マルクスと日本人 - 『きけ わだつみのこえ』と『君たちはどう生きるか』

c0315619_14051097.jpg日本で改造社版のマルクス・エンゲルス全集が出たのが1927年で、世界初であり、ドイツやソ連に先駆けてのことだった。マルクス・エンゲルス全集が最も多く販売され、多数の読者を持った国は日本で、ソ連よりも多くの部数が出ていた事実は確認しておく必要がある。私が育った町は人口1万人の片田舎で、商圏人口も3万人程度しかなく、本屋はたった一軒しかなかったが、店の奥の棚に堂々と大月のマルクス・エンゲルス全集が鎮座していた。現在の日本の風景として、どれほど小さな町の書店でも、店の奥に「人間革命」の全集が並んでいるのを見るが、それと似た市場の事情だったと考えればいい。文庫本も種類多く並んでいた。同じタイトルのマルクスの古典が2社、3社から翻訳されて、あんな小さな田舎町の本屋で売られていた。70年代前半、高度経済成長の恩恵が地方まで波及し、町で一軒の本屋が新築新装した頃の記憶だが、どんな辺境の山奥に住む者でも、文理問わずインテリを自認する者にマルクスの知識は必須で、各自が独自に、そして熱心にマルクスの理論研究をやっていた。大都会では次々と革新自治体が誕生していて、国立大学の中はマルクス研究者ばかりだった。



c0315619_14061250.jpg戦後日本の知識世界でマルクス主義は圧倒的な地位と影響力を持ち、社会科学入門はほとんどマルクス入門と同じ意味を持っていて、私の学生時代はそれが当然で、現在の大学生たちが英語を習得するように真剣にマルクスを学んでいた。日本の社会科学は、戦前の日本資本主義論争を基礎に発展している。日本の社会科学の基礎を身につけようとすれば、講座派と労農派の研究者の論文を読まなくてはならず、それらの論文は資本論を基礎に書かれているから、資本論を読み込んで概念を理解する必要があった。マルクスとウェーバーは必読で、必須は必須であり、今の英語 - 英語の読み書きの修得と能力差 - と同じだと置き換えて考えてもらえればいい。日本の社会科学の二大巨頭といえば、丸山真男と大塚久雄だが、二人の学問の基礎が奈辺にあるかを考えれば、戦後の日本のアカデミーの状況を想像することは難しいことではないだろう。戦前の日本のエリート学生たちは貪るように危険思想のマルクスを読んでいて、禁制下・弾圧下でもマルクスの勉強をやめず、その代表例が『君たちはどう生きるか』を書いた吉野源三郎である。丸山真男は特高体験、吉野源三郎は憲兵体験を持っている。

c0315619_14070694.jpg『きけ わだつみのこえ』の中に、23歳で特攻隊員として沖縄海上で戦死した兵士の手記がある。東大経済学部学生、昭和18年12月9日入団とあるから、学徒動員で召集された一人だろう。戦死したのは昭和20年4月14日。日記だろうか、こう書いている。「昭和18年2月9日。『資本論』第二巻に入ってから遅々として進まない。確かにまとまり悪く晦渋だ。それに邪魔も入る。(略)レーニン、スターリンの強引さに驚嘆する。日本にもああいう人が出てほしいものだ」(P.137)。もうこの時点では『資本論』は禁書であり、所持が発覚すればすぐ特高に逮捕され拷問を受けたはずだが、この学生はどうやって読んでいたのだろう。また、この日記をどこに隠していたのだろう。また、こんな学生の記述もある。「昭和13年10月5日。蘇・仏にすら愛想をつかしかけている。しかし人民戦線的抗争は断念されてはならぬ。10月7日。(略)帝大生の冷血・冷淡実に厭うべく憎むべきものなり。徹底的オポチュニストの烏合でしか彼らはないのだ。資本家階級の手先たるにいかに汲々せり。(略)反動主義の奴隷たち!」(P.16)。この学生は東大文学部を昭和14年に卒業。同年11月入営。昭和17年3月に漢口で25歳で戦死している。

c0315619_14062374.jpg戦没学生の手記を集めた『きけ わだつみのこえ』を読むと、当時の東大生がどういう知性と関心を持ち、戦争に直面してどういう精神状況だったのかが分かる。この遺稿集は、『君たちはどう生きるか』と並んで戦後民主主義の聖典のようなものになった。『君たちはどう生きるか』は子どもの倫理教育の教科書で、『きけ わだつみのこえ』の方はもっと直接的な、戦争を体験して戦後を生きた当時の若者の聖書のようなものだ。私なりに表現すると、『君たちはどう生きるか』が戦後民主主義のバイブルで、『きけ わだつみのこえ』が8.15革命のバイブルという整理になる。戦後日本の社会建設がどういう精神によって担われたかということが、『きけ わだつみのこえ』を読むとよく想像できる。戦前日本の教育体系は、やはり国務と統帥の二系統に分かれていたと言える。国務の方の高等教育(一高帝大)は、実はこんな感じで、学生たちはマルクスの学問を猛勉していたのだ。そのことを明確にし、統帥の方の教育を捨てたのが戦後日本であり、戦後民主主義であると言える。当時、兵学校や士官学校で何を教えていたのだろう、どういうカリキュラムだったのだろうと、そちらの方に関心が向く。やはり、昭和天皇の皇太子時代の教育(カルト)と同じだったのだろうか。

c0315619_14064148.jpgマルクス主義の近代日本への影響について、丸山真男は77年の『近代日本の知識人』の中で次のように語っている。「このように、二〇年代に、いわば他律的に一つの社会群として結びつけられた知識人に対して、もっと積極的な意味で、共通の基盤と役割とを自覚させたということ、そこに一九三〇年前後のマルクス主義の巨大な歴史的意味があると思います。(略)一九三五年度の内務省の調査によりますと、治安維持法によって起訴された者のうち、高等専門学校および大学の在学生と卒業生は三一%を占めております。また一九三二年に文部省が、検挙した学生の『左傾』した動機を調査したところ『左翼理論に関する文献の影響および、左翼理論に関する講演・講義の影響』というのが調査対象の五〇%で第一位です。(略)戦前の日本の左翼運動におけるアカデミックな性格、特に読書的(ブッキッシュ)な『勉強』の要素の比重の大きさは否定すべくもないと思います。マル・エン全集が世界で唯一日本でだけ完成し、それが驚くべく売れたということも、むろんこの点に関係しております。そのうえ日本におけるマルクス主義の知的運動としての影響力は、いわゆる左翼のイデオロギーに限られたものでは決してなかった」(第十巻 P.247-249)。

c0315619_14130963.jpg「そこが私は非常に重要な点だと思うのです。というのは維新前後に西欧文化が怒濤のように流れ込んだ短い時期を除きますと、近代日本の学問は始めからそれぞれ専門的な個別化された科学を輸入し、さきに述べたように、各学部、学科が密室化するという傾向が早くから進んでいた。その穴に落ち込んでいた日本のアカデミズムに対して、マルクス主義の哲学と歴史観というものは、否応なしに経済と法、政治の関連はむろんのこと、文学や芸術の領域まで孤立的にではなく相互連関的にとらえることを教え、しかももろもろの『上部構造』に共通する土台を指示することによって、社会大系の変動をトータルに解明することを、いわば知的に強いた最初の思想であった、といってよいのであります。(略)戦前においてインターナショナルな意識や感覚をマルクス主義が代表し、また『社会科学』というとマルクス主義的な社会科学だけを意味していたというのは、不幸な事情や弊害を伴いましたけれども、そこにはそれなりの歴史的背景があったといえます。しかもマルクス主義は単に社会科学や哲学の領域だけでなく、本来科学に対して無縁であった文学や芸術の活動にも深刻な影響を与えました」(同 P249-250)。

「反マルクス主義の文学者も含めて、文学における『方法』という問題を真剣に考え出したのは、マルクス主義の衝撃によってであります。(略)社会的政治運動としてのコミュニズムに対してどんな批判が下されようとも、日本におけるマルクス主義が一つの知的運動 intellectual movement として、職場と世代によって分断された知識人に既成の知識のあり方を反省させ、知性の共通の基盤を意識にのぼせた、という足跡は近代日本の歴史のページから消えさることはないでしょう」(同 P.250)。このことは、岩波新書の『日本の思想』の中にも書かれている。戦後日本の知識世界というのは、戦時体制と権力の弾圧によって一度閉ざされたこの知的運動が、解放され、大きな奔流となり、定着したものと考えていい。死んだ者たちの無念の思いと共に。戦前日本の(国務エリート側の)知識世界のエネルギーが、戦後日本を世界一のマルクス大国の繁栄へと導いていた。


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by yoniumuhibi | 2018-10-29 23:30 | Comments(2)
Commented by TAKAHASHI(ISHIKAWA) at 2018-10-29 18:28 x
力強い、日本のマルクス讃歌を拝読しました。ニホンスゴイではありませんが(笑)、戦前も戦後も高いポテンシャルを持っていましたね。『きけわだつみのこえ』も、あらためて読み直したいと思いました。また、丸山真男の指摘する、タコツボ的な細分化された研究を横断してきたのがマルクス主義だという論にも、いまさらながらというべきでしょうが、思い至ります。文学研究も、根本的にこのことを自覚せねばならない、と自戒をこめて反省しました。いつも拝読していますが、今回はあらためて感動しひさしぶりにコメント申し上げました。憲法改正反対の意見が高まってきて、よかったです。
Commented by NY金魚 at 2018-10-30 10:44 x
ご無沙汰しています。FaceBookに『過去の思い出』というものがあり、数年まえのその日のシェアが上がってきます。去年のきょうは、宮崎駿が吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を遺作(?)と思い立った日で、再度きょうシェアしなおしたところで、この記事に出逢いました。宮崎評はいろいろちがうようですが、吉野源三郎の思想がポピュラーになることはすばらしいと思います。
去年の自分の感想は宮崎監督が完成は3−4年後と言っていることで、ひょっとしたらそれは改憲の国民投票のあとになるのでは、と危惧しています。今年の護憲状況(?)は昨年よりマシなようですが、なにせあの怪物が相手では油断などできません。
ご健筆を続けられ、脱・脱構築の砦を築かれんことを! 金魚 FaceBook: Kingyo NY


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