復権した「戦後民主主義」 - 護憲派を思考停止と侮辱した山口二郎

c0315619_18161436.jpg前回、55年体制の言説について検討を加え、私なりの認識と再評価を問題提起した。政治の一般論議において、現在はネガティブな表象である55年体制の語の歴史的な中身を捉え直し、むしろこれが戦後民主主義が体制化された姿であり、1945年から続いた8.15革命が一つの形になって結実したものという積極的な意味づけを試みた。60年安保という市民革命によって掴み取った政治体制だったから、この体制下での政治は民主主義がよく機能したのであり、日本国憲法で保障された権利が守られ、国会の議論も国民の方を向いていて、野党の牽制が利いて政府は暴走することなく、政策は国民の生活に即したものとなった。55年体制は、格差のない1億総中流の社会を実現した。その政治体制を破壊したのが「政治改革」であり、小選挙区制導入による「二大政党による政権交代システム」である。それを扇動したのは山口二郎で、岩波書店と朝日新聞だった。「政治改革」以降、政党と政府の政策はネオリベ基調にシフトし、1億総中流の社会が失われてミゼラブルな格差社会となる。投票率は下がり、マスコミが政治を操縦してポピュリズム漬け込み、民主主義の形骸化と劣化が歯止めなく進行している状況にある。



c0315619_18162952.jpg55年体制について、現在定着している誤った固定観念を排し、歴史的に正しい実像を再認識しようというのが私の意図だが、実は、戦後民主主義という言葉も、これまでは不当に卑しめられ、左右からバカにされて小突き回されていた言葉であったことを確認したい。最近になって、明らかに戦後民主主義という言葉は復権を果たしている。現実政治におけるイデーの地位を取り戻し、ネガティブな意味からポジティブな意味に変わった。そのことは、昨年のSEALDs運動に関わった面々の言葉遣いからも了解されることだろう。状況が変わった。90年代に脱構築主義がアカデミーを牛耳って以降、戦後民主主義という言葉は、古臭い過去の遺物とか、終わったものとか、冷戦時代の戦後左翼の信仰という意味を帯びて、左の論壇で蔑視される対象となっていた。その起源は、脱構築主義の思想的原点とも言える吉本隆明と全共闘から始まる。全共闘の敵は丸山真男と日本共産党に他ならない。全共闘世代がアカデミーの中堅になった90年代、アカデミーはそれまでの正統であった戦後社会科学を捨てて転向し、ジェンダー、マイノリティ、カルスタ、ポスコロ、等々の脱構築主義の駄弁の密林となる。丸山真男と大塚久雄に「国民主義」のレッテルを貼ってヒステリックに袋叩きを始めた。

c0315619_18195767.jpgその空気の中で、政治学も戦後民主主義を切り捨てて「政治改革」のプロジェクトを起こす。だが、20年経って、ここへ来て様子が変わった。今、左の論壇で戦後民主主義に唾を吐く者はいない。それは、戦後民主主義の別名である丸山真男の評価が決定的に変わったことと同軌である。丸山真男は、叩かれる存在から担がれ仰がれる存在に変わった。シンボルの正否が明らかにスイッチした。丸山真男が復権を果たし、戦後民主主義も復権した。同時に、護憲という言葉も復権し、何より日本国憲法と憲法9条の価値が大きく復活した。護憲、9条、戦後民主主義、丸山真男、これらは一つの思想的意味のバスケットに入るものである。現在、反安倍の対抗軸に結集しようとしている者は、60年安保の意義を再発見し、平和憲法と戦後民主主義の意義を認め、平和と民主主義の運動の歴史を自らの基礎として肯定する立場になりつつある。だが、少し前まではそうではなかった。左翼リベラルの陣営の学者たちは、護憲に冷淡で、それを戦後左翼の頑迷な教条体質として批判し排斥する態度が一般的だった。昨年のSEALDs運動で前面に立っていた山口二郎が、どれだけ護憲や憲法9条を貶める言動を吐いていたか、本人の著作から検証することができる。2004年に出した岩波新書『戦後政治の崩壊』を見てみよう。

c0315619_18201629.jpgこう書いている。「また、(略)土井(たか子)の挫折は、憲法第九条をめぐる帰依(略)の風化を意味している。『頑固に護憲』を貫いた土井は、九条に対する信仰を体現した政治家であった。(略)今、社民党は見る影もなく衰弱している。護憲というメッセージが国民に対する訴求力を失ったことは明白である」(P.ⅲ)。「社会党が『護憲』という一枚看板に安住し、政権獲得に向けた政策のイノベーションを怠ったところに、戦後日本政治の不幸があった」(P.17)。「(略)戦後民主主義はイノベーションを欠いた半人前の民主主義であった」(P.37)。「(略)社民党は土井党首のリーダーシップのもと、むしろ思考停止に基づく旧来の護憲主義に戻ることになる」(P.47)。この岩波新書を刊行した同時期、2003年の日本政治学会での報告でも、セッションの冒頭で山口二郎はこう言っている。「現在の社会民主党は、護憲を掲げるシングル・イシュー政党であり、むしろ日本人に社会民主主義に対する誤解を生み出す元凶でしかない」(田口富久治『丸山眞男とマルクスのはざまで』P.267)。これらの言説は、まさしく当時の右翼をはじめとする改憲派が口にしていた貶損の常套句であり、護憲派と土井社民党への侮蔑と嘲弄のプロパガンダ・フレーズであった。今、山口二郎は、10年前に自らが発したこれらの言葉(証拠)とどう向き合うのだろうか。

c0315619_18203077.jpgここに書き抜いた山口二郎の言葉は、まぎれもなく本人の憲法蔑視の態度を指し示していて、平和憲法の価値を認めず、憲法9条を軽んじて重視しない者の主張だ。この態度は、マガジン9条に載っている小熊英二の憲法認識と地平を共通にしている。ブログで何度も取り上げてきたが、あらためて書き抜いておこう。2005年にこう言っている。「僕は別に9条は世界の理想だから世界中に広めようとか、そういうことは考えていません。はっきり言って、そんなことが実現するとは思えませんから」。憲法9条にノーベル平和賞を与えようと熱心に運動している市民団体があるが、この発言を聞いてどう思うだろうか。また、戦後の左派が護憲で大同団結した歴史について、「議論のレベルを下げて思考停止を招いた」と言い、「もう少し現実主義的な議論に踏み込んでもいいと私は思います」と言っている。 山口二郎と同じだ。そして、この立場は民進党(民主党)と同じである。岩波書店の平和憲法に対するスタンスが表されている。護憲を懸命に訴える者に対しては、こうして20年以上、「思考停止」のレッテルが左右から貼り続けられ、「頑迷」だとか「非現実的」と言って否定されてきた。憲法を守るというテーマが反安倍の政治の柱となり、平和憲法の存在意義が見直された現在、護憲を思考停止と嘲る山口二郎と小熊英二はどう言うだろうか。

c0315619_18212453.jpg戦後民主主義がイデーとして復権し、安倍政治への抵抗の根拠として若い世代にも理論武装されたことは、もはや誰にも否定できない事実だろう。戦後民主主義は、それほど簡単に揚棄したり無視したりすることのできないものだということも、今回の政治経験を通じてわれわれの共通認識になった。戦後民主主義の復権は、イコール丸山真男の復権を意味し、丸山叩きに精を出していたアカデミーの脱構築主義の後退と没落を意味する。戦後民主主義とは丸山真男の思想と行動である。戦後民主主義とは平和と民主主義を守る日本人の運動と闘争の歴史である。戦後民主主義とは日本国憲法の理念へのコミットである。戦後民主主義とは60年安保の経験と記憶である。戦後民主主義のシンボルは憲法9条である。今日、立憲主義を言挙げするときの意味と立場は、ほとんど護憲と同義になっている。なぜなら、それは安倍晋三の改憲と独裁に対抗する言葉だからである。5年前から10年前、護憲派は改憲派に押されまくり、マスコミから排除され、絶滅危惧種のような存在になっていた。憲法の政治討論の席に護憲派がおらず、自民と民主の議員でディベートが行われていた。あの岸井成格が、護憲を担いでいたのは革新であり、今は保守が大多数で革新が消えたのだから、護憲も消えるのだとサンデーモーニングで堂々と言っていたのを思い出す。だが、そうはならなかった。

ジョン・ダワーの戦後民主主義の言説が標準的なものになった。


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by yoniumuhibi | 2016-10-04 23:30 | Comments(2)
Commented by 七平 at 2016-10-05 00:57 x

1999年にJohn Dowerが書いた”Embracing Defeat" を読んで、感銘を受けたのを今でも覚えています。 同時に大戦前後の歴史に関し、私が日本で学んだ文部省検定済み教科書が如何に空白、空虚であったかを痛感させられました。日米双方の終戦経験者からの実話とも辻褄があい、後で知った話ですが、司馬遼太郎も ”これを日本人の手で書けなかった事が残念”との読書感想を残しています。 当時、日本への出張の折、原書を読み切れそうな友人にと10冊も買って配ったほどです。 今は翻訳版もあることですし、高校生の必読書にすれば、せめて次世代の日本人は大戦と敗戦を理解して社会にでると思います。

さて、この先日本の政治体制がどのように変貌を遂げるのか判り兼ねますが、昨今の投票結果や与野党の振る舞い、人材を見るにつけ、日本での民主主義は当面表面的な民主主義、一皮剝げば、土着の談合政治が続くと思われます。いくら民主主義体制(憲法による法治、三権分立、選挙)を整えても国民の多くが”Informed Citizen"で無い限り、民主主義は一部の知識層だけでは成り立ちません。洞察力の無い国民は政府に飼いならされたマスコミに先導され、腹黒い政治家に振り回され続けると思います。

Informed Citizen を育てるのは、親や教育機関からの教育なのですが、、、、。


Commented by 中選挙区復活へ at 2016-10-07 18:22 x
《小選挙区制=1人区のみ》という制度が、意見の多様性を反映しないことは、誰にでもすぐにわかることだ。選挙が人気投票的になるだろうことも、すぐにわかる。そして、自分の意見が掬い上げられる可能性がないとわかって、選挙にそっぽを向く人が増えるのは、単なるお祭り騒ぎに堕した投票行動(ポピュリズム)よりも、むしろ健全だとも言えるかもしれない。(もっとも、私は全ての選挙で投票しているけれど)
もうひとつ、「議員を減らす」ことが政治改革だという言説も、まやかしだ。
マスコミが、わざとやっているのだと思う。
本来は、議員にかかる税金を減らすことが、「身を切る改革」なのだ。議員を減らした分、議員一人当たりの歳費を増やしたりすれば、まったく無意味だ。
「議員歳費の値下げをせよ」という問題の立て方をすれば、議員は反対しづらくなるのにも関わらず、「議員定数を減らす」という形にするから、反論を許してしまう。
小学校で習った通り、少数意見の尊重あってこその民主主義なのだから、代議員が多いことそれ自体は悪いことではない。人口が少ないからといって、自然環境も産業も文化も大きく異なる地域をひとくくりにして、代議員を一人だけにしていいはずがない。
つまり、議員を減らすことへの反対は、ある意味で当然なのだ。
ブログ主さんの主張の通り、中選挙区制は、この国の実態に即した制度だった。そして、中選挙区制こそが、自民党ハト派という本当の意味での「保守」を支えていた。確かなチェック機能を持った野党を支えていた。
小選挙区二大政党制という、大雑把で雑な仕組みが、民主主義の理想であるなどとは到底認められない。
人工的につくられ、歴史が浅く、雑多な文化が流入したために収拾がつかなくなった国家が強引に無理矢理意見をまとめるために生み出した仕組みにしか見えない。


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