半藤一利『ノモンハンの夏』の歴史認識の問題点 - 対ソ戦の国家意思

c0315619_14392383.jpg8月15日にNHKが「ノモンハン 責任なき戦い」を放送した。分かりやすい内容に仕上がっていて、ノモンハンの歴史的事実をよく概説し、日本の戦争の意味と教訓を浮き上がらせた番組だったと思う。学校の歴史教育の材料として十分な作品だ。おそらく、この番組の制作にあたっては半藤一利が何らか関わっているはずで、スタッフに助言と指導を与えたものと推測される。司馬遼太郎の言葉が引用され、それが全体の基調を成していたところからも、この番組の影のプロデューサーが半藤一利であると見当をつけて間違いはないだろう。と考えて、文春文庫で出ている半藤一利の『ノモンハンの夏』を読んでみた。ポピュラーな本で、1998年に山本七平賞を受賞している。ノモンハン事件についての現在の日本人の一般認識を示すものと言っていい。だが、読む前から予想していたことだったが、やはり不具合を覚える結果となった。違和感の正体と原因は何かというと、辻政信一人に問題を収斂させている筆致への抵抗である。辻政信の個性の偶発的な悪魔性と陸軍の集団の出鱈目さを強調して事件を総括している。その視角と方法に限界を感ぜざるを得ない。



c0315619_14393869.jpgNHKの番組も基本的にそのような描き方だった。辻政信の暴走として描き、それを曖昧に許した陸軍上層部の無責任体質を批判し、犠牲となった無名の兵たちの悲劇を見せるという構成になっていた。半藤一利に対する私の不満は、この歴史を偶然的に描きすぎ、国家意思を欠いた暴発的な性格のものに印象づけ過ぎているという点だ。半藤一利の説明では、陸軍はソ連と大きな戦争をする意図はなかったのに、現地参謀の辻政信が勝手に火遊びをやったという認識になる。そのような記述が随所に見られる。例えば、第二章にこう書いている。「昭和十四年三月の人事異動で関東軍の第一課(作戦)に参謀本部から、第三課(編成・動員)の寺田雅雄大佐(29期)と服部卓四郎中佐(34期)、ならびに作戦課から辻と士官学校同期の島貫武治少佐(36期)が転入してきた。参謀本部の意思は、これら陸軍中央勤務をへた参謀を送りこむことで、いま課題となっている「対ソ正面作戦」すなわちハイラルを起点として、ホロンバイル地方から一挙に作戦週末線のバイカル湖に向かって決戦を求める乙案が、はたして可能かどうか十分に研究してもらおう、ということにある」(P.52)。

c0315619_14395102.jpg「あくまで現地で研究するためで、積極的な攻勢など夢にも考えてはいなかった、という。関東軍司令部第一課にはこうしてえりぬきの人材がそろった。高級参謀(通称作戦課長)寺田大佐(陸大軍刀組)、作戦主任服部中佐(陸大軍刀組)、島貫少佐(陸大軍刀組)、すでに着任一年半に近い同じ陸大恩賜の軍刀の辻少佐(36期)。それに服部と同期の村沢一雄中佐(34期)、航空主任の三好康之中佐(31期)。辻にとっては、さながら自分がえらんだような理想の人びとの着任である。しかも、関東軍司令官植田謙吉大将(10期)は、上海事変当時の第九師団長(金沢)であり、また参謀長礒谷庸介中将(16期)は辻が着任する直前まで第七連隊長であったし、参謀副長の矢野晋三郎少将(22期)も同連隊の出身である。辻はなにからなにまで恵まれた」(P.53)。半藤一利はこう書き、このノモンハン事件前の人事が偶然であり、辻政信にとっての幸運だったと書いているのだが、普通に考えて、この書き方は当を得ていない。組織において人事とは戦略そのものである。戦略は人事で表明される。一般の企業の経営でもそうなのに、いわんや軍においておや。

c0315619_14400566.jpg陸軍首脳部は、辻政信を中心とするチームに対ソ戦を遂行させるために、関東軍司令部にタスクフォースを作ったのである。それは、38年に策定した「八号作戦計画」に基づいたもので、「八号作戦計画」は参謀本部が36年に策定した「対ソ戦争指導計画大綱」に基づき、西部に主攻勢をかけるものだ。ネット上に原文が上がっている秦郁彦の『明と暗のノモンハン戦史』(2014年、PHP)を見ると、「対ソ戦争指導大綱」と「八号作戦計画」についてこう書かれている。「実際に野心満々の関東軍は、三五年半ばから華北と内蒙古を『第二の満州国化』しようとする謀略工作を進めていたし、この動きを抑制する立場にあった中央の参謀本部もソ連に対し、1.沿海州、北樺太を割譲せしむ、2.大蒙古国の建設を認めせしむ、のような強硬方針を並べた「対ソ戦争計画指導大綱」(略)を立案している。三八年頃からは対ソ戦にさいし、西部に主攻勢を指向する八号作戦計画(略)の研究に着手し、新設の第二十三師団をハイラルに配置した」(P.54)。「研究に着手」という表現は半藤一利と同じだが、辻政信が起草した39年4月の「満ソ国境紛争処理要綱」は、八号作戦計画の具体化そのものである。

c0315619_14402087.jpg対ソ戦をやるために、わざわざ新規に第23師団(小松原道太郎)を編成してハイラルに派遣している。編成されたのは38年4月。つまり陸軍首脳部は、38年から39年初にかけて、八号作戦計画を立案し、関東軍司令部にタスクフォースの参謀団を置き、現地軍である第23師団を構えている。対ソ戦の準備万端で、辻政信の「満ソ国境紛争処理要綱」はその仕上げであり、対ソ戦のキックオフを告げる作戦計画の完成だった。ここで言う陸軍首脳部とは、板垣征四郎(陸大28期)と東条英機(陸大27期)であり、そして大元帥で統帥権者の昭和天皇である。板垣征四郎は38年に近衛内閣で陸軍大臣に就任、このときの陸軍の人事を握っていたことはNHKの番組でも紹介されていた。辻政信が関東軍参謀部付になった36年に関東軍参謀長だったのが板垣征四郎で、その後、37年に関東軍参謀長になるのが東条英機である。板垣征四郎が陸軍大臣になると、すぐに次官として仕えた。39年春に関東軍司令部に対ソ戦のタスクフォースを置いたのは、板垣征四郎と東条英機の差配であり、半藤一利が書いているような偶然の流れではない。

c0315619_14403423.jpg38年11月、陸軍次官の東条英機は演説で、「支那事変の解決が遅延するのは支那側に英米とソ連の支援があるからである。従って事変の根本解決のためには、今より北方に対してはソ連を、南方に対しては英米との戦争を決意し準備しなければならない」と明言している。陸軍の本音の情勢認識と戦略であり、日独伊防共協定を軍事同盟へ強化した当時の基底の動機であり、実際にここから3年、この発言のとおりに日本(日本軍国主義)は動いて行った。ソ連への攻撃を順番として先に仕掛けたのであり、その任務を期待の若手であった辻政信に託したのだ。ソ連に対する侵略戦争は国家意思に基づく戦略的計画的なもので、決して偶発的突発的なものでも無謀な暴走でもない。半藤一利の板垣征四郎の描き方は、矮小化のデフォルメが過ぎる。司馬遼太郎の方法の模倣だが、歴史を正確に描く上では誤りをもたらしている。半藤一利は、第23師団司令官の小松原道太郎について、「駐ソ武官を長くやり、陸軍部内でも有数のソ連通とされている」と書いていた(P.117)。このフレーズを聞いて思い出すのは、あの松井石根が「陸軍きっての支那通」と評価されていた事実だ。

「陸軍きっての支那通」が上海派遣軍(中支那方面軍)の司令官に任命され、その任務は「不拡大方針」を口先で唱えつつの「一撃」であり、実行したことは南京での大虐殺と強姦だった。それは37年から38年初のことである。38年から39年にかけて、「陸軍有数のソ連通」をハイラルの新師団司令官に据えた陸軍首脳部と昭和天皇が、ソ連に対して何をしようと企んでいたのか、その真意を想像するのはさほど難しくはあるまい。

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by yoniumuhibi | 2018-08-20 23:30 | Comments(1)
Commented by 私は黙らない at 2018-08-21 04:01 x
番組の端々に入る「昭和天皇の意思が伝わっていなかった」等のナレーションが、とても気になりました。あたかも昭和天皇は蚊帳の外で責任はなかったと言いたげな。
戦争を反省するドキュメンタリのふりをしながら、最高責任者の免罪を主張しているようで、ちょっと質が悪いと思いました。
最高責任者が責任をとらず、部下に全てをおしつけ、うやむやにするのはこの国のお家芸だと諦観してはいけないと思う。


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