高畑勲が残した遺訓を考える - サンプルとしての富川悠太と雨宮処凜







戦後民主主義をゴミ箱に棄てたから、そのロゴスが消え、代替するロゴス(右翼のイデオロギー)が入り、結果として、中国・北朝鮮の脅威に対して自衛隊の軍事力を増強すれば、日本の平和を守れ、『火垂るの墓』の悲劇は避けられるという認識に落ち着いたのである。若者の中で、ジブリ映画への絶賛感動と9条改憲肯定の意識は矛盾せず両立するのだ。

by yoniumuhibi
| 2018-04-09 23:30
|
Comments(4)

「火垂るの墓」が1988年、その5年前の1983年には「はだしのゲン」がありました。当時、小学生でしたが、教室で教師が「推薦映画」だとチラシを配り、地元の音楽ホールで上映会が催され、テレビのワイドショーでも「すばらしい映画」と時間をかけ丁寧に取り上げていたのを覚えています。
「火垂るの墓」も「はだしのゲン」もいずれも子供を主人公に戦時下の壮絶な悲劇を描いた作品ですが、「はだしのゲン」の原作は、「情」に訴えるだけでなく、戦争に突き進む社会とはどういうものかが、「事実」として「論理」として提示されていました。
主人公の父は、「日本の戦争は間違っている」、「日本はアジアの人々にひどいことをしてきた」、「朝鮮人を馬鹿にしてはいけない」と子供たちに教え、非国民だ危険思想だと地域から白い目で見られ、警察で拷問を受けます。戦争を賛美する教師、地域のボス、婦人会の姿も描かれます。主人公の隣人の朴さんは、朝鮮人だと日本人の子供からも馬鹿にされ、朴さんの父は原爆で非業の死をとげますが、その遺体の扱いまで日本人から差別を受けます。このほか、昭和天皇への批判、米国の原爆症調査(治療ではなく、核兵器のモルモット)への怒りも描かれます。
左派系雑誌に連載され、こうした内容を盛り込む原作のアニメ作品が、学校現場で「推薦映画」としてすすめられ、マスコミでも称賛されたわけですが、今の右傾化が進んだ日本では考えられないことでしょう。
ただ、それでも限界はありました。アニメでは、原作が描いた戦争に至る社会の「事実」「論理」がほぼカットされています。もっと言えば、原作の中の「事実」「論理」にも限界があると言えます。帝国主義戦争の根本原因・主犯・元凶である、巨大資本・財閥の責任への追及が弱いのです。原作コミックの作者、アニメの作者に敬意を表しつつ、しかし限界は限界として指摘しなければならないでしょう。
ところで、最近、異例のロングランと「この世界の片隅に」という作品が持ち切りでした。私はまだ観ていませんが、この作品にも同じことが言えるのでしょうか。つまり、「この世界の片隅に」に感動しつつ自民党に票を入れる、安倍政権を支持するという現象が起きているのでしょうか。極右政権、戦争法、そして平和憲法の危機、いまこそ、戦争を起こす「論理」「事実」を見据えた作品、「情」と「論理」の双方から訴求する作品が待望されます。
「火垂るの墓」も「はだしのゲン」もいずれも子供を主人公に戦時下の壮絶な悲劇を描いた作品ですが、「はだしのゲン」の原作は、「情」に訴えるだけでなく、戦争に突き進む社会とはどういうものかが、「事実」として「論理」として提示されていました。
主人公の父は、「日本の戦争は間違っている」、「日本はアジアの人々にひどいことをしてきた」、「朝鮮人を馬鹿にしてはいけない」と子供たちに教え、非国民だ危険思想だと地域から白い目で見られ、警察で拷問を受けます。戦争を賛美する教師、地域のボス、婦人会の姿も描かれます。主人公の隣人の朴さんは、朝鮮人だと日本人の子供からも馬鹿にされ、朴さんの父は原爆で非業の死をとげますが、その遺体の扱いまで日本人から差別を受けます。このほか、昭和天皇への批判、米国の原爆症調査(治療ではなく、核兵器のモルモット)への怒りも描かれます。
左派系雑誌に連載され、こうした内容を盛り込む原作のアニメ作品が、学校現場で「推薦映画」としてすすめられ、マスコミでも称賛されたわけですが、今の右傾化が進んだ日本では考えられないことでしょう。
ただ、それでも限界はありました。アニメでは、原作が描いた戦争に至る社会の「事実」「論理」がほぼカットされています。もっと言えば、原作の中の「事実」「論理」にも限界があると言えます。帝国主義戦争の根本原因・主犯・元凶である、巨大資本・財閥の責任への追及が弱いのです。原作コミックの作者、アニメの作者に敬意を表しつつ、しかし限界は限界として指摘しなければならないでしょう。
ところで、最近、異例のロングランと「この世界の片隅に」という作品が持ち切りでした。私はまだ観ていませんが、この作品にも同じことが言えるのでしょうか。つまり、「この世界の片隅に」に感動しつつ自民党に票を入れる、安倍政権を支持するという現象が起きているのでしょうか。極右政権、戦争法、そして平和憲法の危機、いまこそ、戦争を起こす「論理」「事実」を見据えた作品、「情」と「論理」の双方から訴求する作品が待望されます。
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映画『火垂るの墓』で描かれているのは、
《本来守られるべき弱者》が戦争が起こると、逆に真っ先に見捨てられるという、
《社会矛盾》の拡大の恐ろしさだと思います。
ただ、例えば日露戦争当時の風刺画の
《日露兵隊が流しあった「平民の血」で、日露の権力者らしき人物同士が乾杯する》描写
にあるような、戦争の元となる構造を理性的に引いて捉える観点は、あまり見られない印象です。
映画などの芸術作品においても、《感情・感性》の涵養だけでない《理性》の導入は可能だと思いますが、
その場合、《風刺》的に引いた観点や、《倫理》的なテーマの多少象徴主義的な展開が求められるでしょう。
しかし、日本は「お笑い」の人々でさえ《風刺》を意識的に拒絶していることが茂木健一郎発言への反発で明らかになる程に風刺が乏しい稀有な国であり、
《倫理》的テーマの展開も、下手に普遍化して何らかのタブーに触れることを恐れてるのかどうかわかりませんが、ハリウッド映画などと比べて弱い感じがします。
理性的な立場を保持するには、自分が直面する状況から一旦距離を置いて捉え直す、いわゆるコペルニクス的展開が大事な筈ですが、
日本のマスコミや教育自体が、与えられた見解を(一時的であっても、レトリカルなレベルでさえも)否定したがらない態度を続けてきたせいもあって、
理性的客観的な判断が効く日本人が減ってきているのかもしれません。
《本来守られるべき弱者》が戦争が起こると、逆に真っ先に見捨てられるという、
《社会矛盾》の拡大の恐ろしさだと思います。
ただ、例えば日露戦争当時の風刺画の
《日露兵隊が流しあった「平民の血」で、日露の権力者らしき人物同士が乾杯する》描写
にあるような、戦争の元となる構造を理性的に引いて捉える観点は、あまり見られない印象です。
映画などの芸術作品においても、《感情・感性》の涵養だけでない《理性》の導入は可能だと思いますが、
その場合、《風刺》的に引いた観点や、《倫理》的なテーマの多少象徴主義的な展開が求められるでしょう。
しかし、日本は「お笑い」の人々でさえ《風刺》を意識的に拒絶していることが茂木健一郎発言への反発で明らかになる程に風刺が乏しい稀有な国であり、
《倫理》的テーマの展開も、下手に普遍化して何らかのタブーに触れることを恐れてるのかどうかわかりませんが、ハリウッド映画などと比べて弱い感じがします。
理性的な立場を保持するには、自分が直面する状況から一旦距離を置いて捉え直す、いわゆるコペルニクス的展開が大事な筈ですが、
日本のマスコミや教育自体が、与えられた見解を(一時的であっても、レトリカルなレベルでさえも)否定したがらない態度を続けてきたせいもあって、
理性的客観的な判断が効く日本人が減ってきているのかもしれません。

高畑勲の「自己批判」(理に対する情の弱さ)を踏まえて、「若者の中で、ジブリ映画への絶賛感動と9条改憲肯定の意識は矛盾せず両立する」と看破された論旨、胸を突かれる思いで拝読しました。じっさい、右翼は、中国や韓国は日本の豊かな自然や高度な技術をいつも狙っている、と教え込んできました。私には明らかに反戦映画にしか見えない作品が、別の立場からは現極右政権の肯定につながることはあると思いました。
前のかたが話題にされた「この世界の片隅に」もまた、私には極めてすぐれた反戦映画だと思われましたが、TVやネットの批評の多くで、戦時中であっても人間らしい暮しを模索している主人公に共感する、などという意見が目立ちました。心頭滅却すれば火もまた涼しか、戦争になったっていきていける、式の理解です。
なぜ戦争が起きるのか。資本主義のメカニズムとからめて論理的に理解する必要があると思いました。
ありがとうございました。
前のかたが話題にされた「この世界の片隅に」もまた、私には極めてすぐれた反戦映画だと思われましたが、TVやネットの批評の多くで、戦時中であっても人間らしい暮しを模索している主人公に共感する、などという意見が目立ちました。心頭滅却すれば火もまた涼しか、戦争になったっていきていける、式の理解です。
なぜ戦争が起きるのか。資本主義のメカニズムとからめて論理的に理解する必要があると思いました。
ありがとうございました。

原作者 野坂昭如氏にとって妹の「餓死」というのはとても重く、親友 永六輔さんですら、一緒の食事はおろか、野坂氏が食べているところも見たことがなかったという。
そんな2人と同世代の、大橋巨泉のひとことを改めて
「戦争とは爺さんが始めて、おっさんが命令し、若者たちが死んでゆくもの。戦争は狂気です…」
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