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インドで考えたこと - デリーとニューデリー

インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16142545.jpgインド観光中、アテンド担当のガイド氏からカーストについて説明はなかった。移動中の車窓から途切れることのない、半スラム街と路上の物売りの人々とカーストとの関係について質問して答えを聞きたかったが、それは憚られることだった。インド憲法ではカーストによる差別を禁止していて、表面上は差別のない国作りをめざしている。だが、現実にはカースト制度が生きていて、結婚や就職のときに問題となり、インドはその社会的慣習を廃止していない。ヒンズー教そのものがカーストを認めていて、ヒンズー教徒として生きることは、カースト制度を肯定し、カーストに属し、カースト社会の中に身を置いて人生を送ることを意味する。ヨガと瞑想という表象に注目すれば、積極的なライフスタイルに映り、他宗教に対して寛大で排他性や独善性がなく、自然で宗教本来の姿に見えるヒンズー教だが、それはカーストを固定・再生産する元凶の観念システムでもある。インド国内でカーストが禁忌であり、公論の対象として喋々されるべきものでないことは、3日間の旅行でそれとなく察せられた。堀田善衛はインドに3か月も滞在し、私と同じくカーストに強い関心を持っていたに違いないが、岩波新書(青)には観察と報告が記されていない。現地で得る情報がなく、迂闊な議論ができなかったからだろう。



インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16143956.jpgそれは、思えば不思議なことだ。インドについての知識として、われわれ日本人はカースト制度を承知している。インドについてほとんど何も知らない日本人でも、インドとは何かを問われれば、その説明の中に四つのカーストを諳んじて言うことができる。おそらく、日本だけでなく世界中の人々が同じだろう。私は小学6年と中学2年のときに社会科で世界地理を習ったが、教科書のインドのページにはカースト制度の記述があり、バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラと四つの身分が太字で書かれ、さらに階層構造を図示した挿絵のようなものまで載っていて、試験で設問された四つをきちんと答案に書いた記憶がある。インドについて文部省が国民に教育する必須事項がカースト制度であり、暗記を求められるインドの常識なのだ。しかし、その常識はインドでは禁忌であり、ヒンズー教とインド人の日常生活の一般説明からは省かれる。外国人に対するガイダンスとオリエンテーションからはマスク(遮蔽)される。「インドではまだカースト制度があるんでしょうか」と、素人っぽく、マイクロバスの中で挙手してガイドから話を聞きたかったが、それをやると面倒な空気になるのに違いなく、きっと問われたインド人にとっては、「あなたのカーストは何ですか」という質問と同じ深刻な意味になるのだろう。

インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16145409.jpg一説では、マハトマ・ガンジーが、インド独立のとき、カースト制度を否定せず、アウトカーストたる不可触賤民を第5のカーストに位置づける部分的改造に止めたため、システム全体を止揚する革命が叶わなかったのだとも言われている。カーストを否定することはヒンズー教を否定することを意味し、ヒンズー教を否定してしまえばインドそのもののを否定する結果になるため、インドのアイデンティティという国民国家の必要上、ガンジーはカースト全否定ができなかったのかもしれない。インド亜大陸には10を超える言語があり、地方ごとのエスニシティ - 言語・血統・風俗・習慣の共通性 - の差異と隔絶が甚だしく、インドの統一性と一体性を社会的に担保する実体としては宗教しかない。という事情と論理で、ガンジーの建国時のリアルな判断に至ったものと思われる。ネット上にそういう指摘が散見され、私もそう考えるが、堀田善衛は半世紀前に現地でどう考えたことだろう。ちなみに、義務教育ではインドのカースト制を暗記させて必須の知識としつつ、日本政府は、外務省のHPでも、経産省(JETROとアジア経済研究所)のHPのインド説明でも、カースト制の付記はない。インドのカースト制度については、それに関心のある研究者がオリジナルに調査し、特に最近ではジェンダーの視角からのものが多い状況にある。

インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16150695.jpgところで、デリーとニューデリーはどう違うのか。どう説明できるのか。これは、インドに行く前から大きな謎だった。インドに行って、自分なりに答えを得た感じがする。最近、2002年に、外務省が編集協力する「世界の国一覧表」で、インドの首都名をニューデリーからデリーと変え、教科書でも改正され、学校での教育も改められているらしい。平凡社地図出版がそう書いている。デリーとニューデリーの違いの正答は、平凡社地図出版の説明のとおりだ。二つが混乱させられるのは、ニューデリーという英国が植民地時代に作った特別な街区があり、そこに首都機能が集中していて、さらにその北にオールドデリーという古い街区があり、その点に着目して説明しようとすると正しい認識から離れて混乱してしまう。首都ニューデリーという町と首都デリーという町とは、実際には同じものである。同じ町に二つの名前がある。外務省のHPには首都ニューデリーとある。ANAの便も行き先はニューデリーだった。つまり、インド政府そのものが、依然として、対外的にはデリーをニューデリーと呼称させていて、それを公式に変更しないため、外国人には首都ニューデリーなのだ。インド国内に住むインド人にとっては、ニューデリーはデリー市内の一画にある小さなディストリクトにすぎない。あの町はデリー(デリー首都圏)である。警察もデリー市警、大学もデリー大学。

インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16152041.jpgなぜ、インド政府は公式にニューデリーをデリーに改称しないのだろうか。インド政府は、国内各都市の従来の呼び名を次々と改変している。ボンベイはムンバイになったし、ベナレスはバナラシに変わったし、カルカッタはコルコタに、マドラスはチェンナイへと改称された。その政策を延長させ、すなわち植民地時代の負の遺産を切り捨て、言わば純国産の元の地名に戻すのであれば、ニューデリーはデリーに回帰してもよさそうだが、インドはその方向決定に踏み出そうとしない。なぜなのか。私の勝手な推測だが、インドにとって、ニューデリーをデリーに戻すことは、東京を江戸に戻すのと同じ抵抗を感じる不具合で、近代国家として新たに出発したインド共和国の首都名として相応しくないのだろう。デリーはムガール帝国の首都として300年の長い歴史がある。ムガール帝国はイスラム教のトルコ系民族が建てた国で、名前のとおりモンゴル帝国の継承を本義としている。インド人からすれば、北の少数異民族であるトルコ系イスラムに征服されたわけで、その歴史は面白い経歴ではあるまい。しかもその統治は、最後は英国に植民地支配されるという屈辱で終わっている。インドの国家エリートからすれば、ムガール帝国のデリーよりも英国のニューデリーの方がイメージがましだから、対外的国際的にはそのまま新しい名称を使い続けようということではないか。

インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16152944.jpg首都ニューデリーという公式名は、インド建国のときに制定されたもので、そこには偉大なガンジーとネールの歴史的礎石があり、二人の巨人と共にニューデリーの名がある。したがってそうやすやすと、それ以降の軽輩たる政府指導者が、ボンベイをムンバイにするように簡単には変えられないという理由もあるのかもしれない。インドを旅すると、英国との関係の深さというものを強く感じさせられる。前の首相であるシンは、ケンブリッジ大学に留学した優秀な経済学者だった。ヒンズー教が末端までの社会を自律的に統治する一方、出身や教育で淘汰されて国家の上層部を構成するエリートは、特に国民会議派は英国のアカデミーの影響を強く受け、英国学閥の集団系を作って国を指導しているのではないかと、そんなことを勝手に想像してしまう。年金をもらえるのは2割。バイクを含む自家用車を持っている者は2割。英語エリートであり数学エリートである2割。その2割の人口でインド経済を動かしている。今、デリーは街中が地下鉄工事と高速道路建設の真っ最中で、ゴミ捨て場の海に土建工事の土埃が舞い散っていたが、果たして、デリーは10年後には今とは見違えるピカピカの高層ビルの首都に化けるのだろうか。いわゆるディストリクトのニューデリーにある政府官庁街は、正直なところ、何だか古ぼけた昔の佇まいのままで、英国植民地時代のままの雰囲気だった。

だから、私は、ひょっとしたら新規に遷都が - 隣のミャンマーのように - 計画されているのかと疑い、ネットを検索してみたのだけれど、それらしき兆候は何もなかった。果たして、インドはいつ英国式の「ニューデリー」を揚棄するのだろう。以下は悪い冗談だが、まさかベトナムのように、再びパキスタンをインド連邦の版図に取り戻した暁に、新首都名を「マハトマ・ガンジー」に変えるとか、そんな大胆な野望が国民会議派の中にあるのだろうか。



インドで考えたこと - デリーとニューデリー_c0315619_16232166.jpg

by yoniumuhibi | 2017-02-17 23:30 | Comments(2)
Commented by キヌケン at 2017-02-18 18:28 x
カーストをジェンダーで捉える研究ですか・・。
確かにインドは圧倒的な男社会ですね。
街中は男であふれ返っています。笑
女性は家の中にいるのが当たり前。
社会進出などもってのほか、みたいなイメージがあります。
女性が社会で活躍する場合、血縁によるものが大きいようです。
政治家の娘や学者のお嬢さんは、そうした道を許されているようです。
基本、女性は嫁いで家の中で生活し、太ることが良し、とされていますし、サリーも痩身には似合いません!
世界的な美人モデルになっても、早くお嫁に行って家の中に入りたいそうです。
グローバルな価値観においては男女平等ですし、雇用機会均等法ですが、インドでは少なくとも国内においてはそうした運動が目立っているようには思えません。
西洋の活動家は、キーッ!となるかもしれませんが、インドはインドの風土に合った文化なので、外国の人がとやかく言うことも不自然ですよね。
まあ、こうした幅広い価値観をありのまま認めていこう、理解しよう、とする観点も日本人ならではのもの。
お隣ネパールでは同じヒンドゥー教の生き神さま=クマリがいますが、欧米人は「幼児虐待だ!人権蹂躙だ!!」と裁きます。しかし日本人はクマリに対して一定の尊崇の念を抱きます。
ですからクマリはとやかく言う白人さん方より、温かい眼差しで見てくれる日本人がお気に入りです。
世に倦む日々さんもそうだと思いますが、我々日本人は相手をより良く理解しようとするメンタリティーを持った民族のようです。
でも最近はそうでもないのかな?
あまりに排他的、あまりの排外主義には傾きたくないものです。

デリーとニューデリーのご考察は勉強になりました。
現地行くと、ニューデリーとオールドデリー、といったザックリした分け方で安心してしまい、あまり深く考えませんでした。
歴史的な背景、それもムガール王朝にまで遡って好悪が判断される、という面もあるのかもしれませんね。
Commented at 2017-02-20 14:48 x
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