震災を風化させているのは政府とマスコミだ - 風化と自己責任

c0315619_18102328.jpg震災の風化はなぜ起きているのか。4年の時間が経てば、個々の意識の中で震災は自然に風化するものなのか。そうではないと私は思う。風化は自然現象ではなく、マスコミと政府が故意に風化させているのだ。前回、関口宏が被災地に出向かなかった点を問題に挙げた。風化の一端を示す事例だろう。今年も気仙沼に行きますかと、そう関口宏に声をかけた番組スタッフはいなかったのだろうか。被災地から生中継をしないということは、優先度を下げたというか、特別扱いを中止したというか、昨年までの報道の形を変えて後退させたことを意味する。重視の度が落ちた評価づけをメッセージしている。同じ変化は、TBSの関口宏だけでなくNHKでも起きていた。記憶では、昨年までのNHKは、両陛下が出席する新国立劇場での政府主催追悼式について、一つの独立した番組を編成していた。新聞のテレビ欄に、午後2時半から30分ほどの短い特別番組を挿入していた。8月6日の広島での平和記念式典のように、タイトルを打って正式な番組の形式で伝えていた。今年は、「情報まるごと」という昼のワイドショー番組の中に、追悼式の中継が組み込まれた放送になっていて、独立した番組が設定されていなかった。これこそ風化を象徴する出来事だ。意外かつ不審に感じた者は多かっただろうし、被災地の人々は少なからず心が傷つく思いだったと想像する。



c0315619_1810374.jpgたとえ一般の人々の関心が被災地から離れ、震災への意識が薄れているとしても、マスコミはそれに順応する姿勢であってはいけない。なかんづく、公共放送たるNHKがその風潮に靡くことは許されない。視聴率を度外視して、風化を食い止める報道に徹し、国民の関心を被災地に向けさせる前衛である必要がある。「被災地に寄り添う」という態度は、マスコミの場合、風化を促す変化を選択しないということだろう。回数とか、時間とか、形式とか、震災関連報道の仕様を変えないという意味だ。風化の問題を考えながら、私は、風化は国民の意識の中で自然に起きているのではなく、政府とマスコミが意図的に仕向けている影響だという仮説を持つようになった。追悼式を独立の番組にせず、「情報まるごと」の中に収めた措置は、まさに国民の意識を風化へと媒介する作為である。どうしてNHKはそんな選択をしたのか。理由を説明できるのか。NHKの震災報道というのは、実は、完全に政府の認識と見解のダウンロードになっている。そのことは誰でも知っている。そして、震災についての政府の説明は、常に、復興は少しずつ前進していて、被災者も希望を取り戻して前へ歩み始めているという単純な楽観論だ。その復興像と被災地像の観念が前提としてあり、それを具体的にイメージづける場面や物語がNHKによって編集され、「花が咲く」のセンチメントで染めて繰り返し発信される。

c0315619_18105040.jpgNHKの震災報道は、まさに国策報道であり、一つのイメージとメッセージの刷り込みの反復であり、そのシャワーが視聴者の通念として半ば定着し、あ、そうか、被災地は順調に復興してるんだ、よかったよかった、もう少しの辛抱だからそのまま頑張ってね、という反応と態度を導く。医者が、容態が快方へ向かっている患者から少しずつ注意が離れるように、国民一般もこうして観察を向けなくなるのである。比喩すれば、われわれは、入院患者の傍にいる家族であり、医者(政府)と看護士(マスコミ)が病気は順調に回復しているから大丈夫と何度も念押しするから、それを信じ、危篤だった直後の緊張から解き放たれているのだろう。その状態こそが、まさに風化の現実なのだ。国民は決して被災地を気に留めてないわけではないし、被災者のことを心配していないわけではない。もし、国民に被災地について別の情報が入り、復興像と被災者像が異なるイメージに置き換わったなら、風化はただちに止まり、危機感と懸念の視線が現地に注がれるはずだ。現実には鎌田靖が統計データで証明して報告したとおり、多くの被災者は生活苦と将来不安に苛まれていて、長く続く仮設暮らしの中で心身を消耗させ、生きる希望を半ば塞がれている。だが、大越健介を筆頭とする御用マスコミは、復興が前に進んでいる、被災者は期待と希望で胸を膨らませていると、ワンパターンでそればかりを強調するのだ。

c0315619_1811349.jpg風化というわれわれの反応は、真相を率直に言えば、大越健介に代表される欺瞞的な被災地報道に対する飽きの意識である。また同じことを言いやがってと、政府の見方考え方を代弁し、政府の認識を国民の認識に一体化させようとする大越健介らの邪悪な駄弁に対する、生理的な拒絶反応なのだ。震災の風化現象は、政府がマスコミを使って撒いているプロパガンダの影響と結果に他ならない。政府は、被災地の内実について国民に関心を持ってもらいたくないのだ。復興の真実について国民に掘り下げて考えてもらいたくないのだ。被災地の実態が暴露されることは、政府が成功を喧伝している復興が名ばかりのもので、実は深刻に失敗し破綻していることが明らかになることだから、だから風化は政府に都合がいいのであり、大いに風化してもらう必要があるのであり、マスコミの震災報道は震災を風化させることが目的なのだ。「風化させてはいけない」というマスコミの言葉は、ホンネとは逆のタテマエの欺瞞に他ならない。鎌田靖が数字で告発した仮設入居者の苦境を、昨日(3/11)、TBSの昼の特別番組が石巻からの中継で生々しくレポートしていた。プレハブ仮設は天井と窓ガラスがすぐに結露し、水滴が壁づたいに流れて畳に染みこむ。畳はカビだらけになり、石巻の仮設住居地区では5人に1人が気管支炎(ぜんそく)を発症していた。造成が始まった復興公営住宅は、完成までまだ3年かかるのだと言う。

c0315619_18111326.jpgカビだらけのプレハブ仮設で、3年半暮らし、さらに3年間我慢しなくてはいけない。復興予算が9兆円も余っているなら、応急的にリフォーム施行するとか、何か手を打つことができないものか。昨日(3/11)、震災から4年の日のマスコミ報道は、3万戸の計画だった災害公営住宅が、1月末時点で5582戸しか建ってない事実を伝えたが、一年前の安倍晋三の約束は隠して不問に付した。一年前の2014年3月11日、震災から3年の日の記者会見で、安倍晋三はこう断言している。「次の3月11日こそは、もっと多くの方に新たな住まいで迎えていただきたい。来年3月末までに200地区に及ぶ高台移転と1万戸を超える住宅の工事を完了してまいります」。1万戸超の住宅完成をコミットしているのだが、この事実に触れたマスコミはない。誰かがこの急所を衝けば、安倍晋三は大恥をかき、批判の声が上がり、支持率は数ポイント低下しただろう。この問題は考えさせられる。わずか一年前のことではないか。数字は復興庁の官僚が作成したもので、この時点で1年後の工事完成戸数の予測を誤るとは思えない。1万戸に大きく未達だった場合は、安倍晋三の面目を潰す失態で責任問題だ。他でもなく、3月11日の首相発表で、こんな杜撰な始末があるだろうか。表向きの言い訳は、資材高騰だの人員不足だが、一方で復興予算は9兆円も余している。資材高騰も人手不足も、(善い悪いは別にして)強引にやればカネで解決できる問題だ。

c0315619_1811236.jpgもともと官僚の数字では6000戸だったのを安倍晋三が1万戸にしとけと数字を改竄したか、1万戸の建設予定だったのを無理やり工事を遅らせて半分にしたか、そのどちらかだと推測する。いずれにせよ、被災者が受け取るメッセージは、来年もきっと未達だろうという意味で、待ってても先延ばしされるだけで、政府に復興住宅の建設を急ぐ意思はないという真実だ。安倍晋三と政府の狙いは、その真意を被災者に悟らせることにある。ゼネコンが儲かる常磐道や常磐線の工事は急ぐし、前倒しで次々と完成させるが、被災者を助ける公営住宅や学校校舎は面倒くさがり、わざと後回しにして遅らせるのである。住む家が欲しいなら自分で何とかしろと言外に通告しているのであり、おまえらには仮設で十分だから、ありがたく文句言わずに死ぬまで使えと言っているのだ。嫌なら出て行けと。復興政策が自己責任論を基軸にしていることを、言葉ではなく行動で説明しているのであり、タテマエの言葉は飾りだから本気にするなと、そう突き放しているのだ。安倍晋三と政府のホンネは、2chの匿名右翼が生の言葉にしたり、被災地周辺の心ない者や学校のいじめ生徒が生の言葉にする。いつまで被災者面しているんだとか、国に甘えるなとか、他の人間は努力して自立したぞとか。仮設に住む被災者たちは、カビによる健康被害で体調を崩しつつ、自己責任論の脅迫で苦しめられ、心を傷つけられる。生活保護の弱者と同じ虐待の構図がここにある。

c0315619_1811351.jpg震災の復興政策の正体は、自己責任論が基軸のもので、防災を名目にした土木事業の塊だった。後藤新平にあやかる名誉欲に目の色を変え、文化勲章に涎を垂らした無能な学術官僚どもが集まった復興構想会議、その愚かな面々が打ち出した結論は、田中角栄も真っ青の、どこにも学問的思想的センスのない、土木範疇一色の、巨大防潮堤と高台移転だけという無残で不毛なものだった。ゼネコンが電通に作らせた安っぽい(コピペ使い回しの)プレゼンテーション資料と同じ代物。被災者の暮らしを救済するという使命は、初動で全く目が向けられなかった。3/7放送の「アド街ック天国」の中で、愛川欽也がこう言っていた。「街というのは人なんだよ、街は建物じゃないんだ、街は人なんだ」と。同感する。ということは、愛川欽也に従えば、被災地を復興するということは、防潮堤や高台移転の前に、被災者の暮らしをどう再建するかが主軸にならなくてはいけないはずだ。人がいなくなれば、街の復興など何の意味もない。人口流出を阻止できなければ、街の復興はできず、高齢化で自然に消滅してしまう。被災者の生活と仕事の再建について、復興構想会議の提言も、復興基本法も、復興基本方針も、まるで無関心であり、自己責任論で捨象していた。今、仮設入居者の人々が大きな声を上げられないのは、彼らが東北人で忍耐強いからではなく、仮設入居の期限(2年→3年)が「お上のお慈悲」の仕組みになっていて、権利的に肩身の狭い立場に置かれているからに違いない。

彼らが政府批判を公然と言えないのはそのためで、「甘えるな」といじめを受けるのもそのためなのだ。仮設の供与期間という制度を、政府は狡猾に悪用し、時間の経過と共に被災者の権利的立場を弱め、被災者を脅し上げる関係位置を強化し、自らの不作為に頬かぶりして開き直っている。憲法25条が被災者に適用されていない。


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by yoniumuhibi | 2015-03-12 23:30 | Comments(5)
Commented by 名もなき者 at 2015-03-12 20:17 x
自民党が執拗に改憲したいのは9条だけじゃ無く25条の生存権など基本的人権を抹殺したいからでしょうね
Commented by 愛知 at 2015-03-13 01:06 x
昨夜泥酔の末、下劣の極みのコメントを送信したようと思います。名前を何と設定したか記憶もなく多大の不躾、深謝します。恥ずかしいことに内容の記憶もほぼ無く。後藤健二の疑惑、マスコミが正確に報道しない湯川遥菜との関係から拝読しています。クローズアップ現代の辻内琢也氏の政府による暴力発言は仰天しました。まさに思わず膝を打つ弁。被災者はドミニカ棄民や東京万博の見世物として、鉄血勤皇隊として、蹂躙され続けている琉球の民と同じ扱い。東北棄民というべき。岸信介の亡霊、安倍晋三の暴走は何としてでも阻止しなければ、日本は中国のひとつの省か県となり、永久に独裁政権の呪縛の身となることは必至(ブログ主様ご指摘の通り)。遡り紹介されていた12月10日の不破哲三の名調子には関心させられました。とりとめのない文章、昨夜の不躾と併せお詫びします。今の自分にできることは、ブログを印刷し妻子に読ませることしかできませんが、政権の圧力に屈されずブログを続けて頂きますよう伏してお願い申し上げます。
Commented by バンシルー at 2015-03-13 11:33 x
震災から数ヶ月後のある日、県から派遣され被災地へ赴いた災害医療チームの報告会に参加しました。その報告会はおそらく、震災後1・2か月が経過した時点で派遣された方々のものだったのでしょう。災害時急性期医療の内容というよりは、生活が落ち着きつつある頃に表面化してきた問題「PTSD」や、被災者の自死の件が話されていたことが強く印象に残っています。あれから四年。
主さんが記事の中で紹介してくださっていますが、NHKが大学と共同で被災者の方々に行ったというアンケートで明らかになった「生きているのが辛いと感じる」と答えた人の割合の多さに心がかきむしられるような思いです。
こう思わせてしまう根本の所が放置され、四年も経過しているのは何故でしょうか?何故ここまで何重にも苦しまなくてはならないのでしょうか?被災者の方々がいったい何をしたというのでしょうか?たくさんの「何故?」が頭の中でぐるぐるしています。

あの大きな災害・大きな試練を乗り越え生き延びられた方々、今も戦っておられる方々のいのちと心を政府には大切に思っていただきたいです。

弱い立場にある物が踏みにじられ、いのちがこんなにも軽々しく扱われる。残される次世代の事を考えず、弱い立場のものを守らない。あった事をないかのように言い、無いことをあるかのように嘘をつく。
こんなにも愚かで弱い国になってしまった事が本当に残念です。
Commented by 半覚醒状態 at 2015-03-13 11:39 x
主様、仰るとおりですよね。ただ私はこうも思います。例えNHKが国策報道機関であり、他のマスコミも似たり寄ったりであったとしても、やはり国民ひとりひとりが自分の人生に責任を持ち、自己責任のもとで生きていかないと。政府がやっていることや、米英その他の国々のしてきたことは、明らかにおかしい。ところがマスコミでは、あまりそうした話は登場しないどころか皆無になりつつある。そうした奇妙な点には、多くの人が関心さえ失なわなければ気づくようになるはずです。私は最大の責任は受身で依存的で、棚からぼた餅をいつも指を加えて待っている多くの国民に帰されるべきだと思っています。
Commented by 長坂 at 2015-03-13 12:33 x
震災に遭わず、バブリーな東京(ほぼ埼玉ですが)に住む者として、被災された方々に対し自分はどうあらねばと考えるのですが、答えが見つかりません。こう考えること自体、おこがましいのかもしれませんが。
追悼式での三名のことば、「負けないで頑張る」「前向き」「一歩ずつ努力」と、私達が聞きたいことばを言ってもらって逆に安心させてもらっているんですねえ。
今日の朝日で、社会学者の開沼さんが「外から大きな声で文明論をぶったり、"福島のために"と叫んだりすることでなく、地道に働く人たちの生活の延長線上にこそ、福島の将来がある」と合点したと。辺野古にも共通する点があるかもしれませんが、外側の人間は黙って見守るべき?非当事者にとっては所詮他人事?明日自分が当事者になるかも、じゃその時は?と、色々考えてはみるのですが、、、


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