東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」

c0315619_14421041.jpg文化の秋。東京国立博物館で催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」に行ってきた。今年の東博の目玉はこの企画らしい。昨年(2014年)は「台北 國立故宮博物院-神品至宝」だったが、上野では真夏の季節の開催だったため、秋に巡回する太宰府の九博に出かけて見に行った。東博を訪れるのは、一昨年(2013年)の「京都―洛中洛外図と障壁画の美」以来となる。初日から3日目の午後の入館だったが、心配したほど人出は多くなく、混雑のない中でゆっくり展示を見ることができた。人気の企画展となると、平成館の玄関前に長い行列ができて入場まで待ち時間を強いられる。春に開催された「鳥獣戯画展」では、お目当ての甲巻を見るのに5時間も並ばされたらしい。全体に、このところ日本の文化芸術の方に人の関心が向いていて、中国の文物には興味が集まらない傾向にある。政治の影響が色濃く出ている。しかし、一方で、東博のような大型の博物館で企画展をやるとなると、中国の力を借りないと本格的な出し物を作れないという現実と事情もあるのだろう。また、昔からの経緯と誼(よしみ)で、東博と中国の文化当局が日中の親善交流事業を絶やさず繋げようと営為している雰囲気も何となく窺われる。今回、実物の俑が10体展示され、銅車馬(レプリカ)も展示されていた。



c0315619_14422990.jpgもし、あの銅車馬(レプリカ)が西安郊外の兵馬俑坑博物館から持ち込まれたものだったら、今、兵馬俑坑博物館を訪れた観光客は、お目当てのそれを「日本に出張中」のため見れないという事態になる。中国にとっては出血大サービスだろう。私は14年前に現地で銅車馬を見たが、本当に圧倒されたことを思い出す。銅車馬があるとないとでは、兵馬俑坑博物館の観光価値に大きな差が出る。これまで、兵馬俑は何度か日本で展示されてきたが、2両の銅車馬が一緒に来るのは初めてではないか。それから、実物10体のについても、正直に言って見逃せない価値があると思う。10体の中の「将軍俑」とか「騎射俑」とかは、兵馬俑坑博物館の展示の中でも俑の個体としては特別な逸品で、俑を展示するコーナーの中では、現地でアテンドしてくれる旅行ガイドが必ず立ち止まって説明をする重要なものだ。西安の現地では、一日の観光スケジュールがあり、次に楊貴妃が浴を賜った華清池へ移動しなくてはいけないから、一つ一つの俑を丁寧に眺める時間が取れない。観光客は、博物館に入ってすぐに案内され見下ろすところの、軍団が整列する坑全体のパノラマに絶句させられ、呆然としたまま時間が過ぎ、その場に釘付けになってしまうので、陳列された展示物を見る行程が駆け足になってしまう。

c0315619_14424115.jpg上野東博の展示の観賞は、付き添いも次の予定もないから、俑の一つ一つを自由に存分に堪能することができる。展示の仕方も、現地よりもゆったりした配置で、窮屈さを感じることなく観賞を楽しめた。今、西安に内外から押し寄せる観光客は、14年前とは比較にならない規模と勢いだろうから、少なくとも俑の個体を詳しく観察する上では、現地に行くよりも東博の方が好条件だと言えるかもしれない。今回の東博の展示は、例によって平成館の2階で行われ、吹き抜けのロビーを挟んだ左右のフロアのスペースで催されている。エスカレーターを上がった左手に音声ガイド機器の受付があり、520円を払って貸し出し端末を首にぶら下げ、ヘッドフォンを頭に装着して順路を進んで行く。今回のナビゲーターは壇蜜が抜擢されていた。展示全体は、(1)秦王朝の軌跡、(2)始皇帝の実像、(3)兵馬俑と銅車馬、の三つのパートに分かれていて、前半の(1)と(2)を左のフロアに配し、後半クライマックスの(3)を右のフロアで大胆に見せる構成と演出にしている。(3)のうち、小さく仕切った手前の空間に銅車馬を置き、そして、入口にスロープがあって高い視線から見渡せる大きな空間をミニ兵馬俑坑にしていた。(1)と(2)は青銅器などの文物を中心に歴史を勉強してもらい、(3)は観光客気分で娯楽の満足を堪能してもらうという仕掛けだ。

c0315619_14425215.jpg(1)は始皇帝までの前史で、甘粛省の辺境から興った秦が春秋戦国を経て強大な国家に成長するまでが説明されている。(2)は始皇帝の統治を伝えるパートだったが、ここの展示が期待よりも若干薄めだった感がしないでもない。始皇帝の人物像は、何より史記をベースとする物語のテキストで説明されている。その知識と観念が先行し、巨大で強烈なキャラクターである始皇帝がそそり立っているため、考古学的な小さな史料の一つ一つは、どうしても後追いの弱い印象になってしまう。われわれが始皇帝の展示で見たいもの、期待するものは、阿房宮を再現した壮麗な建築セットであり、始皇帝陵の地下宮殿のCG映像であり、兵馬俑坑のスペクタクルに匹敵するところの、史記の記述を可視化するスケールの大きな構造物や集合体なのだ。が、(2)の展示の中で二つのものに目が止まった。一つは(分銅)である。度量衡統一の歴史を証明する秦の分銅の実物。直径13センチ、高さ10センチ、重さ7.6キロの青銅の分銅。権力の権の漢字が分銅から来ていることを、司馬遼太郎が何かの作品で紹介していた。分銅には始皇帝と二世皇帝の名が篆書体で銘文に刻まれ、度量衡統一の命令(詔)が書かれている。権(分銅)の横には(枡)もあった。兵士に配給する糧穀の一日分、500ミリリットル容量の青銅製の枡だ。「量」の漢字はもともと枡の意味である。

c0315619_1443540.jpg(2)の展示で注目したもう一つは、始皇帝時代の銅貨である。直径2.3センチ、重さ2グラムの鋳造銅貨。中心に正方形の小さな孔が空いている。東アジアの古代貨幣の共通モデルとなり、奈良時代の和同開珎から江戸時代の寛永通宝まで、日本ではずっとこの円形方孔のデザインの銅銭が使われた。原点は秦の始皇帝による中国統一事業にある。この銅貨の展示の横に、当時、戦国時代の中国の各国(六国)でどのような貨幣が使用されていたかの説明パネルがあった。東の燕と斉では刀子(ナイフ)の形をした特殊な銅貨(刀銭)が使われている。中原の韓・魏・趙では、布銭と呼ばれる農耕具の刃先を擬した形の銅貨が使われていて、南の楚では子安貝の形を模した楕円形の銅貨が使われていた。各国で貨幣の仕様形状が様々だった。これらが始皇帝によって統一され、秦の方孔円銭に標準化された。経済の手段として、使い勝手からすれば、明らかに他国のものより秦の方が合理的だ。シンプルで壊れにくく扱いが易しい。始皇帝と李斯、二人の思想と個性の反映に違いないが、合理主義の統治政策が際立っていると言える。秦は中原から遠く西に離れた地に位置し、出自も西戎と中夏の境目の怪しさで、蛮族という偏見の目で見られていたが、政策の中身は中原の国々より合理的で先進的で、すなわち普遍性を持っていた。ウェーバーの辺境革命論を想起させられる。

これだけの数の兵馬俑にお目にかかるのは、もう最後の機会かもしれない。西安には、もう二度と行くチャンスはないかもしれない。そう思うと、平成館を立ち去るのが名残惜しい気持ちになった。上野もすっかり外国人観光客が多くなっていて、駅(アトレ)のスタバの客も半分は外国人だった。


c0315619_14432071.jpg

[PR]
by yoniumuhibi | 2015-11-02 17:54 | Comments(2)
Commented by NY金魚 at 2015-11-03 08:52 x
遠い歴史への旅は、ときに実際の遠い外国に行くより精神を刺激しますね。秦の始皇帝陵にあるホンモノの兵馬俑はもちろん見たことがありませんが、メトロポリタンにもアメリカ人が(どのようにか)もってきた10体ほどの俑があります。秦という史上最古の帝国ができて、生け贄のかわりに人形たちが王を護る姿がけなげというか。でもよく考えたら兵士として戦争で殺されるのは生け贄よりたちが悪い。まだ国家ができていないそれ以前の時代における戦争の系譜を、当方ブログに書いていて、つくづく考えてしまいました。国家は兵士を殺すために養っているのだと。司馬遼太郎が権力の権の漢字が分銅から来ている下り、おもしろく拝聴しましたが、権という字のどこが分銅なんでしょうか。
Commented by 長坂 at 2015-11-03 13:52 x
兵馬俑展もうご覧になっちゃったんですねえ!鳥獣戯画の時は売店で我慢だったので、今回は大雨のウイークデーか2月の一番寒い時迄待とうかと思っていたのですが、、、NHKスペシャルの前に是非行ってみます。
ついでにパンダも見て、上野の "リトル西安" を楽しみたい。大混雑を予想してたので意外です。まさか反中の影響⁇ 考え過ぎですね。


カウンターとメール

最新のコメント

こんにちは。今の世の中の..
by r_tta at 15:29
辺見さんの「こころの時代..
by 長坂 at 10:47
籠池泰典のロンダリングを..
by 愛知 at 03:35
頓馬な稲田朋美の百人斬り..
by 和田啓二 at 15:37
「邦人保護のため、海自艦..
by 愛知 at 02:53
現天皇は ”愛国心は..
by 七平 at 05:37
福島原発事故を当時担当し..
by 愛知 at 03:30
鹿児島の知事も方針転換し..
by 須田 at 22:20
日本でも大きく報道さ..
by 七平 at 13:44
 アベ政治があと10年続..
by 風邪小僧 at 12:38

Twitter

以前の記事

2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月

記事ランキング