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村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1633412.jpg昨夜(8/13)のNEWS23を見ていると、ソマリアでNGO活動をしている24歳の男が出てきて、戦後70年談話について、その時代に生まれていない自分たちには責任がないと言い、戦後生まれの人間が過去の戦争について謝罪するのはおかしいと開き直る場面があった。NEWS23が戦後70年特集の一環として組んだ企画の中で、どうしてこんな右翼的な「若者」が紛れ込んだのか、事故なのか、それとも番組側の - 「対立」とか「両論」を無理に演出しようとする - マスコミ特有の作為なのか不明だが、安倍晋三批判の報道を期待して最近はNEWS23を見るようになった視聴者として、非常に不愉快な一幕だった。岡本行夫や瀬谷ルミ子の息のかかったNGOの関係者で、若さを売りにしてマスコミに出る機会を掴み、顔を売って出世しようという野心家だろうか。こんな人間が多すぎる。最近のテレビ報道は戦後70年特集ということで、戦争の真実を語る80代の高齢の人々の証言が多く出て、そちらの方に感覚が慣れていたので、こういう腹黒い若僧が登場するといつもの現実に引き戻されて気分を害する。こんな連中を引き立ててやって恩を売り、WinWinの昵懇の関係を作り、岸井成格は10年後も重鎮として地位安泰を図ろうとするわけだ。自分の商売のために「若者」に媚を売る。筑紫哲也の手法だった。



村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1634550.jpgたとえ侵略戦争であっても、その歴史は自分たちが生まれる前のことだから何の責任もなく、今の時代を生きている若い日本人がアジアの国々の人々に謝罪など必要ないという主張は、村山談話が発表された後から出てきて広がったもので、現在では一定の「説得力」を持った言説として論壇やマスコミでのさばっている。が、20年前にこんなことを言う若者はいなかった。それを人前で言い張るのは、ごく少数異端の自覚した右翼か、脱構築かぶれの左翼嫌いで自己主張したい一握りの非常識な若者だけだった。当時の状況を正確に振り返って、戦後50年の節目に政府が内外に宣言する歴史認識が、成文化されたあの中身はともかく、首相の名の付いた短い談話の形式に止まり、何やらインフォーマルな性格のこじんまりとした文書に格下げされたのは、私には大いに不満だったし、真ん中から左方面の世論の共通した反応だったと思われる。簡素で軽い感じの首相談話などではなく、格式のある政府文書の名前と形式にすべきで、内容ももっと濃く厚く、日本国憲法の精神を格調高い歴史哲学の表現で謳い上げるべきというのが、われわれ市民の期待したところだった。何より、事前の朝日の記事では、草案の起草を五十嵐広三が司馬遼太郎に依頼したという情報があり、わくわくして待っていたものだから、その分、失望が大きかった。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1635849.jpg1996年3月10日の、大阪中之島のリーガロイヤルホテルで開かれた「司馬遼太郎さんを送る会」の参列者の中に、梅棹忠夫や田中直毅など各界著名人と混じって五十嵐広三の姿があり、遺影の前に置かれた祭壇に菜の花を一輪手向ける儀式に控えめに並んでいた。司馬遼太郎に打診があったのは事実であり、草案作業に着手していたのも事実だろう。あのとき、われわれの念頭にあったのは、1972年の大平正芳による日中共同声明の前文、「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり」の重みのある一節の地平であり、それに並びそれを超える、崇高で芸術的な歴史認識の金字塔が打ち立てられることを熱望していた。1995年は司馬遼太郎が世を去る1年前だが、1990年代前半はまさに司馬遼太郎の時代であり、司馬遼太郎が指導者として日本の思想世界全体をグリップしていた時代だった。「村山談話」として発表された戦後50年の政府の歴史認識の声明は、何より韓国を特に意識したものであったということ、このことは何度も繰り返して強調しておかなくてはいけない。中国に対する日本政府の歴史認識は、1972年の日中共同声明で確定しているのであり、特に新しく正式で普遍的なものを中国が要求するということはなかった。国交正常化したときに締結した72年の共同声明こそが、日中関係の原則と前提を規定する基本法(憲法)である。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_164855.jpg韓国との間には、日本が謝罪と反省を表明した正式文書はなく、韓国の民主化と共にそれが求められていた。慰安婦問題が表面化したのは1990年代前半であり、河野談話は1993年に出ている。司馬遼太郎は、1989年に当時の大統領だった盧泰愚と青瓦台で会談していて、1970年代からの朝鮮文化研究の業績や啓蒙活動からしても、1995年の歴史文書を担う文責として十分の立場だったと言える。結局、蓋を開けてみれば、期待した壮麗な歴史哲学の文書にはならず、残念だったのだけれど、そこにはしっかりと「植民地支配」の文言が入り、「痛切な反省」と「心からのお詫び」の言葉が入り、今から見直して快心の傑作と呼べる内容に仕上がっている。外交文書としての村山談話の意義と成果の大きさは、BSフジの政治番組に出演した東郷和彦がよく語っていた。村山総理が個人的につぶやく形の談話だからよかったのだと、東郷和彦は言い、それがオランダとの慰安婦問題の解決に果たした役割を賞賛した。村山談話というのは、右翼に袋叩きにされながら、時代の風雪の中でどんどん価値を増し、評価を上げていった政治文書作品と言える。村山富市も同じで、この15年ほどは右翼化する世論とマスコミに卑しめ貶められる一方だったのが、昨年あたりから急に株が上がり、今では神々しく輝く平和のシンボルの如き存在になっている。凜々しく男を上げた。不思議なものだ。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1642025.jpgNEWS23に登場した、右翼思想に毒された24歳のNGOの男に言いたいが、1995年の村山談話というのは、まさに日本外交を未来志向にするために、区切りをつけるために、謝罪と反省の反復と往還に終止符を打つために、戦後50年という節目に打ち上げたものだ。何度も何度も、首脳会談などのスピーチやステートメントで謝罪を言わなくても済むように、1995年以後の若い世代にそういう負担を残さないように、ここで総括をして清算しようとして、橋本龍太郎や梶山静六や河野洋平らが決意した政治である。村山談話を閣議決定したときの閣僚名簿を見ると、平沼赳夫(運輸相)が、島村宣伸(文相)が、深谷隆司(自治相)が、森喜朗(建設相)が、大島理森(環境長官)が、江藤隆美(総務長官)がいる。極右である次世代の党の園田博之は、このとき内閣の官房副長官だった。錚々た顔ぶれが閣僚に名を連ねていて、すなわち、村山談話の閣議決定に署名している。反対していない。この面々は、ほとんどが今も政治家として健在だが、このときの署名責任をどう説明しているのか。確か、村山富市は、閣僚が署名を拒否する事態になれば自分が辞任(総辞職)する覚悟だったと証言している。総裁だった橋本龍太郎が積極的に賛同して党内取り纏めに動き、自民党の反対論を押さえたが、当時を思い返して、政界の一部から強い反発が上がったという記憶は全くない。明らかに国民的合意の政策だった。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1643380.jpgだから、20年後の今の日本の言論状況が不思議だし、村山談話の直後からの猛烈な右翼化が異常な現象に思われる。今から10年前の2005年は、もうすでに現在のように変わっていて、村山談話は思想世界のメインストリームで「左翼」の烙印を押されて異端になっていた。マスコミも論壇も十分に右傾化していた。95年当時、もし村山談話に反発する勢力があったとすれば、新保守・新自由を看板にして二大政党の一となるべく暗躍していた小沢一郎の新進党だったと考えられるが、2000年代後半以降の小沢一郎の左旋回により、この間の歴史的事実は小沢シンパによって隠蔽される形となっている。右翼からは、1995年6月の本会議決議についてその正統性を否定する議論が喧しいが、その決議を覆そうとする動きはなかったし、その後は誰が総理になり、どの政党が政権に就いても、村山談話を認めて継承すると言い続けてきた。村山談話は国是となって定着してきた。1996年頃からの状況を振り返って、右翼が急速に台頭し、マンガ右翼と「つくる会」が勢いを強めて論壇と出版界を席巻し、言わば思想世界のクーデターのような出来事が起きたが、関連して少し言っておきたいことがある。最近の反原連系の左翼は、店頭に並んでいる件の本を「ヘイト本」と呼び、決して「右翼本」とは呼ばない。反中反共の本も「ヘイト本」と定義し、民族差別のムーブメントがこの国を覆っているように言い上げる。脱構築(マイノリティ論)の視角で問題化する。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1644631.jpg右翼を右翼と正しく呼んで批判しない。だが、証言すれば、1990年代後半の日本の町の書店は、まさに今と同じ右翼本が店頭に積み上げられ、売れ筋のボリュームの中心だった。小林よしのり、渡部昇一、井沢元彦、櫻井よしこ、藤岡信勝、西尾幹二、長谷川三千子、西部邁、佐伯啓思、中西輝政、中嶋嶺雄、福田和也、秦郁彦、工藤美代子、田久保忠衛、岡崎久彦、日下公人、長谷川慶太郎、佐々淳行、落合信彦、日高義彦、黄文雄、呉善花、金完燮。名前を全部は書ききれないが、こういう面々の本が店頭を埋めたのが1990代後半で、金融危機の経済情勢下、歴史修正主義が燎原の炎のごとく広がり、世の中は一気に右翼化とネオリベ化(グローバルスタンダード)に染まって行った。21世紀に入った小泉政権の頃は、論壇は「右翼にあらずんば人にあらず」が常態になっていて、右翼に抵抗する人間が稼ぐ現場は消えていた。反右翼の言論が生息できる環境はネットにしか残されていなかった。インターネットが商用化されて一般化するのがこの時期で、私もダイヤルアップのときにプロバイダと契約してHPを制作する。未だブロードバンドは普及しておらず、2chも立ち上がっていない。この時期、1990年代、論壇と出版界は右翼が猛威をふるっていたが、アカデミーを席巻していたのは脱構築で、今、名誉教授様になり、SEALDsの集会に顔を出して油を売り、位人臣をきわめておられるお偉方が学界で大活躍していた時期である。

村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1645825.jpg位人臣をきわめる前に、セクハラ問題でずっこけた阿呆もいた。この人たちは、マルクス主義と戦後民主主義を叩くのに余念がなく、来る日も来る日も丸山叩きと大塚叩きをやり、戦後社会科学の否定と撲滅に血道を上げ、丸山は終わった、大塚は古いと罵り続けていた。政治学の方面では、ひたすら「政治改革」の神を礼賛し続けていた。彼らは右翼批判はやらなかった。関心がなかった。丸山は終わったと、20年前にそうほざいていた奴が、今、60年安保の意義がどうのこうのと言っている。脱構築は非政治主義が売り物で、どんどん右傾化する世の中を見ながら、二項対立の冷戦思考は古いとピント外れを言い、右もだめだが左もだめと言って相対化言説ビジネスに余念がなかった。村山談話の時代の空気感(イデオロギー状況)を説明しようとして、すっかり脱線してしまったが、NEWS23の24歳の男に言いたいことは、若い世代は戦争には責任がなく謝罪の必要はないという態度では、中国や韓国の人々と正しい未来志向の関係は築けないということだ。彼らには彼らの親がいて、戦争で犠牲になった祖父や祖母がいる。植民地時代の屈辱を経験した者がいる。われわれは、69年前の憲法を真剣に読んで守らないのといけないように、20年前の村山談話を引き継がないといけない。69年前の日本国憲法が現在の自分自身の問題であるように、20年前の村山談話も自分自身の問題であり、自分と無関係の文書ではないのだ。それは、20年後の若い世代も、30年後の若い世代にとっても同じである。

村山談話を基本に置かないと、未来志向の関係は永遠に組めない。


村山談話と1990年代後半の空気感 - 未来志向のための前提と基礎_c0315619_1651226.jpg

by yoniumuhibi | 2015-08-14 23:30 | Comments(3)
Commented by 愛知 at 2015-08-14 20:12 x
NEWS23出演(演出か)の24歳は幸い見逃しました。本当にテレビ局には右左を切り替えるスイッチャーがいるのかと他の番組を見ていても疑います。さきほど誤って70年談話を見てしまい、御ブログに接するまでひどい吐き気に苛まれていました。ご指摘のように谷口稜曄さん、赤崎勇さんの言や映像に浸っていたため、ギャップがあまりにも大き過ぎました。「顔のない国と言われてあたりまえ心すらない国の機関に。」大昔、外国から働きに来ていた友人が逮捕され、面会に通っていたときの印象と同じです。気味悪い顔がはっきりしてきたという違いはありますが。前に書いたと思うのですが、村山談話の前。出張先のソウルで旧日本軍軍属か軍人の方に戦争責任を問われたので、祖父や親の代のことは自らの責任であるとホテルのロビーで土下座しました。それが当然のことだと今も認識は変わりません。統合性を欠いた談話の主は「戦後から70年」とほざいており、英語のみならず日本語も流暢ではないことが露呈。右であれば終戦の英断から70年、私のような普通の市民からすれば解放から70年だと思います。談話の主の顔はサンダーバードの人形よりひどい動き。あの映像が海外で流れるのかと思うと、こねくりまわしただけ、戦争法案通したいだけの意味のない文章より日本の品格が疑われます。原発の再稼働させときながらの、まさかの核の廃絶。だったら運ぶな、です。ネットで知ったのですが外務省とは無縁でミンダナオ島で農業の手伝いをされている方が、比米日3国の共同軍事行動は既定路線であり、たとえ日本の政権が代わっても揺るぎそうにないという印象だと。今もミンダナオ島では子供を躾けるとき「日本軍が来る」と。恥ずかしい限りです。記事でご教授の日中共同宣言前文の「一衣帯水」は、どこへ消えてしまったのかと。今上陛下のお言葉に期待し、その先は市民のパワーだけです。
Commented by 厨子王 at 2015-08-15 00:14 x
金曜日14日の朝日新聞にドイツ文学者池内紀さんの論考が掲載されていたす。まるで安倍晋三の「談話」を狙いすましたような警句。思わず安倍晋三の米国議会での気恥ずかしくも国辱的な英語演説を思い出した。

(以下引用)
時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの三つがあるような気がする。
 1、主題をすりかえる。
 2、どうでもいいことにこだわる。
 3、小さな私的事実を織りこむ。
Commented by amadei at 2015-08-15 20:59
2. amadei2015-08-14 21:30X
《たとえ侵略戦争であっても、その歴史は自分たちが生まれる前のことだから何の責任もなく、今の時代を生きている若い日本人がアジアの国々の人々に謝罪など必要ないという主張は、村山談話が発表された後から出てきて広がったもので、現在では一定の「説得力」を持った言説として論壇やマスコミでのさばっている。》
戦争中のことは、戦後世代の私たちがしたことではないというのは事実であるが、だからと言いって日本という国家が犯した過ちもまた、許されることかできない事実である。

安倍晋三の今日の談話はまだきちんと聞いていない。彼の発する言葉に心が込もっていない。国民に対する誠実さが全く感じられない。今日の談話も美辞麗句を並べ、無難な談話だったのであろう。

8月9日の長崎平和式典での谷口稜曄氏のスピーチには圧倒させられた。掠れた声で絞り出すように反核と安保反対を訴えてた。何年か前に氏がなんらかの番組で反核を訴えているのをみた記憶はあるが、今回はそのとき以上に全身全霊を込め、氏の平和に対する魂の叫びであることを感じた。

我々戦後世代の受け止め方と行動でこれからの日本の未来が決定づけられるということを強く感じている。


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