SEALDs運動とは何だったのか - 社会は動かしたが政治は動かせなかった

c0315619_17564975.jpg辺見庸が9/27の日記でSEALDs運動を批判した。こう書いている。「だまっていればすっかりつけあがって、いったいどこの世界に、不当逮捕されたデモ参加者にたいし『帰れ!』コールをくりかえし浴びせ、警察に感謝するなどという反戦運動があるのだ?だまっていればいい気になりおって、いったいどこの世の中に、気にくわないデモ参加者の物理的排除を警察当局にお願いする反戦平和活動があるのだ」「ちゃんと勉強してでなおしてこい。古今東西、警察と合体し、権力と親和的な真の反戦運動などあったためしはない。そのようなものはファシズム運動というのだ」「国会前のアホどもよ、ファシズムの変種よ、新種のファシストどもよ、安倍晋三閣下がとてもとてもよろこんでおられるぞ。下痢がおかげさまでなおりました、とさ」「やるべきときにはなにもやらずに、いまごろになってノコノコ街頭にでてきて、お子ちゃまを神輿にのせてかついではしゃぎまくるジジババども、この期におよんで『勝った』だと!?だれが、なにに、どのように、勝ったのだ」。きわめて激越な批判だ。そして、辺見庸らしい挑発的な口調の、たまりかねた、見るに見かねて口を開いた正論と言っていい。昨夜(9/28)、SEALDs運動の親衛隊であるしばき隊の面々から、辺見庸に対して罵倒の雨霰が飛んでTwの小池空間は大騒ぎになったが、私はさすがに辺見庸だと思う。最後の知識人。



c0315619_1757176.jpgデモと警察との関係、お子ちゃまの神輿の問題、当を得た本質的な指摘であり、しばき隊が脊髄反射的にヒステリックな罵倒を浴びせた反応を見ても、この辺見庸の批判の衝撃の大きさが窺い知れる。蜂の巣をつついたように騒いで吠えているのは無名か匿名の者ばかりで、左翼リベラル世界で名の売れた定番の言論人は見当たらない。おそらく激震が走っているのだろう。佐高信とか有田芳生は、この辺見庸の批判をどう受け止め、どう対応することだろう。注目される。辺見庸が堰を切った形になり、率直で秀逸な言論が続き、SEALDs運動への内省や運動の敗北の直視の営みが始まることを期待したい。今、最も重要なことは、われわれはどうして負けたのか、何が問題だったのかを思考し、各自が答えを言葉にすることであり、総括の議論を深めることだ。希望はそこから生まれる。間もなく辺野古の闘争が始まる。そうなると、この5ヶ月間の記憶と関心は薄れてしまう。私は独自に仮説を提出していて、法案反対闘争がSEALDs運動に収斂されてしまったこと、憲法9条と憲法学者の立憲主義が運動の中核思想でなくてはいけなかったのに社会学系の「デモ=民主主義」が主役になったこと、運動の意味が途中でスリ替わったこと、政党(共産党)がそれに歩調を合わせたことが敗因だと結論している。SEALDs運動に対する検証が必要で、SEALDs運動とは何だったのかと確認が必要だ。

c0315619_17571375.jpg実は、一般の者にはSEALDsは馴染みがなく、突然現れたニューフェイスだったが、左翼リベラルの界隈ではSASPLは無名の存在ではなかった。赤旗東京新聞では、以前から紙面で何度も紹介されていて、秘密保護法に反対して運動を起こした立派な学生さんたちという評価と地位を得ていた集団だった。秘密保護法に反対する国会前デモには必ずバナー(横断幕)を持って立っていて、赤旗や東京新聞などの写真には必ず構図の一角を占める目立つ団体で、それらの媒体は、政治に関心の薄かった学生たちまでが遂に立ったという触れ込みで記事を書き、SASPLをクローズアップしながら秘密保護法反対の説得力の材料にしていた。今年5月にSEALDsに名前を変えて以降の彼らのマスコミへの売り出しは、2年前からの赤旗や東京新聞での「メディア戦略」の手法と成功を、そのままテレビ(TBS・テレ朝)と大新聞(朝日・毎日)に拡大したものだ。名前と場(機会)が変わっただけだ。覚えている方もいると思うが、秘密保護法が国会で成立したとき、若い学生が、民主主義が終わったのなら僕らが作り直せばいい、というような意味の発言をし、左系メディアやネットで取り上げられて話題になったことがある。そのときの学生が奥田愛基で、左翼リベラルの世界では安保法の政治戦の前から有名人だった。私がSASPLの面々を近くで見たのは、1月下旬に辺野古の座り込みに行ったときのことである。

c0315619_17572242.jpgこのときの印象が悪く、その後、ずっとSEALDsへの評価が好転しなかった一因になっている。厳密に言うと、一人だけ、沖縄出身で、その後Ryuku_SEALDsの中心人物になった男の子は感じがよかった。素直で、凜々しく、人を惹きつける風貌と存在感を放っていた。だが、彼の周辺にいた他の学生たちは、何やら人気者気取りで、芸能タレントのような業界ズレした態度のまま、恰も左翼業界の定番論者が本土から応援に来てやったぞという空気を感じて不愉快だった。この子たちの旅費は誰が出しているのだろう、大学の講義に出なくていいのかと訝しんだ。ちょうどそのとき、傍らに琉大の学生らしき感じのいい寡黙な男の子がいて、灼熱の太陽に焼かれながら我慢して一日中座り込みを続けていた。土曜日だった。後期試験の季節であり、必修単位である外国語の試験に苦労した過去を思い出し、この子は大丈夫だろうかと心配していた矢先だったので、東京から大きな顔でやってきて、有頂天でマイクを握っている学生たちの絵とコントラストになり、余計に印象が悪く残ったのだった。6月になり、最初はテレ朝の報ステで、次にTBSのNEWS23で、そして報道特集で、次々とSEALDsが特集され、普通の学生が安保法反対に立ち上がったと報道され、SEALDsの運動論とデモがマスコミ報道をオキュパイする。7月に入り、マスコミは憲法学者を背後に退かせ、SEALDsを反対運動の代表に押し出した。

c0315619_17573398.jpgテレ朝とTBSがSEALDsを法案反対の政治運動のシンボルに据え、赤旗や東京新聞と同じ丸抱えのスタンスで、言わばSEALDsと心中するような報道にシフトしたのは、この法案を断固阻止するという覚悟と方針があったからだ。安倍晋三を倒す真剣勝負に出たのであり、確実にこの政治戦を勝つという意思と目算があったことは疑いない。報ステとNEWS23は、3年前の官邸前(反原発)デモの報道と同じように、それを民意を代表する積極的なシンボルとして担ぎ上げ、組織や団体とは無縁の無色透明性を強調し、テレビの前の視聴者と同じ市民が自発的にデモをしている図だと説得、世論の支持を賛同をSEALDsに惹き集めた。テレ朝とTBSが、東京新聞と同じ政治的立場に立ち、同一の戦略戦術を共有して政治戦に布陣したのである。こうした戦略をマスコミが採択するに当たっては、私がSEALDsハンドラーズと呼ぶ者たちの工作活動の役割が大きい。地位のある大学教授なりのエンドースとサポートがなければ、テレビ局の報道部がわざわざ、どこの馬の骨とも分からない普通の学生を取材し、効果的な映像に編集加工し、繰り返し宣伝して社会現象にするような報道をするわけがないのだ。この戦略は6月は奏功し、世間の耳目を集め、SEALDsのデモに大衆の関心と期待を寄せた。この「メディア戦略」を契機にして、全国各地にご当地SEALDsが組織され、ママの会、学者の会の拡大のモメンタムに繋がって行く。

c0315619_17574279.jpgだが、SEALDsには政治を引っ張る言葉がなかった。リーダーの奥田愛基に言葉がなく、メッセージは同じ「何だー何だー」とか「あべーをたおせー」の単純なコールだけであり、とても9月まで反対運動の主役を張れる実力を持っているようには見えなかった。SEALD運動を企画立案し、これを反対運動の主役にして政治戦を勝とうと謀った仕掛け人たち(ハンドラーズと左系マスコミ)は、安倍晋三が9月下旬まで政治戦を引き延ばすと予想しておらず、8月上旬参院採決の戦略ロードマップだったのだろう。7月にかけてSEALDsは減価償却した。早い話が飽きられた。左翼リベラルの世界では、SEALDsについての教義と信仰はどんどん深められ、SEALDsは神格化され、絶対的な偶像になって個人崇拝されるようになったが、左翼リベラルの外側の住人たち、具体的には、安保法には反対で安倍晋三と自公に不信を抱く保守層の市民は、次第にSEALDsへの支持から離れ、SEALDsのデモへの関心と期待を失って行った。本来、SEALDsとハンドラーズが設計した戦略の想定では、SEALDsは無党派層のコミットを受けるべき表象であり、左翼リベラルでない保守に近い中間派の市民をデモに誘導すべき磁性体だった。デモ全体において、SEALDsはフロー(Non Political)を動員する役割であり、ベースロード(Mature Left)を供給する総がかりと分担する運動態勢だった。ところが、7月中旬以降、思惑とは裏腹にSEALDsのデモの人数は減少するのである。

c0315619_1757538.jpg一般の人々は、政治を見てないようで見ている。政治の裏にあるものを直観と経験則で感じ取っている。6月にSEALDsが賑々しくマスコミにデビューしたとき、保守層を含む多くの人々が、古館伊知郎が説明する額面どおりにSEALDsに好感して興味を持ち、少なからず期待を寄せたことだろう。が同時に、この子たち一体何だろう、裏の正体があるのかしらと半信半疑にも思ったはずである。誰だってテレビに出たい。テレビの主役になり、テレビ報道で持ち上げられて英雄になりたい。学生で政治運動をしている者は、右翼でも左翼でも無数にいる。どうしてこの子たちだけがスポットライトを浴びたのかと、誰もが疑問に思い、マスコミが隠している情報はないかとスマホで検索して調べたことだろう。現れたのは、右翼が調査して暴露したカウンター・プロパガンダの証拠写真であり、全労連の車とか、民青の幹部とか、そういう類のものだったため、何だそうだったのかと引いたということが推測される。反共宣伝は効く。私が引いたのは、中野晃一の呟きだった。記憶だけで恐縮だが、確か、7月15日の夜のデモの写真が翌日の朝日新聞の1面トップに出ていて、国会前の群衆全体が弾けて四方に散っているような特殊な絵の中心に焦点が当たった中野晃一が写っていた。その写真を中野晃一がTwで紹介し、あ、こんなところに僕がいる、というような雑談をしていた。それから暫く後に、朝日新聞が今度は堂々とデモ中の中野晃一をアップで撮って掲載していたことがあった。

偶然ではないだろうと思われる。記者と懇意であり、どちらが先に言い出したのかは知らないが、計画的に写真を撮って載せる相談になったのに違いない。APやロイターがデモを報道した記事は、どれも中身が同じで、それは赤旗も東京も朝日も毎日も同じ論調なのだが、まるでハンコを押したような「普通の若者が立ち上がったデモ」「新しい民主主義」の説明になっていた。SEALDsの学生の中で、英語でインタビューを受けて答えた者がいるだろうか。APやロイターのデモの報道は、記者が自分で取材して書いたものだろうか。私は、それはSEALDsハンドラーズによる情報操作ではないかと疑っている。SEALDs運動とは何だったのか。結論として、それは社会を動かしたが、政治を動かすことはできなかった。社会学系(脱構築)の運動だったからだ。「デモ=民主主義」のエバンジェリズムに成功したが、安保法(戦争法)を阻止することはできなかった。SEALDs運動の本来の目的が、戦争法を阻止することではなかったからだ。デモが自己目的だったからだ。


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by yoniumuhibi | 2015-09-29 23:45 | Comments(0)


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