8月30日のデモの決壊と小熊英二としばき隊 - フローのSEALDsの誤算

c0315619_1732975.jpg8月30日のデモについて議論が続いている。当日、私はネットの中継動画を午後1時すぎからずっと見ていた。カメラの位置は、国会正門前の交差点北東角の本部前で、報道各社はこのアングルでゲストスピーカーを撮り、ときおりカメラを動かして周辺の様子を捉える。最初に感じたのは、予想したほど警備が厳重でなく、ものものしい態勢でなかったことだったが、さほど気にとめずに動画を見ていた。異変が起きたのは午後1持37分頃で、どうやら北側の歩道が決壊したらしく、人が一斉に車道に出て前方に歩いてきた。本部カメラの位置だと桜田門方向の奥まで見通せないので、詳しい状況は不明だったが、意外に早い決壊ハプニングは、警備が手薄だったことと関係あるのかなと想像をめぐらせてもみた。集会開始は午後2時である。警察の様子を見ていて、特に厳しく規制して群衆を歩道に押し戻そうとする対処がなく、自然に決壊を許容していた感触があり、これは事前に高田健と警察の間で取り決めをしていたのかなと思ったのだ。午後2時前、高田健がマイクで注意を出し、正門前交差点の規制線を突破することのないよう、各自が現状位置で停止するよう案内があった。群衆もそれに従って動きが止まった。そのため、あ、これは最初からシナリオができていて、正門前の9車線道路を会場スペースにすることが、予め警察と主催者との間で打ち合わされていたのだなと、そう直感した。



c0315619_1731643.jpg大規模な集会なので、無理やり人を窮屈な歩道に押し込めると、規制する警察との間でフリクションが起きトラブルが発生する。怪我人が出かねない。それを案じた主催者と警察が、最初から道路開放を予定していたのに違いないと、そう事態の裏を推測した。だが、実際はそうではなかった。総がかり行動の方は、この動きは予想外のものだったのである。高田健のマイクのトーンは、決壊を意外と感じて狼狽するものではなく、むしろ肯定的なニュアンスで捉えつつ、ただし正門交差点の一線は越えるなよ、警察と揉めて暴力沙汰を起こすなよとけ禁止警告する指示だった。高田健個人の意識では決壊は歓迎なのだ。だが、総がかりの当初の計画では決壊は想定しておらず、だから、主催者ボランティアが警察と一緒になって桜田門で国会正門前への人の侵入を規制し、それ以外の場所への移動を誘導したりしていたのである。安全のために。あの歩道だけを過密に埋めると危険だから。総がかりの方の設計では、大人数を安全適正に分散するべく、主催者に近い団体系のデディケイテッドな部分は、日比谷公園や霞ヶ関や憲政記念館の周辺エリアに配置するプランだったのだ。国会正門前の歩道は、全国からこの日のデモをめざして集まる、熱烈なSEALDsファンの左翼リベラル系個人一般のために使わせるべく、事前に配慮されてデモ全体が組まれていた。個人でイベントに参加する者は、なるべく会場の中心(本部前)に接近したい。

c0315619_1733929.jpgその後のTWの情報では、決壊は、しばき隊が意図的に起こしたことが得意げに報告されていた。しばき隊メンバー仲間が、設置した鉄柵を繋ぐ紐に巻いていたガムテープを剥がし、鉄柵を動かしやすく悪戯したのだと内幕を明かしている。以下は、陰謀論の誹りを受けるかもしれないが、ひょっとしたら、公安警察としばき隊が事前に密かに腹合わせし、警備の薄い一点を手心して見逃していたのかもしれない。総がかりが警察と調整したのではなく、しばき隊が警察にネゴして黙認を得ていた政治なのではあるまいか。反原連と公安とが蜜月だという噂は、2012年の官邸前デモのときからTWで流れていた。当時、反原連は左翼系の諸方面と毎日のようにネットで悶着を起こし、激烈な抗争を繰り広げていた経緯があり、私はこれを都市伝説の類と等閑していたが、それから1年後の2013年12月の秘密保護法反対デモのとき、驚いたことに、しばき隊と公安警察(腕章を巻いた)が夜の国会前の歩道上で、人目も憚らず堂々と(今日のデモの)反省会のようなものをやっているのを目撃した。あれは採決前日の夜だったから、12月5日の午後10時頃だろうか。何と、そこに小熊英二がいたのだ。仰天させられた。と同時に、あのときに流れた噂はすべて本当だったのだと確信した。誰でも顔を知る権威の小熊英二がいて、小熊英二と公安幹部としばき隊幹部が立って会話する点を中心にして、十数人が輪を囲むように「反省会」が進行していた。

c0315619_1734954.jpgデモから一夜開けた8月31日(月)のNEWS23で、満を持してというべきか、小熊英二が遂にこの政局でテレビに登場した。私が見るところの、中野晃一と並ぶSEALDs運動の黒幕指導者。メッセージは、いつもの「デモ=民主主義」の持論の強調で、デモで政治を変えろという説教である。小熊英二は、「憲法守れ、法案反対、だけではあんなに人は集まらない」と言い、「民主主義って何だ」というSEALDsの民主主義の訴えに共感した市民が集まったのだと解説した。私は、この発言には幾つもの点で違和感を感じる。憲法が主役であり、戦争反対こそが市民の要求であった出発点が過小評価され、小熊英二のイデオロギーである「ライフスタイルのデモ」の定着と礼賛に意味が変換、回収されてしまっている。小熊英二のイデオロギーがSEALDsというシンボルに集約され、今回のデモが「デモ=民主主義」の理念を掲げた「日常生活の延長のデモ」だったという認識への納得と同意が迫られている。そして、「35万人」も集めたというデマがSEALDsから流され、60年安保の30万人の歴史を超えたなどという自画自賛がネットに横溢している。おそらく、「60年安保を超えた」という「達成」を言いまくることが、小熊英二としばき隊の眼目であり、そこに彼らの欲望と戦略があるのだ。点と線が繋がった。しばき隊がなぜ「35万人」説を流し、60年安保の30万人を貶める行動をするのか不審だったが、小熊英二の出現とコメントで謎が解けた気分がする。

c0315619_17405.jpgしばき隊が鉄柵を容易周到な作戦行動で取り除き、決壊を実現させたのは、60年安保の象徴である上空からの写真が念頭にあり、あのパノラマに匹敵する絵を作ることが目的だったのだ。それを新聞社のヘリに撮らせ、このデモの意義を誇大に宣伝することを狙った工作だった。法案を阻止するとか、安倍晋三を窮地に追い込むとか、そういう集会の政治目的が第一にあったのではなく、自分たちのイデオロギーである「デモ=民主主義」のエバンジェリズムが狙いだったのであり、踏み込んで生臭い動機を疑えば、丸山真男が指導した60年安保の偉業を数の上で超えたい小熊英二の野心が背景にあったと推察される。今回、「頭数になれ」と執拗に叫ぶデモの準主催者のこうした思惑が事前から見え隠れし、二の足を踏んだ者から見ると、しばき隊としばき隊スタディーズは、すでに8月の時点から法案廃止を諦めて後回しにし、8月30日のデモを標的にして次の段階への仕込みを画策していたように窺われる。次の段階とは、例えば、青土社の「現代思想」で「2015年安保」が大々的に特集されて言説が商売されるとか、その類の出版物が書店に並ぶという図である。その事業を効果的・説得的に成功させるためには、決壊して道路が群衆で埋まった写真がどうしても必要なのだ。8月中旬の時点で、内心では法案廃止の結果に持って行くのは困難と目測していた立場は私も同じなので、その点で運動の倫理的不当を彼らに問うつもりはないが、しかし、これではあまりに派利派略ではないか。

c0315619_1741154.jpgデモを報道したマスコミの写真は、どれもSEALDsにフォーカスしたもので、デモの報道はSEALDsが12万人を集めたという説明になっている。実際には、デモの参加者が撮った映像を見ても分かるとおり、団塊世代の男性が圧倒的に多く、どこを見ても白髪頭が目立つ絵ばかりが証拠として上がっている。若者はきわめて少ない。マスコミの記者がSEALDsの学生を被写体として追いかけ、それを記事の材料にし、SEALDsの成果と威光を賛美する伝え方にしている。実は、この安保法案反対運動の報道は、6月の最初からそういう形で組み上がっていた。反対運動の中の一つの団体であるSEALDsにマスコミが目をつけ、ピックアップし、アイドルのように絶賛評価して連日テレビで紹介し、国民的人気者にし、象徴として担いで運動を盛り上げるという展開になった。彼らは、2年前のSASPLのときは、例えば新日本婦人の会とか平和ネットワークとか9条の会といった、幟を立てて集会の一角に参加する「左翼系市民団体」の一つだったにすぎない。そのSASPLが、SEALDsと名を変えて安保法案の政局に登場した途端、急にマスコミが飛びつき、嬉々として華々しく持ち上げ、「党派と関係ない無色透明の普通の学生グループ」の化粧が施され、台風の目になった。シンボルとして今夏の運動の中心で後光を発する存在になった。SEALDsは、法案に反対するマスコミの意思が投影され外化した集団であり現象である。3年前の反原発のときの反原連に似ているし、また、出生を辿れば明らかに反原連のデリバティブだ。

c0315619_1742480.jpgSEALDsは、終始、マスコミ・ドリブン、しばき隊ドリブン、しばき隊スタディーズ・ドリブンの、黒子が動かすサポーター・ドリブンの集団と運動だった。日本の政治におけるシンボルの典型的な形態である<神輿>あるいは<飾り人形>である。辛口評価の私見を言えば、8月30日のデモは動員人数が想定より未達だった。私は小熊英二の見方とは全く逆で、定常的な左翼系(政党・組合等々)の団体はベースロードの人数積み上げに成功していたが、フローの部分、すなわち風で呼び込む - いわゆる自然発生的性格の - SEALDsの方が相当に見込み外れだったと分析する。ベースロードの方は9割方埋まったが、フローの方が想定の6割だった、というのが、12万人と数字を発表したときの高田健の無念そうな影の真実だったのでは仮説する。というのは、SEALDs主催の金曜国会前のデモは、7月15日のピークの後、徐々に人数が減っていたからだ。つまり、SEALDsのブームは7月上旬が瞬間風速の最高で、8月に入ってからはどんどん熱が冷めていたと考えられる。7月15日の夜のデモは、勤め帰りの30代から40代の女性が目につき、華やかな雰囲気を醸し出していたが、8月30日のデモには彼女たちの姿が少なく、団塊世代の白髪頭の男性がやたら多い。8月30日のデモは、朝日新聞や東京新聞やTBSは若者デモのように演出して報道していたが、光景は全く通常の左翼リベラルズのデモそのものだ。景色が変わって元に戻った。演出先行、マスコミ先行のSEALDsのブームがすぐに衰え、減価償却が早く進み、飽きられ、こうなったのではないかと私は理由を探す。

8月30日は主催者(総がかり)が見込んだよりフローの集客が少なく、SEALDsが呼び込むべき参加者が少なかった。小熊英二の考察は間違っている。逆なのだ。SEALDsは動員に失敗しているのである。デモは政治行動である。デモに出るということは、一人一人の個人にとって常に切実で厄介な問題だ。重い選択をしないといけない。負担と責任がかかる。出ないで後悔するときもあるし、出て後悔するときもある。通常、後者の方が多い。簡単に誰かの口車に乗って「ライフスタイルのデモ」などできないし、安直に「デモ=民主主義」のイデオロギーに共鳴して参加するなど到底できない。マスコミの絶賛と権威のエンドースとは裏腹に、SEALDs運動は政治的に成功してないのではないか。


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by yoniumuhibi | 2015-09-03 23:45 | Comments(0)


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