UKの危機とナショナリズム - E・トッドの「ドイツ帝国」の将来地図

c0315619_15411153.jpgキャメロンが国民投票のやり直しを却下した。ブルームバーグの6月27日の記事に出ている。また、英国下院も「国民投票のやり直しはできない」と声明を発表した。BBCによると、投票のやり直しを求める請願の一部に不正があったという。報ステのスタジオに解説で生出演し、英国のEU離脱の錯誤を言い、離脱派の後悔を言い、再投票の必然性を述べていた細谷雄一の認識と観測は完全に否定される事態となった。英国政治の専門家として面目丸潰れの進行だ。国民投票のやり直しなどできるはずがない。それをやれば英国の分断はさらに深まる。対立と不信が激化し、国内はバラバラになる。イングランドとスコットランドの緊張が増幅され、移民と元からの英国住民との関係が険悪になる。残留派が大差で勝利する保証などない。この複雑で厄介な問題に国民投票という手法を持ち込むことそのものが失策だったのであり、国民投票を繰り返すということは、さらに延焼を拡大するという自滅行為以外の何ものでもない。英国政治の専門家でありながら、再投票でEU残留を決めるべしという現実離れした主張をテレビで論じた細谷雄一。その政治センスの欠如に呆れるが、そうした非常識な観念論を媒介するのは、EUを絶対視するEU主義のイデオロギーなのだろう。



c0315619_154127100.jpgEUを神として信奉し、日本がめざすべきモデルとして無条件に美化する傾向は、中野晃一もそうだが、この年代の(特に左派とされる)研究者に共通して検知される思想的バイアスだ。もし英国議会が請願を受け入れて国民投票をやり直すなどという行動に出たらどうなるだろう。英国は大混乱に陥り、国内は真っ二つに割れて収拾がつかない状況になる。金融市場も大荒れになる。今はまだ顕著な動きになっておらず、誰も口にしていないが、スコットランド独立の気運がさらに高まってそれが現実味を帯びる様相になれば、次はUKナショナリズム、或いはイングランドナショナリズムが勃興する継起となり、スコットランド分離を阻止してUKを保全せよという世論が台頭するだろう。大ブリテン島はナショナリズムの火炎の坩堝となる。冷静に考えて、あの歴史的な国民投票の結果を出した以上、もう後戻りはできない。EUは英国を欠いた大陸欧州のEUとなり、威信と求心力を失い、世界の中で存在感と影響力を衰えさせて行く。そのとき、スコットランドの独立の動きはどうなるのだろう。EUという枠組みと支えがあり、安全で安心な共同体宇宙の前提があったから、スコットランドも、カタルーニャも、言わば気楽に独立運動することができ、楽観的な展望と目標を持つことができた。

c0315619_15414151.jpgだが、EUの基盤的保障が危うくなったとき、スコットランドやカタルーニャの条件は違ってくる。言うならば、クッションの羊水を失い、素っ裸の状態の中で独立運動することになる。そして、一度点いたナショナリズムの火は容易に消せず、スコットランドにしても、カタルーニャにしても、数百年待ち望んだ民族の歴史的機会が到来したように見えてしまう。私が恐れるのは、UKが90年代のユーゴスラビアのような崩壊と流血に至ることであり、スペイン王国が同じ危機に陥ることだ。今からちょうど25年前、6月末、久米宏のニュースステーションで、ユーゴ軍の戦車が首都から北上、分離独立を阻止すべく猛スピードでスロベニア領内に突入する映像を見た。シビル・ウォーたるユーゴ内戦の始まりだった。久米宏は世界情勢をよく知っていて、説明と見通しの文脈を間違うことがなかった。悪夢が再現されるのではないかと、かなり先走りした悪い想定だが、UKの将来に危惧を抱く。思えば、IRAとの紛争も内戦だった。ユーゴ内戦はソ連の崩壊を契機に始まった。ソビエト社会主義圏という、クッションとなりガードともなる外側の共同体の枠組みが崩れ、その宇宙の中の小宇宙が解体を始め、とめどない、マトリョーシカ的な、次から次への小単位の民族の自己主張と主権獲得の動きが始まった。

c0315619_15415162.jpg英国を欠いた新EUは一回り小さくなった印象で、いかにも貧弱になって見劣りがしてしまう。英仏独の三羽ガラスが揃ってこそのEUだった。個性と実力のある英国が一角を占めていたからこそ、英国とドイツの中間に入るフランスの存在感がよく発揮できた。仏独の両首脳が並ぶ絵は、経済的実力の大きさからも、政治的カリスマの器からも、メルケルのドイツが際立って大きく見え、オランドのフランスが小さく見える。アンバランスだ。仏独伊の新トリオの絵には説得力がなく、メルケルのドイツが黄門様に収まり、助さん格さんの子分を脇に従えているように映る。エマニュエル・トッドは、『「ドイツ帝国」が世界を崩壊させる』」(文春新書)の中で、オランドは「ドイツ副首相」だと揶揄している(P.28)。辛辣で半ば自虐的な表現だが、こうなってみると言い得て妙で、英国を欠いたEUを舵取るリーダーはメルケルしかおらず、世界の人々の期待と関心はメルケルの一挙一動に集中せざるを得ない。トッドを引用しよう。「すでにしばらく前から、私はフランソワ・オランドのことを『ドイツ副首相オランド』と呼んでいる。さらに今後は、むしろ単に『ドイツ首相府広報局長』と見なしてもいいくらいだ。彼はもはや何者でもない。すでに例外的な不人気のレベルに沈んでいる。その不人気は、部分的にはドイツへの隷属に起因している」(P.29)。

c0315619_1542463.jpgトッドの「ドイツ帝国」論は、欧州が今後どうなるかを予測した悲観的な分析だが、EUを信奉するEU主義者の日本のエリートには、一般にあまり推薦できない暴論の悪書だろう。トッドの所論に注目せざるを得ないのは、EU崩壊の予言が的中する局面になったからであり、飛躍のある議論でも無視することはできないと思われる。この本で著者が述べている要旨は、一つのカラー地図で総括されていて、本の表紙を開いた口絵のところに印刷されている。ネットにも上がっているから、定価800円を節約する者はネットの地図だけを見るとよい。一枚の欧州の地図が描かれ、国別に色分けがされている。「ドイツ帝国」を構成する諸国には、次の4つのカテゴリーがある。(1)「ドイツ圏」の7か国。オランダ、ベルギー、スイス、オーストリア、チェコ、スロベニア、クロアチア。(2)「民主的隷属国」のフランス。(3)「ロシア嫌いの隷属国」の5か国。スウェーデン、バルト三国、ポーランド。(4)「事実上の被支配国」の11か国。イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、デンマーク、フィンランド、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、キプロス。(5)「併合途上国」の7か国。クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニア、ウクライナ、グルジア。以上、ほとんどの欧州の国々が「ドイツ帝国」の支配下に入る。

c0315619_15421461.jpg例外なのは、(6)「離脱途上国」とされた英国とハンガリー、何故か色分けから除外されたノルウェーの3か国だけだ。このトッドの「ドイツ帝国」の素描と整理をどう評価するかは、人によって様々だろうが、結局のところ、英国の「離脱途上」の洞察は事実として当を得た指摘となった。英国がEUから離脱すれば、ドイツがEUの主導権を握り、ドイツの論理と利害を主軸にしてEU政府の運営が秩序づけられ、ドイツ中心に欧州の経済と安全保障の政策が進められていくことは誰の目にも明らかだ。能力なくして責任なし。責任なくして権限なし。圏域の経済と財政の力を持つのがドイツで、EU統合の責任主体としてのドイツの差配に誰も文句が言えないからである。トッドはアイロニカルな分類を示し、「ドイツ帝国」の中に編成されていく諸国を個性的に色分けしているが、基本的に「帝国」に組み込まれる理由は経済と財政にあり、ドイツの圧倒的な経済力に全体が依存し従属するという結論である。EUという主権国家を超えた共同体のプロジェクトが、意図せざる旋回を遂げ、恰も21世紀の神聖ローマ帝国の如く再編成されるという運命が述べられている。中世の神聖ローマ帝国に較べればこの「ドイツ帝国」ははるかに巨大で、むしろ版図の規模はヒトラーの「第三帝国」に匹敵する。トッドの概念図から逆に照射すれば、かろうじて「帝国」を離脱できるのは英国だけだ。

今後のEU首脳会議は、神聖ローマ帝国の諸侯会議のようになり、盟主である神聖ローマ皇帝が中心に鎮座して、マスコミのカメラはそこにのみ焦点が当たるようになるだろう。


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by yoniumuhibi | 2016-06-30 23:30 | Comments(9)
Commented at 2016-06-30 20:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 長坂 at 2016-06-30 21:51 x
財政危機に陥ったツィプラス・ギリシャに対する「俺様ドイツ」率いるEUの冷徹。記憶に新しいです。トッドによると欧州はドイツの台頭(監督)で第一次、第二次世界大戦に続く第三の集団自決にゆっくりと向かっているそうですが、、、イギリスが抜け、フランスはNeoヴィッシー政権になる?
個人的には離脱して欲しくなかったけど、是非EU創立の理念に戻って平和と協調のヨーロッパに。
中国のAIIBが加盟国数でADBを抜き歴史は新たな局面に突入ですか。
Commented at 2016-07-01 01:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ローレライ at 2016-07-01 14:19 x
『EU崩壊予言』では『浜規子』も思い出してあげたい。
Commented by やおや at 2016-07-01 17:29 x
トッドの本のなかではあまり詳しく示されていなかったドイツ帝国の出来上がるしくみみたいな事がリチャード・クーが数年前に書いた「バランスシート不況下の世界経済」という本にユーロ問題(マーストリヒト条約の問題)の議論のなかで金融財政の視点から詳しく書かれていました。
その中には緊縮財政を押し付けるドイツ政府とマーストリヒト条約は第一次世界大戦後の連合国側がドイツに押し付け、のちにナチスを産み出した無理難題な戦後賠償とかわりないと、ポンドのユーロ合流をヘッジファンドの手法で阻んだソロスの発言も書いてありました。
今回の離脱騒動のなかまたソロスが復帰したと言う情報もありました。
ギリシャから始まったEU問題、ドイツ帝国、海洋国イギリスの対抗、
不謹慎ではありますが、ダイナミックな歴史の展開についつい高揚してしまいます。
Commented by とら猫イーチ at 2016-07-01 19:56 x
日本では、EU賛歌に凝り固まった方々が多いですが、経済学者では、離脱を合理的、と観られる方がおられます。

政治を専門にされておられる方よりもバイアスが少ないのかも。

「多くの論調は、ヨーロッパ統合を目指すEUの理念は絶対的に正しく、また単一市場が経済的に望ましいとしている。

 だから、「イギリスの行動は自国中心主義、孤立主義であり、ヨーロッパにとっても世界経済にとっても望ましくない」という結論になる。

 しかし、以下に見るように、統合がつねに正しいという考えには、再考の余地がある。」

(中略)
 
「今回のイギリス離脱の最大のポイントは、「EUという組織に重大な疑問がつきつけられた」ということなのだ。

 イギリス離脱に触発されて、スウェーデンとデンマークが続くのではないかと言われる。さらに、イタリア、フランス、オランダでも、国民投票を求める声が出ている。

 EU離脱は、イギリスという特殊な一国に限定された問題ではないのである。」

イギリスのEU離脱は経済的に合理的な選択だ 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問] DIAMOND ONLINE
http://diamond.jp/articles/-/93901
Commented by NY金魚 at 2016-07-02 04:55 x
「西欧」という地球上のごく狭いエリアで発達した「科学と技術」の異様な速さに煽動され「地球社会化(グローバリズム)」が進んでいます。―これは僕が自分のブログを書くきっかけにもなった、故井筒俊彦の80年代のことばですが、まさにそのとおり、世界全体が、アメリカを含めた「西欧」=EUと同化し、新自由主義経済の実践場として、グローバリズム経済をめいっぱい謳歌しています。石油利権を絡めた中東での戦争は拡大しつづけ、その均一化、排他化、といちいちその弊害を挙げなくても、底知れぬ格差資本主義の行き先にはなんの希望ももてません。
今回の英国のEU離脱宣言は、当然EUの渾沌を招くと思いますが、経済共同体というものの根源的な改革あるいは崩壊を即すという意味でなんらかの期待をも感じています。アメリカのトランプ支持者と同様に、英国の労働者が移民に排他的に動いた結果というご指摘は当たっていると思います。極論をいえば、排他主義者の集まりであるヨーロッパ人がいかに結束を堅くしようが、その延長線上に「真のグローバリズム」など、まったくありえないと考えます。
日本も極東の島国のくせに、いつの間にかEUの仲間のつもりのようなふりをする人物が目立ちますが、極右首相を支えるおおぜいの排他主義者の面々にそのことがありありと窺えます。
応援している英労働党コービンの不信任動議が採決されたようですが、イギリスとヨーロッパの本質を見極めるための混乱は当分続くでしょう。
Commented by 会社員 at 2016-07-02 05:06 x
EUは第二次世界大戦の反省からうまれたものであり、内戦にはつながらないと考えています。
これまでの不断の努力は評価すべきであり、統一市場のメリットは事実大きい。
英国の脱退にて、英国のみならずEUにもマイナスになります。

現状で問題なのは統一通貨の方。
生産要素間の移動が容易であれば統一通貨の導入にメリットはあるが、そうでなければ統一通貨は導入すべきでない。
経済学者ロバートマンデルが主張した最適通貨圏の考えがまさに当てはまる。





Commented by 会社員 at 2016-07-09 20:19 x
EUよりスペイン、ポルトガルへ財政規律を求めることを勧告するとのことでした。
通貨を共通化するには財政規律のルール化は必須。

統一市場と通貨は一致させる必要は無い。南欧と北欧、東欧の通貨を別にした方がいいと考えます。
ユーロのモデルとなったロバートマンデルの提唱した最適通貨圏はの要件は「生産要素の移動コストが小さいこと」でした。
労働者の移動が容易な範囲に限定すると、EUで一つの通貨では円滑な金融政策、財政政策は無理があると考えます。

統一市場は統一通貨でなくとも可能です。第二次世界大戦後のEU内では紛争は無かったと伺っています。最大の安全保障であると。アジアでも今後目指すべき方向であると考えます。


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