岩手の中2自殺事件といじめ防止対策基本法 - 教師の不作為の責任

c0315619_14495093.jpg岩手の中2男子自殺事件について、基本的には尾木直樹と同意見なのだけれど、少し違うところがある。持論がある。尾木直樹は学校の安全配慮義務違反を言い、法律違反だと言っている。それはどういう法律なのだろうと検索すると、20年前、サッカーの試合中に落雷を受けて重度の障害者となった高校生の事故についての最高裁の判例が出てきて、民法715条が適用されているらしいことが分かった。この事故と判決についてはNHKのニュースで念入りに報道されていた記憶がある。学校側の監督責任になるから注意するようにと、政府が全国の学校と教員に電波で告知をしている趣きが察せられた。尾木直樹の指摘は、この判例とそこから教育現場に下ろされて定着している義務や慣行について言っているのだろう。が、これは民法の民事責任の範疇の問題だ。本来、いじめ自殺の問題については、暴行傷害や虐待の犯罪を行った加害者だけでなく、それが教室で行われているのに見て見ぬふりをして、事実上、残酷ないじめに加担した教師の不作為の責任が問われるべきで、刑法の業務上過失致死が問われるべきだというのが、私の従来からの考え方である。過去の記事でもその旨を論じていた。いじめ自殺の問題では、どうしても30年前の中野富士見中の「お葬式ごっこ」の事件を思い出す。



c0315619_1450060.jpgあの事件は、未必の故意による殺人罪もしくは自殺関与罪が教師に問われてしかるべきだった。いじめ自殺事件で、教師や校長の刑事責任が問われることがない。というより、常に責任が周到に免除されていて、担任教師のコメントはおろか名前も出ない。校長は顔を隠してテレビの前に出て、何も知らなかったを通し、責任を否認し続け、それをマスコミが許す。いじめ自殺事件が多発し蔓延するほどに、なぜか世間はその責任当事者に対してどんどん寛容になり、倫理的責任を問うことを控える風潮が強まって行った。特に、左翼リベラルが責任を曖昧にする勢力の中心となり、死刑廃止や少年法の問題と絡まった文脈で、刑事責任が追及される者を執拗に免責する屁理屈を言い立て、それに納得する傾向が顕著になって行き、マスコミと政府がそれに同調して行った。そうした左翼リベラルやマスコミの寛容主義を嘲笑うかのように、2chの右翼が社会正義を過激かつ粗暴に代弁する形になり、少年犯罪の場合は個人情報を調べて暴き立て、いじめ自殺の場合は教師の身元を曝して糾弾するという行為を頻繁にやるようになる。昨夜(7/8)の報ステの古館伊知郎の弁は、免責の論理が凝縮されたもので、のっけに「こういう場合はすぐに犯人捜しをするが、そうではなくて」と言い、担任教師と学校を擁護する論陣を張っていた。いじめ自殺事件では犯人捜しをするなと、左翼リベラル系は必ず言う。

c0315619_1450985.jpgシステムの問題だと、システムを改善して対策しようとそう言う。古館伊知郎は、24時間いじめ電話相談の電話番号を画面に流し、困っている子はここに電話しなさいと言った。この制度は、前からあったものを一昨年の「いじめ防止対策推進法」でさらに強化したものだ。おそらく、相当の予算がぶち込まれていて、天下りの組織ができているのだろう。安倍晋三が2012年末の選挙で目玉にしていた公約の一つが、いじめ問題対策だった。その結果、2013年に制定されたのが「いじめ防止対策推進法」で、大津市中2いじめ自殺事件が直接の契機になっている。この事件も悲惨でグロテスクだった。今回、岩手の中2男子の自殺が7/5の夕刻に起き、比較的早く7/8の時点で事件の全貌がマスコミに情報提供されるに至ったのは、この「いじめ防止対策推進法」の影響ではないかと想像する。つまり、警察と教育委員会が動き、捜査で決定的証拠(生活記録ノート)を発見し、事件の構図と真相がくっきりするこの情報をマスコミに暴露することによって、担任教師の責任を弾劾して制裁を加えているのである。これまでは、こういう迅速な対応(証拠物件の公開)はなかった。文科官僚(文科大臣)の意向が働いていることが覗える。「いじめ防止対策推進法」の面子が丸潰れにされたことで、苛立った下村博文が懲罰の見せしめに出たのだ。生活記録ノートの事実は、テレビの映像で出たとおりだが、本当に言いようもないほどひどい。

c0315619_1450209.jpg形ばかりの官僚仕事である「いじめ防止対策推進法」は、一昨年6月に公布されている。矢巾町の中学校では、昨年から1年生だった被害者の子への凄惨ないじめが起き、教師に訴えても無視され続け、今年になってもずっと続いていた。多摩川で中学生が殺害されたのは今年の2月のことだ。事件の後、文科省は全国の教育委員会にお触れを出し、この種の問題が起きてないか全校で入念に調査せよ、徴候が見つかれば徹底して指導せよと指示したはずだ。自殺した子は、多摩川の残忍な事件とその後の始終をどんな気分で見ていたことだろうか。矢巾町の中学校では、生徒を対象にした「こころのアンケート」を年3回実施する計画になっていて、この措置は、いじめの早期発見を目的として「いじめ防止対策推進法」が全校に義務づけた「定期的な校内調査」という要請に拠っている。年3回実施しているのだから、少なくともこの子の学級でも3回は実施されていただろう。実際、1年のときは父親が学校に相談に行っている。だが、結局は手が打たれず、見て見ぬフリの放置となり、いじめは度が増して行って自殺となった。いじめ自殺の通常のパターンだ。いじめ自殺の事件というのは、これまで何人殺されたか分からないが、常にこうして衆目の中で、故意の無関心で冷たく見殺しにされ、苦痛と忍耐が限界まで及び、絶望の末に自ら命を絶つのである。未必の故意の殺人の動機は、直接の加害者の中には間違いなく存在する。

c0315619_14503077.jpg「いじめ防止対策推進法」の概要を一瞥したが、くだらない官僚ペーパーの文字列が並んでいる。「いじめ防止対策推進法」を現場でどう具体化するかという、東京都教育委員会が昨年作成した資料があるが、噴飯というか脱力させられてしまう。まるで教育の精神がない。無意味な、仕事のための仕事の公務員ルーチンワーク。そのことを現場の教師たちは知っているから、「また面倒な事務が増えるのか」という感覚でしかないのだ。面倒な事務をこしらえてダウンロードする文科官僚、面倒な事務を学校に押しつける教育委員会、面倒な事務を嫌々引き受ける教師たち。「こころのアンケート」をなぜ6月にやらなかったのかと訊かれて、学校行事が忙しくてそれどころではなかったと答えた校長の言葉が面白い。プライオリティが低いのだ。上から義務づけられている面倒な事務処理でしかないということだ。この事件の後、きっとまた文科省は(川崎の事件のときと同じく)キツいお触れを出し、いじめとその対策の再点検を教委と学校に厳命し、校長と教委に報告を出させるという緊急の行政処置に及ぶだろう。学期末を迎えて超多忙の学校現場は、厄介な残業仕事を急に抱え込まされ、末端労働者の教師たちを憂鬱にさせることだろう。けれども、今回の岩手や4年前の大津と同じく、陰湿に進行しているいじめがそれで発見されたり阻止されるということはなく、並行して進行し、何ヶ月か後に悲劇となってマスコミ報道の表沙汰になるのである。

c0315619_14504138.jpg個人の責任を問うことなく、システムがシステムがとひたすら言い、個人を免責してシステムの幻想に展望を求める、(脱構築に洗脳された)最近の日本人の思想が私には全く理解できない。システムがシステムがと言い、制度と事務の屋上屋をひたすら重ね、官僚に天下り法人と遊興予算を用意し、学校を事務処理の牢獄にして喜び、加害者の人権を守ってやっている日本人の態度が理解できない。人類はどうして刑罰というものを生み出して慣習化しているのか。動物には刑法も刑罰もない。その元になる倫理もない。この事件が江戸時代に起こっていたら、学校の校長とクラスの教師はどうなっていただろう。そういう想像は無意味だろうか。いじめに刑法の業務上過失致死を適用し、未必の故意の法理を適用し、加害を幇助したり不作為で見殺しにした者を捜査し検挙することだ。これは、学校だけでなく、自衛隊のいじめでも同じだし、会社のいじめでも同じである。一罰百戒にすることだ。そのことで、シンプルに人の心がけで事件を未然に防止することができる。システムも事務も予算も要らない。長谷部恭男と小林節が、人間というのは不完全な愚かな生きもので、しょっちゅう誤りばかり繰り返すものだから、同じ間違いを犯さないよう、法というものを作って合意した約束事を言葉にして書き記したのだと述べた。見事な法学原論の講義だろう。刑法がまさにそうではないか。人間とは不完全なものだという前提で、共同体の成員個々を犯罪から守る刑法がある。

c0315619_14505093.jpg学校は大事な若い命を預かっている。教師にとっての第一の義務は、教科を教える前に、預かっている子どもたちの命を守ることだ。一人一人の人権を守ることだ。その最低限のことができず、逆に不作為によって殺人に関与してしまった者が、自身の人権(個人情報だの何だの)を主張する立場と資格があるのだろうか。教師だけでなく校長も同じだが。倫理が最も求められる教育の場で、日本では倫理がスポイルされ、倫理や責任の言葉の意味が分からなくなっている。こんな社会が果たして保つだろうか。最後に一言。こういう問題提起をするのは、自分の中では確信のあることだけれど、意見を発表した後の共感と反発のバランスを予測すると、気が引けるというか、どうにも億劫になる。世の中は、次第次第に、戦後民主主義の時代の、安倍能成的な価値規範から遠くなり、私が少年だった頃の正義だの責任だのの言語感覚から疎く遠くになっている。右翼か、あるいは脱構築(左翼リベラル)でなくては生きていけなくなり、昔の正義感をストレートに表出すると石を投げられる時代になった。脱構築は、この場合、教師の人権こそが第一で、犯人捜しをしてはならず、システムでのソリューションを言わなくてはいけない。蛇足ながら、こういうとき、左側の論客ながら、最も先鋭に昔の時代の正義感を迸らせていたのがきっこだった。どうだろうかとTWを覗くと、案の定、この事件について何も言っていない。たしか川崎の事件でもそうだった。お行儀のよい、普通の左翼リベラル(脱構築)の人士に落ち着いている。

闇サイト事件とか、光市母子殺害事件の頃のきっことはすっかり変わった。成熟したということだろうか。成熟できない私は、相変わらず一人で念仏を読むように脱構築批判を続けている。


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by yoniumuhibi | 2015-07-09 23:30 | Comments(8)
Commented by mori at 2015-07-09 19:21 x
この先生の責任は、この先生のためにも全うさせなければならないでしょう。きちんと顔を出して説明すべきです。それは世間的懲罰(私刑)のためではなくて、正しい意味でこの先生のためになるはずです。なぜこのノートの文言を見てこの返答しか書けなかったのかが、どれだけこの先生に内在しようとしても私にはわかりません。本人がその意味を吐露すべきです。この子のことを疎んじてはいなかったか?厄介な生徒がまた一人出てきたのかと、嘘を弄して教師の気を惹くその手の生徒かと、内心でこうした溜息を吐いて適当な返事を書いたのではないのか?加害生徒に指導したことはあるという。ではなぜ「氏」「市」という字を見て「死」だとわからないのか?なぜノート上ではなく本人や両親と膝を突き合わせないのか?わかっていたが敢えて無視したのか、それとも本当にわからなかったアンポンタンなのか(私は「上から目先」の誤字を見てこの人はアホだと思いました。その漢字力の無さはこの場合後者ではないかというおそれを抱かせます)。「死ぬ」と書いて本当に死ぬとは思わなかったとしましょう。「どうせ死ぬ死ぬ言っても死ぬ勇気なんかないんだ」と思い込んでいたとしましょう。逃げているのではなく、本当に「死んでしまって」ショックで病んでしまったのだとしましょう。本当に最低だ。保身からの見て見ぬふりや未必の故意も確かに悪いが、こういう鈍感さが原因だとしたらそれが私には一番許せない。ある意味で加害生徒よりも許せない。別に社会に対して説明責任なんぞ無くてもいいから、この子の前で説明する責任があるでしょう。この先生以外にも校長も悪いし確かにシステムも悪い。教師を追い詰めるシステム。しかしいくら追い詰められていたとしても私だったらこんな冷血な返答は返せません。
Commented by カプリコン at 2015-07-09 23:00 x
髪の毛を引っ張られる、悪口を言われる、暴力を振るわれるなどという記述から、自分が小学生のときに3〜4人のクラスメートからうけた酷いいじめのことを思い出しました。フラッシュバック。小学生でしたので死ぬことまでは考えませんでした。40近く前のことですが昨日のことのようにいじめられた記憶は具体的で鮮明です。昔ですので担任と交流する生活ノートはありませんでした。親にも言えませんでした。他のクラスメートも誰一人として助けてはくれませんでした。掃除時間や下校時間、教師の目がないところでいじめは行われます。刃向かっても複数が相手ではどうにもなりません。2〜3ヶ月は続いたのでしょうか。
担任の先生だけが、私のことを理解してくれていたのは感じていました。いつものように、いじめられ泣きながら下校したあと、思い切って途中で学校に戻り先生に自分の現状を話し、今後どうするか話し合い「自分がされて嫌だったことをみんなの前で話す。」「そして、二度といじめないことをみんなの前で約束してもらう」を学級会のときに35名のクラスの中で言いました。言い切ることができたのは、担任の先生の温かい眼差しのおかげだと思っています。そして、今までいじめていたクラスメートがにやにやしながら「ごめん、ふざけていただけだから。悪気ないから、もうしないから。」といった表情も覚えています。ちっとも反省なんかしていないことだけが伝わってきました。でも、それ以来いじめはなくなりました。 

自殺した亮くんはこんなにたくさんのサインを担任の先生に出しているのに。どうして救ってやることができなかったのでしょう。同じ岩手県の教師として情けないですし、悔しいです。人が一人亡くなったのです。
〈いじめに刑法の業務上過失致死を適用し、未必の故意の法理を適用し、加害を幇助したり不作為で見殺しにした者を捜査し検挙することだ。これは、学校だけでなく、自衛隊のいじめでも同じだし、会社のいじめでも同じである。〉厳しいですが、ここまでしないとい被害者ばかりが泣き寝入りです。いじめを発見するのって難しいんです。そういったことを防ぐための生活ノートでもあったはずなのに。
明日も子供たちが安全に楽しく学校生活を過ごせるよう頑張るのみです。
Commented by 学校は社会の写し鏡 at 2015-07-09 23:07 x
業務上過失致死。私は教員だが、ブログ主さんに同意する。
>無意味な、仕事のための仕事の公務員ルーチンワーク。そのことを現場の教師たちは知っているから、「また面倒な事務が増えるのか」という感覚でしかないのだ。
そのとおり。
事務的な調査など無駄。そんなことをしなくても、生徒と関わっていれば、いじめの存在はわかる。事務仕事を増やせば、生徒と関わる時間が減り、結果、いじめの存在に気づきにくくなる。つまり、文科省の役人のアリバイ作りは、無駄なだけでなく、邪魔なのだ。

ひとつ指摘したいのは、「やられた側が、いじめだと思えば、それはいじめだ」という無茶な言説のおかげで、本当のいじめが見えにくくなったということ。これもいわゆるリベラル派の主張だったように記憶している。
こんなことを言われては、現場はたまったものではない。まじめに対応しようとする空気が薄くなった。極端な話、いじめに反撃された側が、同じ理屈で「いじめられた」と主張できてしまう。
いじめはきちんと峻別すべきだ。

とはいえ、加害生徒を指導することが、いよいよ難しい社会になっていることもまた事実ではある。
Commented by at 2015-07-10 01:16 x
一人ひとりの名前が呼ばれません。今日もシリアで、米による空爆が行われ人が死んでいますよね。人が人を殺すことと人が死を選ばされること。中学生の「私」が発したことから学びたいです。一個人の命に関った教員と、その組織に言及することは、同様に、何万人もが名前も知れず死んでいくかもしれない我が国の戦争法案と重なって見えます。一人ひとりの命など、学校(国家)運営に犠牲となってもいいのだから、今後の私たち(国会議員と官僚)の給与を奪わないようにしてください・・・
Commented by 愛知 at 2015-07-10 02:00 x
次男が中学生のとき、壮絶な虐めを繰り返され、外傷性網膜剥離に。かなり前、こちらのコメントで申し上げましたが、たまたま亡父が中学教諭であったことから、何の遠慮もなく、一人中学に出向き、徹底追及。テレビで見ただけですが、光市母子殺害の被害者の弁は被害の残酷さが生んだ真実のかつ論理的な叫びで。しかも立派な抑制で。私は彼ほどの抑制は持ち得ず。加害者を吐かせ、加害者宅にも乗り込み、その保護者に対し、人間に生まれてきたことを後悔させるほど抗議。それで虐めは止まり、その次男も早、二児の父。不遜な言い方になりますが、マスコミなど関係なく。子のケンカに親が云々という言もありますが、それでは殺されてしまう。子を守るのは親の務め。私は声も体もでかいのですが、そうできない親御さんはすぐ学校をやめさせて。虐められている警察官、自衛官、消防士、公務員、ビジネスマン、ビジネスレディー、派遣の皆様。声を上げられないなら、すぐに退官、退職、契約解除されるべき。命はたったひとつ。愛する人のため、この世から消え、愛する人を悲嘆に暮れさせないで下さい。死ぬ気があれば、組織を抜け、多少の、あるいは大きな経済的困難があるとしても、生きてさえいれば打開の道がないわけではない。こちらでご紹介賜ったNY金魚ブログ様への投稿で、私自身が目下、仕事関係で壮絶な陰湿な虐めの渦中と告白。PC開けば、すぐに返信をという業務連絡が洪水のように。そういう虐めをしている連中の言を意訳すれば「死ネ、イナクナレ」。御ブログ記事が虐めを取り上げられ、何か不思議なご縁を勝手に感じております。虐める側は手数多くて、延々でホントに鬱陶しく。私は愛する妻を悲しませたくないので、辞める(逃避)する判断は自分でしますとお許し頂き、ひとつひとつの嫌がらせメールに100倍返し中。一人ずつ徹底的に論破。虐めに悩んでおられる方、私の真似はされないで。すぐ退避して下さい。学校、教諭、会社、監督部署など頼っても無駄。御ブログご指摘通り、個別の戦い。安倍が仕切る社会に救援者なし。頼りは自分一人。生きて。
Commented by 私は黙らない at 2015-07-11 02:39 x
ブログ主様のご意見、もっともです。マニュアルを作って現場におしつけ、責任のがれする役人、自己保身のため、責任の所在をあいまいにする大人たちの狭間で、子供達は誰に助けを求めればよいのか。実際にいじめに合われた方、現場の先生のコメント、身に詰まる思いで読みました。
数年前、娘が手つかずの弁当を持って帰ってきました。曰く「お腹空いてないから食べなかった。」それが1週間続き、さすがにおかしいと思い問い詰めたところ、「友達に食べるな」と言われた、とのこと。娘を連れ、校長に相談しに行き、校長には、「嫌なことをされたら、まずNOと言え」と諭され、その後しばらく昼食時には副校長が娘のそばで様子を見ていてくれました。娘とは何でも言える関係だと自負していたのですが、いじめに関しては、一番身近である母親にも言わないものなのだと初めて知りました。娘は言いませんが、弁当の一件以外にも、嫌がらせ行為があったようです。気が優しくて、言い返せないような子がターゲットになるのかもしれません。それ以降、又何かあったら、転居してでも転校させようと本気で思っており、娘にも事あるごとに言っています。幸い、中学に進学するにあたり、その友達とはあえて違う学校に行かせ、今娘は学校生活を謳歌しております。
いじめの根絶という根本的な解決にはなりませんが、親としては、いじめにあっている子供をとりあえず辛い環境から逃がすという選択肢もあるのではないかと思います。今ここで苦しんでいる子供達に「そのうち学校の制度を変えるから」といっても間に合いません。いじめられている子が転校できるシステムがあってもいいかと思います。今回の事件も、ちょっと前にあった川崎の事件も、ご両親が離婚されている家庭でした。いじめがひどくなる前に、別れた夫、妻のところに一時的にせよ避難できていたらこんな最悪なことにはならなかったのではと思います。おそらくその事を一番悔やまれているのはご両親でしょう。本当に辛いことです。
Commented by 匿名 at 2015-07-11 10:07 x
このような言い方をする年齢ではないのですが私は中学時代学校内では番長的な存在でした。 からかい程度の軽い虐めはした事があります。 そしてその人は泣きました。 しかし友達です。 自殺に追い込むほどの卑劣ないじめ、泣いて許して欲しいと言っているはずでそれでも執拗に虐めをすると言う事は絶対に許される事ではありません。

 私は相手が気に入らない態度をしても虐めはしませんでした。 強者同士での喧嘩で「この男は怖い男なんだな」と思わせます。 故意にではないですが自然体にそうなっていたはずです。 弱い者虐めはしません。正直眼中にありませんから。 

 そして私の友人が私や友人よりも身長が高く体格が良い、またその人も友人で友人が友人を三角定規で手の甲をつついたりして出血までさせて私の目の前で虐めていました。 その友人は泣きながら「○○、やめてくれ~やぁ~」と言いながら虐められていました。 私は元々無口で止める事は出来たのですが言い出せずに制止させる事をしませんでした。 内心では自分でやり返せと言う感じで私自身、そうやってやり返して来ましたから番長的な存在でもありました。 組の誰かが担任に教えて担任がものすごい怒りで教室に入ってきて虐めていた友人を机がひっくりけるほどに押し倒して叱りつけていました。 その後は私は友人達に指示を出すように虐めをした友人を言葉で「○○のバ~カ」と言えと言い、友人達が全員でその言葉を授業中でも言われ続け、それに耐えられず他の学校に転校して行きました。そして虐められた友人も家庭事情なのかこれが原因なのか分かりませんが転校していきました。

虐められた友人とは高校で再会して友人の方から私に抱きついてきたりとそう言う感じです。 虐めた友人は別な中学校に転校した後その学校の不良ども4人でヌンチャクと自転車のチェーンと警棒みたいな金属棒とナックルで私に仕返しをしてきて私は武器に引いてしまったので誤りを入れてその場は控えました。 その男をやる事は簡単な事でした。しかし私が虐めさせて転校する恥を掻かせたので私は怒る気がしませんでした。

 私の時代、学校では私みたいなタイプの当時は不良的ヤンキーがいたから卑劣な虐めは出来ませんでした。 

担任がしっかりと管理しなければならないのです。



Commented at 2015-07-13 00:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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