丸山真男の「二十四年目に語る被爆体験」

c0315619_16212539.jpg8月7日の夜、NHK-BSで「原爆救護~被爆した兵士の歳月~」の番組の再放送を見る機会があった。広島に原爆が投下された直後、陸軍船舶司令部が統括する「暁部隊」に所属する少年特攻兵が駆り出され、市内爆心地に入って負傷者の救護や遺体処理の活動をする。16歳から17歳の少年だった彼らは、任務に当たった中で大量の放射性物質を吸い込んで被曝、急性放射性障害を起こし、復員して戻った後も後遺症による体調不良が続き、やがてがんを発症して苦しみ続けることになった。戦後、彼らは差別を受けることを恐れて口を閉ざし、また、負い目を感じて被害者たることを主張せず、多くが被爆者手帳を取得しないまま「隠れた被爆者」として人生を送っていた。番組は昨年7月放送され、ATP賞のグランプリを獲得している。初めて見た私は、すぐに丸山真男の被爆体験のことが頭に浮かんだ。丸山真男は自身の被爆体験について1969年に中国新聞のインタビューを受けて語り、8月5日と6日に紙面記事として掲載、その内容が1998年7月の「丸山眞男手帖」第6号に出た。死から2年後のことであり、私が「市民のための」HPを編集制作しているときである。生前に出版された丸山真男集全16巻には所収されておらず、現在は「話文集」の第1巻で読むことができる。



c0315619_16545131.jpg丸山真男が8月6日に広島にいたこと、爆心地に入って被曝していたことを、私は丸山真男の死後にこの情報に接して初めて知った。1976年に出た - 私が「丸山真男のホワイトアルバム」と呼ぶところの - みすず書房刊の『戦中と戦後の間』を読むと、丸山真男が肺結核で国立療養所中野病院に入院している様子が登場する。片肺切除の手術やら療養やらで若かった30代後半の頃から何度も長期入院していて、入院中に書いた短い記事や所感が断片的に「ホワイトアルバム」に収められており、学生時代に読みながら、この人は病弱な青白きインテリなんだなという印象を持っていた。その一方、一高ではホッケーをやっていたという体育会系の経歴が、1982年に未来社から出た『後衛の位置から』のあとがきにあり、サッカー観戦が大好きな丸山真男が、ディフェンスが駆け上がって攻撃陣に参加する当時の新しい戦術をヒントに本のタイトルを考案した件が披露されていて、何だか矛盾するなと人物像の理解に混乱したものだった。広島で被曝したという事実を知って、初めて、30代後半の肺結核が何によるものであり、さらに1969年、55歳のときから患って最終的に命取りになった肝炎と肝臓がんが何によるものかが私の中で明らかになった。この中国新聞のインタビューも、肝炎で入院した築地の国立がんセンターの病室で受けている。

c0315619_16550438.jpg当時31歳だった丸山真男は、陸軍一等兵で宇品の船舶司令部参謀部情報斑に所属し、終戦間際の連合軍が発する通信を傍受解析する日々を送っていた。昭和20年8月6日は月曜日で、この朝の8時すぎは、点呼の後に司令部の前庭で朝礼が行われ、参謀の訓話を整列して聞いていた。広島市内の多くの学校や工場で、生徒や若者が集合して青空の下で朝礼をやっていた。一瞬、ピカッと閃光が走り、凄まじい轟音とともに爆風が襲い、庭にいた全員が一目散に防空壕に避難する。船舶司令部の建物には高い塔が立っていて、塔が広場から見て爆心地の方向である北側に位置しており、塔が閃光を遮ったために丸山真男らの命を助ける結果となった。軍都広島。丸山真男らは、呉は何度も空襲を受け、周辺の諸都市はことごとく全焼壊滅の被害に遭っているのに、どうして広島の頭上だけはB29が何もせぬまま通過するのか訝しみ、広島には大量の連合軍のスパイが暗躍しているからだろうと想像をめぐらせていた。その後、船舶司令部はすぐに付近の負傷者が集まってくる収容施設になり、あの広島の絵で描かれているような火傷を負ってよろめき歩く大量の人々を丸山真男も目撃している。翌7日、陸軍は船舶司令部に広島市の治安維持の任務を命令、暁部隊の兵隊に総動員がかかり、死体の片づけと市内の清掃に当たった。

c0315619_16552053.jpgこのとき、軍都広島には陸軍の三つの重要組織があり、第二総軍、第五師団、船舶司令部が展開していた。第二総軍とは、1945年4月に本土決戦に備えて設立された組織で、日本列島を鈴鹿山系を境に東西に二分し、第一総軍の司令部を東京、第二総軍の司令部を広島に置いていた。爆心地から1.6キロの二葉の里(東区・新幹線口)にあり、原爆投下によって壊滅的な打撃を受け、司令部の指揮命令系統が不全になる。第五師団は広島・山口・島根3県の兵員で編成された兵制組織で、広島城趾(中区基町)に司令部が置かれていた。爆心地から800メートルの至近の位置にあり、司令部と兵営は全焼崩壊、約1万人に上る歩兵・砲兵・輜重隊の兵士が死傷する。そのため、爆心地から4キロと距離があり、被害が比較的軽かった宇品の船舶司令部に軍指揮権を移管、市内の治安維持と負傷者の救護救援の任務に当たることになる。参謀部情報斑の兵卒だった丸山真男は、直接、救護作業に出動することはなく、7日にはトルーマンの原爆投下放送を傍受して参謀室に報告している。8日は物理学者の仁科芳雄が軍医を連れて広島入りし、市内を視察調査するべく船舶司令部を訪れるが、そのとき、歩いてくる仁科芳雄と司令官中将の佐伯文郎と出会い、廊下で敬礼したと証言している。仁科芳雄が船舶司令部に来たときの状況はNHKの番組でも紹介されていた。

c0315619_16554003.jpg原爆投下から3日後の8月9日、丸山真男は参謀部報道斑長の中尉酒井四郎に連れられて、内爆心地周辺を写真撮影に行く。このとき同行したのが写真斑の川原四儀で、当時22歳、被爆の放射線後障害とみられる副腎がんのため1972年に49歳で死去している。川原四儀は7日からずっと市内を歩き回り、被災した軍施設や被災者収容所を撮影して回っていた。終戦後に軍の命令でネガを焼いたり土中に埋めたりして処分していたが、23枚が保存され、後に広島大放射線医科学研究所に提供されている。丸山真男は、このうち何枚かを酒井四郎から受け取り、自宅でひそかに所蔵していた。川原四儀の9日の写真撮影は、船舶司令部の正式な調査任務のものであり、どうやら仁科芳雄の視察に随伴した可能性が高い。だが、丸山真男の証言では、その点は触れておらず、報道斑長の酒井四郎に「丸山、見に行こう」と言われ、命令ではなく自由行動で将校にくっついて市内に入ったと言っている。このあたり、丸山真男の語りには釈然としない部分が多く、正確で克明な証言を躊躇っているような印象を受ける。「撮ったところはおぼえてないのです」と言っている(話文集1巻 P.475)。インタビュー時に中国新聞の原立雄に見せた写真についても、「(自宅に)しまっておいたのですけど、ちょっと嫌だから、あまり人には言わなかったんです」と言っている(同)。

c0315619_16555530.jpgインタビューを受けたのは、終戦から24年経った1969年。丸山真男自身の証言では、被爆体験を語ることはほとんどなく、『現代政治の思想と行動』の英語版が出版されたとき、著者を紹介した本のカバーに被爆者であることが書かれたため、中国新聞の関係者が知り及ぶところとなった。だが、私たちは、そのことを全く知らず、大学の講義や演習でも教官から教えてもらうことがなかった。高度成長期の真っ只中でもある、24年目の時点では、未だ自らの原爆体験をよく語るということが誰にもできなかったのかもしれない。72年目の現在だから、丸山真男はどうして詳細な証言をしないのだろうと不思議に思う。丸山真男は、戦後この体験告白までの間、広島を一度も再訪していなかった。避けていた。インタビューで記者が「ご案内しますから、広島へ行ってみて下さい」と水を向けると、「(広島訪問は)何とも言えない嫌な感じもして。怖いとか。いろんな何ともいえない感じです」と答えている(同 P.476)。「(広島へ)行く気がしないのですね」と言っている(同 P.481)。総じて、原立雄が丸山真男の実体験をリアルに語ってもらいたいと切望して質問し、できれば思想的な意味づけを表現して欲しいという目的で尋ねているのに対して、返答と説明に消極的になり、途中で話題を変えて別の方向に振り向けているのが分かる。2時間のインタビューで、『話文集1巻』では37ページの分量を喋っているが、取材した方は不満が残る内容に終わった点は否めない。

思い出したくないことが多く、意識的に忘れていることがあり、言いたくても言えない事実がたくさんあるのだ。ウソをついてごまかすか、知らないふりをしなくてはいけないことがあるのだ。読んでいて、そのことがよく分かるし、NHKの番組を見てさらによく内実を理解できた感じがする。



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by yoniumuhibi | 2017-08-14 23:30 | Comments(0)


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