大塚久雄を復権させよう - われわれの目指すべきは一億総中流社会だ

c0315619_15221461.jpg今年は、新年のときに立てた目標を何も実現できないまま終わった。計画への着手はすべて来年以降に持ち越しとなった。政治を変える、政治を変える動きを作るという点では、何もできず、敗北に終わるしかない「野党共闘」を黙って見ているだけだった。ただ、何も成果がなかったかというとそうでもないように思われる。負け惜しみを、強がりを言っているように聞こえるかもしれないが、一つ成果なり実績なりを上げると、左翼リベラルの中での「新9条」の見方が変わってきた現実がある。昨年までは、「新9条」論は左翼世界のデフォルトと言ってもいいほどの地位と威勢を持っていた。何と言っても、東京新聞の佐藤圭が中心になって主導し、しばき隊とSEALDsが賛同・推進し、朝日新聞が論壇紙面でキャンペーンした政治言説だから、左翼世界のメインストリームに位置する政論だったと言っていい。昨年から今年前半までの空気感では、左翼世界は、2項を削除して自衛隊を明記せよという「新9条」 の方向性でほぼ固まりつつあった。この動きに対して、一昨年の時点から、私は激しく批判を展開して論陣を張ってきたが、今、ようやく功を奏してきたというか、イデオロギー戦の戦場で敵を後退させることができたという感覚と自信を得ている。「新9条」論、すなわち左からの9条改憲論は、支持を失って退潮を始めた。



c0315619_15222612.jpgそれに伴って、このことが大きな意味を持つ変化だと思われるが、「護憲派」という言葉が少しずつ復権の徴候を見せている。「護憲」あるいは「護憲派」という言葉は、従来、この国で生息の場を許されない異端の表象で、見つけ次第に袋叩きされる立場あるいは政治的属性だったこと、われわれの記憶に生々しい。今年になって、安倍改憲との戦いが始まってもなお、例えば、津田大介のような浮薄な業界芸人が、オレは護憲派じゃないなどと言い散らす間抜けな図があり、自身の立場規定から「護憲派」を抜くことが、業界で生き抜く基本条件である現実を示していた。「護憲派」は絶対的にネガティブな範疇で、拒否し禁忌しなければいけないシンボルで、指をさして嘲り貶めなければいけない対象だった。左翼を含めたこの国の一般観念では、「護憲派」とはイコール「戦後左翼」の意味であり、頑迷で偏狭な旧弊の残滓であり、オワコンであり、ダーウィンの適者生存原理で絶滅が決まった塵屑だった。9条護憲の立場は、そこまで徹底的に卑しめられ辱められ傷つけられていた。「私は護憲派です」と堂々と言える思想環境ではなかった。だが、その状況が少しずつ変わっている。改憲派でなければ護憲派でしかない。中間はない。この問題と争点に中間はなく、曖昧にできないから、公明党と創価学会はあれほど悩み狼狽えるのだ。

c0315619_15223853.jpg護憲派とは、平和憲法を守る立場のことであり、9条にコミットする者のことである。戦後の「平和と民主主義」の運動の歴史にコミットする者のことだ。現時点で、その思想的リーダーとしてはジョン・ダワーがいる。憲法9条の価値と意義をストレートに認め、日本人の戦後民主主義の努力と達成を認め、憲法の理想を地上に引き下ろした偉業を正しく評価する者として、ジョン・ダワーがいる。日本にはいない。日本のアカデミーは脱構築化し、小熊英二や中島岳志に典型的なように、平和憲法の価値を積極的に認めない者ばかりになったため、それに影響された左翼世界の住民もまた、憲法9条から目を背けるようになり、戦後の「平和と民主主義」の運動を相対化して距離を置くようになった。「戦後左翼」を揶揄し愚弄するようになり、土井たか子の肖像に唾を吐くようになった。そうした思想的状況が、今年になって少し変化の様相を見せ始めている。簡単に言えば、「護憲派」の語が市民権を取り戻し始めた。改憲派でなければ護憲派でしかないし、安倍改憲に反対する立場であれば、それは護憲派と呼ぶしかないではないか。憲法9条をめぐる思想的位相がこのように変わり、そのことによって、小熊英二など、これまで憲法9条を相対化して「新9条」の地平へ左翼リベラルを誘導してきた者たちが、逆に相対化されるという皮肉な局面に立ち至っている。

c0315619_15230082.jpg実は、このことは、あの2年前の安保法制の政治戦のときから始まっていた。歴史は常に弁証法の神が操る皮肉なドラマである。SEALDs運動は、脱構築主義の学者たち - 小熊英二・高橋源一郎・中野晃一 - に指導され演出された政治運動であり、「デモ=民主主義」の思想をプロモーションする運動に他ならなかったが、そのことが、60年安保の意義を大きく浮上させる結果となり、憲法9条と戦後民主主義の価値を再び左側に確信させるという効果に繋がって行った。脱構築の敵であった戦後民主主義がクローズアップされるという、彼らの意図になかった思想的逆説がもたらされた。いわゆる「SEALDs選書」のバックにいるのは中野晃一に違いないが、安保法制反対の政治運動を通じて、戦後民主主義が復権するという進行になったためか、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を「選書」の一冊に選ぶということをやっている。あのとき、8月の時点だったが、SEALDs運動の方向性をめぐって、小熊英二と中野晃一の間で若干のズレが見られる場面があり、その後のヘゲモニーは中野晃一が握るという経緯になった。小熊英二と中野晃一の間に差があり、共産党寄りの中野晃一の方が、戦後民主主義へのコミットが多少は深いという意味だろう(大して差はないが)。いずれにせよ、戦後民主主義は復権した。このことが、今回の護憲派の復権と関係している。

c0315619_15231464.jpg「戦後民主主義」という言葉も、「護憲派」と同じく、長い間ずっと卑しめられ、バカにされ、唾棄されてきた言葉だった。戦後民主主義の表象と概念は、否定的な文脈でのみ語られてきた。それは、丸山真男を呪い罵る者たちによって為されてきた。脱構築がアカデミーを席巻支配した後、戦後日本は常にネガティブな言説で語られ、そこには、「国民主義」「大きな物語」「総力戦体制」「護送船団方式」「右肩上がり」のレッテルが貼られ、もう終わったもの、古臭いもの、歴史的に価値と意味を失ったものとして処理されてきた。今、丸山真男は復活し、それに伴って戦後民主主義はマイナスではなくプラスのシンボルに転換しつつある。ここ数年の論壇と学界を見るかぎり、嘗てのように、丸山真男に対して「ジェンダーの視角がない」だの「マイノリティの視角が欠如」などと、くだらない難癖をつける者がいなくなった。そうした誹謗中傷が流行ではなくなった。一昔前、まさに「炎上」と「祭り」の極限状態だった丸山真男叩きの現象を考えると、隔世の感がある。丸山真男は復活した。私はその復活のために尽力し、苦労が報われたと感じている。戦後民主主義も、もっと、この流れと勢いの上で完全復活させたい。このとき思うのは、大塚久雄の存在である。戦後民主主義の思想家として、指導者として、第一に指を屈せられるべきは、当然ながら丸山真男だけれども、人も知るように、戦後民主主義には二枚看板がある。

c0315619_15232535.jpg単純に図式化すれば、政治の丸山真男と経済の大塚久雄、この二本柱で立っている。われわれは、2年前の安保法制の政治の中で、60年安保の闘争史を再学習し、戦後民主主義の意義を再確認した。60年安保が憲法の理念を地上に引き下ろす市民革命であったという歴史認識を確定させ、戦後の「平和と民主主義」の運動がわれわれの至高の財産であることを思い知った。だが、それは、言うならば戦後民主主義の政治の側面であるに過ぎない。戦後民主主義には経済の側面がある。政治と経済の両面がある。GHQの戦後改革 - 財閥解体、農地解放、シャウプ税制、労働基準法 - から始まって、60年代の高度成長に至るまでの、戦後日本経済の健全で良質な側面がある。この戦後民主主義の経済の過程は、戦前日本の格差と貧困を撲滅し、経済発展と経済成長を遂げながら、同時に社会の格差を埋め、豊かさを平等化し、一億総中流社会を実現して福祉国家を建設する営みでもあった。その意思と政策で実現されたものだ。戦後日本はその課題を成功させた。かかる戦後民主主義の経済の側面に注目したとき、そこには一人の指導者がいる。その理論家の名前は経済学者の大塚久雄である。周知のとおり、日本の戦後社会科学(日本社会科学と呼んでよい)の二本柱は、丸山真男と大塚久雄である。私は、今こそ大塚久雄を復権・復活させるときだと思う。大塚久雄を復権・復活させようとする経済学の有志はいないのか。

c0315619_15234178.jpg学歴のない浅学非才の身の私が、在家信徒として、徒手空拳で丸山真男のエバンジェリズムに挑戦したように、アカデミーの内でも外でもいい、大塚久雄の業績を再び輝かせ、名誉回復させようと情熱を滾らせる経済学の徒はいないだろうか。今、経済学が必要なときだ。経済学の理論が要る。われわれの目指すべきは、一億総中流社会である。誰もが人生の基盤を持ち、安心して働け、貯金ができ、家族と家庭を持て、人生の夢と希望が持てる社会だ。今、それがない。それができない。そうした社会を実現しようとする理論と前提がない。アカデミーの脱構築の社会学者は、多様な働き方があるだの、人の生き方は自由だの言い、新自由主義者と同じ台詞を並べ、労働者に対して無責任を貫いている。あるジェンダー主義の権威の社会学者は、ユニクロ着て鍋つついてつましく暮らせとまで言い捨てた。われわれは、格差と貧困のない分厚い中産層の社会を作らないといけない。それは、72年前に戦争が終わったときの、あの悔恨共同体の知識人たちの悲願でもあった。今と同じだ。戦後に偉大な経済学者はキラ星の如くいるけれど、中産層の政策論と原理論となれば、それはやはり大塚久雄ということになる。大塚久雄の「マルクスとウェーバー」の基礎理論であり、デフォウ・モデルで説明する英国経済史論である。これこそまさしく、戦後民主主義の経済思想と呼ぶべきものだ。

大塚久雄を復権させることは、丸山真男を復権させることよりも難しい。なぜなら、それはマルクスの復権に重なり、講座派の復権にまで繋がる問題(=窮極のタブー)だからである。だが、誰かがそれをやらないといけない。生活保護の問題を考えながら、どうすればいいのかと煩悶しながら、唯一の打開への活路と展望として、私はその結論に到達した。
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by yoniumuhibi | 2017-12-23 23:30 | Comments(1)
Commented by 愛知 at 2017-12-24 12:16 x
大塚久雄文庫開設記念講演会―福島大学附属図書館の中に「大塚久雄の人と学問」と題された関口尚志氏の講演(2002年1月25日)が全文収録され、中で丸山真男との共通認識についても解説が。切り取り引用は避けますが、その講演も大塚久雄の学問への興味を大いに膨らませてくれる内容でした。先週、News9が十代、二十代の半数近くが自民支持、安定志向、アベノミクス賛美と宣伝しており、我慢して最後まで視聴していましたが、振り返って自身、学生時代からアルバイトに明け暮れず、こうした学問に触れるべきであったと痛恨の極みです。関口氏の講演は、冒頭記した講演会ないし図書館までの語句で検索可能です。いつも乍らタフで永続性のあるご教授に感謝します。


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