共産党の「安保容認」方針と東京新聞の改憲工作は表裏一体の政治か






安保法の政治戦は敗北した。敗北の後に来たのは、左からの改憲工作の衝撃である。左翼リベラルが変わろうとしている。集団転向が促されている。嘗て辺見庸は、共産党は本当に最後まで9条を守り抜くだろうかと、当時の感覚としては意外きわまる、どこからそんな発想が生じるのかと首を捻る、不思議な懐疑の一言を発した。詩人の予言が的中しつつあるのではないか。

by yoniumuhibi
| 2015-10-21 23:30
|
Comments(6)

「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。」
貴下前にご紹介の『復刊・あたらしい憲法のはなし』(童話屋)より抜粋。1947(昭和22)年8月2日文部省が発行した中学校1年用の
社会かの教科書。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。」
貴下前にご紹介の『復刊・あたらしい憲法のはなし』(童話屋)より抜粋。1947(昭和22)年8月2日文部省が発行した中学校1年用の
社会かの教科書。
0

桜井氏、前回の皆様のコメントは、9条に対する深い知識のみならず、熱い思いがひしひしと伝わり本当に素晴らしい!コピーして配りたいぐらいです。左からの改憲と言えば、第一条を思い浮かべる人間としては、今回のリベラル側から堂々と打ち上げられた新9条案はショックでした。この戦争法案のドタバタで、逆に「改憲すべきでない」が大多数を占めたので楽観視していたのに、なぜ今?たまたま読んだ戸坂潤の「この挙国一致なるものは、所謂自由主義者と自由主義反対者との相剋を止揚したものではなくて、前者を後者へと止揚して了うことなのだ。」を実感しているのだと。
アメリカの大統領候補のサンダースが人気で、ニューディーラー的な政策が注目されている今、その誕生は奇跡の日本国憲法をもっと世界にアピー
ルできたらと思います。
アメリカの大統領候補のサンダースが人気で、ニューディーラー的な政策が注目されている今、その誕生は奇跡の日本国憲法をもっと世界にアピー
ルできたらと思います。
「立憲主義」、私は憲法学は素人の分際ゆえ誤りあればご指摘ねがいます。
(1)について。
素人ながら調べてみた所、立憲主義にもばらつきが有るのが分かりました。
長谷部恭男
「近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組み」
樋口陽一
「権力に勝手なことをさせないこと」
長谷部恭男を紹介したサイト管理者
「立憲主義 とは、 誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想」
日弁連
「憲法は、国の最高法規として、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障することを目的とする」
「世に倦む日々」ブログ主様が指摘した「憲法は国家が守るもので国民が守るものではない」は、以下の所でも見受けられます。
伊藤真 「憲法という、国家権力が守らなければならない法をつくって、国民が権力を拘束することにしたわけです。憲法とは、国民の権利や自由、人権を守るために国家権力を制限するための法なのです(これを立憲主義といいます)
まとめれば、樋口陽一⇒日弁連の拡大解釈⇒以東真の拡大解釈⇒「国民が守るものではない」 今の「立憲主義」は、こんな流れになるかと思います。
日本国憲法は、前文から非戦の誓いを立てた、世界に先駆けた反戦平和主義憲法ですから、武力による戦争行為を条文として「認めない」と明文化しています。
それは「憲法は国家が守るもの」などとの言い訳がましい姿勢からは程遠い場所に立脚しており、そこに有るのは「国家が二度と戦争行為を起こさないよう釘を刺す」条文だと受け止めています。
これが、前回コメント(1)の「憲法の中に公権力を拘束する力は当然、存在する」に当たります。
(1)について。
素人ながら調べてみた所、立憲主義にもばらつきが有るのが分かりました。
長谷部恭男
「近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組み」
樋口陽一
「権力に勝手なことをさせないこと」
長谷部恭男を紹介したサイト管理者
「立憲主義 とは、 誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想」
日弁連
「憲法は、国の最高法規として、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障することを目的とする」
「世に倦む日々」ブログ主様が指摘した「憲法は国家が守るもので国民が守るものではない」は、以下の所でも見受けられます。
伊藤真 「憲法という、国家権力が守らなければならない法をつくって、国民が権力を拘束することにしたわけです。憲法とは、国民の権利や自由、人権を守るために国家権力を制限するための法なのです(これを立憲主義といいます)
まとめれば、樋口陽一⇒日弁連の拡大解釈⇒以東真の拡大解釈⇒「国民が守るものではない」 今の「立憲主義」は、こんな流れになるかと思います。
日本国憲法は、前文から非戦の誓いを立てた、世界に先駆けた反戦平和主義憲法ですから、武力による戦争行為を条文として「認めない」と明文化しています。
それは「憲法は国家が守るもの」などとの言い訳がましい姿勢からは程遠い場所に立脚しており、そこに有るのは「国家が二度と戦争行為を起こさないよう釘を刺す」条文だと受け止めています。
これが、前回コメント(1)の「憲法の中に公権力を拘束する力は当然、存在する」に当たります。

新9条に類する改憲案が出てくる背景には、護憲派が憲法違反を叫ぶ延長として「立憲主義」の思想を脈絡無く持ち出し、公権力を拘束するルール、だけを振りかざしてしまった。
「それならば、ルールを見直せば公権力はもっと拘束できる」と言う対抗論理に立ち向かう、日本国憲法のもう一つの論理を、護憲派自らが捨ててしまった。 これが(1)全体の補足であり、且つ(2)の改正案批判への前段になります。
コメント全体について
ブログ主様が指摘する「憲法は国家が守るもの=国民は守らなくてよいもの」とする定義に憲法を置いてしまうと、「憲法を守れ」の声は「国家権力」にだけ向けられ、国民と憲法との関係を裏打ちするものを失ってしまう懸念を持ちます。
護憲派が持つべきもう一つの論理とは、非戦・非武装という日本国憲法の精神に則った「憲法論」ではないかと思うのです。
世界に先駆けた反戦平和主義憲法は確かに理念・理想です。理想であるからこそ、その精神を置き去りにせず、通説立憲主義の負の側面、「国民が守るものではない」などとの愚かな認識を護憲派自らが捨て、「国民も遵守して欲しく請い願い」声を上げていかねば、第二第三の新9条が現れ、「ルールとして見ればその方が頑丈のようだ」の世論に押し切られ、国民投票が通り改憲がなされてしまう。 これが私の未来予測と懸念とコメント全体における本意です。
「それならば、ルールを見直せば公権力はもっと拘束できる」と言う対抗論理に立ち向かう、日本国憲法のもう一つの論理を、護憲派自らが捨ててしまった。 これが(1)全体の補足であり、且つ(2)の改正案批判への前段になります。
コメント全体について
ブログ主様が指摘する「憲法は国家が守るもの=国民は守らなくてよいもの」とする定義に憲法を置いてしまうと、「憲法を守れ」の声は「国家権力」にだけ向けられ、国民と憲法との関係を裏打ちするものを失ってしまう懸念を持ちます。
護憲派が持つべきもう一つの論理とは、非戦・非武装という日本国憲法の精神に則った「憲法論」ではないかと思うのです。
世界に先駆けた反戦平和主義憲法は確かに理念・理想です。理想であるからこそ、その精神を置き去りにせず、通説立憲主義の負の側面、「国民が守るものではない」などとの愚かな認識を護憲派自らが捨て、「国民も遵守して欲しく請い願い」声を上げていかねば、第二第三の新9条が現れ、「ルールとして見ればその方が頑丈のようだ」の世論に押し切られ、国民投票が通り改憲がなされてしまう。 これが私の未来予測と懸念とコメント全体における本意です。

マガジン9で雨宮処凛が連載している。
今晩、近くで雨宮処凛のトーク会が有ったので足を延ばしてみた。テーマは「貧困と戦争、平和と憲法」
行く前から、質問事項は持っていた。
1.新9条論をどう考えるか
2.国民投票、改憲を名言したSEALDsを今も信頼しているか。
トークも終わり質問コーナーが来たので上記2点をぶつけてみた。
1.の返答「伊勢崎氏や今井氏が言ってるあれでしょうが、詳しくは存じておりません」
マガジン9で想田和弘も加わってる事をつっこもうかと思ったが止めました。
2.の返答「信頼している。彼らの中に「護憲派・改憲派」があることも知っている」
デモ集会期間中にデモの場では改憲論を一切表明しなかった彼らでもか、これも突っ込もうかと思ったが止めました。
「世に倦む日々」様のブログをを引用すれば
>様子見している。日和見をして待機しているのである。口を差し挟めば、自分の意見を明確にしなければならない。「新9条」論に賛成か反対か、立場を決めなくてはいけない。常識で考えれば、提案の中身だけを判断すれば、平和憲法を否定する明文改憲に賛同できるはずもないのだが、想田和弘だの、伊勢崎賢治だの、左翼リベラル業界で人気のブランド文化人が提起した運動であり、定評ある東京新聞が担いだ取り組みだから、率先して異を唱えるのには躊躇を覚えるのだ。想田和弘や伊勢崎賢治には多くの信者がいる。言論業界での地位と人脈もある。「新9条」論を批判することは、これらを敵に回すことであり、関係を壊すことに繋がる。<
>現在の左翼リベラルの空気は、SEALDs信奉者にあらずんば人にあらずの熱狂状態になっていて、SEALDsを神として崇拝し帰依する宗教共同体のごとき環境になっている。SEALDsに近い者ほど価値が高く、遠い者ほど価値が低い。SEALDsやSEALDsに近い者への批判や陰口は厳禁で、肯定と賛美しか許されない。<
今晩、近くで雨宮処凛のトーク会が有ったので足を延ばしてみた。テーマは「貧困と戦争、平和と憲法」
行く前から、質問事項は持っていた。
1.新9条論をどう考えるか
2.国民投票、改憲を名言したSEALDsを今も信頼しているか。
トークも終わり質問コーナーが来たので上記2点をぶつけてみた。
1.の返答「伊勢崎氏や今井氏が言ってるあれでしょうが、詳しくは存じておりません」
マガジン9で想田和弘も加わってる事をつっこもうかと思ったが止めました。
2.の返答「信頼している。彼らの中に「護憲派・改憲派」があることも知っている」
デモ集会期間中にデモの場では改憲論を一切表明しなかった彼らでもか、これも突っ込もうかと思ったが止めました。
「世に倦む日々」様のブログをを引用すれば
>様子見している。日和見をして待機しているのである。口を差し挟めば、自分の意見を明確にしなければならない。「新9条」論に賛成か反対か、立場を決めなくてはいけない。常識で考えれば、提案の中身だけを判断すれば、平和憲法を否定する明文改憲に賛同できるはずもないのだが、想田和弘だの、伊勢崎賢治だの、左翼リベラル業界で人気のブランド文化人が提起した運動であり、定評ある東京新聞が担いだ取り組みだから、率先して異を唱えるのには躊躇を覚えるのだ。想田和弘や伊勢崎賢治には多くの信者がいる。言論業界での地位と人脈もある。「新9条」論を批判することは、これらを敵に回すことであり、関係を壊すことに繋がる。<
>現在の左翼リベラルの空気は、SEALDs信奉者にあらずんば人にあらずの熱狂状態になっていて、SEALDsを神として崇拝し帰依する宗教共同体のごとき環境になっている。SEALDsに近い者ほど価値が高く、遠い者ほど価値が低い。SEALDsやSEALDsに近い者への批判や陰口は厳禁で、肯定と賛美しか許されない。<

(続き)結果として、「世に倦む日々」様の見解どおりの返答でした。
結局、左翼界隈に足を突っ込んでる人達も、その「しのぎ場所」に異論を申せば干される、と言う事なのでしょう。左翼リベラルとは、反体制風を装い、左翼界隈に身を置き、それ風の言論を出せばメシが食える。そこでの言論なぞ、メシの種に過ぎない。
新9条を正面から批判する護憲派(左翼リベラル)が、未だに沈黙している理由を肌で感じたひとときでした。
「9条の会」が会合開いて「新9条」に対してどうすべきか、等とのん気な茶飲み話しとらんで、とっとと個人見解出さんかい、って言っても無理なのですね。
雨宮処凛女史が、若者の貧困対策にどこまで尽力してるのかは分かりません。
ご自身の出版物印税を救済に回してるのかもしれないし、ただ若者の貧困をトレースし本のネタにしてるだけかもしれない。もう、どちらでもいいような。ただ、本日のトーク会、参加者の7~9割は爺さん婆さんで、肝心の貧困なる若者は一人も居なかったのが、状況を物語ってると思います。
#ここからは「世に倦む日々」様のご判断に委ねる所です。
今日のトーク会、質問するに当たり私は実名で自己紹介しています。場所も特定でき、対象も雨宮処凛女史と明記しています。このコメントが公開された結果、起きる事の責任は全て私に有り、引き受ける覚悟ですが「世に倦む日々」様に思う所あるならば、非公開でも構いません。
結局、左翼界隈に足を突っ込んでる人達も、その「しのぎ場所」に異論を申せば干される、と言う事なのでしょう。左翼リベラルとは、反体制風を装い、左翼界隈に身を置き、それ風の言論を出せばメシが食える。そこでの言論なぞ、メシの種に過ぎない。
新9条を正面から批判する護憲派(左翼リベラル)が、未だに沈黙している理由を肌で感じたひとときでした。
「9条の会」が会合開いて「新9条」に対してどうすべきか、等とのん気な茶飲み話しとらんで、とっとと個人見解出さんかい、って言っても無理なのですね。
雨宮処凛女史が、若者の貧困対策にどこまで尽力してるのかは分かりません。
ご自身の出版物印税を救済に回してるのかもしれないし、ただ若者の貧困をトレースし本のネタにしてるだけかもしれない。もう、どちらでもいいような。ただ、本日のトーク会、参加者の7~9割は爺さん婆さんで、肝心の貧困なる若者は一人も居なかったのが、状況を物語ってると思います。
#ここからは「世に倦む日々」様のご判断に委ねる所です。
今日のトーク会、質問するに当たり私は実名で自己紹介しています。場所も特定でき、対象も雨宮処凛女史と明記しています。このコメントが公開された結果、起きる事の責任は全て私に有り、引き受ける覚悟ですが「世に倦む日々」様に思う所あるならば、非公開でも構いません。
メールと過去ログ
最新のコメント
今こそ「テニスコートの誓.. |
by 印藤和寛 at 09:18 |
総裁選で石破さんを倒すた.. |
by 人情味。 at 09:29 |
もし山上容疑者が安倍元首.. |
by 人情味。 at 21:23 |
杉田水脈なる人物は論評に.. |
by 住田 at 10:51 |
あれは15年程前.. |
by ムラッチー at 11:27 |
悪夢のような安倍政治から.. |
by 成田 at 13:03 |
ハーバード大学で比較宗教.. |
by まりも at 23:59 |
重ねて失礼いたします。 .. |
by アン at 17:48 |
安倍晋三のいない世界は大.. |
by アン at 13:16 |
今まで、宗教2世の問題に.. |
by さかき at 10:31 |
以前の記事
2022年 08月2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月