古川隆久『昭和天皇』の歴史修正 - 乃木希典の存在と影響を無視

c0315619_14434495.jpg古川隆久の中公新書『昭和天皇』は、特に青年期に至るまでの教育課程に注目し、どのような思想形成を行ったのか実証的に明らかにした研究書だとされている。本人も「はじめに」でその成果を自慢しており、世評的にもその功績でサントリー学芸賞を受賞したということになっている。だが、実際に中身を読み込むと、まさしくその昭和天皇の思想形成過程の記述にこそ、悪質でイデオロギー的な歴史修正が施されていて、史実をねじ曲げて昭和天皇を美化する構成になっていることに気づく。最も重要な問題から指摘していこう。まず何より、乃木希典の役割と位置づけの欠如である。古川隆久は意図的に乃木希典について触れておらず、その存在を過小評価して脇に追いやっている。この点は、昭和天皇と乃木希典の関係について常識を持つ一般人だけでなく、豊富な知識を持つ右翼が読んでも違和感を覚えるところだろう。周知のとおり、昭和天皇は、自身の人格形成に最も影響があった人物として乃木希典を挙げている。乃木希典は、裕仁親王が学習院初等科に入学するときに教育係として学習院院長に任命された。



c0315619_15583023.jpgその人選を行ったのは明治天皇である。明治天皇が、自分にとっての山岡鉄舟や元田永孚と同じ教育係として、信頼の厚い忠臣乃木希典を裕仁少年の側につけて徳育させたのだ。いわば、平成天皇(明仁皇太子)にとってのヴァイニング夫人に当たるのが、昭和天皇にとっての乃木希典である。乃木希典はどういう思想的人物であり、どういう教育者であったのか。この認識は立場によって見解が分かれるところだが、乃木希典とヴァイニング夫人と、二人の教育の差こそが、戦前日本と戦後日本の国家の本質を分かつ根本的な契機であることは、誰もが承知し納得するところだろう。司馬遼太郎は『殉死』の中で、教育者としての乃木希典をこう評している。「なによりもかれが教育者に適しにくいのは、その印象の暗さであった。陰性で暗い印象の教育者などはあっていいものではない。児童や生徒たちの年齢ではものごとのあかるさを望み、陰気な教育者に対してはただ暗いというだけでその人物の品性や思想まで食わずぎらいになってしまうおそれがあった」(文春文庫 P131)。「そういうかれに対して、低年齢の児童の多くは恐怖をおぼえ、高年齢の生徒の何割かは反抗をおぼえた」(P.133)。

c0315619_14435610.jpg「しかしすくなくともただひとりの児童だけはかれを恐れず、むしろ慕った。このころ皇孫殿下といわれていた裕仁親王であった」(P.133)。「かれは、他の児童、生徒に対しては院長という立場で臨んだが、この皇孫に対してだけはひとりの老いた郎党という姿勢をとった。自然、皇孫は他の者のように希典を恐れず、恐れる必要もなく、無心にかれに親しみ、親しんだればこそ、学校における他の者とはちがい、希典の美質を幼童ながらも感じることができた」(P.134)。司馬遼太郎は、乃木希典は裕仁親王に対してだけは特別扱いで可愛がったと書いている。一般に、乃木希典を軍神と崇める日本会議系の説明では、右翼が編集するWikiを含めて、学習院初等科の生徒たちは寄宿舎で寝食を共にする乃木希典を敬愛していたという話になっていて、それが世間の俗説としてまかり通っている。だが、司馬遼太郎はこの見方を採らず、裕仁親王以外の生徒たちは陰気で過剰にリゴリスティックな乃木希典を恐怖していたと書いている。私はこの司馬遼太郎の見方が正しいと思う。15年ほど前、私は『殉死』について次のように書評した。

c0315619_14442328.jpg「『殉死』は乃木希典と日本陸軍に対する司馬遼太郎の痛恨の批判の書なのだ。すなわち、日本を太平洋戦争の破滅に導いた日本陸軍を思想史的に解剖する書である。日本陸軍論としての乃木希典論。乃木希典の思想と行動は、司馬遼太郎にとって生涯最大の憎悪の対象であった昭和の日本陸軍そのものであり、それが人格化されたシンボルである」(「問題作としての『殉死』)。この感想は今も変わっていない。乃木希典を静かに糾弾した作品と言ってよく、特に最後の、妻静子を強引に道連れにする部分は強烈で、明らかに乃木希典の身勝手と狂気を告発する筆になっている。今日のジェンダ-的な観点から問題視される描写になっていて、未読の方はそういう角度から短編をお読みいただきたい。妻静子が実際にどこまで夫婦心中を覚悟していたのか、その真相が疑問なのであり、事件の記録と関係者の証言(階下にいた次姉の馬場サダ子)からは、静子はそのとき、希典の気まぐれによって突然殺害されている疑いが濃厚なのだ。今夜の決行は勘弁してくれと静子は抗っていたのである。まだ家の整理が残っているからと言う静子に無理強いし、短刀で刺して先に殺した。

c0315619_14443579.jpg裕仁親王と乃木希典の関係について探究を進めるうち、立花隆の『天皇と東大』(第1巻 大日本帝国の誕生)に行き当たり、新しい歴史認識に啓発される次第となった。勉強を続けることは大事だとつくづく思い知らされる。それは、これまであまり大きな比重を占めていなかった明治天皇の人物像の再考であり、新しい意味の発見へと導かれた。これまで、私は司馬遼太郎に影響を受け、明治天皇と昭和天皇の二人について、明治国家と昭和国家のコントラストを投影し、簡単に言えば、前者は健全で後者は異常という整理と理解でいた。14歳で明治維新を迎えた天皇は、周囲を元革命家たちが固める中で生育し、元勲たちと一緒に国家運営に携わっていたから、自ずと指導方針や政策決定もリアリスティックなものになり、天壌無窮の国体がどうのこうのという、国家の自意識が無闇に肥大した、大日本帝国の非合理的な神秘主義とは一線を画した抑制的な精神の持ち主だっただろうと思っていた。司馬遼太郎は小説の中で随所にそのように明治天皇を説明していて、昭和国家の時代のおどろおどろしい神権君主とは違うという認識を示していた。だが、どうやらそれは違っていたようだ。

c0315619_14445183.jpg立花隆は次のように書いている。「明治天皇は、即位したときわずか十五歳で、ほとんど少年であったから、初期の政治は、自ら親裁することなく、事実上、大久保、木戸、西郷ら維新のリーダーたちの手にゆだねられていた。しかし、明治十、十一年に一大転機が訪れる。維新の三傑の相次ぐ死と、近衛兵が反乱を起した竹橋事件である。元田(永孚)ら天皇の側近たちは、これを機に天皇が自らの手で政治をするように求めた。帝王学を身につけ年齢的にもそれにふさわしい年の頃になっていた明治天皇は側近の助けを得ながら、そうすることを決意するようになる。天皇が最初に取り組んだことは、教育の刷新だった。洋学中心をやめ儒教を復興させ、仁義忠孝の念を国民すべての心にしっかり植えつけようとしたのである。明治十二年、元田に命じて、『教学聖旨』という(略)文章を起草させ、これを教育の基本方針とすることを命じた」(文春文庫 P.233)。これが後の教育勅語に繋がっていく。さらに、こう書いている。「天皇自身も、践祚したときはわずか(満)十四歳だったのに、いつの間にか青年天皇となり、政治にめざめ、実質的な政治力を持とうとした」(同 P290)。

c0315619_14450311.jpg「他方、自由民権運動が次第に反政府運動の色彩を強めてくると、それに対抗して、政府は天皇をシンボルとして押し立てることで政治的求心力を保とうとした。(略)天皇の政治的ポジションが変わってくるにつれ、天皇神話の持つ意味も次第に変わっていった。それに応じて、社会の天皇観も変わっていった。憲法制度、教育勅語発布、不敬罪創設、神話教育などなど、天皇にかかわる政治決定が次々になされ、制度としての天皇制ができあがっていく」(同 290)。立花隆の説明は分かりやすい。これまでの謎が氷解するような感覚になる。明治天皇が主体的に政治に関与していて、それが大日本帝国憲法の神権主義に繋がり、教育勅語の軍国主義に繋がっていたのである。その明治天皇のお気に入りが乃木希典で、乃木希典に皇孫の教育を託したのだ。そしてあの男のあの人格が出来上がった。日本人は昭和20年の地獄を経験した。きれいに一本の筋が通って腑に落ちる。すべてが整合的に了解される。ところが、昭和天皇本人が、自らの人格形成に最も大きな影響を与えた師が乃木希典だと語っているのに、古川隆久の『昭和天皇』はその事実を確認しない。焦点を外して光を当てない。

思想形成における乃木希典の所在と関与を無視している。無視しながら、この本は昭和天皇の思想形成について書いた本だと言い、「実証研究」の功績を強調して胸を張っている。大問題ではないのか。


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by yoniumuhibi | 2018-09-03 23:30 | Comments(0)


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