憲法9条の基礎づけ - 平和主義の誓約と立志に代わる国家の原点なし

c0315619_16090487.jpg安倍晋三の9条改憲案について、予想したとおり読売が世論調査を出してきた。案の定、賛成が反対を上回る数字になっている。読売がこの賛否の結果になるのは当然だろう。問題は、朝日と毎日、何よりNHKの世論調査がどうなるかである。安倍晋三が提起して10日間、政界やマスコミの反応は消極的な傾向が目立った。公明党が慎重論を言い、石破茂が党の草案の中身と違うと異議を唱え、岸田文雄も不同意の姿勢を示し、大勢としては今回の動きを唐突で拙速で時期尚早と見て同調をためらう空気が支配的になっていた。読売の世論調査は、そうした躓きと澱みに対して巻き返しを図るための官邸側の一撃だろう。現在のところ、改憲に反対する側の論点は、①総理と総裁の立場を使い分ける二枚舌ではないかとか、②自民党草案と違うものをいきなり憲法審査会で審議せよとはどういうことかとか、③その改正案は日本会議が練った工作ではないかとか、そういった、言わば搦め手からの批判が中心となっている。政局的な表面上の反論だ。9条をなぜ変えてはならないのか、3項を加えて自衛隊を明記してはいけないのか、正面からの護憲側の反論が提示されておらず、国民を説得する立論がされていない。平和憲法の基礎づけという骨太の議論を試みている者がいない。



c0315619_16092137.jpg憲法9条はどうして守らないといけないのか、やはり、その根本的な問題について護憲の立場の者は逃げずに考え、自分の言葉で納得できる答案を出す作業をしないといけないと私は思う。そして、これから夏になり、6月から8月の慰霊の季節になり、否が応でもその正答と深層に触れることになるだろうということを予告したい。司馬遼太郎は死の前年の1995年7月、山折哲雄と3夜にわたってETV特集に出演し、「宗教と日本人」と題する対談を行った。その内容は、死後の1997年にNHK出版が本にして纏め、2006年に出た文春文庫に収められてる。対談でいつもは元気で闊達な司馬遼太郎が、そのときは体調を崩してゴホッと咳をする場面があり、初めて見る司馬遼太郎の姿だった。一瞬、いやな予感が走った。対談の中で、明治国家の基本思想と伊藤博文の憲法作案の話題になり、司馬遼太郎が、国家には必ず基礎となる思想があるのだという説明をしている。圧搾機で地面を押し固めて基礎をこしらえた上に建物を建てるように、国家にも基礎となる思想があり、その上に国家の建築物が建っているのだと語った。基礎がなくべちゃっと地面に建てただけの建物が地震ですぐに倒壊するように、国家もまたそれと同じなのだという比喩を論じた。

c0315619_16094025.jpgそして、ヨーロッパの諸国家の基礎は何かというと、国旗の絵柄に描かれた十字架がそれを象徴しているでしょうと分かりやすい議論が続いた。日本国にはそうした基礎があるだろうか。国家の基礎となる思想があるとすれば、それは何なのだろうか。私は、それは日本国憲法前文に謳われた平和主義の立志であり、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」の約束であると思う。日本国も国家であり、そこに司馬遼太郎の言う圧搾機で固めた基礎があるのなら、アソシエーションの社会契約があるのなら、それは、憲法前文で内外に宣言した決意であり、原爆慰霊碑で犠牲者に誓約した祈念の言葉だろう。前回の記事の最後で、憲法9条の問題はテクニカルな法理の問題ではなく、われわれの思想信条の問題であり、日本人としての生き方が問われる問題なのだと書いたが、私はこの認識は大袈裟なものではなく当を得たものだと確信している。憲法前文には、その国民が国家を構築するに当たっての社会契約の原理が記述されている。日本国と日本国憲法の場合、それは何かというと9条で原則規定された平和主義だ。丸腰で国際社会で生きていくという信念であり、どんなことがあっても話し合いで紛争を解決するという一般意志である。

c0315619_16100003.jpg戦争は自衛を名目にして政府の手で惹き起こされるものだから、武力を放棄することで戦争を放棄するという徹底した平和主義。この前文と9条の平和主義について、今の日本人は当たり前のように理想と呼ぶ。そのときの理想とは、実現するはずのない空想とか、夢見る少女のお花畑のファンタジーのような意味で言われる。だが、70年前に施行されたときはそうではなかった。前文の平和主義と9条のラディカルな戦力不保持の国家原則は、国民にとって、理想でも空想でも幻想でも妄想でもなく、お伽噺でもなく、そうでなくてはならない、そうした方が絶対にいい、積極的に承認できる国家方針の決断であり、国民的な意志と希望が成文化されたものだった。その歴史的事実を、われわれは見落としている。70年前、平和憲法が施行されたとき、自衛隊も日米安保条約もなく、国民はそんなものを将来持つと想定していない。前文の理念と9条の原則に従って平和国家を建設運営し、世界の中で勇気をもって生きていこうと決心していた。その国民の意見を代弁しているのが、全面講和派の知識人として吉田内閣と闘った学習院院長の安倍能成で、平和問題懇談会でこう語っている。「敗戦日本が新たな建設をなし遂げるためには、平和の原理、平和の信念を根底に置くよりほかに、われわれの生きていく途はない」。

c0315619_16103258.jpg「身に寸鉄をおびないで(注=憲法9条の意)、剣戟の林のなかを進んでいくというのは、あたかも物語のなかの一つの荒唐なヒロイズムのようであるけれども、しかしながら、これは今日のわれわれにとっては、けっして空想的なことではない。むしろ最も現実的な活路である」(丸山真男集 第7巻 P.10)。安倍能成は保守の知識人だった。戦中期の一高の校長であり、幣原内閣の文相を務めた教育者である。平和問題懇談会の南原繁と安倍能成といい、憲法問題研究会の我妻栄と宮沢俊義といい、戦前から教鞭をとっていた保守の知識人が憲法9条を支えたのであり、講和問題から60年安保の激動の中、彼らが体を張って改憲を阻止したことで9条が変えられずに生き延びることができた。この事実をわれわれは忘れてはいけない。今、その精神は戦争の地獄を体験した高齢者のみのものになっていて、国民が世代を超えて共有するものとなっていない。右翼が9条を貶めて言うところの、「お花畑の左翼の発想」というレッテル貼りがイデオロギー的効力を持つ環境にあり、右翼の悪質な刷り込みが成功して「常識」のごとく一人歩きしている現状にある。著名人が憲法9条を語るときは、右であれ、左であれ、9条を変えて自衛隊を明文化せよという結論のみが言われ、9条を守れという知識人は消えた。今では、両陛下を除けば無名の者だけが護憲を唱えている。

c0315619_16105177.jpg司馬遼太郎が言うように、国家には基礎となる思想があり、日本国にも圧搾機で固めた土台があるとするならば、9条の平和主義以外に、9条の平和主義を越えて、他にどのような原理的な思想があり得るのだろうか。この国の社会契約は、320万人が犠牲となった戦争の悲劇によって媒介されていて、応召と出陣と原爆と空襲で命と落とした人々と、戦後の飢餓と苦難を生き抜いた人々の決意に立脚するものだ。それ以上に、それ以外に、この国の原点となり基礎となる価値や経験が果たしてあるだろうか。9条2項の平和主義を理想と言うのなら、敗戦直後の地べたに生きる日本人にとって、第3章に並んだ基本的人権の条文カタログも理想であり、言論の自由も、婚姻の自由も、25条の生存権も、どれもこれも現実離れした理想の世界だったに違いない。その理想を、ダワーによれば、日本人は地上に引き下ろしたのである。日本国憲法の理想を体制へと定着させた。60年安保の市民革命によって確定させた。日本国は名実ともに日本国憲法の国家となり、日本国憲法の理想に方向づけられた国家となった。歴史の揺り戻しを許さず、大日本帝国への逆行を許さなかった。そこが尊いのだとダワーは言い、私もダワーの主張に同意する。戦後日本人による民主主義を獲得する努力は、常に「平和と民主主義」の名の下に行われ、戦後日本の民主主義の運動は、9条を守る闘争と共にあった。

9条を守って平和を守ることと、民主主義を前に進めて後戻りさせないことと、二つはセットだった。戦後民主主義の核心には9条がある。言うまでもなく、前文の文言を変えたら平和憲法ではなくなる。そして、9条を変えようとすれば前文そのものを変えないといけない。柳生新陰流的な丸腰主義の生き方の誓いを変えないといけない。したがって、自衛隊を明記する9条改定は憲法改正としては論理的に不可能であって、リプレイスして新憲法を制定する以外にない。新しい社会契約を措定する必要がある。そのときは、現憲法の平和主義に代わる何か別のものを、司馬遼太郎の言う「国家の基礎となる思想」を新規に探し出して前文で宣言しないといけない。そんな思想や言葉がどこかに転がっているだろうか。


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by yoniumuhibi | 2017-05-15 23:30 | Comments(1)
Commented by NY金魚 at 2017-05-17 02:34 x
ブログの主旨に全面的に賛同します。
”9条を守って平和を守ることと、民主主義を前に進めて後戻りさせないことと、二つはセット"だったはずなのに、なんという体たらくでしょう。現在は二つともセットで奈落の底に落ちて行っている気がします。
GW中無料放映していた『映画・日本国憲法』のなかから、思慮深いアメリカ人たちの発言をまとめて、金魚ブログにもアップしました。『それでも『9条』を愛するアメリカ人たち』
http://nyckingyo2.exblog.jp/24181798/
◆ 10年ひとむかし。この映画ができた頃は、コイズミの自衛隊イラク派兵が違憲だという論争に渦巻いていた。今となってはそのときの議論が性急な改憲に奔るスタートラインだったことがわかる。以来、このつじつまを合せようという改憲派は年ごとに増幅。それでもまだ今よりも純粋に論争していたようにうつる。その後のアベによって、引っ掻き回され、泥まみれになっていく私たちの精神環境がある。傷は大きい。ずるずるとさまざまな衣装を着た『改憲派』が現れ、僕たちの前で乱舞する。湯上がりの浴衣のまま、新しい改憲案の宅配便を待っているコクミンの大多数は、もはやどの改憲案にするかという選択肢しか考えず『護憲』という言葉さえ忘れたかのようだ。みんなが『心』のかわりに『偏差値』を選んだおかげで、反戦の魂はどんどんアメリカに売られつづけていく。アメリカの戦争を手伝いつづければ、自分たちだけは『大津波』から免れることができる、という最悪の信仰心だけを強固にしながら…


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