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昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14480514.jpg最新の天木直人氏との動画対談で、昭和天皇の戦争責任の問題を取り上げさせていただいた。その中で少し気になったことがある。それは、天木氏から再三、こういうことを言うと右翼に狙われるとか、襲撃される恐れがあって危険だという反応が返ってくることで、その右翼テロのリスクに対する認識というか感性が、私と天木氏の二人の間でかなり差があることに気づく。実際に、社会的に知名度と影響力があり、選挙に立候補して街頭演説で身を晒して9条護憲を訴えようとする天木氏と、無名で無責任でノーリスクの私とでは立場が違い、客観的な危険度の水準が違う。私の方が相対的に無警戒な「平和ボケ」の油断に傾いてしまい、いわば他人の迷惑も顧みず、無神経に歯に衣を着せぬ言論の冒険ができるということなのかもしれない。が、私はそれ以上に、二人の間の年齢差によるものが大きく、昭和天皇の戦争責任の問題をタブー視する意識の介在の程度が、二人の間で異なるのではないかという気がしてならない。つまり、もっと若い世代なら、もっと右寄りの者でも、昭和天皇の戦争責任についてはあっけらかんと認める態度に出るのではないか。



昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14405926.jpgそう思った理由は、志位発言後の2ch掲示板の書き込みがそういう内容と展開になっていたからである。右翼の者でも、現代史に関心のある者は、山田朗の著作に目を通しているし、吉田裕と豊下楢彦の岩波新書を精読していて、そこに記述されている史実が持ち込まれていたのだ。昭和天皇の戦争責任を否定して擁護する匿名右翼と論争になったとき、擁護派は論破されて逃げる形勢になり、山田朗・吉田裕・豊下楢彦の所論に対して正面から挑みかかって反論の持説で食い下がる者はいなかった。それは、古川隆久の中公新書の筆致が全く同じであり、菅義偉の「特に問題ではない」「政府として問題であると認識しない」の官房長官会見を思わせる、門前払いの処理と対応をして、山田朗・吉田裕・豊下楢彦の批判をいなす論法になっている。昭和天皇は英明な理性的君主だったのだから、それが結論だから終わりだ、その「真実」と「正論」を信じない者とは立場が根本的に違うのだから相手にしないという姿勢である。この古川隆久の昭和天皇像は、たしかに宮内庁の公式説明であり、マスコミが撒いている公式見解ではあるけれど、中身的にはかなり掘り崩されて説得力を失ったものだ。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14410931.jpg最近の若い右翼は軍事オタク的な者が多く、太平洋戦争についても事細かな知識と関心を持っていて、それを2ch掲示板で披露し自慢するのを趣味としている。そこで、例えばインパール作戦などを考えたとき、あの異常な経過と失敗の結末を総括しようとして、牟田口廉也個人に責任を押し被せて済ますことができないのは、それこそ理性を持った者の常識ということになるだろう。牟田口廉也はなぜ責任を問われなかったのか。それは、本当に責任を負うべき者がいたからで、牟田口廉也に指示を出して作戦を差配した者がいたからである。作戦の結果を総括する統帥の実権者がいたからだ。それは、軍事オタクの右翼なら簡単に理解できる問題だろう。どうしてあんな無謀な戦争に突っ込んだのか、徒に戦禍を拡大させて犠牲を多くしたのか。戦史について真面目に研究しようと試みれば、否応なしに統帥権者の昭和天皇の戦争指導が視野に入ってくるのであり、山田朗が明確な解答を示していて、軍事オタクであればあるほど、それを論理的に反駁し転覆することはできない。したがって、昭和天皇無責任論や昭和天皇平和主義者論は、どうしても宙に浮いた観念論的なドグマになる。空念仏になる。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14404766.jpg小説『風流夢譚』を掲載した中央公論の社長宅を右翼が襲い、家政婦を刺殺した嶋中事件が起きたのは1961年のことである。長崎市長だった本島等が昭和天皇の戦争責任があると明言し、右翼団体の構成員から銃撃されて瀕死の重傷を負ったのは1990年のことだった。天皇制を批判したり、昭和天皇の戦争責任を言い挙げると、この国では右翼のテロに遭う。最近でも、吉祥寺での反天連のデモを右翼が襲撃し、車のフロントガラスが割られ、参加者が殴られて歯を折られるという事件が2年前に起きた。天木氏の懸念と不安には十分な根拠がある。が、今回の志位発言の後、共産党本部に銃弾が送りつけられたとか脅迫があったという情報には接していない。あまり楽観的になってはいけないが、同じ左翼でも反天連の主張と志位和夫の主張には違いがあり、志位和夫の主張は天皇制を否定するものではなく、そこが一つのポイントなのではないか。私の結論と提案を端折って言うなら、昭和天皇の戦争責任を認めて、昭和天皇と平成天皇とを切り分けた方が、この国の象徴天皇制を永続させるのに具合がよいということになる。そうした方がいい。半藤一利と保阪正康には、ぜひその方向に舵を切って欲しい。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14412194.jpg昭和天皇を無理やり平和主義者に仕立て、平成天皇との連続性を強調するのではなく、二人の間に正しく断絶を入れ、平和憲法の象徴天皇制は平成天皇が父親の過誤に対する反省から創造し、たゆまぬ努力と鋭意によって確立したものだと、そういう歴史認識にした方がいい。そうした方が、象徴天皇制の将来にわたる安定にとって寄与するし、新天皇となる徳仁皇太子やその後に続く秋篠宮にとって負担がなくなる。荷が軽くて済む。昭和天皇を平和主義者だと無理に定義し、戦争の責任はないと強弁する歴史認識をキャリーし続けることが、せっかく平成天皇がここまで理念的に築き上げた象徴天皇制を不安定にし、内部に思想的矛盾を抱え込ませ、中核に欺瞞を隠し続けることになる。スッキリした方がいいのだ。昭和天皇はあのような戦争人生を送り、国策を誤らせ、無辜の民に犠牲を強いたが、それは本人が悪かったというよりも教育が悪かったのであり、乃木希典や杉浦重剛に教育勅語のカルト教育を刷り込まれたため、あのようなファナティックな国体思想の大権君主となり、軍国主義のイデオロギーに準じ奉じる指導者となったのである。人は生まれる場所を選べないし、少年期の教育係を選べない。人格形成の環境を選べない。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14415155.jpgもし、古川隆久が言うように、昭和天皇が立派な理性の君主で有徳の平和主義者だとする定義を引き摺るならば、皇太子も秋篠宮も昭和天皇をめざせばよいということになる。安倍晋三と自民党が日本を戦前日本のレジームに戻すから、即位する新天皇も昭和天皇のような「立派な象徴天皇」に収まればよいということになる。教育勅語の天皇に君臨すればいいということになる。が、それはまさに、今の両陛下が実践して築いてきた平和憲法の象徴天皇像の破壊であり、否定であり逸脱そのものだろう。こうした右翼的な「理想」を皇室に押しつける方が、象徴天皇制を不安定にし、混乱を与え、天皇制の永続を危うくするのではないかと私には思われる。村山談話で過去の侵略戦争を反省したように、昭和天皇の戦争責任を正直に認め、誤りを犯したのだと歴史認識を確定させた方がよく、失敗した君主だという位置づけにした方がいい。暴走して失敗した天皇は過去に何人もいる。古川隆久によれば、裕仁皇太子に東宮御学問所で国史を教えた白鳥庫吉の講義では、後醍醐天皇の評価は相対化され、建武中興の際の武士への行賞の過小や、土地訴訟での不公平判決が批判されているとある。昭和天皇もこの範疇でいいだろう。虚構を真実だと強弁してはいけないのだ。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_14420132.jpgわれわれが若い頃、昭和天皇は木偶人形だったという認識が一般的で、私も含めて、それを事実だと信じこんでいた。戦争指導にはノータッチで、作戦や戦況について詳しく知らず、軍部の言いなりで首を縦に振っていただけだという無色透明の局外表象だった。お飾り人形の存在だったから、その人間に責任を問うのは酷だという空気が一般的だった。そうした認識の下で、幅白く国民各層で免責論が納得されていた。さすがに右翼が本島市長を銃撃したときは、卑劣なテロに対する怒りと憤りが盛り上がったけれど、1990年の時点というのは、山田朗の本も吉田裕の本も豊下楢彦の本も出版されておらず、木偶人形論の観念がなお支配的だった時代と言えよう。昭和天皇は恰も禁治産者の如き白痴表象として世間で通念されていて、リアルな戦争の現実を何も知らないから、あのような1975年のトボケた台詞 - 言葉のあや - も会見で飛び出してしまうのだろうと、呆け老人のお漏らし現象のように当時のわれわれは観察していた。しかし、実際にはそうではなく、戦争の過程に深く関与して指導していた実像が明らかになり、現代史に詳しい若い右翼も増える中で、果たして今の右翼の視線から、昭和天皇の戦争責任を追及する言説というのはどういう対象になるのだろうか。

それでもなお、天誅を加えてテロで見せしめにすべき不敬者になるのであろうか。歴史認識を歪曲すると、歪曲した側は必ず追い詰められる。辻褄合わせが破綻して敗北する。全面降伏に追い込まれる。慰安婦問題もそうだし、南京事件もそうだ。右翼のイデオロギーが最終勝利することはない。そのことを、半藤一利と保阪正康には了解してもらいたい。

昭和天皇の戦争責任を追及すると右翼テロに襲われるのか_c0315619_15005939.jpg

by yoniumuhibi | 2018-09-11 23:30 | Comments(5)
Commented by 長坂 at 2018-09-11 21:11 x
原武史の松本清張「昭和史発掘」226事件で昭和天皇と秩父宮の確執を知りました。Wikiなど読むと、無口で暗い昭和天皇に比べ優秀で社交的、貞明皇后から溺愛される秩父宮、たぶん兄弟間で嫉妬ライバル意識も強かったのではと。226以降昭和天皇は統制派を積極的に重用し、結果東條が陸軍で実権を握り戦争拡大、日米開戦へ。一方肺結核を病み表舞台から去った秩父宮は、一貫して戦争拡大路線を批判し、もう一人の弟、高松宮は開戦当初から和平を主張し昭和天皇と対立していたとあります。和平や早期終結を願っていたのは弟達で兄ではない。戦後も、GHQの中にさすがヒロヒトじゃまずいから高松宮でと言う意見があり、それを阻止すべくマッカーサー詣でを繰り返したと、、全然反省してない!
私は戦後アメリカによる押し付けの最たるものは「原子力の平和利用」と「昭和天皇の平和利用」だと思っています。ミッドウエー 海戦時既に敗戦後の日本占領計画の「ジャパン プラン」やその3カ月後に書かれたライシャワーメモに溥儀程度の傀儡じゃだめ、もっと強力なパペットとしてのヒロヒトを戴いたジャパンの設計図が出来上がっています。来るべき冷戦に向け反共政策にどうしても必要不可欠な存在。ある意味アメリカの犠牲者かもしれないけど、平和のシンボルになって生き延びようなんておこがましいにも程がある!
今回の昭和天皇戦争責任シリーズ、YouTubeと合わせて本当に面白かったです。シンゾーの支持者が台湾の慰安婦像に蹴りを入れてる映像を見て、「立派な象徴天皇」は平成で終わり結局「右翼に利用される天皇」になるような気がしますけど、、、
Commented by 七平 at 2018-09-12 00:22 x

(1の2)
昭和天皇の戦争責任もさることながら、戦後73年になる今日でも、日本人の心の中で戦争処理ができていないと考えます。問題の根源は日本国民は今だに戦争の事実、真実を義務教育を通して知らされていないからだと思います。私が受けた日本での義務教育を振り返っても、やたら年号や登場人物名の暗記は強要されたものの、大戦前後の戦争に関し、その背景説明をした教科書も先生の顔も浮かんできません。

John Dower の ”敗戦を抱きしめて” の原書を読んだ時は目から鱗が落ちる思いでした。両親や他の戦争経験者からの実話と照合性が高く、なるほどと感銘したのを思い出します。 司馬遼太郎が、”これを日本人の手で書けなかったのが残念” との読書感想を残しましたが、よく考えると、Dowerがあそこまで適格に書けたのは、記述を裏付ける文献や証拠にアクセスする事ができたからだと思います。現政権、日本会議、日本財団が売り込もうとする、美しい日本の戦争の歴史には間違いなく多くの虚偽、虚構が含まれています。彼らがそのような虚偽、虚構にしがみつきたがるのは愛国心と言うよりも自らの立場の保身と既得権の維持にあると思います。 

政府公式発表による、人質事件から最近のモリカケ事件に至る山積する嘘を考えると、真実に誠実でない日本文化の弱点を見る思いです。従って、米国が有する、文献、又、物件証拠の方が、日本政府や右翼が唱える論より遥かに説得力があると思います。 
Commented by 七平 at 2018-09-12 00:23 x
(2の2)
情報革命と公開に伴い、この先日本政府が逆立ちしても、日本国民をそのような情報から隔離する事は不可能です。最近見つけた一例をあげると、東京裁判にまつわる証拠、記録文献は、バージニア大学の法学部図書館に保存されています。http://imtfe.law.virginia.edu/ 保存されているだけではなく、その内容はすべてデジタル化され、Webをとおしてアクセスできるようになっています。 児玉誉士夫、笹川良一、岸信介 等の名前を英語で入力検索すると山ほどのDocumentsにつながります。 日本の歴史学者が英語に精通する事により、上記三者がどのような司法取引をして、無罪放免されたのかも明らかになる日が来ると思います。 言うまでもなく、昭和天皇の戦争関与や責任も一層明らかになるでしょう。 

自国の歴史を発掘するのに他国の記録に頼らざるを得ない等全く情けない話ですが、平気で嘘をつき公式文書を書き換える現政府を見るにつけ、致し方ないと感じます。

Commented by 長坂 at 2018-09-12 13:13 x
たびたびすみません。RAAについては1979年に出たドウス昌代の「敗者の贈り物」に書かれています。本も手元にないし内容も殆ど忘れてしまい、ネットで検索したら「大和民族の純潔を守るため」と1億円をポーンとRAAに拠出したのは当時の主税局長、池田勇人。最初は一般兵士相手は日本女性、将校向けに「米軍婦人部隊」。占領が落ち着いて来た年末から一部の将校が楽しんだのは日本の上層部の女性との社交(?)だそうです。
原節子さんは「マッカーサーのお相手」に差し出されそうになり、銀幕を去ったとか言われてましたよね。個人的には予備校の先生が(40年ぐらい前ですが)某大女優が将校の所に来ていたのを近所に下宿していた自分はよく見ていたと、授業内容は覚えてないけはっきりと記憶しています。
宮中筋が色々画策したとしても全然不思議ではないです。
Commented by 七平 at 2018-12-16 21:44 x
12月24日が近づいていますので、掲題の記事とは直接関係ありませんが、一筆させていただきます。

12月24日はクリスマスイブであると同時に、毎年、私にとっては、”日本の属国化記念日” です。なぜならば、現在の日本の属国性は 1948年12月24日にGHQ(進駐軍本部)が、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を、巣鴨刑務所より同時出所させた所に象徴され、その時点に遡るからです。 上記の三名、東京裁判にかけられて当然の戦犯だったのですが、被告リストから外されてしまいました。決して無罪放免となったわけでは無く、米国は上記三名の悪行を知りつつ、戦後の日本を糸つり人形に仕立て上げるため彼らの出所を許したのが実情です。

ドイツと日本の敗戦処理を比べると明らかですが、Nurenburgの裁判は9か月で終わっています。その後、ドイツはドイツ人の手で1500名程のナチスを裁きました。自浄作業がなされたわけです。一方、日本では東京裁判の判決までに3年もかかって1948年12月23日に幕締めとなったのですが、日本人の手でなされた自浄作業は前にも後にも ゼロです。自浄作業ゼロ処か巣鴨刑務所で3年間冷や飯を食った連中の多くが戦後のどさくさに紛れて私腹を肥やし、かれらの子孫が山ほど、2代目、3代目と政財界に居残り既得権にしがみついて現在に至っているのが現状です。 

終戦直後、日本に乗り込んだ進駐軍のインテリ層は、平和国家の建設を念頭に置いて、高い理想を掲げ平和憲法を書きあげたのですが、上記の3年間の間に、冷戦が悪化、反共体制の為の日本や他のアジア諸国の位置づけとなったのは残念なところです。 

しかし、なぜ、上記の簡単な動かぬ歴史的事実を日本の小中学校で教えないのでしょうか? また、真実を教えられていない国民は真実を知ろうとしないのでしょうか?


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