民主主義ではなく、ロールズ的なリベラリズムで社会建設し、未来の展望を開いて行こうというのが、1997年頃の日本の空気であり社会一般の合意だった。社会主義を体内に抱えた戦後日本システムから決別し、戦後民主主義の思想を清算し、純粋にアメリカをモデルにした政治と経済に改造しよう、信仰改めをしようというのが、右も左(脱構築)も一緒になって選択した方向性だった。マルクスからロールズへの社会科学の聖人崇拝の転換は、結果的に日本にとって失敗だったと言い切れる。猫も杓子もロールズ主義でやってきた帰結が今の現実だ。衰滅への道のりだった。



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by yoniumuhibi | 2020-10-20 23:30 | Comments(1)
Commented by 長坂 at 2020-10-22 11:29 x
ロールズを読んだ事ないのですが、亡くなる前に出た「万民の法」がちょっと物議を醸したのは覚えています。「民主主義に非寛容な国には非寛容」ってまんまロバート・ケーガンやボルトン。リベラリズムって突き詰めるとネオリベ、ネオコンになってしまう。
階級闘争の観点を介在させないのは、アメリカって早い話が旧大陸を夜逃げして来た人達が作った国(と、私は思う)なので、階級なんて存在しない、してはいけない前提だから、民主党の政策はアイデンティティ・ポリティックス(一度使ってみたかった、この言葉)に着地するのかなと。
我らの大日本帝国でアジアの近代化・合理化の「新秩序」構築に躍起になった革新官僚、エンジニア、文化人の中には象牙の塔でマルクス主義の洗礼を受けた人達が結構いる。あの人達は「階級」と言うビンボ臭い話より、エリートが描くユートピア建設の為、結局侵略搾取を推し進める結果に。
「歌を忘れたカナリヤ」の階級を忘れた左は日米共通なんだろうと思います。

仰る通り「革命」と言えばフランスとロシア、アメリカは独立戦争だったんだけど、、、


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