『母と暮せば』と次の戦争の絶望 - 死んでゆく意味すら信じられぬまま

c0315619_17195510.jpg山田洋次監督の『母と暮せば』を見てきました。井上ひさしが戯曲を書いて黒木和雄が映画化した『父と暮せば』の登場人物を逆の配置にし、長崎の原爆投下で母の方が生き残り、息子の方が死に、3回忌の夜に幽霊になって現れるという物語です。井上ひさしは、広島、長崎、沖縄と三部作を構想していたらしく、その長崎編を山田洋次が遺志を継いだ形で映画化した作品だそうです。山田洋次の新作で、吉永小百合が主演で、戦争をテーマにしたものですから、何はさておき見なきゃということで映画館に足を運びました。師走のシネコンは『STAR WARS』の客でごった返していました。とても悲しいお話で、救いのない印象を受けました。正直に感想を言えば、比較して、黒木和雄の『父と暮せば』の方がずっといい。『父と暮せば』の方は、ハッピーエンドという表現は適当ではないですが、次の生への希望というか、命の絆というものを最後に感じることができました。映画の中にすっかり没入して、感情移入して、ラストの宮沢りえの「おとったん、ありがとありました」の台詞を聞いたとき、ああよかった、素晴らしい作品だったと満足と感動を覚えたものでした。今回は、ラストの部分に暗い違和感と絶望感が残りました。作品全体の評価でも、『父と暮せば』が90点なら『母と暮せば』は60点です。宮沢りえと二宮和也の演技力の差ということになります。『父』の宮沢りえは絶品だった。



c0315619_1720674.jpgその違和感と絶望感の中身について考えています。映画の冒頭、8月9日の朝、雲に隠れていた小倉から長崎に標的を変えて飛来したB29が、プルトニウム型の原爆を落とし、長崎医科大学の教室で講義を受けていた二宮和也が即死します。そこからドラマが始まりますが、非常に衝撃的な映像でした。私が思ったのは、これがもうすぐ自分自身の運命になるということでした。今年、BlogやTwで何度か申し上げてきたところの、『ターミネーター2』のサラ・コナーが、子どもが遊ぶ公園で金網を掴んで断末魔の声を上げるあの場面、LAの街が核攻撃で一瞬に焼き尽くされる恐怖の地獄図への立ち戻りです。核戦争になるだろう、自分もその被害者になるだろうということ。今回、安保法が成立し、秋には国会が開かれず、マスコミもその話題に積極的に触れなかったため、安倍晋三が次に何を仕掛けてくるかという問題は、マスコミでもネットでも全く議論されず、関心にも上っていません。年が明ければ、安倍晋三の顔がテレビに出始め、新しい動きを知ることになるでしょう。任期はあと3年。当然、来年は悲願の憲法改正に動いてきます。大阪ダブル選で橋下徹が勝ったことで、安倍晋三はその政治の条件を得ました。今、山本義隆のを読んでいて、岸信介の話が出てきますが、岸信介は明確に核武装の計画を持っていて、1958年の正月、伊勢神宮への初詣の代わりに東海村の原発施設を訪れたそうです。

c0315619_17201597.jpg残り3年の任期における安倍晋三の計画の中身は、岸信介がやろうとして果たせなかったことの実現です。すなわち、憲法改正、核武装、徴兵制であり、実際に中国と戦争を始め、中国との戦争に勝つことです。祖父の夢を実現することです。中国との戦争が始まれば、それが核戦争に行き着くということは、Blogで幾度も説明してきたことなので、あらためて詳論する必要はないでしょう。映画『母と暮らせば』は、救いのない結末で終わっていて、そこに何かが暗示されているような悪い予感がしてなりません。ここ数年、ずっと思っていることで、今年は特に強く思っていることを率直に言うと、もしそのようにして、私たちが戦争で死ぬことになったとして、私たちの死はどういう歴史の意味づけになるのだろうかという問題があります。天皇陛下が式辞で言うところの、「戦場に散り戦禍に斃れた」人々は、あのように死を悼まれ、戦後日本の平和と繁栄の礎になった尊い犠牲だと、そのように意味づけられています。私たちは、平和と繁栄の日本社会を生き、不幸にもそこに身を置くことのできなかった当時の人々の霊に手を合わせています。果たして、私たちは、そのようにして私たちの死を悼んでくれる日本人を、心安らかに天国から見ることができるでしょうか。私たちの戦争での死は、後の日本の平和と繁栄の礎となる犠牲という意味になるでしょうか。そのことを確信できるでしょうか。

c0315619_17202558.jpgそういうことを考えるわけです。どうせ死んだら終わりで、どっちだっていいのかもしれませんが、次の戦争で市民が大量に死ぬことになったとして、きっとその死は、70年前の人々のような歴史的意味にはならないでしょう。顧みられないというか、何も意味づけされないというか、意味を与えられる存在にならないというか、後の日本の平和と繁栄に貢献した死になっていない可能性が高いと想像せざるを得ません。70年前の人々はそうではなかったと思います。つまり、何が言いたいかというと、同じ日本人でも70年前とは人間が変わってしまったということであり、人間不信、日本人不信という問題を言いたいわけです。戦争をやれば、生き残る人と死ぬ人が出る。そのことは70年前と同じでしょう。でも、生き残った人々は、決して、死んだ人々のことを大事にはしないと思うし、天皇陛下の言葉のように、胸に刻むとか、いつも心を寄せ続けるとか、そういう存在にはならないのではないか。そもそも、そのような平和と繁栄の日本にはならないのではないか、そんな戦後日本は再建設されないのではないか、戦争を心から反省して再出発するという未来にはならないのではないか、と、そう思えてなりません。話は少し変わりますが、例えばシリアはどうでしょう。5年間の内戦で死者は25万人を超えました。国の人口の1.1%です。日本に換算すれば140万人、滋賀県や山口県や愛媛県の人口です。戦争終結まではもっと多くの犠牲者が出るに違いありません。

c0315619_17205010.jpgこの内戦で死んだシリアの人たちは、70年前に死んだ日本人のように、「平和と繁栄の礎となってくれた尊い犠牲」として意味づけられ、後のシリア国民から敬意を払われて手を合わせてもらえるでしょうか。私は、そのことについて悲観的です。シリアという国はなくなるかもしれない。シリアが平和で豊かな国に生まれ変わるなら、シリア内戦で死んだ数十万人は70年前に死んだ日本人と同じになるけれど、シリアという国が消えれば、その人たちはシリア人と呼ばれるのかどうかさえ危うい。私は、日本の次の戦争についてそのように絶望的に考えています。日中戦争で1000万人くらい死ぬかもしれない。でも、ということは1億1800万人は生き残る。その1億1800万人は、いま生きている人たちだけれど、この人たちの内面が70年前の新生日本の人々と同じようになるかということに期待と確信が持てないのです。今年の夏、戦争法に反対して運動した多くの人がいましたが、純粋に一市民としてデモに参加した人は別として、このデモを企画した人たち、撮影した人たち、記事にした人たち、新聞やテレビで報道した人たち、壇上でマイクを握った人たち、この人たちが、本当に心の底から戦争を止めようとして国会前の空間に立っていたのかどうか、私は怪しんでいます。仕事だから、これをネタにすれば売れるから、そういうビジネスチャンスの欲望であの空間に殺到して、機会を利用していた人たちがあまりにも多すぎると思うからです。

c0315619_1721238.jpg倫理がない。精神がない。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のような日本人がいない。精神を持った日本人がいないから言葉がない。言葉が出ない。そういうことなのではないでしょうか。こんな、戦争を止めるかどうかの瀬戸際の大きな政治戦だったのに、言葉がありませんでした。心に響く言葉を発した知識人がいませんでした。澤地久枝ですら、プラカードを掲げてマスコミの写真になったけれど、言葉を発してくれまでんでした。今の日本人は、憲法の前文と9条で守られている人々ですが、自ら憲法の精神を体現した倫理的な人々のようには私には見えません。憲法で守られているけれど、憲法で人を守ろうとしていない。もし、本当に戦争法に反対する人々が憲法の精神を自己の内面に保持していた、70年前の戦後日本人と同じであったら、あんな胡散臭いSEALDs運動などには批判をしていたはずです。ちょっと待て、それは売名と出世が動機じゃないのか、不純な動機が隠れてないか、そんな不純物を運動の中心に据えたら、保守の多い国民のマジョリティに見抜かれて、法案反対運動のモメンタムが落ちるんじゃないかと、そう警告をする者が出ないといけませんでした。現実には、高橋源一郎が7月20日にサンデーモーニングで本音を漏らしたところの、「ボクは法案が通るのは仕方ないと諦めているけれど、若者がデモをして民主主義を盛り上げてくれたらいい」という路線で固まってしまいました。そのまま9月まで突っ走り、法案阻止運動は負けました。

c0315619_17211424.jpg次の戦争が終わったとき、高橋源一郎は生きているでしょう。タレントに化けたSEALDsの学生も生きているでしょう。法案反対運動をSEALDs運動にスリカエた狡猾な学者たちも生きているでしょう。デモを仕掛けて売って儲けた人々も生きているでしょう。でも、彼らは、そのことに後悔も反省もすることはなく、自責の念にかられることはなく、「あのときは日本の民主主義の再生に貢献した」くらいに回顧することでしょう。いったい、あの安保法案の政治闘争のときに安倍政権を倒すことができなくて、選挙にせよ何にせよ、法案が通った後にどうやって安倍政権を倒すというのでしょう。あの乾坤一擲の勝負のときにまともに戦えなくて、どうやって安保法を廃止にするというのでしょう。野党は、最初から法案阻止の態勢と決意ではありまんでした。民主はもとより、共産ですら、法案阻止の想定は頭の中になく、法案通過ありきで国会戦術に臨んでいました。民主の幹部は、間違いなく自民の幹部と料亭で腹合わせしていました。夜の料亭で自民と腹合わせした民主と、共産がどこかで腹合わせしていました。その共産と、SEALDs運動を指導する面々が腹合わせしていました。そのSEALDs運動の幹部たちと、マスコミ(左派メディア)が腹合わせしていました。腹合わせの二乗三乗四乗の欺瞞でした。そうして、出来レースの八百長国会の日々が流れ、国会前で商売繁盛の左翼リベラルのビジネスマンの日々が流れ、私たちは負けたのです。安保法は戦争法と呼ばれていました。

戦争法が成立して運用が始まるのですから、戦争が始まるのは当然のことです。私は無念でたまりません。


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by yoniumuhibi | 2015-12-24 23:30 | Comments(7)
Commented by そらみち at 2015-12-24 22:14 x
貴ブログに触発され、君たちはどう生きるかを約20年ぶりに読み返しました。年を重ねれば新たな発見があります。ナポレオンの章で、真の英雄は人類の進歩に貢献する者だとの言葉があり、改めて個人と社会が向かうべき方向を指し示してもらった気がします。

また、戦争の暗黒時代を踏まえた上で、次の世代に未来を託した吉野源三郎の思いも強く感じました。

そこで私の中でつながったのが、浜田省吾の最新アルバム「Journey of a songwriter」のなかの「アジアの風 青空 祈り」3部作、とりわけ「青空」です。

あまりマスコミで取り上げられませんが、本ブログでの再三の危機意識と合い通じる背景から書かれたことは間違いない、傑作です。

アジアの為政者と若者をロミオとジュリエットの物語に例え、思想を無理強いする指導者に対して、はるか地平を目指す若者に期待するという、まさに君たちはどう生きるか的な世界が描かれています。自ら被爆二世である浜田省吾の、戦後に培われた知性、教養と誠実さが見事に結晶した傑作であると思います。ぜひブログ主さんに聞いていただければ、と思います。

なお、このアルバムのラストの曲である「誓い」は、戦後民主主義、憲法9条への惜別の歌のようにも聞こえます。
Commented by 愛知 at 2015-12-24 22:27 x
心に響く言葉の数々―――に深く御礼申し上げます。子細な事柄で恐縮ですが、仕事を終えた後、幼い孫たちと倹しいイブの夕餉から戻ったところで貴下記事に接しました。

私の知らないところで細君が孫たちに買っていたPDAの能力に驚きつつ。着せ替え人形だった女の子が描画機能を使いたいとケンカになったので、そんなもの要らんと包装紙の裏に絵を描いて遊んでいました。

まだ平仮名さえ書けない幼子と戯れつつ、焼かれたら骨も残らないだろうと、一人、落ち込みました。シリアのお子さんたちも。

9月19日の貴下ブログを思い出します。沖縄のお若いお母様からのご質問を。戦況をお尋ねになられたひたむきなお心を。

天皇誕生日には、左派からの今上陛下に対する罵詈雑言に接し、ああ、もう終わりだなと痛感させられました。求めることすら心苦しい時節乍ら、タフなブログをお続け頂きますよう心よりお願いを申し上げます。
Commented by mujinamiti at 2015-12-25 00:03
二乗三乗四乗の腹合せ、は偶然生まれたビジネスチャンスの結果、相互利益の為に生まれた、ではないように思います。
閣議解釈改憲、既にこの時から、全て出来上がった台本をそれぞれのダイコン役者が演技する茶番劇、だったと今は解釈しております。

シイルズは共産党傘下の駒。陰謀論を言う者の多くはこの関係を疑いますが、シイルズの行動プロセスを見る限り、シイルズは共産党&自民党傘下の駒、だったと見えてきます。
極論すれば「しばき隊」そのものが自民党傘下ではなかったか。
反ヘイト・反レイシスム建前の元での言論弾圧。「しばき隊」が在日コリアンを背景に置いている為マスメディアは決して「しばき隊」にまで手は出さない。そこまで計算し尽くした上での「しばき隊」スカウトとシイルズのメディア戦略。

TBSもテレ朝も、乗せられた後にハシゴを外され自滅した。
乗せた者は局の上層部。初めから反政府寄り番組を潰す意図が有ってのシイルズ露出を押し、空疎化させ、国民からの疑惑を導出させた。
自民党が直接手を下さずとも意を汲んで動く利益共有体、電通・博報堂がいます。彼らがシイルズのメディア戦略を創作し、しばき隊をカネで動かしシイルズを動かした。

本当に、あの2番組が念仏しか唱えないシイルズ運動で法案阻止が出来る、と考えていたなら、制作陣は皆阿呆です。
「ボクは法案が通るのは仕方ないと諦めているけれど、若者がデモをして民主主義を盛り上げてくれたらいい」
この言葉に代表されるように、エセ左翼はみんな「法案が通るのは仕方ない」の考えを持ち、その腹黒さを隠すためのシイルズ音頭、しばき隊の暗躍、だったと思います。
Commented by 星のかけら at 2015-12-25 07:22 x
黒木和雄監督がお亡くなりになる前年、故郷宮崎での講演会を聞く機会がありました。全身黒づくめの立ち姿で、「父と暮らせば」での宮沢りえの素晴らしさについても語っておられました。私は話を聞いた後に観たのですが、こちらも今は亡き原田芳雄とやり取りする言葉のひとつひとつの重さ、リアリティーに背筋を正され、身震いする思いでした。

シールズに関しては、ブログ主様のご意見も確かに的を得ているとは思いますが、特に沖縄で声を上げたシールズ琉球の学生たちは、それほど本土のコマーシャリズムに持ち上げられてないがゆえ、志の高さと健全さを感じています。

先日ここ熊本で、来る参院選の野党統一候補として弁護士の阿部広美さんという方が擁立されました。年明けにはすぐ宜野湾市長選挙もあります。正念場の2016年になりそうです。ブログ主様におかれましても、ご自愛のうえ、よいお年をお迎え下さいませ。
Commented by 愛知 at 2015-12-25 23:56 x
沖縄は、何度も何度も闘わなければならない。いつもいつも、底辺の市民が生身の体を張って、緊張と辛坊を続けて、地上の星となって、苦しい闘争を続けなければいけない。辺野古の海を守る闘いも、高江の闘いも―――貴下ブログ2013年(2年前)12月26日から引用。

日本の不可解な動向は、長い平和に倦んだ精神の腐食のようにも見え、1930年代のナチスドイツの歴史の再現のようにも映る(中略)中国との戦争が勢いよく転がり始めた。来年は集団的自衛権の解釈改憲が断行され―――貴下ブログ2013年(2年前)12月24日から引用。

202年8月27日に、崇山村の人々が村中心の広場に集め、日本からの国際電話を待っていました。”敗訴”と伝えられる時に、空から雷が伴って討って来ました。今までないような激しい暴雨が降り出した。
”神様も泣いたと。”と村民たちが言う。その”敗訴”の結果は、村人に細菌戦被害者に新たな”屈辱”と感じさせられたとは言えよう。
言えば、紅衛兵さんたちがお父さんを”売国者”として批判したもう一つの理由は父が知識者として村民をペストから助けなかった。当時の父ができないことを私は引き継いでやっています―――731細菌戦国家賠償請求訴訟・控訴人・王選さんの陳述書(当時)から引用。引用箇所は、弁護団事務局のサイトに記載されたままです。

何度も恐縮ですが、重ねて記事のアップ、前2弾の選書のご紹介に深謝申し上げます。
Commented by naosaku at 2015-12-26 18:39 x
時々拝読させて頂いている者です
まさにその通りだと思います
僕は生まれつき歩けませんが悲しいかな
健常者には決して理解されない事柄が
あります 当事者にしか分かり得ない
ことが・・・
戦争も同じではないでしょうか?
今戦争体験者当事者はほとんどいなくなり
本当に戦争の無意味さ虚しさを理解している人も
この世から去ってしまいました
更にあの好戦大国がのさばっている限り
悲惨な戦争はなくならないでしょうし
Commented by mori at 2015-12-28 16:53 x
日韓間で「慰安婦」問題が「最終的・不可逆的解決」をさせられてしまったことに、絶望的な思いです。本当はこの交渉が始まった頃から日韓のリベラルや女性団体は共同でデモを起こすべきだったのですが、今回簡単に(アメリカに両国政府が)押し切られてしまい、またも日本及び韓国のリベラルの敗北(不戦敗)ということになりました。
安倍も岸田も(彼らの支持者たちも)「軍の関与」など認めてこなかったし、思想的同類たちが口汚く罵るように「慰安婦」の歴史的事実も彼女たちの人権も一切顧慮してこなかったはずなのに、どの口が言っているのかという目眩のするような手酷い嘘がばら撒かれ、正当化されました。日本政府が勝手に言っているならそれはまだいいが、韓国政府がそれに合意してしまったことに暗澹たる気分では済まされない思いです。
日本政府が嘘を言っていること、その裏で仲間たちと一緒に彼女たちを罵って「溜飲を下げて」いることは明らかです。「どの国だってやっていたじゃないか」「自発的な商売が多く含まれている」「強制性は無い」と国内も国外にもいくらでもアピールしてきた日本政府にこのタイミングで屈しようというのだから韓国政府の惰弱さには恐れ入ります。
SEALDsもCRACもReDEMOSも他の日本の平和主義者たちもリベラルも、なぜ一斉にメディアに攻勢をかけて声明を発しないのか。もとより期待などしちゃいないが、一抹の「民主主義のこころ」をお持ちなら、両国政府のクソッタレな嘘と欺瞞に抗議の声を上げてくれ。
本当の解決とは「少女像を撤去しないこと」「慰安婦関連史料の記憶遺産登録」「日本の極右政権の転覆及び日本の歴史修正主義の撲滅」の条件が満たされなければなりません。


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