安丸良夫の『<方法>としての思想史』を読む - 17年前の東京女子大講堂

c0315619_16141553.jpg安丸良夫が逝去した。1999年だったが、東京女子大で丸山真男の政治思想史についてのシンポジウムが催され、水林彪が基調講演を行ったあと、数人がパネルディスカッションした中に安丸良夫が入っていた。ずいぶん前、フーコーの『監獄の誕生』をどこかで解説した文章があり、それを読んだのが名前を知るきっかけだった。1996年に校倉書房から出ていた『<方法>としての思想史』が本棚にあり、今回、訃報に接した機会に読み直す時間を持った。本の前半、思想史方法論についての論稿が9編並べられていて、冒頭の「はじめに」で、その全体が総括、要約され、自身の日本思想史研究が回顧されている。文章が秀逸かつ端正で、論理的で読みやすい。語彙が豊富で、表現が的確で、読書に満足と感銘を覚えることができる。日頃、言葉の便槽のような、ネットの荒廃した幼稚な文字列にばかり接しているので、異次元の知的な日本語があることを再確認させられた。ただ、その思想史方法論の中身には根本的に異議があり、それはこの本を最初に読んだときから変わっていない。一言で言えば、丸山真男に対する評価が不当だということであり、「近代主義」という型に嵌めたレッテル貼りで終わっているという点である。丸山真男の理論の普遍性が認められていない。



c0315619_16212282.jpg過去のマルクス主義者や、そこから変転して今日に続いているアカデミーの脱構築学者たちと同じ平板で不毛で杜撰な認識が、安丸良夫においても綴られていて、丸山真男に対する矮小視の論が示されている。このことは、今、安丸良夫の思想史方法論を再読することで、くっきりと、限界性として浮かび上がるものだ。むしろ、実際のところを言えば、80年代から90年代にかけて碩学の地位を得た安丸良夫が、こうした軽率なステレオタイプの丸山論の整理と裁断を無頓着にしているために、学界の若い者たちがそれを常識として受け止め、前提的で標準的な観念として身につけ、口真似して丸山叩きをする態度に出るようになったのだろう。本の「はじめに」の中で、問題に感じる部分は幾つかある。まず重要な欠落を指摘すれば、丸山真男の1972年の論文『歴史意識の「古層」』への言及がない。丸山真男の思想史研究の作品は多いが、代表作を一つ挙げよと言われれば、文句なく、大学辞職後に発表した古層論文が選択されることになるだろう。その次は、戦中、助手時代に書いた処女作の徂徠学2論文(『日本政治思想史研究』所収)が選ばれるだろう。この点、異論があるとは思えない。

c0315619_16231939.jpg通常、マルクス主義や脱構築主義の学者が、丸山真男を「近代主義」として批判するときは、後者の処女論文で丸山真男を代表させていて、藤田省三や石田雄や神島二郎を一括りにして「丸山学派」の概念を与え、バスケットに入れて自らの立場と区別する方法を採っている。「丸山学派」は1950年代に活躍して脚光を浴び、影響を与えたスタディーズとムーブメントで、近代的思惟を理念的に追求し、日本に西欧モデルの市民社会を築こうと図ったと、そういう定式化と表象を与える。1960年以降の吉本隆明の批判や高度成長の現実によって、丸山真男や大塚久雄の研究と理論は意味と足場を失い、人々の関心から外れ、過去のものになってしまったという主張である。「近代主義」批判の一般論だ。この認識(=偏見)は今でもアカデミーで強固に引き継がれていて、上野千鶴子が言い、姜尚中が言い、小熊英二が言い、学者と学生たちの常套句として定着している。安丸良夫もまた、丸山真男と「丸山学派」をこうした範疇で処理し、「過去の歴史」に押し込めていて、その上で、自己の思想史研究(=民衆思想の発見)の意義を語るのである。だが、丸山真男の古層論文に焦点を当てたとき、この安丸良夫の所論はいかにも陳腐で、つまらない自慢話に聞こえてしまう。

c0315619_16243341.jpgこのことは、最近の辺見庸の日記における、丸山真男の古層論文の発見と感動の事実を挙げれば、十分な証拠として承認、同意してもらえるだろう。2010年代の現在の日本の状況は、まさに、基底範疇「つぎつぎになりゆくいきほひ」の猛威を実感する時代であり、また、目の前の「古層の隆起」の暴政に怯える日常である。45年前の古層論文が睥睨する時代であり、古層論文の圧倒的な説得力と方法的真理性の前に誰もがひれ伏す時代だ。結局のところ、1996年の安丸良夫は、当時の脱構築主義者と同じく、「丸山は古い」「丸山は終わった」と蔑視していた一人にすぎず、根拠のない決めつけと固定観念の上に安住する一人にすぎなかったと言えよう。マルクス主義者と吉本隆明による安直な丸山批判の射程に便乗し、丸山真男は一高のエリートだから、エリートである荻生徂徠や福沢諭吉のような大思想家にしか興味がなく、下々の民衆思想には目が向かなかったのだという、きわめて皮相的で浮薄な俗流丸山批判を言って群れ興じる一団の中にいた。安丸良夫はこう書いている。「丸山氏は、独自に確保された分析の次元を再度『土台』にかかわらせようとしなかった。(略)社会史とのかかわりをほとんど欠いた抽象的次元に丸山氏はその研究の論理次元をお(いた)」(P.9)。

c0315619_1627170.jpg何を批判しているのか意味不明だ。丸山真男が社会史をやらなかったことが不満だと言いたいのだろうか。1960年以前のアカデミーに、果たして「社会史」の範疇と言説が実在していただろうか。安丸良夫は、この本の中で朗々と「民衆思想」研究の意味を説き語るのだが、ネットを検索していると、この方面の現在の権威である子安宣邦が、「民衆思想」などというものは単に歴史家のナラティブの産物だと一蹴している情報を見つけて苦笑させられた。歯に衣着せぬ辛辣で過激な極論だが、この批判については当たらずとも遠からずではないかと私も思う。明治の自由民権運動の思想は、果たして「民衆思想」の定義づけが妥当な思想性だったのだろうか。「民衆思想」なるものについて、あるいは「民衆思想」と「エリート思想」の両方について、今日、私だけでなく多くの者がネガティブな気分と視線でいるに違いない。今日の政治思想状況の位置から丸山真男と安丸良夫の二人を眺めて思うことは、丸山真男のペシミズムが際立って魅力的で説得的であることと、安丸良夫のオプティミズムが軽薄で緊張感に欠けていることだ。「はしがき」に書かれている意味は、1990年代後半の日本のアカデミーの盤石に対する自信であり、そこへ寄ってきたところの、職業研究者の営みと流れに対する肯定である。

c0315619_16531690.jpg悲観的で内省的な契機がまるでない。丸山は終わった、俺たちが勝った、戦後民主主義はだめだった、俺たちが再生の理論を提供するという、無邪気であけすけな勝利感だけだ。アカデミーに対しても、現実の政治と社会に対しても、緊張感と危機感がない。つぎつぎとなりゆくいきほひ。まさに、安丸良夫の思想史方法論で描かれた戦後の日本思想史研究の総括は、つぎつぎとなりゆくいきほひの継起と進行と羅列である。(1)丸山の近代主義が出てきて戦後民主主義の啓蒙をした、(2)マルクス主義と吉本がそれを批判した、(3)俺たちが民衆思想の研究をやった、(4)高度成長で丸山は消えた、(5)俺たちが新しい時代を築いたという、だらだらした、締まりのない、半分自慢話の、つぎつぎになりゆきいきほひの列挙と整理だ。それは、自らが地位を築いたアカデミーの全面肯定である。アカデミー業界の現状肯定がオプティミズムを媒介させている。ここで私が指摘したいのは、マルクス主義ならざる、反体制側から既成権威の象徴として糾弾された丸山真男こそが、実はアカデミーを追われた素浪人の身で、今で言えば高齢フリーターの境遇で、1972年の『歴史意識の「古層」』を書いて提示したことだ。マルクスから脱構築に変わり身しようとしていたのは、大学教授の職となって地位と立場を得ていた者たちだった。

c0315619_16532791.jpg二つの思想史のペシミズムとオプティズムの対照には、「土台」の根拠と媒介がある。最後に、1996年の安丸良夫にどうしても言いたいことは、1996年がどういう時代だったかということだ。司馬遼太郎が死に、右翼が「新しい歴史教科書をつくる会」の運動を始め、燎原の炎のように広がり、猛毒の右翼思想が怒濤のごとく全国を席巻した時期だった。忘れもしない。あのとき、小さな町の書店の店頭は、小林よしのり、西尾幹二、藤岡信勝、西部邁、中西輝政、福田和也、渡辺昇一、井沢元彦、秦郁彦、日下公人、田久保忠衛、岡崎久彦、長谷川慶太郎、櫻井よしこ、呉善花、金美齢、黄文雄などで埋め尽くされた。その頃、東大岩波の脱構築主義者たちは、来る日も来る日も、死んだばかりの丸山真男を叩き、大塚久雄を叩き、<解体脱構築>の勝ちどきを上げ、法螺貝を吹き、フーコーが、アレントが、ハーバーマスがと<現代思想>の蘊蓄を垂れ、出版社の志の低い商売をサポートし、近代主義と国民主義は終わった、マルクスとウェーバーも終わった、戦後民主主義は死んだ、俺たちが勝ったと乱痴気騒ぎの饗宴を繰り広げていた。アカデミーを制圧した脱構築主義者たちの敵は、権威であった丸山真男と大塚久雄であり、転向前は自らが所属したマルクス主義であり、目の前で勢いを拡大している右翼ではなかったのだ。

あの日の東京女子大の講堂で、居並んだ面々と口を合わせて、安丸良夫は軽妙に丸山真男批判の言葉を発していた。今からもう17年も前のことだ。私は焦躁しながら、拳を握りしめ、憤怒で身を震わせながら、客席から壇上の一人一人を睨みつけていた。


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by yoniumuhibi | 2016-04-07 23:30 | Comments(0)


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