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『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス

『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_14091742.png芸術の秋。映画『ジョーカー』を面白く見た。今年のベネチア映画祭で金獅子賞を射止め、今、最も話題となっている米国の作品である。最初に抱いた感想は、制作した監督は、作品がこれほど大ヒットするとは思わなかったのではないかということだった。複雑に作り込んだ野心作ではあるけれど、さほど資金をかけている様子はなく、ストーリーについてもややアバウトに処理している感が否めない。案の定というか、監督のトッド・フィリップス自身が、「まさか、これほどまでに世界レベルで反応してくれるとは、正直想像さえできなかった」と語っている所感を見つけた。なぜ、この映画が監督の予想を超えて世界的な人気を得ているのか。それは、シンプルに、この映画が格差社会の鬱屈と暴動の革命を描いた作品だからだ。人々はそこに共感を覚え、カタルシスを感じている。都市のアナーキーな大衆蜂起と暴力革命が描かれた政治ファンタジーに、観衆は溜飲を下げているのだ。



『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_14114432.png『ジョーカー』はファンタジーの映画である。『ジョーカー』を評するに当たって、ネットの中では、やたらと「妄想」という語が振り回されているけれど、「妄想」ではなく「幻想」という日本語を使った方が、『ジョーカー』に対する客観的な把握と理解ができると思われる。「妄想」をキーワードにして『ジョーカー』批評を組み立てると、思考がネガティブに収斂してしまい、作品に対する矮小化や過小評価に帰着してしまう。そういう評論をしている者の多くは、どうやら、格差社会を批判し否定する思想そのものを拒絶し、現代日本の多数派の主張である新自由主義を肯定する立場に立っている者らしい。全体に、『ジョーカー』に対する日本人の感想は、積極的なものが少なく、否定的なものが多い。右翼が『ジョーカー』を見て率直に感じた違和感(イデオロギー・ギャップ)が書かれている。今の日本では、社会主義否定が正論であり、格差社会批判は正論にならない。


『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_14094426.png『ジョーカー』は、しばき隊No.2の竹内真(TDC)の願望が映像化されたような映画だ。首里城が焼け落ちた夜にもかかわらず、しばき隊の活動家の一人が、いそいそと渋谷ハロウィン見物に繰り出す一幕があった。その非常識な行動の動機を探れば、ジョーカーの仮装をした多数の暴徒がそこに出没・参集し、映画の世界が再現される事態を熱く期待したということだろうか。昨年のような「暴動」と狂乱が大規模に発生する図を求め、その現場に立ち合い、あわよくば扇動して旗を振るという欲望を抑えられなかったということだろうか。その日、「心のよりどころ」の文化財を失った、
沖縄の人々の心痛と無念などお構いなく。しばき隊は昨年から、率直にその種の夢想と衝動を吐露しているところがあって、過激化し暴力化する一方の香港の民主化運動を擁護する主張にも、そうした心情と態度がオーバーラップしていた。暴力革命のゴッサムシティは、しばき隊の幹部が垂涎する憧れの理想郷なのだ。


『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_14095790.png『ジョーカー』を見ながら、あ、そうだ、叛逆と蹶起を描き、圧政の転覆を描いたファンタジー映画なら日本にもあったぞという直観が閃いた。『翔んで埼玉』だ。『翔んで埼玉』は、まぎれもなく底辺の暴動を描いた政治ファンタジーで、格差社会が革命によって破砕される幻想が映像化された作品である。気分がスカッとする。『翔んで埼玉』が革命を主題とした映画であることを、誰も指摘しない点を私は怪しむが、観客をカタルシスに導く理由は実はそこにある。プリミティブな設定と演出ながら、これは革命映画なのであり、格差社会の中で悶え喘ぐ人々の本音と願望が投影されている。人気を博した真相はそれで、共感の根拠は『ジョーカー』と同じなのである。米国は、格差社会の鬱屈と暴動と革命の衝動をあのように描く。ストレートに噴出させて表現する。精神疾患をキーにした複雑な問題作品にして説明する。日本は、それを『翔んで埼玉』の絵にして描く。自虐とお笑いの物語にして喜劇にする。


『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_15122506.png屈折しているのだ。日本は屈折している。自虐とお笑いの形でしか格差社会を表現できず、爆笑を伴う荒唐無稽な見せ方でしか、それが転覆される革命を表現できない。『翔んで埼玉』を見て、これを革命物語として了解して感動するという外国人はいないだろう。『ジョーカー』と本質は同じなのだよ、日本人はこう表現するのだよと言っても、誰も納得しないだろう。精神疾患をキーにして格差社会と革命暴動を描く米国、自虐とお笑いでそれを描く日本。『翔んで埼玉』はとても日本的で、そこに日本の病理があり、ある意味で伝統的な精神性のあり方があると言える。『タクシードライバー』は40年以上前の作品だが、その頃は、米国は精神の病みに蝕まれた社会だなという認識があった。日本は健全だと思っていた。今回のホアキン・フェニックスの演技は、一昔前のジャック・ニコルソンの狂気の演技を彷彿とさせ、虐待やDVも含めて、今の米国が病みの度を一段と深刻にしているという印象を受ける。だが、それでは日本はどうなのだろうか。


『ジョーカー』と『翔んで埼玉』 - 格差社会の鬱屈と革命のカタルシス_c0315619_15163213.png日本は、そうした「精神の病み」のレベルを、何段階も突き抜けた窮極に至っているのではないか。最近、うつ病という言葉をあまり聞かなくなった。調べると、うつ病が急増したのは2000年代で、その頃、五木寛之や姜尚中や香山リカの(軽薄な)本が流行して売れた。今は、患者数が高止まりして落ち着いている。個人が精神の疾患に陥るのは、おそらく、自分の外側の環境との齟齬や軋轢が甚だしく、ストレスが重く厳しく突き刺さるときなのだろう。今の日本は、極論すれば、全員が狂っていて、全員が軽いか重いかの精神障害状態で、社会が変質し、自身と周囲との緊張が嘗てほどはなくなっているような気がしてならない。米国の方は、格差社会の進行のほどに正常に病みを深めている。病みの症状が正常に表れている。日本の方は、最早、病みを病みとして知覚できず、意識できず、何が正常なのか分からなくなっている。テレビに登場する人間が、NHKの職員を含めてどこか異常だし、政治家や官僚やマスコミ論者が手の施しようがないほどに歪んでいる。

早い話、米国の方は、ウォーレンやサンダースやオカシオコルテスの正論をテレビで見て聴くことができる。日本ではそれはできない。



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by yoniumuhibi | 2019-11-07 23:30 | Comments(2)
Commented by 愛知 at 2019-11-07 19:51
この映画を見る者は、一緒に号泣してもいい相手を連れて行くのがいい。自分にとって最愛の人間を連れて行き、そこで大きな感動の時間を共有するのがいいと思う。(中略)単なる趣味とか娯楽とかの映画観賞レベルでは済まない中身がある。(中略)私はこの映画をまさに待っていた。朝鮮戦争をテーマにした映画を長い間見たかった。(中略)。同じ民族が同じ民族を殺した。イデオロギーを理由にして殺戮し合った。監督はその真実にも焦点を当てている―――以上、2004年9月6日の貴下ブログから引用。私も号泣し、戦慄を覚えた映画『ブラザーフッド』。チャンネル桜の若手(自称)映画評論家がおバカ映画の一種、お気楽娯楽映画と評して。ご教授の通り、日本の屈折は、この当時からのものと思えて。取引先では、部署によってですが半数以上が精神疾患で休職という現実(最早、ありふれた日常の光景)。祝日、家々が玄関柱に国旗を掲げながら、平和に感謝し、日本国憲法に感謝していた日々は戻らないのかともどかしく。いつも乍ら、正鵠を射たご教授に感謝。
Commented by takahashi isikawa at 2019-11-07 19:57
『jorker』に関する鋭い分析、拝読しました。
『翔んで埼玉』は、埼玉ディスの側面ばかりが強調されていましたが、私は魔夜版『カムイ伝』だと思って読んでいました。理不尽なものに対する抵抗と革命の物語を創る試み。もっとも、私は映画は馬鹿らしく思って見ておらず、マンガ版しか読んでいません。魔夜峰央じしんは、『パタリロ』などで、比較的まともな政治論をときたま展開している、というのが私の感想です。


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