二点述べたい。一つは韓国経済のことで、もう一つはAI・ロボットのことである。韓国がGDPを25年で5倍にし、20年で3.2倍にしている事実は、前回までの記事の中で紹介した。最近の10年間(2008-2018)を見ると1.6倍に拡大させていて、年平均の成長率は5%である。韓国と日本の経済規模は現時点で3倍の差があり、われわれは、つい韓国経済を過小評価して見る傾向を持ちがちだ。マスコミ報道にせよ、店頭の書籍にせよ、韓国経済は間もなく崩壊するだの、輸出依存が高すぎて後進国型だの、悪口ばかりを言い散らす評論で埋まっていて、正確な評価を与えようとしない。嫌韓バイアスに歪んだ右翼サイドの見方ばかりが溢れていて、一般の日本国民もそれに感化されて劣悪な表象しか持っていない。だが、ドルベースの一人当たりのGDP値を見ると、どんどん日本との差を詰めて接近している事実が分かる。折れ線グラフは視覚的に分かりやすい。2015年から日本のGDPが上昇カーブとなり、韓国によるキャッチアップとクロスポイントから逃れているが、これは安倍晋三が「統計改革」でGDPの数字を盛った影響だ。

もし、安倍晋三がGDPのかさ上げをせず、数字を粉飾しなければ、日本の名目GDPは20兆円から30兆円低い数値になり、日韓の一人当たりGDPを示す2本の折れ線はより接近して交差寸前の軌道を描いていただろう。マスコミやネットで氾濫する右翼の嫌韓言説に洗脳されて、日本人は韓国経済が成長している事実を正視できず、韓国の国民生活の水準が向上している現実を認められない。訪日韓国人の数は年700万人を超えていて、前年比4割増の急激な勢いで増えており、訪韓日本人の230万人の3倍のボリュームとなっている。円安とデフレによって日本観光が安上がりのお買い得商品になっている市場要素もあるが、この数字が韓国人一般の生活レベルの底上げとゆとりを証拠づける経済データの一つである点は否めない。ゴールドマンサックスの予測では、2030年のGDPは2015年と較べて168%の成長を遂げている。


その韓国は、日本と同じかそれ以上の少子高齢化に襲われて
苦悩の中にいる。出生率が下がり、1人の女性が生涯に産む子供の数が2018年に初めて1を割り、世界最低水準に落ち込んでいて、政府と社会全体が深刻な危機感で覆われている。高齢者人口比率の推移を見ると、日本ほどではないが、年々上昇していることが分かる。数値の上がり具合を見ると、上昇カーブの描き方は日本と同じだ。重要なのは、この20年、同じように少子高齢化の社会変容を遂げながら、韓国はGDPを3.2倍にし、日本は数字を粉飾してようやく1.1倍の結果になっているという事実である。われわれは、この25年間の日本の成長ゼロの総括について、すぐに少子高齢化の言葉を持ち出し、それを原因にして合理化して済ませてしまう。少子高齢化の社会だから「右肩上がりの成長は不可能」という結論を出し、それを国民の共通認識に据える。そこで思考停止する。同じように少子高齢化に悩みながら、GDPを2倍にし3倍にしている他国や隣国の内実を見ようとしない。田中優子や小熊英二の言説に惑わされて、日本人は、他諸国もずっとゼロ成長を続けているかの如き錯覚に陥ってしまっている。

社会保障の話をマスコミがするとき、必ずと言っていいほど、高齢者を支える現役世代の(騎馬戦とか)肩車の図が提示される。何人が何人を支えなければならないという図解がされ、担ぐ現役世代が減り、担がれる高齢者が増え、だから年金支給も減らすのだという説得がされる。だから消費税を上げるのだという政策方向に導かれる。きわめて説得力のあるシンプルな言説方式であり、誰も反論できない。誰も異を唱える者がなく、受給年齢の引き上げに賛成し、消費税引き上げに賛成という政策態度に固まってしまう。テレビの前で、私はいつも抵抗して文句を言っている。何でその肩車の分母の項にAIロボットを入れないのかと。生の人間に替わって労働力となり、価値を生産し、社会保障の財源となるべき企業利益を力強く産み出すところの、有能なAIロボットの絵を挿入しないのかと。現役世代の若者の横に、鉄腕アトムやウランちゃんやエイトマンを描き入れないのかと。なぜAIロボットの存在を無視するのか。なぜAIロボットの条件を捨象するのか。将来の経済の話をしているのに、なぜAIロボットを登場させないのか。各産業分野でのAIロボットの活動と成果予想を数値化して計算に入れないのか。なぜ、それを指摘する経済学者が出現しないのか。


野村総研の4年前の
レポートでは、日本の労働人口の49%がAIロボットに代替可能になると報告されている。10年後から20年後にそうなるという衝撃の予測が出て話題となった。そして、大事なことだが、こうした予測を踏まえて、政府は
対策をすでにとっていて、2020年から小学生のプログラミングを必修化している事実がある。AI時代を生き抜いていく人材はアルゴリズムの能力がなければならず、私はこの文科省の措置に賛成だ。プログラミング教育をやってソフトウェア・エンジニアを育てて欲しい。新しい世代の全ての日本国民にその素養を身につけさせて欲しい。日本政府は、すでにAIロボットの時代に対応して義務教育(文科省)を変えている。であるならば、なぜ、社会保障(厚労省)の領域でもAIロボットを行政施策に反映させ、AIロボットを前提した将来の社会保障の姿を描かないのか。政府の中でも文科省はすでに動いた。民間の方はどんどん先に動いている。AIロボットの未来に対応しないと企業は取り残される。
経団連は「Society 5.0」という - 何やら電通チックで軽薄な印象が漂うが - ビジョンを打ち出し、ビッグデータとAIシステムへの対応を企業に促している。

24日、損保ジャパンはITの効率化で4000人を削減すると
発表した。会社全体で15%の従業員を削減する。メガバンク各行もリストラ計画を発表済みで、三菱UFJは9500人、三井住友は4000人、みずほは1万9000人のヘッドカウントを
削減する。これら金融業界での大規模リストラは、いずれも業務をAIに置き換える事業戦略に基づいて発生するもので、人件費のコストカットであると同時にAIを使った業務自動化へのシフトである。今後、紙幣は使われなくなり電子マネーでの決済が主流になる。対面での窓口業務は減り、定型業務はコンピュータ処理に置き換えられる。金融はモノではなくカネを扱う仕事だから、人からAIへの労働のリプレイスは急速に進むだろう。が、だからと言って、メガバンクや損保大手の売上高と利益が減るわけではあるまい。利益は維持するか増大させるのであり、従業員数を減らしながら会社事業は維持拡大するのである。つまり、社員一人当たりの売上と利益は増える。年金の肩車図に喩えれば、減った少ない人数で会社の業績を支えることになる。それが可能だし、それで当たり前なのだ。AIが労働を担って24時間休みなく稼働するから。
最近、スーパーのレジで精算端末が続々と導入され、支払って釣り銭を受け取る工程が効率化された。レジに行列する時間は確かに減って便利になった感がある。同時に、パート従業員は何人か契約解除され、店の人件費はコスト低減となったのだろう。プリミティブなレベルだが、これもAIロボットによる労働の置き換えの一例で、スーパーの事業経営を支える肩車の労働者母数が減り、一人当たりの生産性が上がったことになる。この次は、客がセルフで買い物商品にバーコードを当てて会計するか、買い物カゴを空港の手荷物検査の装置のようなものにくぐらせ、自動的に全ての商品のバーコードを読み取る機械が開発されて設置されるか、そういう段階に進むだろう。コンビニから先にキャッシュレスと無人化が進展するに違いない。かくして様々な業種業態で自動化が進み、AIロボットが人間の労働を置き換え、企業の生産と販売を支えることになる。余った人間は別の仕事に就くことになる。介護労働の不足分は、こうして埋め合わすことができると思うが、厚労官僚の意見はどうだろう。何も東南アジアから労働者を入れる必要はないのではないか。新井紀子によると、介護労働はAIには不向きだそうだ。
AIロボットの導入と活用と普及によって、具体的にGDPはどれほど拡大するのだろう。AIのパワーはどれほど国民経済に貢献するのか。そうしたエコノミクスの議論を聞いたことがない。AIロボットによる無人化や自動化というと、すぐにミクロの労働者の削減の話になり、ネガティブな論調の暗い物語となり、一人一人の国民には資本による強迫観念として感じさせられる疎外的なものになっている。だが、マクロ経済的には、明らかに社会の生産性向上に繋がる積極的な契機であり、AIロボットが生産する価値量総体が計算され予測されなければならないはずで、それは社会に楽観的な土台を築くものと定義できる。韓国も、中国も、他の諸国も、深刻な少子高齢化の危機を、AIロボットの生産力で克服しようと真剣に模索しているだろう。それがエコノミクスとサイエンスの発想であり、政策を立案する者の正しい思考態度である。高齢化社会の担い手は、現役世代の若者(ヒト)だけではないのだ。AIロボットが企業の現場で活動している。AIロボットが税収を増やす価値を作っている。そうでなければ、高齢化社会の経済と社会保障を支えられない。社会保障を支える上で必要なのは、若者(ヒト)の人数ではないのである。お金だ。所得と税収だ。どれほど若年労働力が減っても、GDPが2倍になる経済社会なら社会保障を十分支えられる。
NECがPC-8000シリーズを発売したのは、今から40年前の1979年9月だった。大塚商会がOAセンターとOAショップを開設・展開したのが1982年である。1979年の日本のGDPは230兆円で、ちょうど現在の(そして25年前の)2分の1の規模だった。1979年の10年前、今から半世紀前の1969年、誰もが一人一台のコンピュータを持って毎日仕事する経済社会の姿など、誰が想像していただろう。今、それは普通の日常になり、朝、職場に出勤してPCを立ち上げ、退社する前にPCを閉じる。PCはAIロボットであり、PCとネットワークという補助労働力を得てわれわれは生産活動をしている。価値を作っている。さらに、スマホというプライベートなサーバントも使いこなして便利に暮らしている。10年後、20年後、われわれの日常空間には新しいAIロボットが入り、組織業務の効率を上げ、単位時間当たりの価値生産量(売上と利益)を増大させているだろう。マルクスの言う生産力の発達である。PCの技術、そしてインターネットの技術の出現は、シンボリックな生産力の発達であり、それを基礎にしてわれわれは経済成長を遂げて行った。
自分たちの来し方を振り返ってみるべきである。右肩上がりの経済にして、AIロボットの力で国民経済を拡大させ、他国に負けぬ富を作り出し、社会保障を「中福祉」にするのだ。繁栄する土台の上に福祉国家の理念を実現するのだ。これが日本の経済と憲法25条だと、世界に向かって胸を張るのだ。




by yoniumuhibi
| 2019-06-26 23:30
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