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インドで考えたこと - インドへ行くと人生観が変わる

c0315619_16320529.jpg午前3時に寝て、目が覚めたのが午前5時だった。飛行機の中で一睡もしておらず、疲れているはずなのに眠れない。時差が3時間半ある日本だと午前8時半だから、そのせいだっただろうか。窓の外は真っ白の濃霧で、30メートル先の視界がきかない。その日はデリー市内観光が予定され、狭いマイクロバスに押し込められて出発した。そこで見た風景は忘れられないものだ。インドに行くと人生観が変わると言われているが、まことに人生観を変えてしまうほどの衝撃的な風景があった。ネットを見ると、デリーの街について、「街中がゴミ捨て場のようでした」と日本人が書き込んでいる。観光に訪れた女性の感想だろう。これほど当を得た表現はない。一言で真実を言い表している。ゴミ捨て場の中に大きな街があり、家が並び、車が犇めき、無数の人が路上に蠢いていた。ゴミ捨て場とクラクションの嵐。それがデリーの街だ。沿道に商店が並んでいる。どれも間口が狭く奥行きがない小さな店舗で、建物も古く薄汚い。商店と車道の間に歩道のスペースがあり、そこに、自動車やオートバイや自転車が駐車され、さらに露天商の屋台の連なりがある。露天商という日本語では、表象としてきれいすぎて実態を表現しない、派遣村の炊き出しの絵を想起させるところの、もっと粗末な食べものの物売りの姿がある。



c0315619_16323311.jpg少し行くと、露天商の連なりが途切れたところに、路上で生活する人々の小屋が並んでいる。一ヵ所だけでなく、あちこちに、そこら中に、当たり前のように、沿道の空間にホームレスの小屋の集合が点在している。その小屋は、日本のどこかの都市の公園の中にあるような、ブルーシートのテント製のものではなく、薄汚いよれよれの布きれや、ボロボロの木片の端っこのようなもので作られたものだ。日本なら犬小屋でももっと立派だろうと思うような、そういう「家」が路上にあり、人がそこで生活している。そこはこの露天商たちの住処だろうか、職住接近の暮らしをしているのだろうかと訝るほど、粗末な露天商と不衛生なホームレスの小屋が多く、マイクロバスの外の風景は延々とそればかりだった。路上に群れている人々を車窓から見ていると、小さなバスが後ろから左側の車線を追い抜いてくる。中が見えないほど汚れた窓ガラスに鉄パイプの横格子が通っていて、人が乗るバスというより家畜を押し込んで運搬する車両のようだ。デリーの公共交通のバスは3種類あった。この「家畜バス」と私が名付けた最悪の等級と、緑色や黄色の普通のバスと、赤色の冷房付きで座席もゆったりしたリッチなバスである。歩道には牛の姿があった。土も草もない、人と車が密集したスラム街に牛が立っている。

c0315619_16325331.jpg身の置き所もないような都会の場末の路上に牛がいる。牛だけでなく、野良犬もたくさんいる。道ばたで犬が真っ昼間から腹を横にして、足を投げ出してドテッと寝そべっている光景を何度も見たが、実に異様に見えて気味が悪かった。日本であのような犬の姿を見たことがない。スラム街。しかし、スラム街というけれど、スラム街ならざる空間を通ることがないのだ。その、派遣村の炊き出しを想起させる露天商の、チャパティとか果物とか噛みたばこを売る、あるいは散髪サービスする、幅1メートルほどしかない粗末な屋台の傍には、1人だけでなく関係者と思しき男たちが3人ほど立っている。この男たちは何をしているのだろう、あんなものを売って収入になるんだろうか、生活ができるんだろうかと思う。路傍の露天商は、夜の10時すぎになっても営業をしていた。深夜を過ぎても道路の渋滞は続き、歩道にも活気があった。きっと収入になるのだ。あの路上の同じ人たちが買い求めて口に入れるのであり、人の数がとにかく多いから、何とか食っていけるほどの市場と商売になるのだろう。人は結局こうやって、何でもとにかく物売りして生きていくのかと、そういう想念がよぎる。終戦直後の日本人も、きっとこんな感じで、とにかく死にもの狂いで、人の集まる闇市で何でも売って命を繋いでいたのに違いない。

c0315619_16330673.jpg司馬遼太郎の小説を読んでいると、男というものは、世の中に生まれてしまったら、戦争に行って歩兵になるしかないんだなあ、いつの時代も同じなんだなあと強く思わされる。部隊末端に属する歩兵の一人になって、城攻め(要塞攻略)の突撃をするか、陣地を防衛する側になるかして、あのゴンドラチェンコが守備する東鶏冠山堡塁の攻防のような - NHKの2011年放送のドラマが実に生々しく再現していたが - 白兵戦の中で見知らぬ者同士が、家族を故郷に持つ者同士が、残酷な命のやりとりをする人生を引き受けるのだなあという気分になる。私の祖父もそうだった。今回、インドのデリーを旅して、男というものは、戦争のない平和な時代に生まれたら、こうして地べたで何か物を売って、とにかく何でもどこからか仕入れて小売して、現金収入を得て、小さな商売をして逞しく生きていくしかないんだなあという諦観に導かれた。インドには剥き出しの人の生がある。それは、組織化され、人権の基礎の上に組み立てられ、人の尊厳に配慮したシステムで表面的には出来上がっている日本社会とは大違いで、市民と野良犬の中間の領域に多くのインド人が生きていた。一体、あの路上の人々はどこでお便所をしているのだろう、どこでお風呂に入って下着を着替え、どこで洗濯しているのだろうと、そう思う。

c0315619_16332134.jpgシリアの難民と彼らが違うのは、爆撃のない平和な空間があるという程度のものだ。とにかく、路上のホームレスと路上の露天商がやたら多い。路上の露天商とその向こうの薄汚れた建物に入った店舗の小売商とは、しかしながら、シームレスに繋がった感じで、アナログ的に一直線であり、つまり資本の規模のミゼラブルな小ささは同じだ。この人たちの税金はどうなっているのだろうかと思う。インドでは年金をもらっている層は2割しかない。スラム的な都市の空間に夥しい人が這って生活していて、その日暮らしの金を得たり、食べ物を得たりして生きている。どうやら、インドは社会の成り立ちがわれわれの常識とは別次元のところにあって、2兆ドルの経済大国のGDPは、その2割の人々によって生産された数字の如くなのだ。中国とは少し違う。中国の場合は、文革期を通じて全員が赤貧の真っ平らになり、無一物の人民の海になった後、改革開放で格差がついて現在に至った。インドの場合は、あの路上で生きている人々は、おそらくずっと前から似たような生態であり、デリーに出て来る前の農村での生活も、堀田善衛が岩波新書(青)で紹介しているような原始的なものだっただろう。そして彼らの関心は、半分は経済と生活のことかもしれないが、半分は宗教にあるようで、ヨガと瞑想という方法で心身の健康を守ることにあるように見える。

c0315619_16333786.jpgインドの人たちは、どれほど貧窮な暮らしをしている者でも哲学者で、哲学的な真っ直ぐな目でこちらを見ている。ヒンズー教の宇宙観で自身と日常を了解し、他者との関係を計り、将来の行方を見通している。ヨガと瞑想の達観と呼吸感が、起きてから寝るまでの時間を支配し、支配された精神性のコードの中で、路上で物売りし、発生したトラブルのやり取りをし、家族と食事し、濃霧から濃霧までの繰り返しを続けるのだ。トランプがどうのこうのと、DCやNYのニュースの虜になっている日本人の日常とは全く違う。おそらく、トランプなど眼中にないだろう。そこには、貧困の感じがない。絶対的な貧困状態なのに、そしてデリーの現実には途方もない貧富の格差があるのに、人々の目に絶望の色がない。終戦直後の日本の闇市のカオスとエネルギーに似たものが溢れている。インドはどこまで経済成長するのだろうと、底知れぬポテンシャルに戦慄する気分になった。実際、中国の11兆ドルのGDPというのは中身を理解できる。けれども、その5分の1の2兆ドルの経済をインドはどのような生産でカバーしているのか。想像ができない。インドは教育に力を入れていて人材育成に余念がない。路上で風船を売る子はいたが、街で見かける子どもたちの目に暗さはなかった。明るかった。インド人はインドの教育と国作りに自信を持っていて、それ以前に、インド人のアイデンティティと共同体に絶対の自信を持っている。

現地のガイドが自慢して言うには、インド人は視力が衰えることがなく、メガネをかけているのは1万人に1人なのだそうだ。それは、インド人にストレスがないことが影響していて、ストレスを除去するヨガと瞑想の独特の健康法のせいだと言う。私の見るところ、インドには、日本と違って、貧困者や貧困家族を追い詰めて孤立化させていくいじめの契機がなく、そこが根本的に違うように思われた。



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by yoniumuhibi | 2017-02-13 23:30 | Comments(1)
Commented by 七平 at 2017-02-15 05:03 x

インド国内を旅行した事はないのですが、ガンジーの教えのせいでしょうか、それともガンジーを輩出したインド文化のせいでしょうか、貧しくても正論に立ち未来に進んでいると言うのがインドに対する私の印象です。
英国による200年間の植民地支配にも耐え、フィリピンの様に宗教をすり替えられる事もなく、自らの価値観を守りそれに沿って生きていると思います。私の推測ですが、茶髪、金髪のインド人は若年層でも見かけないと思います。  私自身、米国で知り合ったインド系の人々は優秀な人が多いと感じています。それを裏付ける統計を下記しておきます。

日亜化学の中村修二氏も含め、アジアからの 高級能力者移民が目立つのですが、中でもインドからの科学者、研究者の Brain  Drain は凄まじいものです。 2013年の統計では、296万人の高級能力者移民のうち95万人はインド出身となっています。トランプ大統領は反移民政策を唱えていますが、現在でも移民の恩恵を最も受けているのは間違いなく米国です。 例えば、去年、米国は6人のノーベル賞受賞者をだしていますが、受賞者のすべては外国生まれでした。また、米国の僻地で医療を提供している医者は42%は移民の医者との統計もあります。 トランプは統計、数値に関し全く無知であるだけでなく、弱いもいじめが大好きなようです。また、弱いものいじめしかできない人物だと思います。 そんな食わせ者にいちゃついている日本の首相を見るにつけ、本当に恥ずかしく思います。 You Tube に BEST FRIENDS FOREVER:Trump and Abe と題したビデオがありますので、ぜひご覧ください。

時間はかかるかもしれませんが、我が道を行くインドは将来性の高い国だと思います。 Brain Drain の逆流も5%位すでに起こっています。 母国でしっかりした受け皿ができると、最先端の知識と技術を持ったインド人の多くが母国の成長に寄与すると思います。 


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