立憲主義の学説史を探索する - 青版の岩波新書にはその語がない

c0315619_16414218.jpg文部省が1947年に発行した「あたらしい憲法のはなし」の冒頭部分(一 憲法)を引用したい。「みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和22年5月3日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。この新しい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。国の仕事は、一日も休むことはありません。また、国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま国を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、国の中におおぜいの人がいても、どうして国を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの国でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守っているのです」(P.8-9)。



c0315619_1651474.jpg「国でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを国の『最高法規』というのです。(略)これまであった憲法は、明治22年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この国民ぜんたいの意見を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行われ、あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、国民ぜんたいでつくったということになるのです。みなさんも日本国民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた国民ぜんたいのつくったものであり、国でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません」(P.9-12)。

c0315619_16515995.jpgすべてを紹介できないが、この教科書の第一章に以上のことが書かれていて、憲法とは何かが概論され、日本国憲法の意味が簡潔に紹介されている。ご覧のとおり、「立憲主義」の語は一度も登場しない。日弁連の憲法の説明などと全く違っていることがお分かりいただけるだろう。敢えて言えば、「国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません」の一文から始まるところの、国の柱を憲法に喩える件が立憲主義の説明だと言えるが、立憲主義の言葉は示されておらず、今日のような立憲主義の概念はここでは一言も説明されていない。「憲法は国家が守るもので国民が守るものではない」という、最近の俗流憲法観は一切ない。逆に、「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」とある。この「守る」は、当然ながら遵守の意味であり、observe the laws、follow the rules の意味だ。5/3の東京新聞の特集面に澤地久枝が登場し、「憲法は国民を縛るものではなく、権力に歯止めをかけるものです」と見出しして、立憲主義をメッセージしているのを見て、何とも痛痒な気分にさせられた。戦後の人である澤地久枝も、この教科書で教育を受けた一人だろうし、「憲法は国家が守るもので国民が守るものではない」などという考え方の持ち主だとは思えない。

c0315619_1652938.jpgおそらく、この見出しは、対談相手の竪十萌子のメッセージであり企画だろう。33歳の若い竪十萌子の憲法観はこのとおりで、憲法を立憲主義で教育されている。この命題は絶対的なものだ。84歳の澤地久枝にとって、立憲主義で日本国憲法を説く教義というのは、きわめて新しい考え方であるはずで、70歳を超えてから身近になったものに違いない。つまり、耳慣れない異質な憲法論が入ってきて、咀嚼し消化したのかどうか、今ではそれを自己のものにして発信する立場に立っているわけだが、そのことについて何か躊躇や葛藤のようなものはなかったのだろうか。9条の会が立ち上がったのは、今から11年前の2004年のことだが、設立時のアピール文を見ても、その中に「立憲主義」の語はない。ただ、私の記憶では、ちょうどこの頃から、ネットの中で護憲派による立憲主義のエバンジェリズムが盛んになり、「憲法は国民が守るものではない」のフレーズが飛び交い、それが常識だという説教の波が左派の中で始まった。「9条の会」は、9条と平和主義にフォーカスした運動だから、そこに立憲主義の揚言がなくても不自然ではないという解釈もあろうが、護憲の国民運動の中軸となった「9条の会」の宣言文に「立憲主義」の語が不在である事実を確認し、東京新聞の特集面などと見較べたとき、私と同じような感想を抱く者は少なくあるまい。

c0315619_16521950.jpg前にも書いたとおり、小学校、中学校、高校と、社会科での憲法の授業で立憲主義の説明を聞いたことはないし、教科書や板書に「立憲主義」の単語も見たことがない。大学に入り、教養の憲法、基礎法演習、専門の憲法と、ずっと憲法を学ぶ機会があったが、立憲主義の概念で講義を受けた記憶はない。仮に立憲主義の言葉を聞いたとしても、それは、明治憲法(大日本帝国憲法)を語る場面だっただろう。どうして、今ではこのように立憲主義がドグマのように鎮座して睥睨しているのか、憲法の基本概念になってしまっているのか、70年代以降の学説史の流れを調べている。例えば、岩波新書のサイトに検索エンジンが付いていて、そこで書名に「憲法」と入力して結果を試してみよう。学説史の状況がおおよそ理解できる。出力された新書の中で、今でも販売されているものが8冊あり、そのうち3冊の著者が樋口陽一だ。憲法学の権威は樋口陽一なのである。さて、品切れ絶版になっている新書を見てみよう。宮沢俊義の1冊がある。小林直樹の1冊は1982年の発行だが、すでに岩波の在庫から消えている。同じく、杉原泰雄が書いた1987年の新しい1冊も品切れにされている。著者名で検索して確認すると、小林直樹も、杉原泰雄も、岩波新書の著作は品切れとなっている各1冊だけだ。この事実には驚かされる。なるほど、憲法学はこうなっていたのか。

c0315619_16522980.jpg一昨年、96条改憲の政局のとき、芦部信喜の名前を安倍晋三が知らなかった問題で騒動があった。大学時代を振り返って、芦部信喜の名前が議論に上った記憶は全くない。小林直樹と杉原泰雄はよく耳にする名前だった。憲法問題研究会編の4冊も、残念ながら品切れ絶版になっている。青版の時代、一冊230円で、法学部の学生は必読だった。手元に当時買った『憲法読本』の上下があり、上巻の冒頭に、座長だった我妻栄による「日本国憲法の成立・理念・構造」がある。気になって読み返したが、やはり、この小論の中にも「立憲主義」の語はなかった。一言もない。1965年の本である。岩波新書が『憲法読本』と題して一般向けの教科書として出していたものだから、まさに当時のスタンダードの憲法論が説明されているのだが、その中に立憲主義の言葉はない。文部省の『あたらしい憲法のはなし』から20年経った1960年代後半でも、立憲主義は憲法の学説の中になく、学生がそれを学ぶ機会はなかった。さて、岩波新書の「憲法」の書名検索で、樋口陽一に次ぐ2冊の本を出している学者がいる。長谷川正安だ。私が学生だった頃、この憲法学者は巨人の存在だったが、時代の移ろいの中ですっかり影が小さくなってしまった。長谷川正安の青版の『日本の憲法』も手元にあり、読み直したが、当然と言うべきか、立憲主義の単語も説明も一切なかった。

c0315619_16523992.jpg手元の芦部信喜著の『憲法』(第五版)には、最初から滔々と立憲主義の説明があり、日弁連と同じ仕立てになっている。現在の定説が縷々並べられている。近代立憲主義がどうで、現代立憲主義がどうでと、冒頭から立憲主義の概念が説かれる方法で憲法が講義されている。この本は初版が1993年だから、つまり1990年には立憲主義で憲法を説明する学説が一般的に確立し、全国の大学で教えられていたということになるのだろう。新しい言葉であり学説だが、古い言葉や古い学説を知らない者は、古いも新しいもなく抵抗を感じる理由がない。ただ、この現在の立憲主義の概念は、どうやら民主主義の概念に近い内実があり、言うならば、理想的な政治体制なり統治体制のことをこの語で呼び表そうとしているきらいがある。民主主義の表象や概念とかなり被っていると言っていい。果たして、Democracy の語は一般的なもので、それが理想的な政治を言い表す言葉の使い方も今日の世界で共通仕様だが、Constitutionalism の語が、今の日本の憲法学界や左翼リベラルの間で使われているほど、理念的なニュアンスの語として流通していて、同じ意味で人口に膾炙されているのか、私には大いに疑わしい。現実政治のあり方を批判する言葉として、Constitutionalism (立憲主義)の語をこのように機能させているのは、おそらく日本だけの特殊事情なのではあるまいか。

韓国とか米国から日本に留学している学生に、おそらく「立憲主義」は完全に同じ意味で通用しないはずだ。彼らには、現実政治を批判する理念語として立憲主義を言い回す習慣や作法はないだろう。であれば、携帯電話と同じく、ガラパゴス化の運命は免れないのではないかという懸念を持たざるを得ない。


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by yoniumuhibi | 2015-05-14 23:30 | Comments(6)
Commented by 三隈 at 2015-05-14 20:47 x
寡聞にて立憲主義には深くは立ち入らないでおこうと思うが、そもそも法律の上位法としての憲法を考える時にもし憲法が国民を縛らないのならば違憲の立法もしくは違法行為が容認されうるのではないかという疑問が湧く。また、たとえば御ブログが書かれていた「職場に憲法を」のような標語の化石化と現在の多くの労働者が置かれている過酷な労働環境との因果を思料せずにはいられないのである。およそ法の支配が行き届いた国ならば法律もまた国を縛るものであり日本であれば国権の最高機関も法律に基いて運営されるわけで憲法だけが特別国を縛るための特殊な法のような位置付けにはかなり違和感を覚える。実際のところ改憲勢力が現行の日本国憲法を煙たがるのは改正に手間のかかる法律の上位法且つその中に彼らの価値観と対立する条項があるからなのである。だから憲法が文面上変化しなければ独りでに国を縛ってくれるかのような怠惰な意識でいてはならないと思う。憲法を現実に照らさず形而上学的な議論の材料においてのみ語ることは実務において違憲の立法を容認することになりかねない。そして実際にそのような立法解釈を許してきているのではないか。それを防ぐには国民が憲法を守ることに大いなる意味があるように思う。すなわち憲法を守ることで意識し現実感のあるものとして認識する機会を持つ。そのことが違憲改憲の動きに対して感覚を鋭敏にするのではないか。守らなくて良いものはやがて意識しなくなり忘れていくものだろう。憲法12条の「国民の不断の努力」とはまさしくこのようなことを言うのではないか。このことは丸山真男氏の言う民主主義は完了しない、永久に革命していかなければならないということとも深く通じると自分は感じる。民主主義を逆行させようとする勢力は常に逆の運動をし続けるのだ。相手はコツコツと働き蟻の如く頑張るのである。民主主義を求める側もギリギリスになってはいけない。自分は「脱構築」について詳しくないが御ブログで知る限り、そして現実と照らす限りリベラルの高名な方々に慢心とキリギリス化があったのではないかと思料する。リベラルが優勢の時代にあっても右翼の人たちというのは常に「亡国」の危機意識があり「諸君」がブレて妥協していくようなことはなかったように思う。
Commented by 愛知 at 2015-05-14 23:09 x
2013年4月3日、同11日の記事を拝読し、やっと「立憲主義」への貴下(ブログ主様)のこだわりが呑み込めました。不躾、お詫びします。ご指摘の通り、私の年代だと学生時代「立憲君主制」を習った記憶はあるのですが、立憲主義は聞いたことがなく、ピンときませんでした。憲法は私たちが作った私たちが守らなければならない私たちの最高のルールと教えられ、信じてきました。。恥を承知で申し上げれば―――立憲主義は聞いたことないけど、それでいいんじゃないの―――くらいの受け止めでした。勉強になります。子細な話ですがここ数年、いえ十数年でしょうか。新卒入社の総合職が、役所の方針に異議を唱えないのが不思議でした。私なんぞ、役所なんて机叩いて喧嘩するところと思っているのですが。若い子たちは不思議と役所と喧嘩するという姿勢が皆無。役所がそう言うのであれば、仕方ないと恭順。役所と喧嘩するとき、根本は憲法なのですが、それは役人にそれを守れみたいな話ではなく、私たちの憲法では、こう定めているでしょ、という意味での抗議です。憲法違反の条例や通達なんてゴロゴロしてますから。イラクでの邦人人質事件のときでもそうでしたが、ほぼ政府は絶対であり、政府に迷惑掛けちゃいけないみたいな。今の今まで、子供同士で遊んでないから、ああなんだろうなくらいに思っていました。貴下の記事により、憲法学の変節を知り、若い子たちの考えがわかりました。自らも自覚ないまま「価値」という言葉を連発していたと思います。反省。2013年4月の記事は福音の手引きでした。
Commented by Columbites at 2015-05-15 13:35 x
「私たち一人一人が日本国憲法を守らなければならない」というのは私たちが義務教育を通して教わってきた基本です.「立憲主義」の言説は,極めて好意的に解釈すれば「方便」と捉えられなくもありませんが,やはり邪道は邪道です.基本的に国民一人一人が遵守の義務を負っていることは自明です.

それと同時に,公職にある者が国の最高法規である日本国憲法に対して侮辱行為を働いた場合には,当然ながら重い懲戒処分を科し,公職から追放するのが法治国家の筋というものでしょう.
Commented by NY金魚 at 2015-05-16 02:29 x
ベトナム戦争の海兵隊員で、多くの人を殺してしまったネルソンさんの憲法第9条観がYouTubeに上がっています。
NNNドキュメント「9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~」
https://www.youtube.com/watch?v=GId88oUqLEY&feature=youtu.be
ぜひ最後まで見てください。(42分)
◆ 最後部書き出し=ネルソンさん:日本国憲法を読んだのは1996年。第9条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本の子どもたちの顔に、とてもすばらしく美しくかけがえのないものが私には見えます。子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。それこそが9条のもつちからです。
◆ 日本のみなさんは憲法に9条のあることの幸せに気づくべきだと思います。ほとんどの国の子どもたちが、戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたちは、みんな戦争を知っています。しかしここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が、戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから、みなさんを救ってきたからです。
◆ ご存知のように多くの政治家が憲法から第9条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません。みなさんとみなさんの子どもたちは、これまで憲法第9条に守られてきました。今度はみなさんが第9条を守るために立ち上がり、声をあげなくてはなりません。第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。
アメリカにも9条があってほしい。地球上のすべての国に9条があってほしい。世界平和は、アメリカからや、国連からや、ヨーロッパからはじまるものではありません。
世界平和は、ここから、この部屋から、私たちひとりひとりからはじまるのです。
Commented by 愛知 at 2015-05-16 14:43 x
NY金魚様ご紹介の「9条を抱きしめて~元海兵隊員が語る戦争と平和」、パソコンを居間に移し家族で視聴させて頂きました。感動のあまり皆、声が出なくなりました。表現できない大きさの感動です。あえて言えば、本当に9条はノーベル賞を受賞できるものだと強烈に、また9条の有り難さを強烈に再認識させられました。ご紹介に深謝。ところで皮肉な巡り合わせですが、本日、御ブログを開いたきっかけは今朝(5/16)の日テレ系「ウェークアッププラス」。大阪都構想の住民投票前日ということで、番組冒頭、辛坊治郎氏は「放送法第4条に則り、公正に放送する」と発言。番組前半は大阪の件、後半は「国際平和支援法案」と「平和安全法整備法案」。番組の最後で伊藤聡子氏が「米国の判断が間違っていた戦争もあったし」というような発言を。それを受け最後を締めたのは日系2世のエコノミストと紹介されていた齋藤ウイリアム浩幸氏。「シンガポールの友人もドイツの友人も(日本が安保法案の成立を)早くしなければならいと言っている。」との締め。誰かしらとウィキで見たところ、71年カリフォルニア生まれ、米国国防省、米連邦捜査局など政府機関のアドバイザーとの記載。氏自身のサイトでは、米国国防省との関係など触れらていませんでしたが、日本に移ってからは2012年、総理大臣直属の国家戦略会議委員、2013年12月から内閣府本府参与に任命と。それからすれば、その締めの発言を際立たせ、恰もグローバルな意見なんだと刷り込むため、冒頭、放送法第4条を持ち出したとしか解釈ができません。テレビの影響力の大きさと法案の持つ重大な意味を考えたら、米国国防省関係者とはっきり紹介すべきです。普通に見ていると米国の日系2世、アジア、欧州も支持してるんだ、みたいな錯覚に陥ります。「9条を抱きしめて~」の中で、ネルソンさんのご遺骨が眠るお寺のご住職がネルソンさんと出会い「平和への道はない。(憲法9条を護持する日本こそ)道はここにあるんだと気付かされた。」といった意味の発言をされていたのも印象的。ネルソンさんに合掌。
Commented by 私は黙らない at 2015-05-18 12:41 x
NY金魚さん紹介のYoutube、私も拝見しました。視聴後、しばらく声もでませんでした。実際に戦場で人を殺した人が訴える9条は、戦争体験のない社会科の先生がいうのとは違い、大変重いです。海兵隊にリクルートされた時のネルソンさんは、ご自身を怒りに満ちていたとおっしゃっています。昨今、警察の暴力的な扱いで命を落とした黒人のケースが相次いでいますが、ネルソンさんの話に、重なって見えました。あれから50年、いったい何が変わったのだろう。
 この映像、どこぞの国の為政者に見せてやりたいです。憲法を「改正」して、「普通」の国にして、「国を守る」ため、派兵をしたいのなら、まず先に、あなたの子供、あなたの孫を戦地へ送りなさい。その覚悟はあるのですか、と。
 ネルソンさんの話でひとつ救いだったのは、あの頃はまだ、戦い方が人対人であったこと。だから、ネルソンさんも、戦争の悲惨さを実感し、殺人はどんな大義名分があろうとも罪であることを実感できた。ジョンダウワー氏も言っていたが、今度ドローンが対人戦の主役になったら、戦争は、「ゲーム」になってしまう。こんな恐ろしいことはない。



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