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加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_13504232.png任命拒否された6人の中で最も知名度が高く、世間一般に馴染みのある学者が、東大教授で日本近現代史の加藤陽子だろう。今回の件について朝日毎日にコメントを寄せ、政府を批判しているが、テレビに出る会見は開いていない。国民が最も関心を寄せ、注目しているのが、NHKにも頻繁に出演していた加藤陽子の言葉だろう。その影響力は他の5人よりも格段大きいと思われる。立憲デモクラシーの会の呼びかけ人の一人でもあり、ここは国民の前に顔を出して腹蔵なく意見を述べるべきで、それが立場上の責任を果たすことでもあるだろう。事件後、加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が話題となり、名著だという評判だったので、この機会に手に取って読むことにした。加藤陽子の著作については、岩波新書の『満州事変から日中戦争へ』を10年ほど前に読んだが、正直なところ違和感が残っており、ネットの一般の感想とは異なる。違和感の中身についてはどこかで書いた記憶がある。



加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_13533746.png『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、2007年の年末から2008年の正月にかけて、神奈川県の栄光学園の中高生を相手に行った講義を纏めた本である。加藤陽子が、高校生向けの日本近現代史の説明(戦争論)を試みたもので、独自の狙いと切り口で立論され構成された作品だ。全体の書評をする前に、序章で指摘されているルソーの戦争論に焦点を当てたい。こう書いている。

戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。(略)東大法学部の長谷部恭男先生という憲法学者の本『憲法とは何か』(岩波新書)を読んで、まさに目から鱗が落ちるというほどの驚きと面白さを味わいました。長谷部先生は、この本のなかで、ルソーの『戦争および戦争状態論』という論文に注目して、こういっています。戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとるのだと。(略)ルソーの述べた問題の根幹は、十九世紀の戦争、二十世紀の戦争、まして現代の戦争にもぴったり当てはまります。(略)相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で戦争と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。(略)第二次世界大戦の終結にあたっては、敗北したドイツや日本などの『憲法』=一番大切にしてきた基本的な社会秩序が、英米流の議会制民主主義の方向に書きかえられることになりました。(新潮文庫 P.49-52)


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_14212085.pngこのルソーの戦争論が、加藤陽子に何らかインスピレーションを与え、方法的なヒントを媒介し、それが本書執筆の動機となり、講義全体のライトモティーフになって話が展開するのだろうかと、序章を読んだ読者は期待を抱く。その骨太でエッジの効いた、いわば社会科学的で政治学的な視角から、日中の近現代史が新たに再構成され提起されるのかと、そういう予感を抱く。だが、全体を読み通した印象は、ルソーの戦争論、すなわち社会契約と社会原理の衝突の視角からの整理や掘り下げというよりも、本のタイトルから自然に連想するところの、戦争に至る現実過程の必然性や重層的な不可避性が説得的に語られていて、日本人の選択の結果としての戦争という宿命論的な総括が綴られている感を否めない。歴史内在的で(皮肉っぽく言えば)文学部の歴史学的な流れと語りになっている。戦争は回避できたのだという歴史認識が提示されていない。中高生を相手にした近現代史の教育で、果たしてこの内容でよいのだろうかと素朴に抵抗を感じる。


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_14215278.pngむしろ、このルソーの戦争論は、今の日本と中国の関係に適用してきわめて重大な意味を持つ所論ではないか。今の日中の間で差し迫っている戦争の危機を照射する本質的な論点なのではないか。そのことを強く意識させられ、二重の意味で愕然とさせられた。二重の意味という二つ目は、果たして加藤陽子にその意識があるのかどうかという疑問である。まさしくルソーが言ったとおり、日本と米国は中国の社会契約と社会原理、中国が最も大切にしている基本的価値観を攻撃し打倒しようとしている。中華人民共和国の憲法を否定し、それを書き換えさせようとしている。中華人民共和国(PRC)の憲法が何と書いているか見てみよう。第1条「中華人民共和国は、労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である」「社会主義制度は、中華人民共和国の基本となる制度である」。第2条「中華人民共和国のすべての権力は、人民に属する」。第3条「中華人民共和国の国家機構は、民主集中制の原則を実行する」。


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_14220488.png前文には、「国の根本的任務は、中国的特色を有する社会主義という道に沿って、力を集中して社会主義現代化の建設をする事にある」と明記されている。すなわち、ルソー的に言えば、中国という国家の社会契約の基本原理は社会主義に他ならない。社会主義の理念を実現しようとするアソシエーションだ。憲法前文は建国の歴史が基礎として踏まえられ、条文の核心は20世紀社会主義を特徴づけるスターリン憲法の諸フレーズで骨格が組み立てられていて、要するに共産党独裁のソ連型システムの国家形式となっている。この国家原理に対して、今、ポンペイオなど米国政府のトップから日本のマスコミの末端論者に至るまで総攻撃を加える状況にあり、古くて無意味な全体主義の独裁体制だから倒してしまえと、朝から晩までプロパガンダがシャワーされている。日本国民が洗脳の洪水に浸され、オーウェルの『1984』の如き国民的憎悪が扇動されている。中国の現在の社会契約原理を潰して、自由と民主主義の普遍的原理に置き換えよと、日本国民の使命と急務が吹き込まれている。


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_14312467.pngまさに、イデオロギー攻撃の洪水であり、まるで1950年代の冷戦期とか、1930年代の侵略戦争期を思わせるような、反共イデオロギーが社会を席巻し、激しく沸騰し燃焼している日常空間だ。ルソーの戦争論から導けば、これこそ戦争の本質なのだから、日米と中国は戦争(第三次世界大戦)の破局へ至るのを避けられないことになる。ユネスコ憲章前文の教訓も、ルソーの定理の言い換えの表現と言える。さて、そこで不思議なのが、ルソーの洞察と命題が日本の言論や学問の世界に演繹されず、現実空間の議論で主題化されない点である。加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が読まれ、そこにルソーの戦争論が重要なモチーフとして配置されているのだから、その論点に着目する者は、当然、現在の日中関係に思いを馳せ、危機感と焦燥感を覚えるのが当然であるように思われる。まさか、加藤陽子を熱心に読むようなリベラル系が、ルソーの真理を逆手に取り、理屈を悪用し、だから中国(PRC)を戦争で打倒すればよいのだなどと、倒錯し逆転した戦争肯定の発想に及ぶはずがない。


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 - ルソーの戦争論と日中関係_c0315619_14384789.pngそしてまた、それ以前に、聴きたいのは当の加藤陽子である。現在の日本と中国の関係は、まさしくルソーが射抜いているとおりの対峙と緊張で、ルソー的な観察と診断からすれば、ほとんど開戦前夜の段階ではないか。日本国内には暴支膺懲の空気が充満していて、その毒気から逃げられる居場所がない。加藤陽子は1930年代の日本近現代史の研究者だ。が、今回の件と絡めて言えば、にもかかわらず、その所論には滝川事件や天皇機関説事件が視野に入って来ることがない。矢内原忠雄・河合栄治郎・津田左右吉らの弾圧事件に筆が及ぶことがない。外交と軍事が専門だからという限定の態度からだろうか、そこに問題意識がない。概してイデオロギーの問題の扱いに淡泊であり、意図的に捨象している感すら否めず、そこに不足感や欠如感が残る。今回、はしなくも加藤陽子がその役回りを演ずる歴史の奇遇となった。ここで対照として浮かび上がるのは、同じ時代を描いた立花隆の『天皇と東大』の強烈な説得力である。歴史の真実と本質を正確に捉える眼力であり、最も重要な問題を拾い上げる歴史認識の方法である。


今回は、加藤陽子が本の中で強調したルソーの戦争論を紹介し、ルソーの啓示がストレートに指し示すところの現在の日中関係の危機を論じた。現在の日中関係についての認識を、加藤陽子からあらためて聞きたい。戦争の危機はないのか問い詰めたい。また日本人は戦争を選ぶのかと質問したい。次回、高校生向けの日本近現代史の教科書として、入門書として、この講義の何が問題なのか、イデオロギーの歴史認識の欠点という観点から、また、わが国の中等教育の観点から、引き続いて検討と批判を加えたいと思う。



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by yoniumuhibi | 2020-10-12 23:30 | Comments(1)
Commented by アン at 2020-10-13 01:09
五輪さんの歌のご紹介有難うございます。インドネシアの方は、ロマンチックで穏やかな歌がお好きなのでしょうか。
菅はNHKの世論調査で、先月より7ポイント支持率が下がったそうですね。デジタル庁、はんこ廃止よりも、コロナ対策をやるべきと思っているでしょう。(埼玉の劇団とか、クラスターが発生していますね。これから気温が下がって、換気が悪くなると、一気に増えますよ)
学術会議問題では、菅のやったことはそこまで非難されてはいないように感じます。むしろ旧態依然の学界が嫌われていることがはっきりした。しかし、菅が事後処理において嘘をついたり、部下のせいにする人間だという点は、支持率低下に確実に寄与していると思いますね。
菅のために泥をかぶる人間がいないのに、人のせいにしていたら、矛盾が出てくるのは当たり前です。それと、加藤官房長官が、どうにも…。菅、加藤、河野と人相が悪いのばかり出てくる。
来年の都議選の頃には、誰が総理やってるのかわからなくなりました。


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