親友を庇って官憲から守った思想犯の吉野源三郎 - 古在由重の証言

c0315619_18090008.jpg吉野源三郎が、『君たちはどう生きるか』を出す6年前、治安維持法違反で逮捕された経歴の持ち主であることについては、12月2日の朝日の天声人語でも簡単に触れていた。丸山真男は「回想」の中で次のように書いている。「吉野さんには、私の場合などとは比較に絶するような特高体験があります。吉野さんが取調べの際に、まったくのフィクションを供述用に『創作』してまで、親友に特高の手がのびるのをくいとめた、という話は(略)、私は古在(由重)さんから直接うかがって感動しました。(略)けれども、それほど毅然としていた吉野さんでさえ、はじめ陸軍少尉として軍法会議にかけられたときには、どこまで自分がこの試練に耐えられるかに深刻に悩まれたようです」(岩波文庫 P.323)。吉野源三郎は、東京帝大を卒業した後、1925年(26歳)に陸軍の近衛野砲兵連隊に一年志願兵として入隊している。一年後に除隊したが、予備役だったため、1931年(32歳)に逮捕されたとき、通常の刑事司法手続きではなく軍法会議にかけられ、1年半の間、陸軍刑務所(現在の渋谷公会堂付近)に収監された。沖縄の米兵が性的暴行事件を起こすと軍法会議にかけられて判決を受ける。憲法9条が改正され軍法会議が設置されると、こうした戦前の日常が復活し、予備役は裁判所ではなく軍事法廷で裁かれる点を留意すべきだろう。



c0315619_18091262.jpg『一哲学徒の苦難の道』と題された丸山真男と古在由重の対談 - 1966年6月「エコノミスト」誌に掲載、岩波の座談第5巻に所収 - にその経過と状況が詳しく証言されている。引用しよう。「丸山:吉野さんの方が先輩ですか。運動の」。「古在:僕にとっては、マルクス主義の理論のほうの教師ですね。実際運動とのつながりのチャンスは、むしろ僕のほうが少し早かっただけです。そこで、三十年前の今日だからもういってもいいと思いますが、実は吉野がまず会合の場所を引受けてくれた。(略)「丸山:吉野さんは当時なにをしておられたんですか」。「古在:東京大学の図書館の司書だったのです。学力のある実に有能な司書でした。(略)つかまったときは、新聞の社会面のトップに大きくでましたよ」。「丸山:引受けるというのは、具体的にどういうことですか」。「古在:住宅を提供するのを引受けるということですね。さっきいったように吉野は僕の近所に間借りしていて、それ以前の大学在学中から、毎日のように会って議論をして、僕は教えられていたのです。(略)今度の場合も、まず自分が引受けようということになった。それがそもそも僕の実際運動とのつながりのきっかけなのです。(略)僕は別のことで逮捕されたけれども吉野が逮捕されたときには、僕は逮捕されずにすんだのですね」(P.205-206)。

c0315619_18092815.jpg「古在:取調べのさいに吉野が僕についてはなにも言わずに押しとおしたのです。『図書館にいるとき、ある日に全く知らない一人の女の人が訪ねてきた・・・・』という陳述があって、吉野のことだからその陳述も非常にこまかい描写だったらしいのですよ。新聞にもでていたと思いますが、その女の顔や着物とか、それは小雨の降っていた午後だったとか・・・・。非常にこまかい描写なのですね。吉野はあとでいっておりましたが、そういうときには『論理で辻褄をあわせるように話をしてはだめなのだ。どこかに矛盾がでてきてしまう。自分の頭にイマジネーションで細部と全体の情景を明確にえがくことが大事ということ。そうすれば矛盾というものはでてこない』ということです」。「丸山:なるほどね、さすが哲学者ですね」。「古在:全く見知らない女が突然に図書館を訪ねてきて、なんのためだか知らないけれど、しばらく自分の部屋を貸してくれといったということだけ。その他のことはなにも知らなかったといったらしい。そのため、割合いに簡単にすんだと思うのです。そのときには。それで僕の名前は全然でなかった」。古在由重がこう回顧して証言しているように、吉野源三郎は軍法会議の供述で架空の作り話をして、親友である古在由重を守った。「会合の場所を引受ける」とか「住宅を提供する」とは、アジトを提供するという意味である(P.206)。

c0315619_18094413.jpg古在由重にアジト提供を依頼したのは、モップル(革命戦士救援の国際組織)の活動家で、東京女子大で倫理学を講義した教え子の卒業生の一人だった。古在由重は、農芸化学者で東大総長だった古在由直の次男で、上流階級の名門の家のお坊ちゃんであり、もともとは数学者を志望した理系の学生で、高校のとき哲学に興味を持つようになって東大の哲学科に進んだ。そこで吉野源三郎と親友になっている。大学時代は政治的には無色透明で、家柄のよさ(コネ)があったのか、1929年、28歳のときに「思想善導」の教官として採用、東京女子大に派遣されている。1929年といえば世界大恐慌の年で、思想界はマルクス主義が強力な潮流となり、インテリの若者が大学でマルクスを学んで活動家になる動きが絶えないため、文部省はそれを阻止すべく各高校大学に「思想善導」の教官と講義を置いて対抗した。哲学倫理を正しく教育すれば、マルクス主義を相対化する健全な知性が育ち、学生がアカになるのを防げるというのが天皇制ファシズムの国家権力の側の狙いだった。が、豈図らんやで古在由重は優秀で善良な哲学者で教育者だったからこそ、逆にモップルの女子学生のオルグに説得され、共感し、理論と実践の統一の方向へと人生の決断をすることになる。東大総長の息子がアカになった。古在由重も1933年に逮捕されたが、新聞に載る大事件となって世間を騒がせている。

c0315619_18180032.jpg卒業生からオルグを受け、アジトの提供を依頼されたとき、古在由重は親友の吉野源三郎に相談をする。二人で話し合って、吉野源三郎が賛成する形で古在由重の実践活動入りを後押しし、相談を受けて助言した吉野源三郎自身が、親友をリスクの重い決断に導いた責任を共同で引き受けるように、じゃあ俺もやるからと友情を発揮、自らモップルに協力して下宿をアジト提供するのである。そのため、吉野源三郎の方が先に1931年に捕縛されてしまった。引用を続けよう。「丸山:政治活動のきっかけは」。「古在:きっかけはむしろ偶然でした。やはり、マルクス主義の立場から一人の(東女の)学生の書いた倫理学のレポートに、これはよくできていたので僕は百点をつけました。そうしたら、その学生が卒業してからすぐに、(略)うちへ訪ねてきて、まずいろんな雑談をしたのですね。おそらく、これは『あの先生は傾向がいいわね』ということだったと思うのです。そのうちに来訪の動機がはっきりすることになった。『実はモップルという解放運動犠牲者の救援会がある。先生、それに協力してもらえないでしょうか。たしか先生は理論と実践の統一ということを授業のときにおっしゃった』というのですね」。「丸山:一本とられたわけですね」。「古在:ええ、そして『理論の上ではそうおっしゃったけれども、実際上もそれをやっていただけないでしょうか』ということなのですね」(P.204)。

c0315619_18182095.jpg「古在:そこで僕はちょっととまどったけれども、『協力を否定する理由は少しもない、ただ一日だけ回答を待ってくれ』と言った。というのは、結局は資金や住宅を提供してくれということらしかったので、これには多少とも危険は覚悟しなければいけないから。(略)実際は単純にモップルではなかったのです。その直後、二度目に訪ねてきたときには、そのことがはっきりしたのです。それで、たまたま近所に間借りしていた吉野源三郎君にひそかに相談をした。彼は僕の親友だったので、僕の家のすぐそばに移転してきていたのです。僕はいいました。『これこれという要求を受けたのだけれども、いったいどうすべきか』と。(略)そうしたら吉野との話の結論は、『やるべきだ』というのです。(略)『当然のことなのだから、散歩でもするような落ちついた気持でやれなければならない。その覚悟がないうちに、はやまってはならない』ということをいってくれました」。「丸山:吉野さんの方が先輩ですか、運動の」。「古在:僕にとっては、マルクス主義の理論のほうの教師ですね。実際運動とのつながりのチャンスは、むしろ僕のほうが少し早かっただけです。(略)実は吉野がまず会合の場所を引受けてくれた。『最初、俺が引受けよう』ということでした」(P.205)。マルクス主義哲学の巨匠となった古在由重。その古在由重にマルクス主義の理論を教えた教師は吉野源三郎だった。

c0315619_18103589.jpgこの証言の部分、とても感じがよく、何か昔の山本薩夫の『戦争と人間』三部作を想起させられる光景なので、映画で再現したいという欲求にかられる。キャストは誰がいいだろう。古在由重をオルグした東女の卒業生、誰に演じさせればいいだろう。きっと抜群に優秀で、そして美貌で、若かった古在由重を気魄と論理で圧倒したのに違いなく、向かい合った下宿の一室で、マルクス主義哲学の精髄を滔々と論じ、「どう生きるべきか」の主体論を説き、フォイエルバッハ批判をやり、守勢に回った古在由重が弁解的に繰り出す反論の矛盾を衝き、精神を揺るがし、最後に論破して陥落させたのだろう。お坊ちゃんで純粋無垢な哲学青年の古在由重は、彼女が膝詰めで迫る「理論と実践の統一」の証明要求の前にコロッと降参してしまった。生々しい政治とイデオロギーと人格の問答現場。しかし、そのおかげで、戦後日本の巨大な哲学者で、岩波版『ドイツ・イデオロギー』の訳者が生まれるのであり、運命のドラマがあったことになる。また、このことをきっかけに名著『君たちはどう生きるか』の作者が生まれ、戦後創刊されて言論界に大きな影響を与える岩波「世界」の初代編集長が誕生したのであり、日本の現代史にとって決定的な瞬間だったと言っていい。ここはぜひとも映画の脚本を担当したいものだ。女性が誰だったかは分からない。特高に捕まって拷問され、無名のまま死んだかもしれず、あるいは転向してひっそりと表舞台から消えたのかもしれない。

古在由重の父親と母親は、息子が逮捕されたあと、心労による病気で次々と死んでしまう。古在由重は親不孝者になった。それにしても、このような中身の濃い知識人の対談が、半世紀前の1966年には毎日の「エコノミスト」の誌上で行われている。隔世の感がする。



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by yoniumuhibi | 2017-12-07 23:30 | Comments(1)
Commented at 2017-12-08 23:08 x
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