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斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18124698.jpg三原順子の「八紘一宇」の事件について、脱構築の思想との関連でもう少し思うところを論じたい。この事件への反応で気になるのは、怒りのなさという問題である。Twを眺め見ながら感じるのは、三原順子への批判に怒りがないことだ。怒っていない。左翼リベラルはこの発言に対して、バカにして嘲笑ってはいるけれど、許せないという怒りの感情を示しておらず、撤回を要求するという態度に出ていない。例えば、斉藤美奈子が3/18に東京新聞に寄せた論評がある。「歴史のお勉強をサボると、こういう惨事を招くんですね」と書いている。無知ゆえの暴論と失態という捉え方だ。批判はしているが、辛辣な皮肉を言って刺したという軽いタッチとトーンになっている。この斉藤美奈子のコラムに、この事件に対する左翼リベラル全体の反応が代表され集約されているように私には思われる。三原順子の無恥を咎め、非常識な挙動を一蹴してはいるけれど、そこに倫理的な怒りがなく言葉に熱や重さがない。無知と無恥を咎めてはいるが、罪を問うて批難する姿勢を返していない。揶揄して酷評するか、妙な蘊蓄を垂れてネタにしている者が多い。本来、ここで市民が直感しなくてはいけないのは恐怖であり、戦争の恐怖に対する生理的で反射的な拒絶こそが市民の反応であるはずなのだが、それがなく、拒絶と憤激の反発がない。



斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18115151.jpg内田樹とか斉藤美奈子とか小田島隆とか高橋源一郎とか、朝日の論壇などに登場する今の売れっ子の左翼リベラル系論者たち、彼らの、右翼の動きに対する視線や口調というのは、万事がこの調子で、上から見下ろして、右翼の無知と滑稽を誹って軽口で叩くという処理の仕方だ。そこには、朝日の読者という知的にスタンダードなレベルからすれば、無知な右翼は取るに足らない矮小なものだという軽蔑の合意があり、愚かな右翼を見下ろしている自分たちが正常で多数だという、言わば「朝日共同体」の正当性を確認する身内意識がある。彼らの右翼に対する反応パターンは共通している。彼らの言説には、右翼がマジョリティを握っているという感覚がない。右翼がこの国の多数を占め、国会の多数を制し、極右が政治権力を恣にしてファシズムを完成させているのだという、真剣に考えたら恐怖で凍りつくような生々しい認識がない。彼らの言論は、恐怖感や切迫感とは無縁で、常に余裕綽々で、右翼に対して隔絶した優越感を漂わせている。おそらく、内田樹や斉藤美奈子の日常には、毒々しい右翼が多数を制している現実を実感させる契機がないのだろう。いつも右翼を小バカにして軽口を叩く脱構築の面々とばかり会話し、目にする新聞も雑誌も同じで、商売の周囲(編集者とか)が同じ脱構築ばかりだから、違和感を感じないのだ。

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_181228.jpg今回の三原順子の「八紘一宇」の事件は、決して偶然のハプニングではなく、意図的で用意周到な政治のチャレンジである。国会という国権の最高機関の場での、言わばイデオロギーのクーデターの決行だ。目的は「八紘一宇」のコンテクストの蘇生復権であり、観測気球の打ち上げによる世論馴らしであり、次に目論む「教育勅語」の復活への布石だ。平和憲法の下で戦後に制定された法制度の否定・廃絶である。したがって、この政治(侵略正当化の標語の復活)は、国民の権利と生活に深刻に関わる。であるならば、この事件に対する反応は、三原順子の無知を侮蔑して皮肉を言うとか、原義について蘊蓄を垂れてネタにするとか、そのような「議論」であっていいはずがない。けれども、今の左翼リベラルの主流の思想が脱構築主義であるため、内田樹らも、内田樹のTwに群れる左翼リベラルたちも、この極右の恐るべきクーデターに対して、脱構築の作法でしか論ずることができず、それを相対化して、軽く笑い話にして処理するという対応しかできないのだ。脱構築主義の思想の神髄は、二項対立揚棄の相対主義である。イデオロギーを否定するイデオロギー(=自己欺瞞)だ。二項対立はよくない、二項対立は終わった、もう冷戦のイデオロギー対立の時代じゃない、そう口走り、すべての問題をその観念で都合よく処理する。本質的な問題を無意味化してしまう。

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18121398.jpgそうなると、右翼が平和憲法を攻撃し、戦後民主主義の諸制度を廃絶すべく出てきたとき、脱構築の構図では、右翼と戦後民主主義が対立する二項となり、両方が否定される。マンガ右翼のおぞましい挑発本が出てきても、出版を差し止めようと焦燥するのではなく、一つの主義主張だから読んで理解してみようという態度になる。出自を指させば、脱構築主義は嘗ての左翼の転向の思想であり、70年代にマルクス主義者だった者が行き着いた逃げ場所だが、そこで世界ができ、業界が築き上がり、院生の小僧だった者が権威の教授になり、今ではこの国の左翼リベラルの主流となり、まさにスタンダードの支配的思想となっている。三原順子の「八紘一宇」の意図的な揚言挑発に対して、拒否や拒絶ではなく、原義の蘊蓄を披露し、もともとの意味は決して悪いことではないと言っている者の姿勢は、まさに、1998年にマンガ右翼の本が店頭に出たときに、拒絶する前に読んでみようと受容を説いた態度とそっくり同じだ。こうやって、一つ一つ決壊し、ずるずると譲歩し、価値中立を偽装した転向の思想が強い磁力で引っ張り、日本は右傾化して行った。今回の「八紘一宇」の投擲は、1998年のマンガ右翼の「戦争論」と同じであり、在特会の新大久保デモと同じなのだ。われわれの反応は、言い分を聞いてみようではいけないのであって、峻烈な否定と拒絶こそが即時無条件に返されなくてはいけない。

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18122373.jpg先月、高松を訪れて丸亀町商店街を歩く機会があった。三越の近くにドーム型のアーケードの交差点があり、再開発で新しくなった街のシンボルとして広く知られている。その場所に紀伊國屋書店が店を出していた。いかにも最近の本屋らしい洒落た設計と照明のフロアで、小ぎれいで落ち着いていて、客には快適な環境なのだけれど、そこでとても残念な事態に遭遇してしまった。売れている新刊を棚にディスプレイしたコーナーがあり、立ち止まって一つ一つ確認したところ、ほとんどすべてがグロテスクな右翼本なのだ。例外だったのは、辺見庸と佐高信の対談本の一冊だけ。高松でもこうなのかと、心が打ちのめされてしまった。こうした俗悪な風景は、東京の書店では普通に出くわすもので、さして驚くことではなく、別に高松で同じものを見たからといって、そこで特に落胆しなければいけない理由はないのだけれど、旅先の少しでもロマンチックな気分でいたい場所で、あらためて厳しい思想的現実を突きつけられると、心が固まって呆然としてしまう。若かった頃、神保町や八重洲の大型店で書棚を隅々まで嘗め回し、新刊を一点一点チェックし、その内容を吟味することは、ほとんど日課というか習慣のようなものだった。理工系の男の子が秋葉原に繰り出し、土日の終日をそこで潰し、財布をはたき、学生時代からの趣味を継続・蓄積・成長させるのと同じように、私はそれを大型書店でやっていた。愉しかった。

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18123485.jpgユン・チアンの「ワイルドスワン」の中で、長編物語のクライマックスのところで、四川省の党幹部だった彼女の父親が、革命小組の若い暴徒たちに自宅を襲撃される場面が登場する。書斎に踏み込まれて書架を乱暴に引き倒され、大事にコレクションしていた書籍や文物を床に蹴散らされ、父親は、これまで一度も発したことのない大きな声で嗚咽し慟哭した。あの場面が本当に凄絶で、傑作の中でも最も印象的な描写で、ずっと忘れられずに頭の中に残っている。父親は知識人だった。人生を賭けてコレクションしてきた価値。誠実に追求してきた理想と生き方。それらが裏切られて蹂躙されたときの絶望と屈辱。どれほど、どれほど父親にとって耐えがたい、残酷な仕打ちだっただろう。事件の後、文革の苛烈な運命の中で、父親は精神を病んだ人となった。ユン・チアンの父親と同じではないのだけれど、何となく似たような拷問的な精神体験を、ソフトに、ゆっくりゆっくりと時間をかけてしたのではないのかと、私は自分について思ったりする。80年代後半からの脱構築の台頭と跳梁、90年代後半からの右翼の台頭と席巻、それらの時間が流れ、とめどなく流れ、日本の書店は今のような景色になり、私は、マルクスの言う疎外された状態になった。荒野を彷徨する身になった。昔はいた学者範疇が今はいなくなり、社会科学の概念と世界が消えた。新聞記者や官僚が天下って大学教授にスライドし、正体不明なタレントが学者になってマスコミで威張っている。

斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_18173512.jpg学問は、長い時間をかけて苦心して習得するものではなくなり、そのように評価されるものではなくなった。いったい、今のこの現実は元に戻るのだろうか。具体的に問いを立てよう。今回、自民と公明で合意された安保法制は、目眩がするような中身で埋められている。例えば、周辺事態の概念は取っ払われ、地球上のどこでも自衛隊が出動できるようになり、それも法律の制定なしに内閣の決定で行けるように変わる。地球の裏側にまで自衛隊が行って戦争するのかと、そういう野党の批判に対して、そんなことはありませんと安倍晋三と石破茂が釈明していたのは1年前のことだった。昨年の集団的自衛権の議論のときに言っていたことだ。今年は、昨年の集団的自衛権のとき以上に反対の圧力が弱い。安保法制がそのまま国会を通過したら、後は自衛隊が戦争を始めるだけだ。この安保法制が国会で成立した後、果たして法改悪した内容を、選挙での政権交代なり何なりで元に戻すことができるのだろうか。昨年の集団的自衛権の閣議決定は、撤回させて元に戻すことができるだろうか。一昨年の秘密保護法は、法律を廃止することができるだろうか。J-NSAは組織を廃止することができ、予算をゼロにすることができるだろうか。具体的に、どうやってそれらをリセットして元に戻すのだろうか。戦争とか革命とかのドラスティックなプロセスなしに、カタスロトフの契機なしに、安倍晋三以前の体制に戻すことができるのだろうか。

戻せるとすれば、それはどういう政治のイマジネーションなのか。脱構築の左翼リベラルの者に、その具体論を説明して欲しい。身内界隈だけで通用する安易な気休めの楽観論でなく。


斉藤美奈子の「八紘一宇」コラムと脱構築 - 怒りと危機感のない批評_c0315619_19253047.jpg

by yoniumuhibi | 2015-03-20 23:30 | Comments(14)
Commented by kuma at 2015-03-20 20:27 x
内田樹のは見ていないが、同じ危惧をもちます。上から目線でいたらとんでもない、足もとを掬われると思う。全部、筋書きがあるのはミエミエです。心理を読んだ相当うまい戦略が練られているように思われます。
Commented by まゆ at 2015-03-20 21:49 x
溜め息が出ます。この世の闇へ埋没してしまうかもしれない恐怖と政府と言うお化けを倒したい倒さなければという、私の中のテロ。平和を勝ち取る為に諦めては倒せない!戦車も戦闘機も。
Commented by neco88 at 2015-03-21 02:59 x
まず、国会で語られたとんでもない言葉に、なぜ国会議員からの反論や批判がないのでしょう。無知や愚かさを利用して、誰が何をたくらんでいるか、その背後の闇に眼を凝らさないと。ナチス勃興期、「あんなやくざみたいなもの、長続きしませんよ」と、日本の高踏的知識人は失笑していたそうです。反射神経が鈍すぎる。
三原議員のしても、「ハーケンクロイツ」は「まんじ=卍」と同じで古代インドの平和を表す文字ですから…とか、欧州に行って公言する度胸はおありでしょうか。欧米コンプレックスとアジアからの視線への鈍感さが同居している分、醜悪です。
Commented by カズヤ at 2015-03-21 06:38 x
三原じゅん子の質問動画を一応全部見たけど「八紘一宇」という言葉以前に学校の教室で先生の気に入ることを言ってポイント稼ぎしようとしている優等生みたいに見えて気分が悪くなった。
こんな国会質問なんかやるだけ無意味じゃないかよ。
Commented by Emmylou at 2015-03-21 07:27
小保方晴子のSTAP捏造、松島みどりのウチワ、小渕優子の献金&PCクラッシュ、どれも「女性の活躍」を歌ったアベノミクスが利用しようとしたら自爆して不発に終わった例ですが、9000億の「女性活躍」予算を見ても、安倍政権は「女性」を盾にしたソフト路線で軍国戦前主義を復活させようとしているのは見え見えです。そして、左翼リベラル/フェミニストはとことんこの「女性」に弱い。「女性」は無辜で正直で被抑圧者で反体制でエコロジーで「命の味方」で・・・という固定観念が、日本にもともとある母権主義と結びついて、左翼側の攻撃姿勢は憎々しいおっさんが矢面に立つときよりも攻撃力が半端なく弱くなってしまう。このブログで取り上げられていた小保方氏や下村君の母親に対する左翼側の無条件盲目的な擁護姿勢は、一にも二にも「女性だから擁護」という動機だったと思います。
三原純子のこの発言も、女性議員であるゆえに攻撃の舌鋒がゆるみ、追及し切れていないところがあるのではないでしょうか。
こうした事態を予測できたので、野党の盟主の民主党には、村田蓮舫の党首抜擢を期待したのですがそれも叶いませんでした。
そして、ホームレス排除に余念のない渋谷区が、同性愛者パートナーシップを条例化し、それに世田谷区や横浜市が追随する動きを見せていますが、一部でこの渋谷区の条例を「ピンクウォッシュなのではないか」と批判が騰がっています。
いわば安倍政権の「女性にやさしい」「女性活躍」と称する方針は、日本版ピンクウォッシュ政策なのではないかと考えています。
そしてその結果、若い男性たちは戦地や原発処理に赴かされ、都心の霞ヶ関関連や大企業で、老人と女性たちが小さいパイをがっつり分け合う社会ができあがりつつあるんじゃないでしょうか。
Commented by てんてん at 2015-03-21 09:09 x
>三原順子の「八紘一宇」の事件は、決して偶然のハプニングではなく、意図的で用意周到な政治のチャレンジである

まったく同感です。
これは安倍の「先の戦争は侵略ではなく、アジア解放のための
戦争だった」という歴史認識とも合致するし
安倍が「バンドン会議60周年記念会議」への参加に
意欲的であることのその意図と、並べて考えれば
目指しているところが、どこにあるかは
露骨なほど明らか。
今年夏の「安倍談話」への布石であり、その延長には
ブログ主様が主張する「教育勅語」があることは
間違いないと思います。

斉藤美奈子や内田樹が、それくらいの見通しを持ってないとは
思えないけれど、朝日紙上で「おちゃらかし」に留まって
それを指摘しないことは情けないかぎりです。
朝日新聞の中でも「自主規制」が恐らく働いているだろうと
思われ、これが一番深刻です。
Commented by かかろっと at 2015-03-21 11:29 x
リンク先の記事で、岩波書店による社員への言論弾圧が書かれていますが、ブログ主さんの言うように、今のマスコミ関係者や書き手、大学教員、院生の大多数は、「愚かな右翼を見下ろしている自分たちが正常で多数だという、言わば「朝日共同体」の正当性を確認する身内意識」を共有するようになっていて、一種のプチ・ブルのカルト宗教のようになっているのではないでしょうか。そこから外れる主張・主義は「異端」。
森達也的な被害妄想(演技)と斎藤美奈子的な上から目線がその特徴でしょう。大衆から拒絶されるのは当たり前だと思います。
Commented by 長坂 at 2015-03-21 12:33 x
井上ひさしに加藤周一、大江健三郎に澤地久枝、、、
作品はこれからも読み継がれていくであろう優れた文学者であり哲学者。戦争や平和の問題は決して"茶化"さずシニカルにならず権力の横暴を許さない確固たる姿勢があった。だから、、、、"ユダヤ文化論"の内田樹や喧嘩両成敗で慰安婦問題を語る江川紹子。IS人質事件の官邸の対応を絶賛する藤原帰一。こういう人達が"リベラル"の代表じゃ改憲阻止も無理だし戦争を止めるなんて(期待もしていないが)幻想。
Commented by 愛知 at 2015-03-21 18:50 x
自分の恥ですが、高いコミッションに釣られ霊感商法のバイトに手を染めかけたことが。創価学会員の名簿をもとに信者を訪問、仏壇を販売するもの。仏壇販売本部と契約のFC店(個人営業の仏壇店)の販売員に。最初に自分が仏壇を買わされ、集会所で洗脳映画を見せられ。仏壇売価の30%というコミッションに釣られただけですが、さすがに気が咎め、1週間後、買わされた仏壇は粗大ごみとして廃棄。無論、他人様にはひとつも売ってません。契約破棄後が大変。自分が留守の間、何度も大勢で押しかけられ抜けるまで家族に迷惑を。選挙の事前運動を録音して脱出するまで1年がかり。教えられたことは貧乏で高価な仏壇を買えないと言われたら絶好の商機、高価な仏壇を買わないから貧乏なんだと言って売れと。学会と本部の関係は不知。いつも些末な体験談で恐縮です。三原順子の八紘一宇発言。対応次第で議員辞職と思うのですが。なぜ問題にしないのか不思議。日蓮主義の継承者である公明党に期待することは何もないと思いますが、馬淵澄夫氏の「三原議員八紘一宇発言に違和感なし。言葉だけをあげつらっていては、事の本質が見えなくなる」(現代ビジネス)は、いったいどういうつもり。ことば狩りは悪しきヒステリーの面を持つことなど誰しも承知ですが、再び軍国主義となることに抵抗することまで言葉狩りですか。なんで税法改正の議論に八紘一宇を持ち出すのか。そっちを問題にすべきなのは明瞭です。今朝の朝刊紙面なんて、このままいくと近い将来、「戦前の新聞」と評価されることに。言論人が頬かむりを続ける限り、戦争への流れなど、もはや止められないのでは。今になって昨年末のごり押し選挙の本当の目当てが実感として湧いてきました。あきらめてはいけませんが。
Commented by てんてん at 2015-03-22 10:40 x
3月22日のTBSサンデーモーニングで
三原じゅん子が「八紘一宇」を、先の戦争でスローガンとして
使われたことを知った上で使った、ということを押さえた上で
「国会はもっと厳しくこの発言をとがめるべきだ」
「彼女は恐らく言わされているだろう」と言及。
また「八紘一宇」が建国以来の価値観というのは彼女の
事実誤認で、大正時代に作られた言葉であることも
指摘していました。
そのとおりだと思います。
Commented by 愛知 at 2015-03-22 22:54 x
3月22日、防衛大学校卒業式の内閣総理大臣訓示の中で「戦後68年間にわたる我が国の平和国家としての歩みは、これからも決して変わることはありません。」との発言が。その後、「乃木大将は常に第一線にあって(中略)幹部自衛官となってほしい。」と続きます。テレビで見て、あれっと思って、首相官邸HPで文面を確認しました。現政権に危惧するのは1940年に閣議決定された国策基本要領「皇国の国是は八紘を一宇とする(中略)日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設」の部分。75年前の過ちの話です。68年間の否定ではなく75年前に戻りつつあることへの危惧。自衛隊の災害救助には本心から感謝しています。同じテレビニュースで同じ日、天皇皇后両陛下がパラオの激戦地、ペリリュー島で生き残られた元陸軍軍曹(93)海軍上等兵(95)を御所に招かれ懇談されたお姿が放映されました。風邪のところをおされての懇談との報道。現政権は狂っているというか、なにもかも狂わそうとしているだけ。両陛下のお姿を億分の一でも見習ったら。乃木大将は殉死。誰かさんの祖父は武器商人でありながら戦犯から免れただけの方なのでは。現亡国政権との無理心中など、真っ平御免。
Commented by 半覚醒状態 at 2015-03-23 23:18 x
斉藤美奈子氏のコラムは私も読みました。確かに上から目線、対岸の火事的文章で切迫感や危機感はなかったですね。私は左翼リベラルとか、そういう分類は良く分からないのですが、まあ少なくとも自民党を始めとする勢力の方が遥かに今の国民の嗜好を良く知っていて、日本国民にとって舌触りの良いものを目の前にぶら下げる能力は比較にならないでしょう。流れを引き戻すには、そういう国民の弱み、たるんだ琴線を良く知り、そこにハンマーで強烈な一撃を加えられる能力のある人が現れない限り難しいように思います。
Commented by serenatalouvre at 2015-03-24 00:15 x
今日23日6時半からの官邸前での、辺野古新基地建設反対の集会に参加してきた。 午前中に翁長知事が記者会見で、工事停止を防衛局に求めたことで、現地シュワブゲート前ではそうとう盛り上がったとのこと。 7時過ぎには現地と繋がり、山城博治氏が元気な声で数分間語ってくれた。 沖縄のことは日本人みなの問題であるはずだが、今日の集会も最終的には300名とのこと。 NHKやテレビ朝日の中継車も通ったが、この集会の取材のためではなかった。 現地で流れる血のことを思うと胸が痛む。
Commented by 私は黙らない at 2015-03-24 03:39 x
 少し話ははずれるかもしれませんが。
 NHKの今日の料理を見ていたら、「自衛隊カレー」をとりあげていて、現役の海上自衛隊員が、船内でカレー作りを披露していました。こんな一般の主婦がみるような、政治とは無関係な料理番組にまでさりげなく自衛隊が入り込んでいるようで、ぎょっとしました。今話題の自衛隊カレーがテーマだったので、海上自衛隊が登場するのは特に意図したことではなかったのかもしれませんが、うがった見方をすると、自衛隊カレー自体、自衛隊のソフト路線をアピールするためだったのかなと思えてきます。こういう番組を何度も見るうちに、感覚が麻痺して、やがて違和感もなくなるのでしょうか。自衛隊の映像が普通の一般家庭の日常にに何の違和感もなく受け入れていくのでしょうか。
 きょうの料理、好きな番組だったのに、安心して子供と見られない気持ちになりました。


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