天皇陛下の教育係だった安倍能成 - 戦後民主主義の平和と教育の巨人

c0315619_17626100.jpg昨夜(4/8)、両陛下のパラオ訪問を報道した報ステの中で、天皇陛下が戦争と平和への思いを語った過去の記者会見が編集され伝えられていた。89年、90年、93年、95年、即位した前後の若い天皇陛下の言葉が多く紹介され、見ながら、心に響く小特集に構成されていた。その映像の中にも登場してコメントしていたけれど、この特集の制作を指導(direct)したのは、テレ朝で皇室担当記者を長くやり、今でも大事な場面では解説に登場する神田秀一だ。もう80歳になるが、今も現役で、皇室ジャーナリストとしてこの男の右に出る者はいない。両陛下と宮内庁の神田秀一への信頼の大きさが分かるし、神田秀一がどれほど両陛下に影響を受け、両陛下を尊敬しているかが窺い知れる。昨夜、報ステがピックアップしてカットを放送した天皇陛下の言葉の数々は、全て神田秀一の記憶に刻まれていたものであり、10年に一度のこの機に報道すべく、満を持して企画されたものだろう。今の若いディレクターやプロデューサーは、こんな芸当は単独ではとてもできない。10年に一度。次はあるかどうか。10年後は、天皇陛下は92歳、神田秀一は90歳。「皆さんと憲法を守り」と、そう宣言した即位の決意の言葉も出た。久しぶりにテレビで見た。あの衝撃の言葉があり、私は天皇を天皇陛下と呼ぶようになった。よく言ってくれたと今更ながら感激する。



c0315619_1763881.jpg神田秀一は、用心深く、現政権(安倍晋三)と右翼への気配りを怠らず、後半、昭和天皇を絶賛する解説を入れ、この報道のバランスをとっていた。今上天皇の平和主義思想は親譲りのもので、昭和天皇がよく教育したからそうなったのだと、とんでもない愚論の説明を加えていた。「昭和天皇の平和主義」という偽りの像は、右翼がずっとプロパガンダして刷り込んでいる言説で、昨年の「実録」でも固められたものだ。日本を一歩出て、世界から20世紀の歴史を正視すれば、その言説は一瞬でデマゴギーの神話となる。誰も信じない。だが、その虚像は、当の天皇陛下自身が担っていて擁護しているものでもある。皇室の安泰のためには、実の親である昭和天皇を悪人にはできず、戦争責任を糾弾して全否定することはできない。まして、今の日本の政治状況を考えれば、無理に波風を立てるのは難しい。同じように、神田秀一も、極右政権に厳しく監視される中で番組を守らなくてはならず、右翼に迎合する言論をサービスして右翼を喜ばせ、この特集のリベラル色を薄める作為に出たのだろう。天皇陛下は死ぬまでこの態度を変えず、昭和天皇正当化の立場のままだろうが、どこかで、死後に発見される文書とか、極秘の生前の証言とかで、昭和天皇の戦争責任を認め、それを正しく批判していて欲しいものだ。

c0315619_1765844.jpg番組では、物心ついたときから戦争が始まっていたこと、奥日光の疎開先で終戦の玉音放送を聞いたこと、戻って見た東京の焼け野原の風景に愕然としたこと、等々が、記者会見時の言葉と、番組が作り込んだ映像と解説を重ねて語られていた。終戦のとき、学習院初等科の6年生。つまり普通の子どもで言えば、国民学校の6年生である。一般に、明仁天皇の人格形成や思想形成について言われるとき、英語の家庭教師に就いたヴァイニング夫人の名前が出される。敬虔なクェーカー教徒で、高潔な人格と高い知性の持ち主の教育者だったこの人物は、後にベトナム反戦運動に参加して、DCでの抗議中に逮捕されるという経歴の持ち主ともなった。もう一人、当時の皇太子(明仁親王)の教育係として重要な人物がいる。最近、この巨人の名前が登場する機会がなく、若い人は名前を知らないかもしれない。1946年から66年まで学習院院長だった哲学・倫理学者の安倍能成である。学習院の歴代院長の中で、20年の長きにわたってその職を続けた例は他にない。学習院院長に就く直前、1946年の1月から5月まで幣原内閣の文部大臣を務めていて、戦後の学制改革や教育基本法の制定に尽力している。1946年1月から5月といえば、マッカーサーが新憲法を準備した時期で、8.15革命の空気が全土を覆っていた季節の文相が安倍能成だった。

c0315619_177956.jpgいわゆる戦後改革と呼ばれるものの中で、農地改革と並んできわめて重要な位置を占めるのが教育改革であることは、われわれの歴史の常識の範疇だが、その戦後の教育改革を担った人物の中で最初に屈指されるのは、終戦まで5年間一高の校長だったリベラリストの安倍能成だろう。1946年5月に幣原内閣から吉田内閣に変わり、安倍能成は学習院の院長に就く。この戦後日本の人事が、学習院中等科に入学したばかりの明仁親王の教育にあり、将来の日本の天皇を育てるという重大な使命が安倍能成に託されたことは容易に察しがつく。政治学や政治史の知識と文脈では、安倍能成は皇太子の教育係としてではなく、「平和問題談話会」の代表者として有名で、したがって、1950年の講和問題のときに活躍した全面講和の知識人として名前が覚えられている。「丸山真男座談」の第7巻に、「安倍先生と平和問題談話会」と題した吉野源三郎との対談が載っている。対談は1966年に行われたもので、この年6月に安倍能成が83歳で逝去、「世界」が創刊20周年を記念する企画の一つとして対談を組み、8月号に掲載した。その冒頭、安倍能成と吉野源三郎と「世界」との関わりについて、吉野源三郎が当時をこう語っている。「『世界』という雑誌のなりたちからいうと、安倍先生を除いてはその創刊が考えられないくらい深い関係があります」(第7巻 P.2)。

c0315619_1772331.jpg「岩波(茂雄)さんは戦後、総合雑誌を自分でやりたいと考えましたが、(略)安倍、おまえがやってくれるなら任せる、という話になった。(略)岩波さんの書いた『世界』の創刊の辞には、さいわいに自分の親友の安倍がやってくれるので、全幅の信頼をおいてこれを任せるということが書かれてある。そう決まったあとで私にこの仕事の面倒をみろという話になって、私が引き受けたのです。安倍先生と私との関係は、私が第一高等学校の学生だったときの先生と弟子という間柄で、(略)人間的には私も安倍先生を好きだったし、先生も多少私を認めていてくれたのではないかと思うのです。(略)その間に安倍先生が文部大臣になったので、大臣が雑誌の編集をやっているのはまずいということから、一時大内兵衛先生が監修されていた時期があります。(略)ところが、大臣をやめられたときには、もう安倍先生には『世界』をやってゆく積極的な気はなかった。(略)自然と、あと私がほとんど全部の責任を負わねばならないというようになったのです」.(同 P.2-3)。平和問題談話会での安倍能成について、丸山真男がこう語っている。「安倍先生の最初の総会のときの開会の辞が『世界』(24年3月号)に載っていますね。『敗戦日本が新たな建設をなし遂げるためには、平和の原理、平和の信念を根底に置くよりほかに、われわれの生きていく途はない』」(同 P.10)。

c0315619_1773556.jpg「『・・・身に寸鉄をおびないで(注=憲法9条の意)、剣戟の林のなかを進んでいくというのは、あたかも物語のなかの一つの荒唐なヒロイズムのようであるけれども、しかしながら、これは今日のわれわれにとっては、けっして空想的なことではない。むしろ最も現実的な活路である。国際的な緊迫が、次の戦争の危機をはらんでいる間に立って(略)小刀細工を弄し、次の戦争の機会を、日本の再興のために利用するというような、浅はかな考えをもって(注=吉田内閣を指す)、日本の国を運営するということは、これこそ日本をますます滅亡の淵におとしいれるものである』。こういうことを安倍先生は、開会の辞で言われているわけです。このときはまだ朝鮮戦争は起こっていない。その後、日本は遺憾ながら、現実の過程として、朝鮮戦争の機会を日本の再興のために利用したわけです。したがって私たちは、講和問題や朝鮮戦争が起こったときに、これによって、なにか急激に政治的な問題に深入りしたということではなくて、この平和問題懇談会の最初の総会のときに安倍先生の言われたことが、それこそそのまま目の前に現れてきたではないか、ここで原理を貫かなければいけないという気持ちになり、それが昭和25年1月の全面講和の声明になり、かつ朝鮮戦争後における、最も白熱した討議を見、『三たび平和について』になったのだと思います」(同 P.10-11)。

c0315619_1774638.jpg最近、とにかく強く思わされるのは、岩波の「世界」が当初の創刊の理念を忘れ、安倍能成や吉野源三郎の決意から離れていることだ。来年、『世界』は創刊70周年を迎える。あの雑誌が『世界』と名前が付けられた理由は、日本人が世界を知らず、世界の情勢を知らなかったために、無謀な侵略戦争に突っ込んで行ったのだから、だから世界を知らなくてはいけないのだという反省からだった。日本の周囲の世界のことを常に注視し、動きを正しく知っていなくてはいけない。そういう意識は、初代編集長の吉野源三郎にも強く、私が学生で読者だった頃の編集長の安江良介にもとても強かった。「世界」の言う世界とは、単純な地球儀の世界ではなく、日本からの世界であり、日本の外という意味であり、日本と関係の深い世界であり、したがって、日本に近い諸外国に強い関心が向けられていた。とりわけ、朝鮮半島に視線が向けられていた。今週、教科書検定問題の報道があったとき、知識人はもっと反対の声を上げたらどうだというTwがあった。教科書検定問題に敏感に反応したのは、韓国と中国だった。まさに、吉野源三郎と安江良介の<世界>の問題である。岩波を中心とする日本のリベラルの定番論者たちは、中国や韓国と同じ反応をしない。おかしくないか。中国や韓国の知識人と連携して、日本のファッショ政権の極右政策を批判するのが、吉野源三郎や安倍能成の立場であり、「世界」の創刊の精神ではないのか。

リベラルと言いつつ、実際には反中嫌韓になっているのが日本の学閥リベラルの姿であり、脱構築主義の思想に依拠し、戦後民主主義を否定する思想に立っているのが現在の日本の左翼リベラルなのだ。


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by yoniumuhibi | 2015-04-09 23:30 | Comments(14)
Commented by kk at 2015-04-09 19:31 x
ブログ主さまが今上天皇を「陛下」と呼ぶのをとても不思議に思いましたが、そのような理由があったのですね。
Commented by ロシナンテ at 2015-04-09 23:23 x
昨晩の報道ステーション特集、私も見てました。
(あえて今回は平成天皇と書きます)
その中で感じた平成天皇の思いに、自身の考えのぐらつきを受けてます。
ブログ主さんは昭和天皇に対する平成天皇のお立場を汲み取られ、気遣っておられる。
私も天皇族でくくれないジレンマを特集の中で感じてしまい、強い言葉で昭和天皇批判、を言いだせない心境です。

果たして昭和天皇批判と天皇制批判が連動するものか、とても勉強不足な領域ですが、
似非リベラルが右傾化への批判ごっこを飯の種にする今の状況が、本当に飯の種としか見てないのか、疑問を感じてます。
「宗主国アメリカ」「安倍ポチ政権」「主権は国民に」
と並びますが、では彼らの言う「主権」の代表、言い換えれば日本国のリーダーシップをどこに見ているのか。

「反中嫌韓親米」、親米を捨てた時、この国の左派リベラルの心の拠り所はどこに向かうのでしょう。
結局の所、天皇制護持に向かうのではないでしょうか。
そこからは昭和天皇批判は決して現れない。
思考・信念に自分を置くので無く、ヒトに自分を置く。感情移入に自分を置く。
これは安倍信三の心理と大差ない世界のように思えます。
更には、戦争責任の所在(瑕疵の原因)を曖昧にしたままでの「護憲」はもろい思想・信念だと感じてます。

ここ2ヶ月程、後藤氏の誘拐保険情報を求めてTwに参入してましたが、軽い世界だと分かりました。
昭和天皇批判・共産党批判は、左右両方から無視されます。
安倍批判、原発事故批判、右翼批判で多少の反応が来ます。
私はたった2ヶ月での虚無感ですが、これを20年、味わいながら思考し発信される主さまに頭が下がります。
Commented by 芝ちゃん  at 2015-04-10 00:02 x
今日のブログ主さまの論文をお読みして、感無量なものがあります85歳の老人です。
20年前、岩波書店の編集・発行した「『世界』主要論文選(1946-1995)」を開き、創刊号(46年1月号)の「剛毅と真実と知恵とを(安倍能成)」、5月号の「超国家主義の論理と心理(丸山真男)」を読み直しています。
これらの論文は、敗戦翌年の中学3年生のとき、高校受験に取り組みながら、懸命に読んだ記憶があります。
安倍内閣の「戦後レジュームの改革」と称し、これら敗戦直後に誓った【先賢たちの誓いを踏みにじる政策】に怒りを禁じえません。
Commented by いちご at 2015-04-10 01:33 x
体調が万全ではない中でのパラオご訪問との事でしたので無事に帰国されたようで良かったです。私も昨日の報ステは食い入るように見てました。天皇陛下の平和への思いが良く伝わってくる特集だったと思います。また「太平洋戦争では300万人亡くなった」また「戦争は平和のうちに準備される」とのコメントを聞き、300万人て…一度戦争になったら誰もが他人事じゃ済まされない状況なのに大勢の人が気付かず平和な今着々と準備されてます。
週末は選挙がありますので憲法9条改正に反対の方に投票しようと思います。
Commented by 旅マン at 2015-04-10 02:24 x
小選挙区制度導入反対の論客で、安江さん時代の『世界』で時局解説などを物されていた国弘正雄さん…『英会話ぜったい音読』の人と書いた方が、若い人には通じるか?去年他界された…が、明仁さんや美智子さんが天皇や皇后になる前に、直接、皇居で教養指導をされていたのは、有名なお話。
それでもあえて書いておく。
皇太子やその奥様が、憲法九条を蔑ろにした輩に怒っていた話…何の事件かは、読まれている方はピンとくるだろう(笑)。
私は国弘さんからそのくだりを95年に直接伺った。
で、ハッタリのない国弘さんだから、明仁さんも美智子さんも極めてまともな人なんだと感心したものだった。
で、やっぱり、この人は本物だなと思い知らされたのは、米長名人に園遊会でぶつけた、
あの発言だった!
天皇なる職務?は、好きな野球チームひとつもザックバランに語れない、超堅苦しいものである。言葉を選んで選んでのあの発言である。米長の返事の異様さは今さらだし、世が世なら、不敬罪かもだが(笑)、明仁さんが日本国憲法の象徴として自覚していることの表れてあるとも言える『子供たちに日の丸や君が代を押し付けないで』発言だと思う。
人間宣言をしたのがヒロヒトなので、当然、その子息も、まごうかたなき人間である。故に、私は敬意をこめて、明仁さんと書いたまで。
Commented by swissnews at 2015-04-10 04:23
回りの欧州国で圧倒的魅力ある日本人は今でも天皇皇后両陛下と、皇太子殿下、雅子妃が圧倒的で他の数人の芸術家、文学者、科学者、企業家スポーツ選手ぐらいだという印象をうけ、だんだん少なくなる。政治家では、731の模型飛行機に乗りはしゃいでいる安倍総理の写真が大手メディアに大きくでて(知る限り英、仏、独)視覚的な印象と内容は異常ですぐには忘れられないものを残してしまった。日本の政治家はそんなものだろう。
こちらの大学で、日本の小学校の教科書、3冊がパネルに写され、時代と共に歴史に関して右寄りになったことが発表された。将来、日本の教科書には戦争なんかなかったことになるのでは?
アジアに関する興味は大きくなっても、まだ、日本に興味を持ってくれる外国の学者やメディアがあることを感謝したほうが良いのではないだろうかと思うほどだ。「知らずは日本人だけ」と云うことになったら大変だ。

Commented by 芝ちゃん at 2015-04-10 10:58 x
昨秋から、膨大な『野上弥生子日記』を読んできて、ようやく読み終えたところです。
弥生子は安倍能成と個人的な交流があり、安倍能成の様々な私的な場面も書いていますが、二人に共通して「能の謡」があり、徹底した「戦争反対」があります。
安倍能成は明確に表明していませんが、弥生子は日記にも、随想にも、絶えず「昭和天皇の戦争責任」を書いています。
その弥生子の北軽井沢の山荘に、学習院々長の安倍能成が皇太子(現在の平成天皇)を案内し、『皇太子と弥生子の対談』をさせる場面があります。
学習院の学生とはいえ、次期天皇の『皇太子』を、左派シンパで知られる『野上弥生子』と対談させた『安倍能成』の偉大さを物語る一面であります。

Commented by 春雷 at 2015-04-10 15:07 x
ロムしていられなくなり、失礼します。

 4/08 14:22 Twitterに書かれた、 池澤夏樹の『左折の改憲』、地方の私は、9日昨日じっくり朝日新聞で読んで、遅ればせながら、ガックリしました。
 GHQが作ったと認める現憲法とありました。- - - -> 高野岩三郎や鈴木安蔵ら憲法研究会の草案した「憲法草案要綱」など、民間の流れを、GHQが注目していた根拠である、ラウエル「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」(1946年1月11日)を知らずか、それとも無視か。
 今、この安倍政権下で改憲をすれば、軍靴の音がはっきり聞こえて来ることになるのを、知らぬはずはあるまいに。
 「とめどない転向と右翼化。今度は左から護憲を切り崩す。」おっしゃっる通りです。


 現天皇一家は、現在稀と言ってもいい程、民主的な慈愛のこもった家族だと思います。平和を希求する。自分たちの愛しい子や孫が、その時の政権によって、戦争の号令者として利用されることにならないよう願う。老体を物ともせず、身体の動く今でしかできない、平和外交を懸命に勤めて。平和憲法の存続を、誰よりも望んでおられよう。
Commented by まゆ at 2015-04-10 15:15 x
瀬戸内寂聴さんも言われています。この頃軍靴の足音が聞こえて来ると。どなたか忘れましたが言われました。戦争体験者でしょう。戦争というものは、気づいた時にはもう始まっていてそれから毎日目の前で人が死んでゆく。残酷で悲惨な日々は毎日続いたと。戦争体験者が少なくなってしまった日本に本当に軍靴の足音が聞こえないように、私達国民は政権交代を叫ばなくてはいけない時が来たのではないでしょうか?
Commented by 私は黙らない at 2015-04-11 03:09 x
 なんだか、とても複雑な気持ちです。
 現天皇がゆるぎない平和への思いをもたれているということ、知りませんでした。コメントも大変興味深く、若輩の私が知らないことをたくさん学ばせていただきました。ありがとうございます。
 しかし、天皇が高潔な人物であるということ=天皇制の肯定になってしまっていいのか、帰宅途中の車中で、う~んとうなってしまいました。
 話は飛びますが、今回のブログで私がまず思い浮かべたのがタイの王室です。賢王とよばれる現国王もさすがに御年で、何人かいる子供のうち、勉強家、努力家で国民にも人気の高い子供は、不幸にも娘、息子の方はというと。。。近い将来、現国王に何かあった場合、タイの政情にひと波乱あるのは必至ではないかと思います。
 天皇の人格が高潔であるということは、国民にとっても幸せなことです。でも、人間、どのような人物に生まれるかは、コントロール外ですから、不幸にもそうでなかったら。。。しかも、それを利用しようとする人物なりグループが現れたりしたら。。。
 ただ、自分でもおかしいのは、そういっておきながら、今話題の佳子さまの映像を見たりすると、かわいい、こんな娘に育てたいとか思うのは、なんでしょう。情緒的に皇室を幸せの手本にしているのでしょうか?ジレンマです。
Commented by 長坂 at 2015-04-11 09:41 x
右にとって靖国参拝なら左は天皇皇后による「慰霊の旅」なのかと。沖縄での日本軍を考えれば、"土人"であるパラオの人達をどう扱ったかは容易に想像がつく。それを今でも日本語を覚えてるとか、歌を歌えるとか、結局「不幸な出来事である戦争」が悪い。戦争責任ではなく戦争が責任という無責任。
天皇より数歳若い戦災孤児達の戦後は民主主義も憲法も無関係なただただ過酷、凄惨を極めたもの。学童疎開していたため自分一人が生き延び、親戚たらい回し、虐待、飢餓。優しい言葉をかけてくれる大人は誰一人いなかった。なんの補償もないまま亡くなっていく。誰が慰霊してくれるんでしょう。

1944年に一高に入学した坂本義和さんが「人間と国家」で優れた教育者である安倍能成校長のエピソードを書かれています。と、書きながら、「国立大学での国歌国旗の徹底」というニュース。同じ安倍、人としてあまりの差が、、、比べる事自体が間違ってはいるが。
Commented by 愛知 at 2015-04-12 00:55 x
労災の現場を時折、調査に行くことが。年10回程度ですが、そもそも工場の内部に入ることが、そのときしかなく。逆に熾烈な現場に驚愕。先日も若者が機械に巻き込まれ亡くなられ。工場の責任者に問うても状況すら説明できず。今は工場の運営そのものを下請け派遣事業者に業務委託契約しているため、資本家(工場を作った親会社)は労災申請する手間さえ省かれ。労基署など資本家のための役所であり、資本家との対峙など元から無し。「何人死んだのか覚えていない」という工場関係者からすれば、私の驚きの方が驚きなんでしょう。業務委託契約という二層構造では労組などなく。即死でなければ新聞も報じず。死の代償は安価な保険料で損保が肩代わり。その都度、小林多喜二は何のために殺されたのかとの思いに。人が死んでも資本家は「粛々と」運営。故人にとって不幸は同僚すら死に思いを巡らせないこと。皆、「粛々と」生産目標を目指すのみ。また子細な個人的体験で恐縮。命の軽視、はっきり言えば命の無視はまさに戦争直前のあの時代と同じ。儲けのために命を無視は戦争への必然。非正規雇用の待遇よりも命の確保。ご紹介の安倍能成先生「身に寸鉄をおびないで、剣戟の林の中を進んでいくというのは~最も現実的な活路」初めて知り、深い感銘を受けました。いつも貴重な案内、深謝いたします。まんま首相が米上下両院の演説で引用すりゃ、全世界から拍手喝采でしょうに。寸鉄で大国に向かうなど狂気の沙汰。電通など既に「石油一滴、兵隊さんの血一滴」なんてポスター作っているのでは。それ以前に、小麦にトウモロコシ止められだけでジ・エンドなのに。牛肉どころか鶏卵ひとつ口に入らなくなるのは目に見えている。また薩摩芋の茎を食らう羽目に。戦後の鶏卵価格の安定は生産者の努力と「身に寸鉄をおびないで、剣戟の中を進んできた」先人賢人の教え70年の結晶。もう手遅れかもしれませんが、敗戦後の崇高なる理念に戻るべき。
Commented by 梅子 at 2015-04-13 12:06 x
上のコメントで使われている言葉、憲法改「正」という言い方に非常に抵抗を感じる。
少なくとも私たちだけでも憲法改定(本当は改悪だが)と言いたい。
おそらく世界史に残るであろう「戦争放棄」をうたった世界初の憲法、今や風前の灯で2、3年のうちにはこの世から消えてしまうかもしれない。
アメリカは歴史修正主義には文句を言いたいが、日本がアメリカの戦争に積極的に協力してくれるとなったら、その点も目をつぶるだろう。
今回の統一地方選の共産党のポスターに「憲法九条を守り抜く」とあったが、共産党にそのための何か戦略があるとでも言うのだろうか。
かつての日本は社会党が議席のある程度を占め自民党の中にも護憲派がいた。
その時代とは違うのだ。

以前のトピックにあったコメントでNHK「今日の料理」の件だが(海上自衛隊のカレーを扱ったというもの)あれは偶然ではない。
なぜならその前日爆笑問題がやっている番組「探検バクモン」は防衛大だったからだ。
その翌日「サラメシ」でこれは短時間だったが、また海上自衛隊カレーをやっていた。
たまたま三日続けてそれらの番組を見た私はNHKの本気?を感じずにはいられなかった。
ところでそのNHKに経営委員として安倍が送り込んだ長谷川三千子は上のコメントにある野上弥生子の孫ですね。
以前もコメントしたが、本当にこの数十年の日本の変遷を見るようだ。

Commented by serenatalouvre at 2015-04-13 21:31 x
 いかにも懲りない国民性なのか。確実に現政権は盤石な体制で戦争へと進んでいくだろう。また大きな犠牲を払ってから、「こんなことになるとは思っていなかった。」と、多くの人が悔やむのだと思う。沖縄を見ても、福島を経験しても、そして「フクシマ」はますます危機的な、恐ろしい方向に突入しているというのに、全く懲りていないのである。

 今回の選挙結果から見えるのは、一つには、真面目に投票の義務を果たした有権者の多くが自民党を選んだことで、選択肢がないのでいたしかたなかったのだろう。

 そして二つには、年々低下している投票率の問題。選挙権への意識が低すぎる。

 この二点とも、日本だけの問題でなく、欧州の各国も直面している。日本と同じく、腐敗し、国民生活を軽視していながらも、政権与党が継続するかたちになっている国が多いようだ。

 選挙制度を変える方法はあるのだろうか。

 数か月前にフランスのある田舎町の選挙の報道があって、興味深かった。住民を代表する被選挙人の性別構成比は、住民の男女の比率と同じであるべきだという理念から、立候補は必ず男女ひとりずつ組み、その組に住民が投票し、円滑に選挙が実施されたということだった。住民の評価も高かった。このように、とにかく有権者の意思で選挙制度が改定できるのは素晴しいことだと思う。

 世界でも驚異的な投票率をあげているのがオーストラリア。毎回95%を下ったことがない。投票率が98%というときに、たまたまオーストラリアに滞在していて、羨ましかった。オーストラリアでは、はるか以前の1924年に投票の義務制度が導入された。正当な理由なく投票を怠った場合は、いくらかの(日本円で約5,000円)罰金を払わなければならない、という制度が効を奏してきた。日本の20数倍の広大な国土に、人口は少なく、ようやく数年前に2,000万人になったばかりである。義務制度にしなければどうなっていただろうか。

 とにかくしばらくはニュースも見たくない心境。こちらのブログとTwitterで情報に接するだけにしたくなった。
 


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