想田和弘の勘違いと余計な一言 - 9条を世界の宝と讃えるジョン・ダワー

c0315619_14174999.jpg憲法9条の意義を不当に軽んじる想田和弘の発言に対して、数は少ないが、護憲の立場から真摯な批判が上がっている。この国の憲法は平和憲法と呼ばれ、前文と9条こそに特徴があり、主権在民や基本的人権の原理を基礎づけるに当たっても、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という前提の上で導出していて、こんな原理構造を持った憲法は他の国にはない。日本国憲法の三原則と呼ばれるものが、決してフラットな並列関係で配置されているのではなく、ラディカルな平和主義が先行した形で構成されていることは、前文を読めば誰でも一目で分かるものだ。それは、第二次大戦の深刻な反省から来ている。華麗な人権カタログを並べた憲法を擁した近代国家が、一度ならず二度までも大きな戦争をやって、国民の生きる権利を根こそぎ奪うという体験をしたから、平和主義の理想を基本に置かないと民主主義も基本的人権も守れないという結論に至ったのである。想田和弘は、憲法9条は付属品であり、サブセットのオプションだと言うのだが、日本国憲法の姿はそうなってはおらず、前文と9条こそが土台であり核心となっていて、人類史的に先進の憲法と呼ばれる由縁のものとなっている。歴史的に新しい日本国憲法は、それ以前の憲法に比べて戦争を強く意識しているのであり、パリ不戦条約の精神が生きているのだ。



c0315619_14181427.jpg想田和弘が、簡単に「9条はいわば豪華な付随品です」と言うのを聞くと、この若い男がどれほど平和ボケした感性で憲法を考えているかが察せられる。俗に「平和ボケ」という態度は、戦争に対する鈍感や不感症を言うのだが、今日の日本で、最も平和憲法の理念にコミットし、9条を守ろうとする純粋な姿を見せてくれるのが沖縄の高齢者たちで、実は彼らこそが最も戦争に対してリアルな関心を持ち、感度が鋭く、安全保障の内実と動向についての詳しい最新知識を持っていることに気づかされる。つまり、平和ボケから遠い。9条は装飾品ではない。国民にとって平和がすべての権利保障のベースであることを、想田和弘は学び直す必要があるだろう。5/2に放送されたTBS「報道特集」でのジョン・ダワーの言葉は、大きな反響を呼び、われわれの心に深い感銘を与えたが、その中でダワーはこう述べた。「けれども、そこに書かれている理念は、大変に素晴らしい理想です。私は多くの日本人がその理想を共有していると思いますし、アメリカがとっくの昔に忘れ去ってしまった尊いものです。日本人の多くがそれらの憲法の理想を共有しています。憲法こそが先の第二次世界大戦から得た財産です。日本の財産であり、日本の財産になったのです」「日本には『アメリカのミニチュア版(Little America)』になって欲しくありません」。

c0315619_14182577.jpg今回の想田和弘の暴言は、憲法9条を貶めようという意図から発されたものではなく、自民党が策している「緊急事態条項」の改憲に警告を唱える脈絡で出てきたものだ。悪意はないと言われれば、それはそうかもしれない。しかし、そうだとすれば、「緊急事態条項」の改憲を批判するために、口が滑って憲法9条を軽視する発言が出たとすれば、まさに余計な一言であり、言わなくてもいいことである。想田和弘がTWで語っている「護憲派と呼ばれる人々は、長らく『憲法問題=9条』と刷り込まれ、9条だけを守ろうとしてきた」という偏見は、まさに改憲派が護憲派を卑しめるときの決まり文句であり、特に民主党の関係者や支持者などが、リベラルを装いつつ護憲派を叩く際に頻用される悪質なレトリックだ。われわれが警戒しなくてはならないのは、論壇市場で一見リベラルの風貌をした者が、言葉巧みに護憲派に取り入るフリをしながら、護憲派の過去の成果や財産を否定する言説を吐き、護憲派にマイナスのイメージを塗りつけ、内部を攪乱して護憲派の自信を失わせることである。この悪質な言説は、過去の歴史を知らない若い者にほど影響力が大きく、ネットやマスコミで無知な大衆に感染しやすい。想田和弘にどのような思惑があるにせよ、迂闊に口が滑っただけにせよ、こうした病原菌がバラ撒かれ護憲派の政治表象が悪宣伝されるのは迷惑だ。

c0315619_14183615.jpg同じリベラルに属すると目される身でありながら、どうしてダワーと想田和弘はこれほど憲法9条に対する姿勢と評価が違うのか。一方は9条こそが戦争から得た財産だと重視するのに、他方は余分な装飾品だと軽視するのか。それは、歴史家であるダワーの認識の中に、戦後ずっと、憲法9条の理想を守り抜く中で自らの生きる権利を守ってきた戦後日本人への眼差しがあり、名も無き多くの人々の努力の積み重ねに対するリスペクトがあり、想田和弘にそれがないという違いだろう。日本の戦後の政治史を振り返って、対立と闘争の中心にあったのは常に憲法9条をめぐる問題で、支配者である保守勢力は憲法9条を変える中でこの国を戦前レジームに戻そうとし、それに反対する側は8.15革命の所産である平和と民主主義と基本的人権を守ろうとして運動した。9条を政治対決の争点にしてきたのは、常に保守反動の側であり、民衆側の抵抗は9条を守るという立場になってきたのである。抵抗運動をしなければ、憲法9条が変えられ、他の基本的人権も崩されて、戦前レジームに逆戻りしていただろう。小熊英二の『民主と愛国』の11章にこんな記述があるので紹介したい。「1953年から56年は、政治制度の戦前回帰の危険がもっとも強かった時期であった。改憲の準備ばかりでなく、1954年には保安隊が自衛隊に昇格し、1956年には教育委員会の公選制が廃止された」(P.492)。

c0315619_14184690.jpg「そのほか、家族制度を復活させる民法改正が計画され、戦後改革で解体された内務省を復活させる内務省設置法案などが議会に提出されている。そもそも当時の保守政権の改憲案は、再軍備容認にとどまらないものであった。1954年に公表された自由党憲法調査会の改正案要綱は、再軍備の肯定のみならず、天皇を元首と規定していた。さらに参議院議員は選挙だけでなく、戦前と同じく推薦議員によって構成されることになっていた。また都道府県首長の公選制を廃止するほか、国会を『最高機関』と規定した部分を削除し、天皇による国会停会を可能にしていた。そして調査会では、第9条だけでなく、第21条(集会・結社・言論の自由)、第24条(家族制度 - 註:ベアテの「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する」)、第28条(労働者の団結権・団体交渉権)、第38条(黙秘権)、第66条(内閣文民規定)などが、検討すべき問題点とされていたのである」(P.492)。今日の状況と照らして興味深い。日本の保守勢力の狙いは、半世紀以上経っても同じなのであり、まさにウェーバー的に執念深く目標の実現へと詰め続けるのだ。こうした戦前回帰の動きを止めたのが、1960年の安保闘争の激突であったことは、憲法9条を卑しめる想田和弘にも常識の事項だろう。60年安保で改憲を断念させることがなければ、日本はどんな国になっていたことか。

c0315619_1418562.jpg想田和弘は、護憲派に対して「頑迷な9条固守」集団のイメージを被せ、護憲派が恰も緊急事態条項の改憲に対して鈍感であるように言うのだが、これは全く根拠のない決めつけであり、勝手にこじつけて描いたフィクションだ。9条を守る精鋭である護憲派こそが、船田元が緊急事態条項で改憲に打ってきたとしても、その反撃の主力になる部隊であって、あらゆる改憲策動に最も高いアンテナを張って、敏感に防衛と対策に出る勢力だろう。逆に、何も考えず、ただ想田和弘や内田樹のTWに条件反射でRTのクリックをして、「皆と同じ」行動をしている者たち(自称リベラル)こそが、そうした政局でもただの観客となり、政治の動きをネタとして愉しんでスマホにくっついている烏合の衆なのに違いない。TWは、確実に若い者たちから思考力と集中力を奪っているし、「皆と合わせて」全体の状況に流される行動をする者を増やしている。自民党側の改憲の本丸は、あくまで9条であって、そこへ辿り着くために、いろんな「お試し改憲」の細工を考えるのである。「お試し改憲」を阻止する態度は、それが「お試し改憲」だと理解するところから始まる。「お試し改憲」とは、改憲派に不利な状況を作る政治言語だ。想田和弘が言うのとは異なり、「お試し改憲」の警戒言説は、気の緩みや油断を誘うものではなく、その逆で、改憲に対して予防幕を張り、機先を制して敵を萎縮させる効果のある戦術言語と言える。

自民党側のあらゆる「お試し改憲」の手口は、手を変え品を変え国民を騙そうとしても、結局のところ、96条改憲のときと同じく「裏口入学」論で叩かれ、後ろめたい動機を見抜かれ、本心を隠した姑息さと卑劣さを衝かれ、小林節のような論者によって迎撃されることになる。マスコミ論議の中で説得力を失い、世論調査で反対多数の結果となる。想田和弘は勘違いしているのだ。


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by yoniumuhibi | 2015-05-13 23:30 | Comments(1)
Commented by 三隈 at 2015-05-13 18:54 x
「ウェーバー的に執念深く目標の実現へと詰め続ける」まさにこれに尽きる。これこそリベラル勢力に求められているものではないか。元来9条一項全面放棄説の立場をとって自衛のための戦争もはっきり否定していく、そのような攻めの気持ちを持ち続けて漸く現状維持もかなうのではないか。改憲勢力は常に理想を高く持ってきたように思う。護憲の側も諦念を誘引する目的の揶揄等々に惑わされずひたむきに自分たちの信念を貫かなければいけないと思う。御ブログでも支持されている9条を世界に輸出しようという心意気だが、まさしくそのような強い目的意識があってやっと日本国内の9条の立場も地固めできるものだと思う。理想を下げて妥協すれば結果もそれに伴ったものにしかならない。高い理想が現実を引き揚げてくれるのだ。ビジネスでも大学受験でもそうではないか。戦争、災害のショック・ドクトリンで国民の権利を制限していくのは政府の十八番だ。だから自分の感触では9条は極めて現実的で必須の条項である。加えて自衛かどうかという分類は恣意的に運用され国民を欺く余地を残すから9条一項全面放棄説でよいと考える。実際1946年の吉田茂は国会答弁で「近年の戦争の多くは国家正当防衛健の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」と言っているのだ。だが、残念ながらそのような立場は今の日本ではかなりラジカルと見られてしまうだろう。だから議論をそこへ押し戻すどころか後ろから矢を撃つがごとき言動で9条を軽んじるかのような空気を醸成することは過失にしても容認し難く深く失望するのである。


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