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辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_16375235.jpg辺見庸が天皇陛下のお気持ち表明に対して反応し、辛辣な批判をブログで加えている。昨日(8/9)の記事でこう書いている。「ポイントは『日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています』にあるのである。朕らはもはや象徴ではなひのだ」。この一節を読んで、中学3年の公民で教師が憲法1条の象徴天皇制をどう説明したかを思い出した。たしか、象徴とはバッジのようなものです、皆さんの学生服の襟につけている徽章と同じです、それぞれの国にはバッジがあり、日本の国のバッジが天皇です、という説明だったような記憶がある。そして、その後、象徴は元首ではないという話が続き、日本国憲法で天皇が元首ではなく象徴とされた意義が強調されていた。今は学校教育でどう教えているか不明だが、この原点に立ち帰れば、辺見庸の問題提起は有意味なもので本質を射抜いていると言えなくもない。憲法1条の象徴の意味は、このようにきわめて無機質的なニュアンスで説明され、純機能的な看板のようなイメージで生徒に理解が導かれる概念だった。学校教育での象徴の意味がこうだったとすれば、辺見庸の批判のとおり、天皇陛下の「社会に内在」の論は則を超えた逸脱かもしれない。



辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_1638348.jpgただ、私自身は、学校教育が象徴をこう説明する意味を理解した上で、なお、それでは条文にある「日本国民統合の象徴」とか「日本国民の総意に基く」はどう考えればよいのかという疑問を残したまま、高校、大学に進学した。準元首とも説明される象徴の地位が「日本国民の総意に基く」とはどういうことだろう。明らかに、日本国民が天皇の存在と地位を納得し、積極的に評価し容認しているという事実が根拠となっていて、国民がそうした判断をしない場合は天皇は象徴の地位を全うできないという前提が含意されている。戦前に教育を受けた世代が多数を占め、「総意に基く」が異議が上がらずデフォルトで通用する時期なら問題ないかもしれないが、自分たちのように戦後教育を受けた者が多数になり、天皇の代が新しく替わったとき、「総意に基く」はどうなるのだろう、不安定な事態になるのではないかという疑念はずっと続いていた。ここで、あまり回り道の議論はしたくないが、大学で専攻した東洋政治思想史という学問は、南原繁が戦前の東大で最初に講座を開設し、若い丸山真男を担当に - その前に代行として津田左右吉 - すべく生まれたもので、その学問研究の主要テーマはまさしく天皇制の問題だった。したがって、本来なら、辺見庸的な鋭い問題提起は真っ先に私がやらなくてはならない任務である。

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_16382396.jpg単なるバッジだったものが、社会に内在する有機質的なものに変わるのはよろしくないと、そう批判するべきなのかもしれない。しかし、もともと、それを単なるバッジにしたのには理由があり、明治以来の国家神道の狂気と過誤があり、国学から超国家主義へと至るイデオロギーの暴走があり、そうした天皇制の失敗を払拭するべく、敢えて元首たる存在を象徴として、なるべくその意味づけを消極的で儀礼的なものにした現憲法の工夫がある。日本国憲法でめざした立憲君主制は、基本的に英国をモデルとしたもので、英国の国王と国民、国王と政府・議会との関係が着地する地平の近隣として企図されていると考えていいだろう。そして、戦後70年の時間を経て、そのプロジェクトは当初の目標に近い成果を得ており、英国モデルの標準的なイメージが内外で定着している現状にある。ここで英国の政体あるいは統治形態を考えたとき、英国王と英王室が四つに分かれた地域の国民を統合する機能を果たしていることは間違いなく、その中身としては、8日のお気持ち表明にあったように、英国王が英国民の安寧と幸福を祈り、その英国王を英国民が敬愛するという関係が保持されているということなのだろう。もし、この関係が途切れ、英国民が英王室を信頼できなくなれば、連合王国は国家の安定を維持できない危機に陥る。

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_16383761.jpg事実、20年前のダイアナ妃の最期の頃は、英王室の崩壊が囁かれ、王制廃止の将来の可能性が懸念されていた。英国の最近の経験から言えば、国民が皇室に不信感を募らせ、皇室への税金拠出に不満と抵抗を感じ、実態として「国民の総意」に基づいてないのに基づいているという欺瞞の上で象徴天皇を続けることは難しい。天皇と国民とが安定的な信頼関係を築いているときに、バッジもバッジとして機能するのであり、信頼関係とは心と心の問題だから、8日のお気持ち表明にあったように、やはり内在の契機は制度を回す上で否定できないものではないか。バッジだから外形的なお人形さんでいいやという具合に、天皇と国民の両方が考えて態度するようになると、天皇が国民の安寧と幸福を祈るという行為も心がこもらなくなり、すなわち形骸化して意味が損なわれ、国民が天皇を国民統合の象徴として認めるという意識も失われていく。バッジ論の象徴天皇制の説明は、今の地点から考えれば象徴天皇の存在意義に冷淡で、いずれは天皇ではなく別の何かを国民統合のシンボルにするというオルタナティブの底意があったか、あるいは、国民統合のシンボルなどというものは統治機構の中に置く必要はないという思想の所在を感じさせる。前者は国会議長か大統領という展望であり、後者は後の脱構築主義に繋がる思想性だ。

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_16385226.jpgもう一つ、別に辺見庸に反論を返すつもりはないが、この件で考えたこととして、思想的指導者という問題がある。社会には思想的指導者が必要だろう。20年前から25年前、1990年代前半の頃を思い出すと、この国の思想的指導者は司馬遼太郎で、バブル崩壊後の混迷の時期に人々は司馬遼太郎の言葉に耳を傾けていた。言葉を司馬遼太郎が与えていた。没後、思想的指導者はいなくなり、人々は言葉を求めるカリスマを失った。今、日本人はヨハネパウロ2世の言葉を聞く当時の欧州人のように、天皇陛下の言葉に耳を澄ませている。司馬遼太郎の頃と較べても、日本人は貧しくなり、没落して、生きる経済的手段を失い、プロレタリア化し、自信を喪失し、小さく惨めな存在になっている。支えが必要なのであり、言葉を与えるリーダーが必要なのだ。震災や大きな災害の後、家を失った人々が避難所暮らしをしている。そこへ両陛下がお見舞いに行く。やさしく言葉をかけられ、励まされた人たちは、口々に、陛下から生きる気力をもらったという感想を述べる。その情景や内実は、年収数千万円の富裕層の暮らしをしている者がテレビ報道で見ても、実感としてよく分からないものではないか。NHKや政府職員あたりにこう言えと事前に台詞を言い渡されて、指示の下に演技して撮影しているヤラセくらいに見えるだろう。

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_1639633.jpg今、日本人の多くは貧窮し、生きる希望を失い、限りなく避難所暮らしの被災者に近いミゼラブルな生き方を強いられている。連合の調査によれば、非正規社員の7割の年収が200万円未満なのだそうだ。そこから税金と保険料を払い、家賃を払い、電気ガス水道の料金を払い、あるいは通勤のための交通費を払い、残ったお金で食料を得て命を繋いでいる。子どもを養っている。努力をし、辛抱をし、懸命に生き抜いても、社会からは自己責任論で蔑みの視線を受ける。そうした暮らしや生き方というものが、どれほど寄る辺ない、絶望に苛まれる苦しいものであることか。カネに不自由のない右翼や新自由主義者や、個人で自立して生き抜く強い人格を持った者は、弱者が天皇の言葉に期待をかけるのを見て「天皇信仰」などと口汚く罵るのだけれど、この国の真実は、避難所生活に近い人々の群がいて、人々はどこかに心の支えとして見つめる焦点を求め、今はそれを聖人たる両陛下が担っているというのが現実なのだ。辺見庸の、ひょっとしたら正論かもしれない天皇批判が、よく人々の内面を刺激し、なるほどバッジが内在というのはおかしいなと覚醒を促すには、この国の人々はあまりに窮乏化しすぎ、人格の全体性と健全性を失い、弱く脆く小さくなりすぎたように思われる。自立が不全で精神が不全な現状では、辺見庸的な天皇批判はワークしない。

辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_1845350.jpg銀座を歩けば、夥しい数の中国人観光客が歩道を埋めて闊歩し、三越やLAOXで札束を捲き散らして喚声を上げている。丸の内仲通りを歩けば、若い米国人の夫婦が幼児をベビーカーに乗せ、なじみの高級ブランド店で買い物の日常を楽しんでいる。地方はどんどん人が減り、片っ端から店が潰れ、若い人が働く場所がなくなって逼塞の極みにある。自分は日本国民なのだけれど、この国で幸せに生きることはできないのか、この国で幸福に満たされるのは金持ちの米国人と中国人だけなのかと、そう項垂れて呻く日本人に、日本国民として認める眼差しを送り、生きる元気を与えているのは、思想的指導者である両陛下だけだ。災害弱者になっても、大丈夫ですよ、私たちが励ましに行きますよ、気持ちを強く持ちなさいと、言葉をかけてくれることを期待できるのは、聖人である両陛下だけなのだ。日本国民としてのアイデンティティの確認を、日本にいながらにして希求し彷徨せざるを得ない疎外された日本人。皇室が心の拠りどころになるのは、そういう、ナショナリズム(日本主義)に繋がる感情の問題も背景にある。東洋政治思想史を勉強した大学時代、当時の日本人はまさに元気いっぱいで、中産層としての物質的土台を個々が持ち、人格の全体性と健全性をよく保持していた。

丸山真男やマルクス主義の天皇制批判の正論は、正論として生き生きとアカデミーに内在してあり、その宿痾を超克する市民形成の課題と、日本の過去を切断する「新しい伝統」作りに挑戦する展望について、学生である私は疑いを持っていなかった。


辺見庸の「お気持ち表明」批判 - 象徴と内在、国民統合と国民の総意_c0315619_16392338.jpg

by yoniumuhibi | 2016-08-10 23:30 | Comments(9)
Commented by NY金魚 バーニー以降、陛下のオッカケ at 2016-08-11 05:21 x
◆ 辺見庸のほとんど暴言とも取れる言葉たちは、アンポ時代の全学連の闘士たちが「天皇制反対!」と叫んでいたことと比較すれば、さほど違和感なく受け取れます。が、極右の首相を戴く現代日本の状勢を鑑みれば、天皇陛下は明らかに、アベが掲げる好戦的な態度と対立されつづけ、常時平和憲法(9条)を念頭においておられます。このことはこのブログでもかなり頻繁に登場しています。
辺見庸氏は同世代の唯一敬愛する人物ですが「オキモチ」とは「お肝血」などとと言い切るのは、今上天皇の真意・意志をまったく無視した昭和のアナクロリズムだと思います。最下段で「極右大臣たちへの認証式を欠席すればよかった」というところで、辺見の「お肝血」の真意をかいま見ますが、それでもやはり論外。
◆ 今回の天皇の退位に関するお言葉は、アベ政権に対しての問題提起で、極端に虐げられた天皇という地位への問題提起です。象徴天皇であるが故に、政治介入はむろん、政治的発言すらいっさい許されず、憲法で国民が有する表現の自由は認められていない。天皇は象徴以前に一国民ではないのか。天皇制は一人の人間に非人間的な生を要求しているので「個人の尊厳」を核とする立憲主義とは確実に矛盾しています。生前退位の可否を論じることは、天皇陛下が抱えるこの問題を国民に突きつけたともいえます。
◆ 選挙に連戦連敗し、右翼たちは思うがままに横暴に振る舞っている。平和憲法が風前となり、大多数のリベラルがどうしようもない状態に追い込まれたいま、平和の最大の支持者で指導者、両陛下のメッセージをもう少しまともに受けとめる気風ができてもあたり前だと思うのですが… 妃殿下やご自身の実に鷹揚な「お言葉」のなかに、いまの日本に本当に稀な「真実」を観ています。
Commented by NY金魚 at 2016-08-11 11:14 x
◆ あまりの毒舌に、こちらが常軌を逸してしまい、辺見庸のブログの肝心な部分を飛ばし読みしていたので、主旨は変わらないが、多少言葉を補足します。「ポイントは『日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています』にあるのである。朕らはもはや象徴ではなひのだ」このことは世に倦む氏が最初に反論されている。現在の天皇は、憲法ができ上がったばかりの戦後期の「象徴」をもはや逸脱しているかもしれない。そこでだれかに、その「憲法違反」を問われれば、今上天皇は「象徴」を逸脱していて結構毛だらけ、と答える。(なんだか辺見節がうつりそうですね)
◆ 「どや、口腔部だか肛門部だかさえ判然としない顔の、あの独裁首相は『いきいきとして社会に内在し』てるか、どや?あの男は?」という箇所には大いに同意する。現首相にはもう少しだけでも(いままでの歴代首相のように)象徴に留まっていてほしい。
◆ 最後の部分「スメラギさんよ、あなたは虚構なのだ。虚構にすぎないのだ。卑怯で卑小な、ずるがしこい権力者たちがこしらえた、哀れなフィクションなのだ」、
であるとすれば、そのフィクションをひっくり返す現実的手段のスタートとして、今回の天皇のご発言がさらに活きてくることになりはしないか。
◆ 難解な辺見庸ブログ、解読してさらにコメントします。
Commented by 長坂 at 2016-08-11 14:14 x
國分功一郎さんが原武史さんの「玉音放送」を受け「日本のいちばん長い日」をTWされていたので U Tubeで2015年版を見た。ポツダム宣言から宮城事件、玉音放送までに繰り広げられる御前会議のドタバタ、迷走劇。怒りや悲しみを通り越し笑ってしまう。国民がぁ~は出てこない。国体がぁ~ばかり。その間日本人も敵国の人達もどんどん死んで行く。広島、ソ連参戦、長崎でやっと、やっと「国民をこれ以上犠牲にできぬ」に。昭和天皇は一家で岡本喜八版をご覧になったそうだが。
私達が皇室を敬愛し誇りと思うなら、満州国の傀儡にしたラストエンペラーや虐殺陵辱した朝鮮の閔妃や運命を弄んだ李王朝最後の皇太子の事も忘れてはいけないと。他国の文化や伝統を破壊しておいて、自国が安泰ならいいの?
Commented by 愛知 at 2016-08-11 20:06 x
私は、父方祖父がBC級戦犯でした。その祖父の弟、大叔父一家は岐阜の大空襲で、従伯父一人を遺し全滅。父方伯父3名は赤紙徴兵で南洋より不帰。母方祖父は日清・日露と赤紙召集(伍長)でしたが生還。母方祖母の弟(大叔父)は復員後、戦時中のインプラントの出来の悪さから2000年くらいになっても手術を受け。こんな子細な体験は、さして珍しくもなく。ほんの少し前、日本中のそこここで聞かれた話。むしろ平凡であり過ぎるくらいの回想。そうした立場からすれば、前回、今回の貴下解説を有難く思っております。

「お言葉」に関しては、東京大学政策ビジョン研究センター講師の三浦 瑠麗氏の解釈(山猫日記)に悶絶。―――私には、直後に短い会見をした総理の眼にうっすらと水の膜がかかっているように見えました。穿った見方かもしれません。(中略)天皇の独断も、多数の専制も、政治エリートの暴走も許さないということにほかなりません。―――統合性を欠いた氏の論をこれ以上引用しても意味がなく。この方も多くのエヴァ・ブラウンのお一人としか感じられず。

辺見庸氏の論も【1・9・3・7】増補版の愛読者としては残念です。まるでSEALs取り巻き学者の論のようで。辺見氏は貴下のように言葉を持たれた私たちの声の代弁者、バッジだと感謝しています。言葉を持ったバッジ(象徴)が生まれ育ちで差別されるべきではない。ランド研究所は今月既に日中戦争のシナリオをレポートしています。「お言葉」を巡って非戦派が論争していられる時間は残っていません。
Commented by 民主主義としての象徴天皇制 at 2016-08-11 22:59 x
天皇は人間である。生身の人間だということは、そこには必ず「生き様」があるということだ。その「生き様」=「行動のすべて」が、「恒久の平和を念願」した日本国民統合の象徴なのだ。
一人の生きている人間に「バッジのようであれ」というのは、根源的に無理な注文である。
そもそも、「社会に内在し、人々の期待に応えていく」ことをしないような人間が、「日本国民の総意」に基づく象徴の地位を得ることなど不可能ではないのか。
内在しない人間が象徴になるなどということはあり得ない。
もちろん、天皇制というシステムに、民主主義と相容れない危うさがあることは認める。
しかし、一方で、我々大衆の一過性の熱狂に、一瞬だけストップをかけ、冷静に考え直す機会を与えてくれるという機能が、この象徴天皇制にはあるのではないかとも考える。
そのことは、天皇が何か政治的な言葉を発するという意味ではない。
「日本国民統合の象徴」としての誇りを持った天皇の振る舞いを目にして、「ふと我にかえる」ということだ。日本人としての生き様を思い出し、恥じ入るということだ。本来の自分たちの伝統と文化に根ざした生き方を取り戻す契機になるということだ。そのモデルであってこその「日本国の象徴」なのではなかろうか。
Commented by 辺見庸にがっかり at 2016-08-12 15:42 x
辺見庸氏の文章、しばき隊の暴言ツイートかと見間違うような内容で心底がっかりしました。
毒舌だという指摘があるが、あれは下品なだけでしょう。
・・・というより”驕り”ですよ、「貧しき下々は~」はと、極右政権や共産党をはじめとするアホンダラ翼賛野党勢力の支持者らも見下しているんですからね。
昭和天皇崩御の頃、「民主主義に王様はいらない」的な論考をした小田実氏の方がはるかにスマートですよ。
彼はべ平連でKGBから金もらってたことを最後まで総括しなかったから、個人的には好きではないですけれどね。
Commented by 私は黙らない at 2016-08-14 13:06 x
大変興味深く拝読しました。実際、この数日、「内在化」という言葉が頭から離れませんでした。
今、日中関係が緊迫化する中で、目先の「生前退位」の是非を超え、皇室そのものの存在意義を問い直すことは大変重要なことではないかと思います。すなわち、民主主義国家の中での皇室とは何かという大変根源的な問題です。戦後、天皇の戦争責任をうやむやにしたまま、アメリカの思惑により皇室が存続し、「象徴」という枠が課せられた。
しかしながら、「象徴」とは一体何なのか、国民全員が納得するコンセンサスはあるのでしょうか。
政治には関与しない建前の天皇であっても、その存在自体、きわめて政治的なのではないかと思っています。なぜなら、たとえ直接政治的な発言をしなくとも、天皇がどのタイミングで、どこへ行き、何をし、何を言ったか、それ自体が大変政治的なメッセージだと思うからです。。沖縄へ行き、、災害の直後に避難所へ赴き、腰をかがめ、被災者に話しかける、談話の中で憲法へ言及する、それ自体が大変政治的なメッセージではないでしょうか。
Commented by 私は黙らない at 2016-08-14 13:08 x
(続き)だとすると、これは一面大変危険なことでもあるように思うのです。なぜなら、現天皇は、こうした平和への思い、弱者へ寄り添うお気持ちを大切になされている方だからよいのであって、こうした姿勢が子々孫々引き継がれる保証はあるのでしょうか。将来、日本の政治的風土が変わった場合、災害に合われた方の慰問でなく、地域紛争から帰還した自衛隊員の慰問になったりしないでしょうか。
私は、ブログ主様と辺見氏の議論の先に何が見えてくるのか、是非見届けたいと思います。
それと、辺見氏のブログは辛辣ですが、皇室に対し、辛辣なことを言える言論環境はとても大事なように思います。不敬罪がなくとも、皇室に対し、率直な物言いが憚られるような空気があるとしたら、それはとても恐ろしいことではないでしょうか。
Commented by オコジョ at 2016-08-16 00:27 x
高江や長崎のことを考えると、「不敬罪」は既に復活していると思われます。ただ、神聖不可侵なのは天皇ではなくて、安倍将軍であるのが現ヴァージョンでした。


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