『君たちはどう生きるか』のブーム - 若者にはこう読んでもらいたい

c0315619_14332614.jpg吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』がマンガ化され、ベストセラーになっている。amazonの総合ランキングで1位になっていて、岩波文庫のオリジナルの方も文庫のランキングで上位に入っている。先日、宮崎駿が新しいアニメの題名を「君たちはどう生きるか」にすると発表したことも、このブームに拍車をかける一因となった。若者の間での宮崎駿の影響力は圧倒的だ。ただ、出版の世界で大きなトレンドになっているほどには、マスコミがこの状況を話題にしていない。テレビの報道番組で本が紹介される機会に接しない。やや奇妙な感じがするし、安倍晋三と菅義偉が統括支配する世界だから不思議ではないなと思い直したりもする。この古典は、日本の戦後の教育の根幹に位置する作品だ。戦後民主主義を担う精神のカーネルを養成するべく、中学生になる子どもに読ませてきた教育書で、倫理を学ぶ物語である。われわれの世代において、子どもの頃、この本は空気のようなもので、周囲には「おじさん」のような教師が少なからずいて、われわれにコペル君のような精神的成長を促していた。私もその教育過程の通過儀礼を受けた一人だけれど、当時、この本に特に大きく影響を受けたという実感はない。なぜなら、周囲の環境が、学校も、マスコミも、悉く「君たちはどう生きるか」的であり、吉野源三郎の思想を基調とし骨格とした倫理的空間だったから。



c0315619_14343160.jpg今回の『君たちはどう生きるか』のブームを、今のアカデミーがどう意味づけ、どう説明するか、私は興味を持って様子を窺っている。本を売っているのは岩波書店で、岩波には商売繁盛で大きな利益が入る。だが、今の岩波の思想とこの本の思想とは180度異なるものだ。今、岩波が売り出している文化人の主義主張、思想信条は、一言で言えば脱構築主義であり、戦後民主主義と戦後社会科学を否定した地平だと断言できよう。80年代末から90年代初にかけて、東大岩波は大きく思想的転換(転向)を遂げ、マルクスとウェーバーから離脱し、丸山真男と大塚久雄を乱暴に無意味化し始める。丸山真男と大塚久雄に対して「国民主義」のレッテルを貼って唾を吐き、「西洋中心主義」だとして卑しめ、丸山真男と大塚久雄の領導の下で形作られていた戦後民主主義の政策世界を「総動員体制」とか「護送船団方式」と呼んで貶めた。その否定と攻撃の言説は、右翼新自由主義側からのそれと全く同一だった。その潮流に乗ってのし上がった脱構築の新しい神々が、姜尚中(マイノリティ)であり、上野千鶴子(ジェンダー)であり、元締たる大御所が大塚門下生のユダたる山之内靖である。卸元は岩波書店。戦後社会科学の総本山だった東大岩波は、一瞬で脱構築の伏魔殿となった。山口二郎と佐々木毅の「政治改革」も、こうした思想潮流が政治学に派生した流れに他ならない。

c0315619_14354202.jpg吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、戦後民主主義のバイブルのような本だから、それが再興して流行した市場の現実というのは、現在の、特に左翼の業界と常識を牛耳っている脱構築屋たち - ジェンダー・マイノリティ・カルスタ・ポスコロ - からすれば、自らの存立に関わる危機的局面の出現であり、緊張して対峙すべき非常事態の到来だろう。この本で書かれていることが何か、この本をどう読むべきかは、付録の丸山真男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」に、簡潔に絶妙の筆致で纏められている。この本を大人が読んで理解すべき内容は、丸山真男による23頁の文章で見事に総括されている。何度読んでも、この「回想」には心底から感銘を覚え、勇気を得て落涙するし、幾度も幾度も、この「回想」の一言一句を確認したくなって頁をめくってしまう。私にとって聖書の啓示に等しい。短い文章だから要約するまでもないが、大事なことが二つ書かれている。一つは、客観的認識と主体の関係の問題だ。こう言っている。「世界の『客観的』認識というのは、どこまで行っても私達の『主体』の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ - その意味でまさしく私達が『どう生きるか』が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの『学説』に託して説こうとしたわけです」(P.317)。

c0315619_14355790.jpg「地動説は、たとえそれが歴史的にはどんなに画期的な発見であるにしても、ここではけっして、一回限りの、もう勝負が決まったというか、けりのついた過去の出来事として語られてはいません。それは、自分を中心とした世界像から、世界のなかでの自分の位置づけという考え方の転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、何度もくりかえされる、またくりかえされなければならない切実な『ものの見方』の問題として提起されているのです。(略)地動説への転換は、もうすんでしまって当たり前になった事実ではなく、私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かねばならないきわめて困難な課題なのです」(P.316-317)。この教説は真理として重く響く。特に、ここから私が想起するのはインターネットと知という問題で、われわれは、必要な知識や情報はすべてネットの中に貯蔵されていると思い込み、ネットで頻回に参照され検索で上位に並ぶ情報を拾っていれば、社会生活の上で間違いのない認識や判断が得られるものと前提する態度が身についてしまっている。丸山真男がここで批判している現代人の知のあり方以前のレベルに劣化している。真実を知るということ、事実を正確な像にして概念整理するということは、主体のダイナミックな営為であり、そこには、先行して問われるべき責任の問題があり、倫理の問題があると丸山真男は言っている。内省と謙虚さが必要だと言っている。

c0315619_14370162.jpg丸山真男らしい思想の奥義であり、丸山真男はいつもこうであり、既成事実に屈服するなと説いた「『現実主義』の陥穽」の叙述を思い起こすし、それからまた、マルクス主義の土台・上部構造論とカント・ヘーゲルのドイツ観念論との間で、認識の方法の問題で「宙ぶらりん」になっていた若い丸山真男が、ヴィンデルバントやリッケルトなどの新カント派に新しいヒントを見出したと回想した「思想史の方法を模索して」(第10巻)の議論を想起させられる。二つ目は倫理の問題で、言いたいことがたくさんあるが、これについてはまた別に稿を改めたい。また、キーポイントとしてのマルクスの「生産関係」の概念について、私なりに指摘したい論点があるが、これも別の機会に詳しく論じることとする。その前に言いたいことがある。今、『君たちはどう生きるか』のブームを前に懸念するのは、現代の日本人の本の読み方、本に対する接し方という問題だ。『君たちはどう生きるか』が流行して売れるのはよいことだが、買った者は実際のところどういう読み方をするのだろう。丸山真男の「回想」のような思考の深みまで読書が及ぶだろうか。ピケティの『21世紀の資本』もバカ売れしてブームとなり、テレビで著者が引っ張りだこになったが、結局、きわめて商業的で市場的な現象に終わり、みすずがボロ儲けしただけだった。「格差はよくありません」という皮相的な一般論が流れて終わり、読書した者の政策構想に繋がるということがなかった。

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商品を消費しただけだった。今回の『君たちはどう生きるか』のブームは、読書した者の心に響き、内面を改造するところまでの契機になるだろうか。そうした感動の声が上がり、主体性を創出し、現実を根本から変えなくてはいけないという情熱を生み出す地平に繋がるだろうか。今の若者がこの本を読んで率直に感じるはずのことは、いい内容でストレートに共鳴できるという積極的な反応ではなく、むしろ齟齬や違和感の方であり、あまりの価値観の違いに素朴に面食らうという感想だろうと私は思う。価値相対主義の態度が当たり前に教育されている脱構築の世代は、『君たちはどう生きるか』を読んで、押しつけがましさや上からの説教っぽさを感じて当然だし、何よりそこに、絶対悪だと大学の脱構築教育で教えられてきた「西洋中心主義」や「近代主義」を見つけるだろう。脱構築の側からすれば、吉野源三郎のこの教科書こそ、丸山真男と並んで、悪しき「近代主義」と「西洋中心主義」の権化に他ならない。ニュートン、ナポレオン、ガンダーラ美術(ギリシャ彫刻)、コペルニクス..。まさに「近代主義」のアイテムが並んでいる。いじめと倫理の問題についても、現実の教室空間でそれを生にくぐり抜け、見て見ぬフリの教師やその無責任を制度的に「保障」している現在の学校のあり方とか、場合によっては消極的加害者としていじめに加担してきた経験を持つ若者が、それをどう受け止めるかは、決して楽観的な予測はできない。

c0315619_14383777.jpg弱肉強食の新自由主義社会で生きていて、それを肯定し合理化するイデオロギーとプロパガンダで毎日洗脳され、新自由主義の原理に納得し順応する人格形成を遂げてきた今の若者が、簡単に吉野源三郎に共感を覚えてくれるかどうか、私は怪しく思い、今回のブームを斜に構えた視線で眺めている。正直なところ、マンガの方は面白くなかった(作画の技能に不満がある)。むしろ、読書した若者に素直に口にして欲しいのは、違和感の方であり、自分と本(古典)との間の距離感の方である。そして、そこから知って欲しいのは、この本がまぎれもなく戦後民主主義の聖書的な位置にある教育読本であり、この指導が戦後日本の若い主体を育成し、この倫理思想が背骨になって戦後日本社会が築かれたという事実だ。つまり、それだけ日本がどこかで大きく変わってしまったということであり、変わった果てに今の所与の現実がある。さらに踏み込んで、読者の一人一人が答えを出さないといけなのは、どちらの価値観が正しいのかということだ。ギャップを感じ、緊張感を覚え、そこから思想の違いを考え、価値観の選択をして欲しいと思う。今の日本の常識が間違っていて戦後日本のそれが正しかったのか、それとも今の価値観が正しくて、吉野源三郎の教育論や人間観が間違っているのか、判断をして欲しいと思う。そういう読み方をしてくれたら、このブームは成功でよかったということになると私は思う。どうか、掘り下げた読み方をして欲しい。

上っ面を舐めて、市場のブームに消費者として軽く参加して、岩波書店を儲けさせて終わりではだめだ。

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by yoniumuhibi | 2017-11-25 23:30 | Comments(3)
Commented by NY金魚 at 2017-11-27 07:08 x
宮崎駿が次回長編タイトルを『君たちはどう生きるか』にしたのには、大きな意志があったと思います。何世代もの子どもたちを観つづけて、子どもたちのためにアニメ映画を創ってきた宮崎の、現政権に対する渾身の怒りを感じます。
3-4年という製作期間を考えるに、あるいはアベによる改憲の国民投票までには間にあわないかもしれません。子どものとき、戦争時代の真っ只中をすごした宮崎にとっては、盧溝橋事件の年に出版されたこの本が、生涯の『どう生きるか』の答えだったのではないでしょうか。その最悪の時代にかろうじて表現された自由と倫理の物語は、何ものにも変えがたいやさしさと理念を持っています。それは吉野源三郎と丸山真男と宮崎の戦争時代の共通体験から、たとえようのない人間としての美学として巣立ったのだと思います。丸山は『資本論入門』と位置づけましたが、そんな小さな枠組みをとうに越えた物語ではないでしょうか。次の子どもたちが成長したあと、すべての意味で大きく羽ばたくための大きなエンジンになると思います。
宮崎は前作で、ゼロ戦好きは好戦派、などという馬鹿馬鹿しい汚名を着ましたが、ろくでもない。
もし日本にバーニー・サンダース的な大きな民主社会主義運動が立ち上がるとすれば、宮崎駿を絡めてでしかないと確信しています。宮崎の次回作を見た次世代の子どもたちが、美しい意識と強い理念を持ちながら育っていきますように。

Commented by 七平 at 2017-11-28 02:25 x

(1の2)
小生は漫画も含めて読書家ではなかったので、ブログ主さんがTweetで羅列された漫画家で記憶にあるのは、手塚治虫だけです。 丸山真男や司馬遼太郎の名前は知っていますが、彼らの本を手にした事はありません。中学校の夏休みの宿題で夏目漱石や山本有三の本を読んだのは覚えていますし、宿題以外では、高校時代に 蟹工船 や 人間の条件 を読んだのもはっきり憶えています。 哲学的な本で私の人生に影響を与えた本は、”幸福の探求” と題された本でした。 その本は ”他人の目を通して自分を見ない事” の重要性を説き、私を当時の既成概念から解放してくれたと言っても過言ではありません。1971年、当時17歳で単身渡米した後に、山崎豊子と山本七平の著書は面白くて全て読んでいます。

次世代の日本人、若者にどうい生きるのか?の問題提起をし自問自答を促すにあたり、漫画を使わないといけないとは情け無い話だと思います。無論、何もしない又、勧めないよりはましですが、苦い薬を飴に包んで飲ませるようなものだと思います。 17歳で日本を出た私が言うのは妙な話ですが、漫画の氾濫は、美しい文語体の日本語を、舌切り雀が使うような口語体に変貌させてしまい、長文を扱え無い日本人を増やしたのではないかと考えさせられます。実際、本ブログサイトに掲載されている記事を日本の若い人が解読できているのか心配です。 Tweeter や Facebook を媒体とするコミュニケーションが増え、同様の現象が英語の世界でも感じられます。 まともな英語を書けないNative Speakers が特に若年層で増えています。 

Commented by 七平 at 2017-11-28 02:26 x
(2の2)
日本の将来を考えると、究極的にたどり着くところは次世代の日本人を如何に育てるかの教育にあると思います。 時代に逆行して、教育勅語や類似思想をたたき込み シロアリ人間社会 の一員とするのが良いのか、各個人の ”幸福の探求” をメインテーマに各個人の特技、特徴を伸ばす事を優先させた方が良いのか、まず、日本人の大人が一考する必要があると思います。 言うまでもなく、小生は後者を望み有言実行して今までの人生を歩んでいます。 中学生のころに先に見え始めた人生に不満不安を覚え、悩み、考え 解決策を模索したのを思い出します。中学2年生から受験勉強に参加する事を全面的に拒否し、自分で自分の行きたい高校を選び、”夢” を追いかけ始めたのが出発点でした。

家内と協力して何とか娘二人を立派に育て上げた見地から言える事ですが、子育て、教育は、子供が生まれた時から始まり、両親そろって協力しあっても難しいものです。 家族揃って夕食も共にできないような社会体制は、親になるべきではない親を育ててしまいます。 子供に進路や夢を示してやれない親です。  国民全体が目を覚まして、GNP や GDP より、幸福指数 の方がはるかに重要である認識を強め、改善して行かねば悪循環は断ち切れないと考えます。




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