戦後民主主義と憲法9条 - ジョン・ダワー、小熊英二、丸山真男、両陛下

c0315619_1545071.jpg「アメリカ人たちは、日本を去る前に方向を逆転させた。日本社会のなかでも自由主義的傾向が少ない連中と協力して、この旧敵国を再軍備し、冷戦の従属的パートナーとしはじめたのである。にもかかわらず、平和と民主主義という理想は、日本に根をおろした。借り物のイデオロギーでも押しつけの未来図でもなく、生活に根ざした体験として、そしてまたとない好機を生かした成果として。平和と民主主義の理想は、みごとな、そしてしばしば不協和音を奏でる様々な声となって現れ出たのである」(上巻 P.6)。これは、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の序文に書かれた一節である。日本の戦後史を描いて高い評価を得た代表作において、ダワーはこう総括して結論を与えている。平和と民主主義という理想が日本に根づいたと。吉田裕の『昭和天皇の終戦史』を読んだあと、ダワーの本を読み返すうち、この文章が目に止まった。序文は、全体の結論を最初に読者に紹介するものだ。この本の冒頭、ハワード・B・ションバーガーへの献辞には、「平和と民主主義。その理想をけっして見失わなかった」の言葉がある。ダワーの平和と民主主義の理想へのコミットが窺え、平和と民主主義の理想を地に下ろした人々の努力の物語として日本の戦後史が捉えられていることが分かる。



c0315619_15451159.jpg今、また戦後民主主義とは何かが問われているようで、そこに関心を向けざるを得ない。戦後民主主義とは何だろうか。その問いに答えを出すのは簡単ではないが、戦後民主主義という言葉に対して持つ観想や抱く感慨、その言葉への受け止めは、私の場合、ダワーが描き上げた戦後史の中身と同じで、かなり積極的なものだ。それは、一言で言えば、平和と民主主義の理想を現実化させようとする人々の努力のことである。高度成長の頃、その努力は社会の空間に力強く生きていて、子どもだったわれわれはその努力に教育されて育った。だから、戦後民主主義という言葉を聞くと、条件反射的に、小学校6年の社会科の授業の風景と教師の熱弁を思い出す。そして例の、丸山真男の有名な言葉に立ち帰る。1964年、未来社から『現代政治の思想と行動』の増補版が出たとき、その「後記」に丸山真男が残した言葉である。「政界・財界・官界から論壇に至るまで、のどもと過ぎて熱さを忘れた人々、もしくは忘れることに利益をもつ人々によって放送されるこうした神話(たとえば戦後民主主義を『占領民主主義』の名において一括して『虚妄』とする言説)は、戦争と戦争直後の精神的空気を直接に経験しない世代の増加とともに、存外無批判に受容される可能性がある。(旧版 P.584)」。

c0315619_15452254.jpg「(略)もちろん戦後民主主義を『虚妄』と見るかどうかということは、結局のところは、経験的に検証される問題ではなく、論者の価値観にかかわって来る。そうした政治についてのどのような科学的認識も検証不能の『公理』を基底においている限り、そうした『虚妄』観の上にも学問的労作が花開く可能性があることを私は否定しない。(略)私自身の選択についていうならば、大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」(同 P.584)。このコミットメントは広く知られ、丸山真男の本を一度も読んでいない者、どういう学者か何も知らない者でも、一つの常識的な知識となっていて、繰り返し言及されるところとなっている。このコミットが丸山真男を戦後民主主義のシンボルにしていて、半世紀以上経った今も、戦後民主主義について論難され悪罵される全てを丸山真男が引き受ける言論の構図が固まっている。丸山真男が戦後民主主義の守護神で、丸山真男の思想と行動が戦後民主主義の概念の中核にある。右翼も左翼も、戦後民主主義を叩きたいときは丸山真男を叩き、丸山真男を貶めたいときは戦後民主主義を侮辱するといった具合で、その言説状況が繰り返し繰り返しずっと続き、まさに不断の再生産過程として連続している。右翼による毎度のループについては言うまでもない。

c0315619_15453259.jpg左翼の方は、嘗てはマルクス主義が丸山真男を叩いていたが、60年代後半からは新左翼が、80年代後半からは脱構築がバトンタッチして任務を続けている。小熊英二もその一人だ。脱構築は戦後思想に対して敵意剥き出しの態度で、戦後民主主義を否定する立場にある。丸山真男や大塚久雄を「国民主義者」として勝手に括って誹謗し、戦中からの「総動員体制」という論理工作を仕組んで叩き、ジェンダーやマイノリティの視角がないと(くだらない)難癖をつけて罵り、もはや時代遅れの無意味な塵屑だと切り捨てたのが脱構築だった。現在の若い左翼リベラルは、小熊英二が憲法9条や戦後民主主義に対して、どれほどシニカルな姿勢を示しているか承知しているだろうか。2006年のマガジン9条の記事を見ると、「僕は別に9条は世界の理想だから世界中に広めようとか、そういうことは考えていません。はっきり言って、そんなことが実現するとは思えませんから」と正直に言っている。9条を変えたら軍備に金がかかるから、財政的に得だから9条を変えない方がいいという、自身曰く「プラグマティックな」9条論だ。消極的な護憲論。この小熊英二の冷淡な9条論は、同じような歴史の本を書いたダワーの理想主義と好対照を示している。果たして、理想なくして9条が守れるだろうか。9条を守ろうとする者の内面に9条を世界に普遍化するのだという決意と確信がなくて、本当に9条を守れるだろうか。

c0315619_15454126.jpg小熊英二的な「プラグマティックな9条論」は、嘗て宮沢喜一が唱えていた議論だった。改憲を強引に進めると60年安保の分裂騒動になるから、それは引っ込めて高度成長で国民的統合を図ろうという、池田勇人以来の自民党ハト派の路線であり、9条を変えずに財政負担のない小さな軍備で行きましょうという立場である。だが、この立場がどうなったかは一目瞭然で、自民党も、宏池会も、あっと言う間に変貌を遂げて岸信介の路線へと本卦還りして収斂した。理想や理念のないプラグマティズムは、結局のところ状況に押し流されるだけのオポチュニズムとなり、自己欺瞞を重ねつつ反動を正当化して支持する側に回ってしまう。マガジン9条の中で小熊英二は、戦後の左派が護憲を掲げて大同団結した政治について、「議論のレベルを下げて思考停止を招いた」と言い、それを卑しめる発言をしている。小熊英二にとって、9条を守り抜いて改憲派と闘う平和主義者は非現実的な存在らしい。実際、『民主と愛国』の中でもそのように書いていて(第11章)、9条護憲の旗印の下に抵抗運動を起こし、講和問題の政治戦を闘った全面講和派に対してきわめてネガティブな評価を与えている。まるで、9条護憲など大義として掲げたのは不毛だったと言いたげであり、全面講和派すなわち戦後民主主義の知識人と勢力の「敗北」と「挫折」ばかり強調する論述になっている。唖然とさせられる。改憲した方がよかったとでも言うのか。

c0315619_15455373.jpgこの政治史を捉える小熊英二の視角の根本的な間違いは、左派が大同団結した「9条と平和主義」のスローガンが、恰も左翼諸派の大同団結のための方便の接着剤として、野合の神輿として性格づけられて上から認識されている点だ。そうではなく、(終戦直後の飢餓を含めて)悲惨な戦争体験をした民衆がいて、人々が下から平和を望み、9条を必死に守ろうとした真実が捨象されている。左翼諸派が纏まるために上からポリティカルに護憲のスローガンが選ばれたのではなく、下から強く護憲平和を求める民衆がいて、まさにその政治要求に応えるべく左側の政党が纏まって勢力を成したというのが歴史の事実に他ならない。9条護憲の平和主義は、理想ではあるけれど、知識人だけでなく底辺に生きている多くの人々の痛切な願いであり、その内面にはダワーと同じ熱いコミットメントがあったのだ。その理想は、人々にとっては現実的なもので、二度と戦争は嫌だという「いのちとくらし」の問題に直結していた。岸信介が安保改定に乗り出したとき、70年の戦後史を通じて最大で空前のプロテストが起きたのは、人々が左翼政党のスローガンに共鳴したからではなく、米国が中ソと始める戦争に巻き込まれるのを拒絶したからだ。そうした事実を脱構築は無視し、捨象し、右翼と同じように護憲や9条に左翼のレッテルを貼り、無意味で無価値だと貶める。9条と護憲を矮小化する。

c0315619_1546473.jpgダワーの本の中には、平和を求める民衆の姿が積極的に注目され描写されるが、小熊英二の本の中ではその要素がなく、知識人の言論が並べられるだけで、そしてその意味づけは、政治に勝ったとか負けたとかの結果によって与えられている。戦後民主主義の知識人たちが矮小化され、歴史の負け役として描かれ、そこにジェンダーとマイノリティの関心と配慮がなかったのが問題で、ナショナリズム(国民主義)の限界性があったのだと責められ、戦後知識人の負けが冷淡に傍観され嘲笑されている。思えば、9条や護憲というのは、90年代からずっと、否、80年代からすでに、それを担ぐ政治勢力の貧弱と衰退の故に、政治のシンボルとしては価値を落とし、マスコミや論壇で叩かれまくる日々ばかりだった。マスコミと論壇の表面では、9条と護憲はいじめられる存在で、袋叩きで嘲られながら誰にも擁護されないパーリア的な表徴と立場だった。が、この5年ほど、9条と護憲がいじめられる悪役でなく、守るベき正義として価値を復活させている現実が確かにある。改憲が目前に迫ってきて、危機感が高まってきたからだが、他にもう一つの契機がある。9条と護憲に説得力を与えるシンボルとして、両陛下が浮上したことだ。嘗てはそれは土井たか子で、衰滅する社共勢力で、思想的価値はどんどん落ちて行ったが、両陛下が護憲と戦後民主主義の担い手として出現することで状況が大きく変わった。

両陛下の中には、どうやら、小熊英二と違って「9条と平和」の理想主義があるようだ。


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by yoniumuhibi | 2015-04-24 23:30 | Comments(3)
Commented by ロシナンテ at 2015-04-24 23:36 x
元来、プラグマティズムには理念も理想も無い、その時々での最適利得解を得る、だけの思考法だと私は考えています。
プラグマティズム、アメリカが源流だと思いますが、まさにその思考法による「敵の敵を味方にする」の繰り返しが
今の世界中を混乱に巻き込んだ根っこだと感じてます。

小熊氏の言う「プラグマティック」も、最適利得解に対する無批判信奉、のように受け取めました。
昔流行った「日本式状況倫理」と似てます。

左派リベラルが、こんなプラグマティック的思潮=その場主義、に毒されてては、
「リベラル・左派勢力はポストモダン的な相対主義に陥ったあげく価値の優劣を論じることを避け、価値観の問題を「個人の内面的自由」として公共圏の外側に放逐してしまった」
そのものになり、自身の立つ場所を自ら捨て去り彷徨う愚か者、になってしまいます。

故に旧社会党は滅び、民主党は廃れ、反中嫌韓ヘイトの立場を守る自民党、を支持するアンポンタンをのさばらせる結果にしてしまった。
彼らの怠慢(罪)は重いです。
Commented by 若葉 at 2015-04-25 10:43 x
初めて投稿させていただきます二児の母です。stap騒動の早い段階から的確な指摘をされてこられた慧眼に感銘を受けて以来、様々なテーマへの深い論考と格調高い言説、温かみと優しさが伝わるツィート等を私の考え方の参考にさせて頂いています。コメントされる方のご意見も、世間知らずのわが身にはとても参考になります。さて、三浦某という若手女性学者の出現に絶望仕掛けていましたが、今回の地方選挙で石川くみ子という方を知り、希望が持てる気がしてきました。石川くみ子さんは世田谷区議に立候補されています。生粋の東大人なのに市民派、良識派でいらっしゃいます。同世代、同じ東大学者でありながらこうも違う人材が育つのか、東大とは不思議な所ですね。石川くみ子さんは、無所属無党派なのでなかなか苦戦されるかもしれませんが、区議二するにはもったいない、メルケルさんのように国を引っ張る人になってほしいと思います。世に倦む日日様はいかに思われるでしょうか。拙文失礼いたしました。
Commented by 長坂 at 2015-04-25 10:50 x
日本の66都市(65番目広島、66長崎)が破壊され、300万人死亡。軍人や指導者の敗北ではなく、庶民が受け止めた敗北(byダワー)。明日からぐっすり眠れる敗戦、もう死ななくていい平和憲法をまさにEMBRACE! 仰るとおり、人々が下から平和を望み、9条を守ろうとした事実。
軍備に金がかかるから9条はよりお得という損得勘定。9条の理念や理想を語る事は幼稚で恥ずかしい事なのか?
プラグマティズムを信奉しないと一流の学者と認められないのか?あくまでも"クールで傲慢な俺様"量産の日本のバカデミズム。
親や教師の戦争体験を聞き、ベトナム戦争のニュースをリアルで見て来た私達はとんだ厄介者。


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