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共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15362298.jpg今回の衆院選で最も大きく惨敗したのは共産党で、議席を21から12へとほぼ半減させる結果となった。2013年から続けてきた党勢拡大が止まり、深刻な後退の局面を迎えている。比例得票数は440万票。ネットやマスコミでは、枝野幸男の立憲民主党に風が吹き、その影響を受けて比例票を奪われたためだという見方が一般的だ。共産党の支持者からは、立憲民主党の選挙区での当選を助けるために候補者を降ろした共産党の自己犠牲は立派だという類の、何やら敗北の真因を直視することから逃避する美談工作的な自画自賛の弁も横溢している。しかし、もし選挙区での候補者を降ろすことが比例区での得票減や議席減に自動的に繋がるのであれば、そもそも共産党の「野党共闘」作戦は最初から自滅の戦略だったということになり、戦略が間違いだったという結論になるだろう。昨年の参院選では全国32の1人区で「野党共闘」を実現させたが、共産党は比例で601万票を得ている。4年前の2013年の参院選での共産党の比例票は515万票で、このときは「野党共闘」はなかった。共産党は単独で全国に候補を立てて戦っている。2016年と2013年の二つの参院選を比較して言えば、「野党共闘」のために選挙区で候補を降ろしたことが、必ずしも比例の得票減を招いた原因だとは即断できない。



共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15363376.jpgここで、過去8年間の選挙での共産党の比例票の推移に注目しよう。2009年衆院選は494万票、2010年参院選は356万票、2012年衆院選は368万票、2013年参院選は515万票、2014年衆院選は606万票、2016年参院選は601万票、2017年衆院選は440万票、以上である。2012年に民主党政権が崩壊して5年、第三極なるまやかしの諸政党が浮薄で愚劣な栄枯盛衰を繰り返す中で、共産党はリベラルの受け皿となって党勢を順調に拡大していた。比例票の変化を観察すると、2013年から2014年にかけて大きく得票を伸ばしてることが分かる。2013年6月の都議選で共産党は議席を倍増(8→17)させ、ここから共産党の快進撃が始まった。2014年2月の都知事選では宇都宮健児を担ぎ、細川護煕を凌いで次点の座を得たことは記憶に新しい。この頃から、下野後に低迷を続ける民主党や離合集散する第三極に代わって、反自民・反安倍の旗幟鮮明な共産党が期待を集めて台頭し、野党側の政治をリードする構図が出来上がっていく。その流れが頂点に達したのが、2015年夏の安保法制の陣を契機とする「野党共闘」の展開であり、「国民連合政府」構想と2016年の参院選での1人区の経過と結果だった。共産党の党勢がピークに達した瞬間である。

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15364421.jpgブログの読者の皆様はよくご存じのとおり、私は2015年秋の時点から、共産党と民主党の「野党共闘」は野合だと批判し、打算と利害だけの「愛のない結婚」だと比喩し、その破綻と崩壊を予言し続けてきた。その言論のゆえに、私はしばき隊や左翼から猛烈な誹謗中傷と罵詈雑言を浴びてきて、リベラルの論壇の中ではすっかり異端で孤立した立場となっている。共産党が「野党共闘」を言い出し、その政治に動いてまだ2年しか経っていない。今では「野党共闘」を疑う者はいないが、私は最初からカッコ付きで文中で表現して不審視していた。この戦略は、安保法制の廃止が名目となっているけれど、実際には共産党の党利党略の動機から案出されたもので、共産党の下駄票を渇望した落ち目の民主党が乗っかってきたものにすぎない。理念の一致は脇に置かれていた。そもそも、民主党は「政治改革」によって誕生した政党であり、日本における小選挙区二大政党制の完成が至高の目的であり、その理想とする政権交代システムの中に共産党の生息は認められていない。共産党の存在は原理的に否定され排除されている。それが民主党(民進党)の「政治理念」であり、二党は水と油だった。だからこそ、岡田克也が2年前に「野党共闘」に靡いて以降、党内では党の原点に戻ろうとする動きが活発となり、反共の右バネがはたらき続けたのである。

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15365787.jpg基本政策が一致していない政党の共闘関係は長続きしないし、国政の場で一つのブロックを組むことは難しい。同じ政党の中でも、二つの派閥の理念・政策が一致してない場合は、民進党(民主党)のように抗争を続けて分裂解党してしまう。現在、マスコミやネットでは、民進党が二つに分裂することなく「野党共闘」が続いていたら幾つの選挙区を取っていたという、無意味な「たられば」の思考と論議が盛んだが、衆院選の前に民進党と共産党が決裂するのは必然であり、長い代表選の末に前原誠司が圧勝で党首に就いた時点で、「野党共闘」は解消の運命にあったと考えるべきだろう。それが民進党の総意であり、党を物質的に支える連合の意思だった。
民進党と共産党の間には基本政策以前のレゾンデートルの壁がある。この条件と論理は立憲民主党においても特に変わりはない。立憲民主党を支える主力が自治労だから反共の濃度が薄まるだけだ。今から9年前、神田の教育会館で私と口喧嘩をした福島瑞穂は、「民主党と共産党をくっつけようとしたら、民主党が割れるのよ」と目の前で言い放った。無用の提案だと一蹴した。そのとき私は、製造業への労働者派遣を禁止する法改正を実現するべく、何とか民主党を共産党と協力させようと必死に論陣を張っていて、その行動の中で福島瑞穂に直接に意見をぶつける機会に遭遇したのだ。反貧困の運動が盛り上がっていた時期だった。

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15371871.jpg割れないように接着剤になるのが社民党の役目だろうがと、私は怒鳴り声を上げ、彼女に向かって面罵するように反論したのだが、結果的に、この間の「野党共闘」の出発から終焉までの始終は、彼女の捨て台詞が正しかったことを証明したとも言えるだろう。さらに言えば、9年前と較べて社民党の力は衰えすぎて、およそ接着剤にはなり得ない惨めな弱小政党に落ちぶれ果てていることも指摘しないといけない。結局、共産党から左に引っ張られ、党内で右に引き戻す力が強まり、緊張に耐えられずに民進党は破裂した。その結果、共産党そのものも得票と議席を大きく失うという事態となった。民進党が破産することで、共産党が勢力を伸ばしたのならば戦略の成功と言える。だが、そうはならず、「野党共闘」の戦略を提唱し主導した共産党が最も大きな打撃を受けている。これは、誤った戦略を立てた者が過失責任のリターンを受けた図だと言えるだろう。因果応報。この10年ほど、共産党の得票全体に占める無党派の浮動票の割合が非常に多くなっていた。2010年の参院選では共産党は356万票しか取っていない。これを固定票のベースと想定すると、2014年の衆院選の606万票のうち250万票が浮動票と考えることができる。この250万票は、民主党や社民党に(あるいは未来の党に)流れていた票だ。共産党に勢いがあり、期待できる勢力だったから浮動票を吸収できた。

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15373466.jpg今回、選挙を前に「野党共闘」の戦略設計が破綻したことは、共産党が約束した政治の方向性と未来図が破綻したことを意味し、すなわち、共産党に期待を託した有権者を裏切って失望させたことを意味する。共産党から有権者が離れるのは当然で、離れた浮動票は立憲民主党に流れて回収された。2年後を言うのはまだ早いが、立憲民主党への国民の期待がより高まれば、共産党の得票は440万票からさらに減り、ボトムでありベースの360万票まで落ちて行くものと予想される。もう一つ、誰も指摘しない問題だが、しばき隊の関与について論点に上げないわけにはいかない。2013年からの共産党の台頭と党勢伸張は、しばき隊の出現と勢力拡大と二人三脚の関係で、しばき隊運動によって媒介された政治現象と言っても過言ではない。しばき隊はネットと街頭で共産党を強力にサポートし、左翼のデモを流行させてマスコミ報道で公民権を与える活躍を演じた。この間、しばき隊は政治の世界でプラスシンボルの評価を固め、2015年から2016年のSEALDs運動も朝日(テレ朝)や毎日(TBS)が正義の英雄として賛美した。しばき隊は、自らを美称化して「3.11以後の社会運動」と呼んでいる。「3.11以後の社会運動」は、まさしくしばき隊運動のことに他ならないが、この運動の興隆が共産党の党勢を押し上げ、政治のプイレヤーとしての存在感を高める原動力となっていた事実は否定できない。

共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15374738.jpg私は、2012年の頃からしばき隊運動(反原連)を批判し、その運動の中身を分析して問題点を抉出する作業を続けてきたが、一貫して言ってきたのは、しばき隊と共産党との関係が嘗ての解同朝田派と社会党との癒着と同じだという主張である。社会暴力を政党の栄養分にして寄生していた問題に他ならない。それからまた、あの戦前のリンチ事件を立花隆のペンによって告発され糾弾されたことで、それまで飛ぶ鳥を落とす勢いだった70年代の共産党が一瞬で失墜した歴史も教訓として紹介した。あのとき、宮本顕治は「犬は吠えても歴史は進む」と虚勢を張ったが、共産党は76年の衆院選で大敗し、続けて78年の京都府知事選で敗北して斜陽を決定的とした。釜座落城、そして79年の東京と大阪の知事選の敗走と続く。革新自治体は次々と消え、労働運動の右翼的再編が本格化し、共産党に厳しく長い冬の時代が到来する。例のしばき隊による大阪のリンチ事件は、マスコミは報道しないがネットでは周知されている。被害者の写真を見た者は多いし、経緯を知る上で十分な情報が開示されており、著名文化人による悪質な隠蔽工作とその規模の大きさが人を驚かせている。大阪のしばき隊リンチ事件は、戦前の共産党リンチ事件のようなインパクトを世論に与えるだろう、八鹿高校事件のような反響を及ぼすに違いない、共産党にとって悪影響の材料になるだろうと、私はそう書いた。党勢が曲がり角になる要因となるだろうと、そう書いてきた。

共産党の党勢拡大の槓桿だったものが桎梏となった。まさに弁証法における反対物への転化を示している。



共産党はなぜ後退したのか - 敗因を分析する_c0315619_15380966.jpg

by yoniumuhibi | 2017-10-31 23:30 | Comments(4)
Commented by Runner at 2017-11-02 22:31 x
共産党は党内民主主義を確立して開かれた政党にしないとダメでしょう。
弾圧されてた頃は「秘密結社だから」との説明で許されても、今どき、自称「民主集中制」なる奇妙な体制を続けていてはカルト同然。
今や、公明党でさえ内部対立が表面化しているのに、共産党は相変わらず気持ち悪いくらいに誰でも同じ主張をしていて多様性が見られない。

もっとも、共産党だけでなく社民党もおかしい。
左翼が強かった頃なら左翼内の思想・路線の違いで別所帯にすることも大義があっただろうけど、今や、世界に類を見ないほどに左翼勢力が衰退してしまったのだから、この期に及んで、左翼内の差異にこだわることに何の意味があるのか?
むしろ、それは左翼の不寛容さ、反民主的姿勢として人々に受け取られるだけ。
サンダースのように「民主社会主義」を掲げるとか、それが嫌なら「民主共産主義」を掲げて、多様性を持った民主的な党派として左翼勢力は結集すべきでしょう。
Commented by 無頼派 at 2017-11-04 22:37 x
基本的事実を確認したいと思います。
>「野党共闘」のために選挙区で候補を降ろしたことが、必ずしも比例の得票減を招いた原因だとは即断できない。
「必ずしも・・・即断できない」というより、「ほぼ無関係」だと思います。
(理由)
1.共産党は、候補者を降ろさず独自候補を立てたら議席を確保できた選挙区は一つもない。
2.共産党が議席を大幅に減らしたのは、すべて、候補者調整をしたわけではない比例区である。
3.共産党の比例区の得票数<選挙区の得票数、となっている。そうなった大半の理由は、さもなければ共産党に入れたであろう有権者(弱い共産党支持者、無党派層)が今回は立憲民主党に入れたためである。候補者調整の話が入る余地はない。
4.比例復活という仕組みによって選挙区の得票の趨勢が比例区の議席に跳ね返るパイプはあるが、それは比例区の政党得票数を土台にするものであって、選挙区の得票数を土台にするものではない。
5.よって、「共産党は全体としての立憲派候補者の当選のために身を切る貢献をした」は虚構の美談である。大幅に議席を減らしたのは自滅であって、「他への貢献」の「身を切る犠牲」の結果ではない。

こういう基礎的事実を直視しない選挙総括は欺瞞そのもの。そのような虚構の総括から、次の前進を期すべくもない。
Commented by H.A. at 2017-11-05 14:30 x
「共産党の党勢がピークに達した瞬間」--得票数でなく、党員数や機関紙購読者数を党勢とみたら、もうずっと長期低落 傾向で、思われている組織政党でなく浮動票頼みの政党です。そして地方議員は高卒で地域に地道に活動されていた方も多いのですが、幹部をみれば学生運動をされてきたが大半です。今は学生運動なんてほとんどないでしょうし、そのなかで、どう若い人をひきつけるのか、悩んでおられるのでしょう。
 ちなみに英国労働党が、ブレア政権以来中道化し政権を担うものの、党員数が激減し、コービン党首になって若い党員数が増え、「Momentum」のような団体ができていい循環を迎えつつあります。欧州だと、ドイツやスウェーデンでの学校での政治教育の話と、我が国での18歳選挙権導入後の高校での政治教育との違いを聞くと、若い人たちの政治参加について、どうしたらいいのだろうと思います。
Commented by medemensen at 2017-11-10 00:11 x
志位さんは上機嫌らしい。
なぜか?
共産党が支援した立憲民主党候補や無所属候補が多数当選したから。
彼らは、民共連携の力強い推進者になるはずだから。逆に馬淵など
共産の威力を思いしったのでは?

前原は単に反共なだけ。対米追随なんて理念ではない。なんの理念もない。

保守には理念などありません。現状維持のためには何でもする。自民と公明連携みて
ください。見事と言うほかない。

共産党は、公明党のように認知されたかった。だから天皇も容認、いずれは安保も容認。
既定路線でしょう


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