『東京ブラックホール』と帰ってきたNHK - ダワーの方法視角と説得力

c0315619_15583569.jpg昨日(20日)の夜、NHKスペシャルで『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』が放送された。最初、特に興味を持たずに見始めたが、ナレーションの声が伊東敏恵だったため、これは期待できるかなと思ったら、想像以上に中身の濃い歴史ドキュメンタリーが詰まっていて、見終えて充実感と満足感が残った。今、伊東敏恵はNHKの良心を代表するシンボルだ。古き良きNHKを思い起こさせる正統派で、国民のNHKへの信頼を繋ぎ止める役割の前面に立っている。伊東敏恵もきっとこの番組と仕事に納得し、成功に安堵していることだろう。見始めてすぐに感じたのは、これはジョン・ダワーの世界そのものじゃないかという驚きだった。番組の中でダワーが登場して解説を述べる一幕があり、その直観が間違いないことを確信させられ、昂奮を覚えた。安倍晋三が政権を握り、手下で右翼の籾井勝人がNHK会長となって統制支配が始まって以来、ダワーは排除されNHKの画面から消えていた。番組は、明らかに『敗北を抱きしめて』の方法視角で全体が構成されている。そして、2001年に出版された本にはない諸要素が新たに発掘され編集されている。例えば、2000年代後半に公開された戦後日本に関するCIA文書が示す真実がそうで、より説得力のある歴史番組に仕上がっていた。



c0315619_16102150.jpgダワーと同じく下からの目線で社会史にフォーカスし、敗戦直後の東京に放り出された一人の庶民のありのままの毎日の現実を描いていた。マッカーサーや政府内部や共産党の政治の動きは周到にマスクされていた。その方法での歴史の説明が、現代の視聴者国民には効果があるのだ。見終わった後、気になってすぐにツイッターで反応を調べたが、驚くほど肯定的な感想が多く、率直に感動を伝えるコメントが溢れていた。受信料を払う価値があると認める声や、NHKの実力に拍手する声が並んでいた。通常、こうした歴史の真実を正しく伝える佳作をテレビが放送すると、ツイッターは右翼による口汚い罵倒と恫喝で埋めつくされる。終戦の日にかけて特集した「インパール作戦」や「樺太地上戦」や「731部隊」の放送の後がそうだった。声の大きなネット右翼がタイムラインを占領し、NHKに対する憎悪と中傷が煽られた。それは見慣れた光景だった。だが、今回の「東京ブラックホール」にはそれがない。圧倒的に好意的な意見が多く、続編を求める要望が並び、タイムラインを眺めながら気分爽快になった。20年前の頃の、1990年代のNHKスペシャルと視聴者国民との間の、健全で安定した関係が戻ったような、そういう希望を微かに感じた。

c0315619_16275794.jpg1990年代、NHKは充実した本格的な作品を幾つも制作し、われわれをよく教育啓蒙してくれていた。日曜夜9時はNHKスペシャルを堪能する時間であり、啓発され、憂鬱な月曜を迎える前夜を気張らしするというのがわれわれの生活スタイルだった。「故宮」シリーズがそうだし、「映像の世紀」がそうだし、「ドキュメント太平洋戦争」もそうだ。「電子立国日本の自叙伝」もそうだ。中学高校の社会科の教材になるものを作っていた。2000年代に入ってそれが怪しくなり、2010年代以降はすっかり劣化して途絶えて行った。戦争について、歴史について、正しく向き合って創作し、見る者を感動させるということがなくなっていた。そのため、定時の放送を見る習慣がなくなり、それは何やら大事な公共財を失ったような喪失感だった。今年8月、NHKスペシャルが本来の姿を取り戻しつつある感がして、老境に入りつつある国民の一人として感慨深い。ツイッターの反応で多かったのは、戦争に負けて占領されるということがどういうことかよく分かったというものだった。番組前半、飢餓に苦しむ日本人を尻目に贅沢な暮らしを楽しむGHQ軍属の姿が映し出され、水洗トイレ付きの高級住宅が将校家族にあてがわれ、特別列車で熱海に豪華旅行を楽しむ映像が紹介された。経費は日本政府が支出し、年間予算の3分の1を占めたという。

c0315619_16280949.jpgリアルな絵が突きつける敗戦の真実は、初めて知った者には大いに衝撃だったようで、この描写と説明に口を差し挟むネット右翼はいなかった。敗戦という現実が一人一人にとってどういうものか、この番組はよく伝え、現在の論壇やアカデミーは全く教えていない。最近の20年間の敗戦の歴史の語られ方は、「ゴーマニズム宣言」や「嫌韓論」の言説がリードするもので、それがほとんど主流になって青少年を洗脳していたと言ってよいだろう。敗戦と戦後の歴史は、コミンテルンの陰謀がどうのとか、左翼に騙されていてどうのとか、右翼のイデオロギーの物語で染められ、右翼特有の歴史認識のパーツやフレーズが執拗に刷り込まれ、本当に知らないといけない肝要な事実は押しのけられていた。正確な歴史とそれを言う者には左翼のレッテルが貼られ、頭から全否定されて一掃されていた。この私の指摘は決して誇張ではなく、この20年間の本屋の店頭の風景がその証拠となる。NHKの今回の番組が描いた敗戦の真実を踏まえて、右翼思想に影響されて育った青少年の皆さんは、中国との戦争という現在の問題を考えていただきたいと思う。戦争をやって負けた場合は、あのようになるのである。飢餓に陥る。東京を占領した中国軍は、72年前のGHQと同じ振る舞いをするだろう。日本人は、自らの政府予算を割いて占領軍を接待し慰安しないといけない。

c0315619_16282485.jpgコンフォートウーマンしないといけない。慰安婦をして子どもを食べさせないといけない。現在、名目GDPは、中国は日本の2.5倍で、購買力平価ベースでは4倍の開きがある。人口は10倍。右翼と右翼に影響された日本人は、日米同盟で対抗すれば中国との戦争に勝てると盲信しているけれど、果たして、本当に米国は中国相手にまともに戦争するだろうか。米国が戦争に参加せず、中立に引き下がって太平洋の向こうで腕組みしてしまえば、戦争は日本と中国との間で行われることになる。開戦すれば、局地戦で済んで早期和平で終わる保証はない。日本の戦争指導は右翼がやるので、先の戦争と同じ性格と様相と経路になると考えてよい。総力戦になり、核戦争に発展する可能性が高い。どちらもハイテク技術を持った大国であり、経済力も軍事力もある国なので、勝敗は簡単には決着しないだろう。この20年間に語られた戦後史についての国内の議論は、敗戦が一人一人の国民にとってどれほど悲惨で苦痛な体験だったか、そのリアルな現実を無視したものだった。敗戦のリアルな知識が教育でインプットされず想像力が不全だったから、反戦思想が後退し、憲法9条を頭ごなしに否定する態度が若い世代を中心に国民に定着したのである。けれども、敗戦の現実をリアルに直視せず、占領とはどういう不条理かを言わなかったのは、この20年間の脱構築左翼も同じだ。

c0315619_16284132.jpg脱構築のアカデミーは、脱構築のイデオロギーで戦後日本を総括し、それを、総力戦体制だの、国民主義だの、右肩上がりだのキーワードで単純化と矮小化の観念工作をし、戦後民主主義の思想を卑しめ貶めるばかりだった。丸山真男と大塚久雄を否定し、おまえらにはジェンダーの視角がないだの、マイノリティの視角がないだのと難癖をつけ、無価値でオワコンだと不当に蔑んで斬り捨てていた。全共闘の丸山否定(吉本隆明)の怨念が、そのまま80年代以降の脱構築のブームとトレンドに流れ込み、左の側が戦後民主主義と平和憲法を否定するという倒錯に行き着いた。現在、東京新聞の佐藤圭などが、しばき隊と共に9条改憲の扇動に狂奔している事情も、整理すれば脱構築の思想の流れから把握了解することができよう。そうした脱構築の側からの敗戦史・戦後史の代表が小熊英二の「民主と愛国」だろうが、戦後日本を相対視する視線が特徴で、ジョン・ダワーの熱い眼差しと好対照をなしていることが分かる。ダワーの場合は、どこまでも戦後の日本人への愛があり、戦後日本を作った人々に対する尊敬がある。敗戦を抱きしめ、憲法の理想を地上に引き降ろした戦後日本人の挑戦と達成に対して、それを情熱的に称賛し歴史的に意味づけるダワーの言葉は力強く、常にわれわれを勇気づけてくれる。ダワーの言葉を聞いて、私は精神が律動する。

そしていつも思う。同じ左なのに、どうして日本の脱構築とダワーはこんなに違うのだろうと。どうしてダワーと同じ戦後日本を敬愛する歴史研究者が日本に出てくれないのだろうと。


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by yoniumuhibi | 2017-08-21 23:30 | Comments(4)
Commented by 宮澤喜一や河野洋平の頃は本当に良かった at 2017-08-21 18:02 x
籾井が会長を退任してから、NHKもだいぶまともになりましたよね。
うちも昨日NHKスペシャルを見ましたが、「え!?こういうことNHKもちゃんと放送できたの!!?」と驚きました。

久米さんが辞めてからの報道ステーションよりもずっと心に直接的にきました。
なんかこう表現がへたっぺだけど、ひねた人間ばかり見てきて、突然純心で自然な優しさの人に出会った感じ
Commented by 七平 at 2017-08-22 01:41 x
1999年に ”Embracing Defeat" が米国で初刊発行された頃、購入して読みました。私が日本で受けた小中高校での日本歴史教育、特に戦後の歴史教育が如何に空白、出鱈目であったかを思い知らされました。これは日本に居る友人、知人に読んでもらわねば思い、当時、日本への出張の際、10冊も原書を買って配ったのを思い出します。 2001年に翻訳版が ”敗北を抱きしめて” として発刊され多くの日本人に読まれたようで、うれしく思います。 著者の主観に基づいて書かれた、いい加減な歴史書が履いて捨てる程出回る昨今ですが、ダワーの著書は添付された膨大な索引や資料から察しても、歴史書、学術書にランクされるものだと思います。 歴史的な事実の記述だけではなく、ブログ主さんご指摘の通り、ダワーは明らかに 親日派です。 日本人に対して敬愛の意と共に、”見ずらくても聞きずらくても事実を直視せよ” とのメーッセジが背景にあると思います。  

初刊がでてから18年、心ある日本人には間違いなくインパクトを与えたわけで、安倍政権の御用聞き放送局 NHK までが勇気を持ってダワーの視線に沿ってDocumentary を作成したようです。 機会があれば是非、見たいものです。 

過去の事実、真実を掘り返す事には、苦痛と屈辱が伴うかもしれませんが、慰安婦の問題にしても 731部隊の悪行にしても、日本人が事実は事実として過去の出来事を直視すべきだと思います。日本人が次世代の日本人にに対して説明がつくような、事実の認知、記述と反省が必要と思います。  他国からの批判がどうのこうのは2次的なものです。どこの国でもその国の歴史を遡れば、非人道的な事が過去に成されたわけで、汚点無し、潔癖な国や国民はありません。 過去の事実、真実を直視しながら、過去の過ちを認め、より公平、より人間的な社会を目指して努力いる限り、過去の過ちは許されるはずです。 賢い家内からの言葉ですが、”You cannot judge the past with the current moral."  (現在のモラルで過去は裁けない。) は、万国に通用する論理だと思います。

Commented by テキサスの黄色いバラ at 2017-08-22 03:47 x
初めまして。
いつも欠かさず読ませていただいております。
なぜ、ネット右翼は静観したのか?
製作者の趣旨を外して、放送に賛同したからです。
ただし、NHKの企みは我々とは別にあり認めるわけにはいかない。ただか静観した。
この番組から導き出された右翼の想いは、こうです。
「敗戦とはここまで惨めなものであるのか…」→「陛下もご苦労されたことであろう」→「次の戦争で必ず勝たなければ、この不名誉な記憶はリセットできない」→「自衛隊を軍隊とする憲法改正は急務である」
この番組は改憲派に取って意を新たに強くする追い風だったのです。
Commented by mujinamiti at 2017-08-23 00:45
次の戦では絶対に勝たねばならない。
そう思い込むのは日本会議に毒された右翼モドキであって、
米国にしてみれば
地政学的に日本が分割統治されても自国に利得が有れば腕組みして傍観するでしょう。

今、「日本会議」と「日米合同委員会」を真剣に見比べています。
日本会議が反米を言わずに復古主義を声高に持出すのはなぜか。
日米合同委員会が日本会議を潰さず、どの様にハンドリングしてるのか。

51州目のローカル占領区として、内政治安・州兵の整備は自由にさせるが、
独自の判断で州知事レベルが勝手に軍を動かす行為に出たなら徹底的に潰す。

日本会議も狡猾・根無し草なカルト集団。ただその影響力は恐ろしい。


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