共産党の「安保容認」方針と東京新聞の改憲工作は表裏一体の政治か

c0315619_1814778.jpg東京新聞が「こちら特報部」に「新9条」の特集記事を載せて1週間が経った。現在のところ議論は不活発で、大きな話題になっていない。本来、これは衝撃の事実であり、護憲派あるいは左翼リベラルの界隈を揺るがす大事件のはずなのだが、激震が走ったという状況にない。「新9条」論は、個別的自衛権と自衛隊を認めて9条を改定しようという明文改憲論で、まさに「普通の国」への移行であり、こんな提案が東京新聞から打ち出されたのを見れば、普通の護憲派の市民は腰を抜かして驚き、蜂の巣をつつく騒ぎになって当然だ。が、そうした反応を示している例がほとんどない。護憲派の憲法学者から反論が上がらず、マスコミで著名な定番論者から批判が聞こえて来ない。波紋が広がらず、議論がなされず、不思議な静けさに包まれている。おそらく、皆、関心がないわけではなく、事件を知りながら知らないフリをしているのだ。様子見している。日和見をして待機しているのである。口を差し挟めば、自分の意見を明確にしなければならない。「新9条」論に賛成か反対か、立場を決めなくてはいけない。常識で考えれば、提案の中身だけを判断すれば、平和憲法を否定する明文改憲に賛同できるはずもないのだが、想田和弘だの、伊勢崎賢治だの、左翼リベラル業界で人気のブランド文化人が提起した運動であり、定評ある東京新聞が担いだ取り組みだから、率先して異を唱えるのには躊躇を覚えるのだ。



c0315619_182415.jpg想田和弘や伊勢崎賢治には多くの信者がいる。言論業界での地位と人脈もある。「新9条」論を批判することは、これらを敵に回すことであり、関係を壊すことに繋がる。そして、もしこのムーブメントが拡大して左翼リベラルの中で大勢となり、護憲派の支持を集める事態になってしまえば、そのときは、最初に反発の声を上げて阻止に出た者は少数派となり、孤立して異端となってしまう。実際に25年前、岩波と朝日の後押しを受けた山口二郎の「政治改革」は、このようにして"左"の切り崩し工作に成功し、従来は小選挙区制に反対していた者たちを賛成に転向させた。そのとき最後まで「政治改革」への反対を貫徹した者は、頑迷な守旧派と誹られ、時代遅れの左翼とレッテルを貼られて排斥され、惨めな敗者となってマスコミや論壇での発言の場を失った。今も昔も構図と手口は同じだ。「政治改革」を扇動した者たちは、時代の勝者となり、論壇で不動の地位を築き、テレビでギャラを稼ぎ、アカデミーで出世の階梯を上り、今では業界の重鎮として栄誉栄華を極めている。政治戦での勝者と敗者は天国と地獄に分かれる。左翼リベラルの者たちが東京新聞の反動を前に口を噤んでいるのは、正論を主張して少数派の立場に立ちたくないからであり、異端になりたくないからだ。「新9条」が護憲派を説得して主流となる可能性を窺い、後から賛成に回ろうと息を潜めて待機しているのである。

c0315619_1821679.jpg東京新聞が10/14に「新9条」論を打ち上げたとき、すぐに直観したのは、この面子のこの提案なら、維新・民主・生活の3党がOKで纏まるだろうという政治への影響だった。この改憲論は小林節の従来からの持論だ。そして、維新・民主生活の3党にとって以前からの憲法方針である。来年の参院選、安保法を通した安倍晋三はいよいよ改憲を争点にする魂胆であり、もしそうなった場合は野党は態度を決めなくてはいけない。そのとき、従来の護憲を公約にするか、それとも何か別のものを置くかという対応になる。維新・民主・生活は、小林節が主導するこの提案に乗り、「立憲主義の新9条」をアピールし、自民党の憲法草案との差別化を訴えて支持を集める戦略を採るだろう。現時点で、共産と社民は9条を守る護憲の立場であり、個別的自衛権を認める改憲派との間に対立軸がある。だが、果たして、共産のこの姿勢は揺らぐことはないだろうか。東京新聞が10/14に「新9条」を打ち上げた翌日、10/15に志位和夫が記者会見で日米安保容認論を発し、「『国民連合政府』が実現すれば、安保廃棄の方針は凍結し、自衛隊と米軍との連携を容認する」と発表した。「急迫不正の主権侵害が起これば、自衛隊を活用するのは当然のことだ」とも言っている。翌日(10/16)の朝日はこれを1面で報じ、3面でも解説記事を載せている。他のマスコミも大きく報道、「共産党の柔軟路線」が世間に印象づけられた。

c0315619_1822718.jpg朝日の記事は、「本格的政権を念頭に党綱領の根幹の凍結を打ち出したことは、実質的な政策転換であり、党の存在意義に関わる賭けでもある」と書いている(3面)。共産党に近い部分ではそれを否定するが、世間一般の受け止めは「実質的な政策転換」であり、「共産党が日米安保を容認した」という理解になっている。実際、凍結と言っても、政府の一員として日米安保の政策を認め、アーミテージの要求を受けて政府の安保政策を進める責任者になるのだから、与党から野党になったら凍結解除と言っても、一つの政党である以上、そのような想定と公約に説得力はない。特に共産党は民主集中制の組織だから、党内で複数の立場で政策が議論されたり変更になることはなく、執行部が変わって政策も変わる(他党ではある)蓋然性がない。幹部は基本的に終身制だ。政府の中に入り、日米安保の枠内で、すなわち米国主導の下で万事進行している政府の防衛政策にコミットし、与党として閣議決定に加わり、法案と予算を立てていれば、自ずから公明党のように変わるだろうし、党の原則的立場を崩して米国や霞ヶ関の意向に沿う政策選択になるだろう。公明党のように、甘い蜜の味を覚えて与党から離れられず、妥協を重ねるだろう。朝日が書いたとおり、今回、まさに「実質的な政策転換」が行われたのであり、「日米安保を認めた与党」になることを目標にした共産党の活動が始まるという意味に解するべきだ。

c0315619_1823749.jpg今回の共産党の「安保容認」のプロモーションが、東京新聞の「新9条」の翌日だったことは、果たして偶然の日程と考えてよいのだろうか。もし、偶然ではなく、両者の間に裏の連携と調整があったとすれば、これは護憲派としては容易ならざる事態だと言わなくてはいけない。今回の東京新聞の「新9条」について、現時点では政党の反応は出ていない。だが、この提案は、維新・民主・生活がすぐに合意できる改憲案であり、参院選で憲法改正が争点になったときは、3党が共通公約にして国民に訴えられる政策である。そのような方向に転がる可能性は小さくない。ところで、東京新聞の購読者の属性表象は、維新・民主・生活の支持層よりも左寄りのクラスタであり、政党支持で言えば社民や共産を支持する層が多いと考えられる。単純に並べると、朝日の左に東京新聞があり、その左の赤旗があるという図になる。「新9条」の提案は、5月の池澤夏樹の「左折の改憲」に続いて朝日が担ぐというのなら分かりやすい。それなら納得できる。だが、これを東京新聞が担いだことが事件なのであり、なぜ東京新聞なのかという問題が奇怪な謎なのだ。もしも、東京新聞と共産党の動きが一つの意図を持った一連の工作だったとすれば、裏をそう推理すれば、どこかの時点で共産がこの動きに乗るという不吉な結論に導かれる。最悪の予想というか悪夢だが、散発的に聞こえてくるSEALDsの改憲容認論などと照らし合わせると、十分にあり得る政治だろう。

c0315619_1825257.jpg9/28に小林節は志位和夫と会談して、その様子をネット動画で配信、宣伝している。「小林氏は番組冒頭でずばり、志位氏が提案した『国民連合政府』のよびかけについて『よくやってくれた』『わが意を得たり』と歓迎の意を表明し(た)」と赤旗が書いている。「小林節を首班とする立憲連合政府」を最初に提案したのは私で、それは6/26のことだった。事前に一言も打診もなく、参照の言及も付されないまま勝手にアイディアを盗まれてしまったが、共産党の「国民連合政府」を掲げた野党共闘戦略のキーマンが小林節であることは間違いないだろう。何から何まで図々しく盗まれた。小林節は、現在の"STOP THE ABE"のシンボルであり、来年の参院選までずっと一挙一動が注目される政局の主役で、野党結集の要に立つと期待される存在である。と同時に、憲法学者としての小林節の持論と悲願は、9条改定を実現して個別的自衛権を位置づけることでもある。両者の思惑と利害が一つの焦点を結ぶ現実的な政治像として、共産党が「新9条」を容認するという憶測が成り立つ。私が提案した「小林節を首班とする立憲連合政府」を、立憲党という新党の創設抜きに、単純な野党共闘の選挙運動にモディファイしたとき、小林節が共産党を持ちかける条件は、まさに「新9条」への合意だろう。護憲政党から改憲政党に脱皮することだろう。不吉な予感だが、私にはどうもそこまで水面下でコトが進んでいるように見え、その上での東京新聞の世論工作だったとしか思えない。

安保法の政治戦は敗北した。敗北の後に来たのは、左からの改憲工作の衝撃である。左翼リベラルが変わろうとしている。集団転向が促されている。嘗て辺見庸は、共産党は本当に最後まで9条を守り抜くだろうかと、当時の感覚としては意外きわまる、どこからそんな発想が生じるのかと首を捻る、不思議な懐疑の一言を発した。詩人の予言が的中しつつあるのではないか。


c0315619_18151729.jpg

[PR]
by yoniumuhibi | 2015-10-21 23:30 | Comments(6)
Commented by 愛知 at 2015-10-22 01:27 x
「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。この前の世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。」

貴下前にご紹介の『復刊・あたらしい憲法のはなし』(童話屋)より抜粋。1947(昭和22)年8月2日文部省が発行した中学校1年用の
社会かの教科書。
Commented by 長坂 at 2015-10-22 12:36 x
桜井氏、前回の皆様のコメントは、9条に対する深い知識のみならず、熱い思いがひしひしと伝わり本当に素晴らしい!コピーして配りたいぐらいです。左からの改憲と言えば、第一条を思い浮かべる人間としては、今回のリベラル側から堂々と打ち上げられた新9条案はショックでした。この戦争法案のドタバタで、逆に「改憲すべきでない」が大多数を占めたので楽観視していたのに、なぜ今?たまたま読んだ戸坂潤の「この挙国一致なるものは、所謂自由主義者と自由主義反対者との相剋を止揚したものではなくて、前者を後者へと止揚して了うことなのだ。」を実感しているのだと。
アメリカの大統領候補のサンダースが人気で、ニューディーラー的な政策が注目されている今、その誕生は奇跡の日本国憲法をもっと世界にアピー
ルできたらと思います。
Commented by ロシナンテ(1) at 2015-10-22 20:46 x
「立憲主義」、私は憲法学は素人の分際ゆえ誤りあればご指摘ねがいます。

(1)について。
素人ながら調べてみた所、立憲主義にもばらつきが有るのが分かりました。

長谷部恭男
「近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組み」
樋口陽一
「権力に勝手なことをさせないこと」
長谷部恭男を紹介したサイト管理者
「立憲主義 とは、 誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想」
日弁連
「憲法は、国の最高法規として、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障することを目的とする」

「世に倦む日々」ブログ主様が指摘した「憲法は国家が守るもので国民が守るものではない」は、以下の所でも見受けられます。
伊藤真 「憲法という、国家権力が守らなければならない法をつくって、国民が権力を拘束することにしたわけです。憲法とは、国民の権利や自由、人権を守るために国家権力を制限するための法なのです(これを立憲主義といいます)

まとめれば、樋口陽一⇒日弁連の拡大解釈⇒以東真の拡大解釈⇒「国民が守るものではない」  今の「立憲主義」は、こんな流れになるかと思います。

日本国憲法は、前文から非戦の誓いを立てた、世界に先駆けた反戦平和主義憲法ですから、武力による戦争行為を条文として「認めない」と明文化しています。
それは「憲法は国家が守るもの」などとの言い訳がましい姿勢からは程遠い場所に立脚しており、そこに有るのは「国家が二度と戦争行為を起こさないよう釘を刺す」条文だと受け止めています。
これが、前回コメント(1)の「憲法の中に公権力を拘束する力は当然、存在する」に当たります。
Commented by ロシナンテ(2) at 2015-10-22 20:46 x
新9条に類する改憲案が出てくる背景には、護憲派が憲法違反を叫ぶ延長として「立憲主義」の思想を脈絡無く持ち出し、公権力を拘束するルール、だけを振りかざしてしまった。
「それならば、ルールを見直せば公権力はもっと拘束できる」と言う対抗論理に立ち向かう、日本国憲法のもう一つの論理を、護憲派自らが捨ててしまった。 これが(1)全体の補足であり、且つ(2)の改正案批判への前段になります。

コメント全体について
ブログ主様が指摘する「憲法は国家が守るもの=国民は守らなくてよいもの」とする定義に憲法を置いてしまうと、「憲法を守れ」の声は「国家権力」にだけ向けられ、国民と憲法との関係を裏打ちするものを失ってしまう懸念を持ちます。
護憲派が持つべきもう一つの論理とは、非戦・非武装という日本国憲法の精神に則った「憲法論」ではないかと思うのです。

世界に先駆けた反戦平和主義憲法は確かに理念・理想です。理想であるからこそ、その精神を置き去りにせず、通説立憲主義の負の側面、「国民が守るものではない」などとの愚かな認識を護憲派自らが捨て、「国民も遵守して欲しく請い願い」声を上げていかねば、第二第三の新9条が現れ、「ルールとして見ればその方が頑丈のようだ」の世論に押し切られ、国民投票が通り改憲がなされてしまう。 これが私の未来予測と懸念とコメント全体における本意です。
Commented by 横沢和夫 at 2015-10-24 22:51 x
マガジン9で雨宮処凛が連載している。
今晩、近くで雨宮処凛のトーク会が有ったので足を延ばしてみた。テーマは「貧困と戦争、平和と憲法」
行く前から、質問事項は持っていた。
1.新9条論をどう考えるか
2.国民投票、改憲を名言したSEALDsを今も信頼しているか。
トークも終わり質問コーナーが来たので上記2点をぶつけてみた。

1.の返答「伊勢崎氏や今井氏が言ってるあれでしょうが、詳しくは存じておりません」
マガジン9で想田和弘も加わってる事をつっこもうかと思ったが止めました。

2.の返答「信頼している。彼らの中に「護憲派・改憲派」があることも知っている」
デモ集会期間中にデモの場では改憲論を一切表明しなかった彼らでもか、これも突っ込もうかと思ったが止めました。

「世に倦む日々」様のブログをを引用すれば
>様子見している。日和見をして待機しているのである。口を差し挟めば、自分の意見を明確にしなければならない。「新9条」論に賛成か反対か、立場を決めなくてはいけない。常識で考えれば、提案の中身だけを判断すれば、平和憲法を否定する明文改憲に賛同できるはずもないのだが、想田和弘だの、伊勢崎賢治だの、左翼リベラル業界で人気のブランド文化人が提起した運動であり、定評ある東京新聞が担いだ取り組みだから、率先して異を唱えるのには躊躇を覚えるのだ。想田和弘や伊勢崎賢治には多くの信者がいる。言論業界での地位と人脈もある。「新9条」論を批判することは、これらを敵に回すことであり、関係を壊すことに繋がる。<

>現在の左翼リベラルの空気は、SEALDs信奉者にあらずんば人にあらずの熱狂状態になっていて、SEALDsを神として崇拝し帰依する宗教共同体のごとき環境になっている。SEALDsに近い者ほど価値が高く、遠い者ほど価値が低い。SEALDsやSEALDsに近い者への批判や陰口は厳禁で、肯定と賛美しか許されない。<
Commented by 横沢和夫 at 2015-10-24 22:52 x
(続き)結果として、「世に倦む日々」様の見解どおりの返答でした。
結局、左翼界隈に足を突っ込んでる人達も、その「しのぎ場所」に異論を申せば干される、と言う事なのでしょう。左翼リベラルとは、反体制風を装い、左翼界隈に身を置き、それ風の言論を出せばメシが食える。そこでの言論なぞ、メシの種に過ぎない。
新9条を正面から批判する護憲派(左翼リベラル)が、未だに沈黙している理由を肌で感じたひとときでした。
「9条の会」が会合開いて「新9条」に対してどうすべきか、等とのん気な茶飲み話しとらんで、とっとと個人見解出さんかい、って言っても無理なのですね。

雨宮処凛女史が、若者の貧困対策にどこまで尽力してるのかは分かりません。
ご自身の出版物印税を救済に回してるのかもしれないし、ただ若者の貧困をトレースし本のネタにしてるだけかもしれない。もう、どちらでもいいような。ただ、本日のトーク会、参加者の7~9割は爺さん婆さんで、肝心の貧困なる若者は一人も居なかったのが、状況を物語ってると思います。

#ここからは「世に倦む日々」様のご判断に委ねる所です。
今日のトーク会、質問するに当たり私は実名で自己紹介しています。場所も特定でき、対象も雨宮処凛女史と明記しています。このコメントが公開された結果、起きる事の責任は全て私に有り、引き受ける覚悟ですが「世に倦む日々」様に思う所あるならば、非公開でも構いません。


カウンターとメール

最新のコメント

続)もうひとつ、カズオ・..
by NY金魚 at 11:40
サーロ節子さんの拡張高い..
by NY金魚 at 11:38
100万部とはびっくりで..
by T at 23:48
「君たちは」の醍醐味でも..
by 長坂 at 00:53
報道は中立であるべきなの..
by ワイドショーでも大切に at 14:43
(2の2) 日本の将来..
by 七平 at 02:26
(1の2) 小生は..
by 七平 at 02:25
宮崎駿が次回長編タイトル..
by NY金魚 at 07:08
ヨニウムさま、どうも始め..
by ふーくん at 17:34
論駁一刀両断、見事なり!..
by 駄夢 at 15:41

Twitter

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月

記事ランキング